Still love her

あかりんりん

Still love her

「私と離婚してください。」


10年連れ添った妻が、それは唐突に、だが、僕はその言葉をいつか必ず言われるだろうと予見していた。


あるいは予見していたというより、覚悟していた。


それはまるで、落ちてくる雨が空の雲には戻れないように、当たり前のことだと分かっていた。


離婚届にはすでに記載がほぼ終わっていて、印鑑が押されていて、最後は僕の名前を記入すれば全ての空欄が埋まる。


離婚届の隣にはインクが残り少なくなっているボールペンが置かれていた。


僕は妻に離婚の理由を聞いた。


「あなたには何度も説明したけれど、昔からあなたから受けたモラハラが今でも許せないの。怒って私の鞄を叩きつけたり、他にもたくさんあるけど思い出したくも無いことばかり。でも、あなたはそのこともキレイに忘れて覚えてもいないのでしょう?それが理由。」


妻は僕の目を見ずに視線は離婚届に向けられていた。


あるいは、妻の視線は昔のイヤな思い出に向けられていたのかもしれない。


「そっか。本当にゴメンね。今まで本当にありがとう。」


それ以上何も言えずに、僕は深呼吸して丁寧に僕の名前を書いた。


涙は出ずに自分でも想像以上に落ちついていたことに驚いた。


結婚生活の10年はとても長かったが、離婚は数分で終わってしまった。


僕は思い出していた。


僕と妻が出会った時のこと、それは13年前になる。


当時僕には妻とは違う人と付き合って2年になる彼女がいた。


その彼女は眼鏡をかけていて、とても大人しく、物静かで、友達は狭く深い付き合いをする女の子だった。


僕は常に刺激を求めて新しい出会い(男女関係なく)を自ら作っていたので、本当に真逆の性格だった。


似た性格者同士は好きになりにくいように、僕の辞書には無い彼女の性格が好きだった。


卑猥な話になるが、僕はセックスよりも前戯が好きで、1日中(本当に朝から夕方まで)彼女の全身を愛撫し、舐めてイカせることが好きだった。


いわゆるマグロ(正確には性交時に積極的に行動しない人)な彼女も、ただただ喘ぎ声を我慢して荒くなる息づかいを感じながら、彼女の性感帯を探すのが楽しかった。


でも1年を過ぎたあたりから、やはり真逆の性格からか、すれ違いによるケンカが増えた。


理由は単純明確だ。


前述したように僕は新しい出会いを求めているのに対し、彼女は僕と会うことを唯一の楽しみに(大げさかもしれないが)していたから、当然の話である。


その頃から僕は彼女に何度も別れを告げたが、彼女は泣きながら毎回それを拒んだ。


それでも2年が過ぎたころ、彼女もさすがに疲れたのか、泣きながらそれを受け入れてくれた。


最後に彼女は僕にお礼を言い、キスをしてくれたが、僕は無表情でただうつむいていた。


それはまるで、離婚届を僕に差し出した妻のように。


一方その頃、妻も付き合って2年になる彼氏がいた。


妻は明るい性格で人気があったようで学生の頃からモテていたらしく、歴代の彼氏の人数は2桁を越えていたようだった。


僕は過去には拘らない性格だから、これまで何人の彼氏がいても全く気にならなかった。


そんな僕達は共通の友人が開催する花見や海や川でのBBQ、花火大会などのイベントでよく会っていた。


お互いに彼氏彼女がいることも知っていたが、同じような境遇で、今付き合っている人とはケンカが絶えないことの悩みを共有できていた。


そして奇跡的に(あるいは今の妻からしたら絶望の始まりとなるが)同時期にお互いのカップルが別れて消滅した。


僕は当時の妻が彼氏と別れたことを知らずに、ただ会いたいと思って飲みに誘っていた。


そして僕は彼女と別れたことを伝え、妻も彼氏と分かれたことを知り、僕達は頻繁に会うようになった。


そして数十回のデートの後、妻から電話があり告白してくれた。


この回答した記憶が今では無いのだが、僕は最低な回答をしていたようだった。


