Vivre, c’est apprendre à aimer.

椿生宗大

家族

 僕は家族に愛されているのだろう。

 こんな無能を可愛がり、生かしてくれている家族

愛らしさも純粋さを失った今でさえ、息子として大切にされていると感じる。


 僕は幼い頃、父を父だと認識できなかったことをここに告白しよう。

残業が制限されていない時代だったからかもしれないが、父は朝は6時に出勤し24時頃に帰ってくるような生活をしていた。

僕が父と会えるのは休日だけ、土曜日の午前中は父は飲み疲れて姿が見えなかった。毎週末家にいる男の人という認識であった。我が息子に自らを父と認識してもらえずにまで、あくせく働いていた父であるが、どんな気持ちだったのだろうか。子供に金銭的に不自由をさせたくない、家族は自分が守るという気持ちだったのだろうか。父親の気持ちなんか想像できない、僕が父親になることがあれば分かるんだろうか。

 僕は母が嫌いでもある。電話をとって話し始めるとき声色が変わるのだ。たいていの人間は声を作るかもしれないが、僕はその若々しく繕ったような小芝居が大変苦手だからだ。母が40歳の誕生日のとき、僕は母の老いに怒りを覚えて泣いてしまったことがある。幼少期の記憶が美化されている部分はあるが、僕の送迎をママチャリでしていた頃の痩せていて、笑顔を忘れない世界一綺麗な母親の存在が崩れていってしまう気がしたからだ。綺麗だから僕は母が好きだったのか?そんなことは決してない。なぜなら50歳になった母を今でも好きだからだ。ここ数日、僕は精神的に辛くて母に電話した。顔は見えないが、確かに心配をしてくれている声がする。事情は分からなくとも、性格への理解が深い母の言葉は優しく寄り添ってくれた。いつでも秋田に帰っておいで、こんなに言葉が心強く感じたことはない。いつもLINE漫画やらピッコマやらを読んでるくせに中々返信をしない母はこの頃ずっと早く返信をくれる。人に無条件に時間を割けること、これが愛なのだろうか?

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