雨垂れ石を穿つ
ラム
最初の一滴
雨垂れ石を穿つ
《「漢書」枚乗伝から》小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功する。
東と西に国がある世界のうち、東の国がディストピアであった。
独裁者の肖像画が至る所に掲げられ、国民は毎朝その前で忠誠を誓わなければならない。
批判者は秘密警察によって密かに連れ去られ、二度と戻ってこない。
そのため、誰もが独裁者を崇め、批判することなど考えもしなかった。
「次の任務だ、西の国への飛行機へ乗り毒をばら撒け」
「はい」
「期待しているぞ」
そう言い、独裁者は美女に酒を注がせる。
それを特になんとも思わず、指示を受けた女工作員……ミアは作戦を遂行するべく動く。
ミアは戦災孤児で、家族がいない。
しかし犯罪に手を染めつつ生き延びていると、その手法と才を買われ、10年に及ぶ過酷な訓練に耐えて工作員となった。
「私です。次のフライトで西の国の要人を始末したいので毒物を用意してください」
「君も大変だねえ。司令官様に貢献できるならそれくらいわけないだろうが」
「はい」
ミアは西の国への飛行船に乗り込む。
毛布には混ぜると有毒な塩素ガスが発生する塩素系漂白剤と酸性洗剤が隠されており、それをばら撒いてターゲットを暗殺するのが今回の任務だ。
ターゲット以外の数百人の乗客はただ運が悪いだけ。
毒を仕掛ける最中、監視カメラの赤い光が点滅し始めた。
カメラの視線を感じつつ作業を続ける。
手汗がじわりと滲み、心臓が高鳴るのを感じながらも、ミアは冷静に任務を遂行した
そして脱走の準備をしている頃だった。
「なんでも東の国はとんでもない地獄らしいな」
「しかも司令官が絶対的に正しいと教育されているから間違いに気付かないんだと」
「特に工作員はテロ紛いのことをさせられてるらしい」
「この飛行機にも工作員が乗ってたりしてな」
「ないない。しかしあんな国滅べばいいのにな」
「世界中に迷惑かけてるからな」
それを聞いてミアは耳を疑う。
(我が国が最も優れているのに何故こうも嫌われているの? 西の国は我が国に恨みがあるの……?)
ミアは毒をばら撒くための仕掛けをして飛行機から降りる。
これで作戦は成功だ。
「私です。作戦は成功しました」
『あぁ、ご苦労。すぐ戻ってきたまえ』
西の国の街並みは色とりどりの広告に彩られ、商店街は活気に満ちていた。
人々は笑顔で買い物を楽しみ、カフェテラスでは笑い声が響いていた。
ミアは初めて見る自由な世界に圧倒され、自国の現実とのギャップに愕然とした。
しかしそれは他国から富を独占しているために享受している偽りの豊かさだと教えられている。
ただ、ミアはビルに映される巨大なスクリーンを見て、住む世界が違うと思った。
その巨大なスクリーンにニュースが流れる。
『先ほど、JAR123便にて塩素ガスが発生し、墜落。乗組員含む乗客213名が死亡しました』
どうやら任務は上手くいったらしい。
『被害者のご遺族の方はいたたまれない心境です』
『この事故で家族を一斉に失いました。なんで? 誰も悪いことしてないのに……私は絶対に犯人を許さない』
絶対に犯人を許さない。
この言葉が頭の中でリピートされた。
(もしかして、間違ってるのは西の国では無くて祖国なのでは……?)
ふと、風とともに新聞紙が足に絡む。
読むと、そこには祖国が思想統制をしていること、他国にテロをしていること、司令官のみが豊かなこと、そして世界一貧しいことが書かれていた。
(なんていうこと、やっぱりそうだったのね……!)
祖国は思想統制により、逆らう者がいない。唯一逆らえるのは──
(私がやらなきゃならない。それがこの毒物テロのせめてもの償いだ)
ミアは帰国するために仲間に連絡を取る。
「同志、ご苦労だったね」
「いえ」
「──もう用済みだ」
次の瞬間、銃を向けられる。
「どういう、つもり……?」
「隣国へ潜んだ工作員を始末するように命じられているんだよ」
「何のために?」
「さあ? しかし司令官様の意向が間違ってるわけがないだろう」
恐らく、真相に気付きかねない人間を始末することが目的だと思った。
「……ねえ、知ってる? 我々の国からは多くの人が海外へ亡命したがっているのよ」
「はあ? だからどうした?」
「この国で暮らした方が幸せだと思わない?」
「しかしこの国は悪だ」
「なんで我々の国が悪だと考えられない?」
「なにを馬鹿な!」
「少なくとも西の国の豊かさは偽りではないわ。西の国に逃げるべきよ」
「でも家族の命が……」
「それは私が協力する。だから銃を下ろして」
「……分かった」
男は完全に納得はしなかったものの、甘言に釣られて銃を下ろす。
こうしてミアはその場を凌ぎ、帰国する。
独裁者を、司令官を止めるために……!
「司令官様、ミアが帰国しました!」
「なに、奴は始末するよう言っただろう! 殺せ!」
司令官はミアの帰国を認めなかった。
ミアは宮殿に入るなり銃を向けられ、咄嗟に逃げる。
(思ったよりガードが固い……! このままでは司令官の顔を見ることすら出来そうにない)
またしても銃声が響く。
右足を銃弾が抉る。
その痛みで転げる。
(ここまでか……)
しかしその時、油断した司令官がのこのこと姿を現す。
「やはりお前は反乱分子と化したか。私に逆らう愚か者など初めてだから死に際を見にきたが……まるで覇気がないな」
司令官は片手を上げ、周囲に銃を下ろさせるとミアを蹴り弄ぶ。
「この国の、私の偉大さが分からない愚か者めが! 這いつくばってどんな気持ちだ? さぞ悔しいだろうなぁ」
そう言い、顔を踏み躙りつつ高笑いする司令官。
「あんたが、偉大……?」
「そうだ。建国に多大なる貢献をした祖父の高貴な血を受け継ぎ、人民を導くという崇高なる使命を……」
拳を握り語る司令官。
隙を見せた。僅かな隙を見逃ず、ミアは司令官の頭部を狙って──銃を放った。
「ぐわぁああああ! 目があ! くそ、早くこいつを殺せぇ!」
「愚かな豚め……!」
一斉に銃弾が放たれ、ミアは蜂の巣になる。
「こいつを解体して晒し者にしろ! 今すぐにだ!」
ミアはこうしてこの世を去った。
ただ、今後司令官が街頭演説をする度に顔の傷を晒さなければならない。
その傷は国の傷を表していることに気付く者もいつか現れるかもしれない。
ミアは命をかけて石を穿つ雨垂れの最初の一滴となったのだ。
雨垂れ石を穿つ ラム @ram_25
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