「ラッキー!彼女できたでよ!」


その告白の電話の時に、妻は初めて僕に対する不安を覚えたそうだ。

あるいは、それが絶望の始まりでもあった。


ただし、付き合うにはお互いに同じ条件をつけた。


「お互いに1年間、真剣に付き合って、もし1年後、どちらかに結婚の意思がなければ、別れること」


その条件を守るため、あるいは本能的に、僕達は1週間に7日、つまり毎日会った。


食事や旅行のデートの最後には必ず、僕の要望で妻はセックス、あるいはオーラルセックスをして射精まで導いてくれた。


僕達の体の相性はとても良く(あるいは妻は僕に合わせてくれていたのかもしれないが)、今では考えられないが、当時20代で若かった僕はいわゆる絶倫(正確には精力が並外れて強いこと)だったのだろう。


ある日の夕方、いつものように僕達は二人で会う約束をしていたが、僕は会社から緊急の呼び出し電話を受けたので、今日は会えないことを妻に伝えると


「少しだけでも会えない?」


と言ってくれたので、僕は少しだけ待つことにした。


15分経った頃、車から慌てて降りてきた妻は


「がんばってね!これ食べてね!」


妻はお弁当箱と一緒に手紙を入れて僕に渡してくれた。


その時僕は、この人と結婚するのだろうな、と予見していた。

あるいは、流れてくる川の水が上流には戻れないように、当たり前のように確信していた。


二人で毎日ホテルに泊まるお金は無いため、車(生意気にベンツのBクラスに乗っていた)の後方座席を倒して広くして、一緒に寝泊まりしていた。


いくら若いとはいえ、車で寝泊まりするのも限界になったので、二人で不動産屋に行き、部屋を探してみることにした。(この時はまだ住むための値段や条件があるのかをただ知るための目的だった)


それは付き合ってから4ヶ月の頃だった。


値段も条件も良い部屋が奇跡的に(あるいは繰り返すが今の妻からしたら絶望の始まりとなるが)1部屋だけ見つかり、1ヶ月後には住めることが分かった。


ただし、その物件は人気がある地区なので、早めに決めて欲しい旨を不動産屋から言われた。


さすがに4ヶ月しか付き合っておらず、まだお互いの両親にも挨拶もしていないため、僕達は一旦冷静になり、お互いの両親に同棲に対する意見を聞くことにした。


それがまた奇跡的に(あるいは3回目だが今の妻からしたら絶望の始まりとなるが)お互いの両親は僕達が同棲を始めることを快く受け入れてくれた。


そして僕達は付き合い始めて5ヶ月後の七夕に入籍し、妻の要望でオーストラリアで挙式をし、1年後に娘が産まれた。


僕が悩んだり病んだ時は妻がいつも支えてくれた。


僕は幸せだった。本当に。


だが、妻は幸せでは無かった。


僕が妻を不幸にさせてしまった。


妻が悩んだり病んだ時は、原因の僕が支えられるはずが無かった。

あるいは僕が居なくなることで妻の悩みは減るのかもしれない。


そのことに気がつくまで10年もかかってしまった。


確かに妻の言うこと(当時未熟な僕がしていた数々な奇行に対する不満)も今ならば理解できる。


だが、過去は変えられず、変えられるのは未来だけだ。

それはまるで、セルシウスが定義した水は0℃で凍り、100℃で沸騰するように、当たり前の事実だ。


加えて、アドラー定義でいう「過去の失敗した自分を許して(あるいは受容)あげる。過去の経験を良/悪で判断する必要はない。過去の自分が、今の自分を作り出している」と妻に教えてあげたい。


しかし


それでも


僕は僕を許しても


妻は僕を許してはくれない。


決して。


Still love her。


僕はまだ彼女を愛している。




以上です。


最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Still love her あかりんりん @akarin9080

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る