第125話 砦
ラザデナの町は、王都ダリュンベリより暑く、高い山に囲まれているため、行き来が難しい。陸路で行くような近さではないため、航空艇が必要だが、山の高さで小型艇では越えきれない。大型艇でなければ越えられない山を越えるか、小型艇で海から回るしかない、不便な土地だ。
そこにある砦の規模は、あまり大きいものではない。小高い山にある砦で、下から侵入すれば、すぐに見付かる。周囲には何もなく、少し離れた場所に崖が伸びているだけで、空を遮るものもない。砦を建てるには、絶好の場所だ。
隣国グロウベルを警戒するには、良い場所だ。
隣国グロウベルは、小さな島々が集まる国で、軍事力が高くない。脅威になり得ない、小さな国である。砦は昔からあり、念の為、周囲になにもない土地だからと置いたのだろう。ラザデナが一番グロウベルの島に近いからだ。
しかし、王はこの砦を捨てた。隣国グロウベルの存在を除けば、採掘し終えた魔鉱石以外に何もない町だ。南部には、資源という資源はなかった。
それを考えれば、現王にとって、資源がなければ、必要のない土地だった。
その捨てた砦を、魔獣を閉じ込めるために使っているのだろうか。
『砦には、あいつらしかいなさそうよ。地下で魔獣を飼ってるみたい』
そうなると、ヘライーヌの薬で巨大化した魔獣を思い出す。しかし、巨大化した魔獣を移動させるのは難しいだろう。ここでラグアルガの谷で行なっていたようなことをしていても、移動させるには大型艇が必要になり、秘密裏にはいかなくなる。
砦の屋上にある小型艇は、砦の兵士が使用する航空艇発着所に停められていた。型はラザデナでは良く見られる丸型で、民間機として特に気になるところはない。
「魔導士はいないかしら」
『分かんないけど、操縦士は残ってるわよ』
壁に身を寄せて小型艇を見たが、確かに操縦席から足だけが見えた。待っている間、くつろいでいるようだ。頭が見えないのでこちらには気付かないだろうが、念のため、小型艇の中を見たい。
フィリィは指で魔法陣を描くと、魔法陣の文字をふっと吹いた。淡い虹色の泡がそこから一瞬現れ消えると、再び現れた時には、操縦士の頭をその泡で包んで、すうっと消えた。
『問題ないわね。眠ったわ』
簡単な睡眠の魔法陣だ。泡に包まれた者は、しばらく眠りに落ちる。
小型艇に近付くと荷台を開ける。座席と荷台が繋がっているので、どちらからも入られる構造だが、座席はなく操縦席しかない。一緒に来た者たちは、座席なく座って来たようだ。
『荷物専用の貨物艇ねえ』
荷台には何も置いていない。兵士なのかどうかの証拠は見られなかった。入り込み、操縦席を確認する。眠っている男は、特に気になる格好はしていない。小型艇自体は民間の物のようだ。おかしなところはない。ただ、助手席に銃が置いてあった。
『見たことのある銃ね』
魔導のない兵士が使う、兵士が持つ銃だ。弾の中に魔導を詰めて、相手を攻撃する。これは一般に流通していない。王都ダリュンベリでは、魔獣の討伐に使う。魔導士を伴わない、警備騎士用に開発された物だった。
開発したのは魔導院だ。民間に横流ししていなければ、民間人が持つ武器ではない。
「十中八九、兵士だわ」
兵士が民間を装って、何をしに来たのか。確かめなければならなかった。
この砦は古くに建設されており、砦としてはかなり小さなものだ。小山をぐるりと壁で囲んだ中に、建物は一つだけ。高さはあまりなく、備蓄倉庫として、地下に部屋が多く作られている。上物より地下に部屋の多い砦で、広間や牢屋も地下に作られていた。
『洞窟を利用してるみたいで、地下の道が入り組んでるのよね。昔は、闇の精霊が住んでたんじゃない?だから、魔鉱石が生成されてたんでしょうね』
闇の精霊は、洞窟や岩場の影に住む。自然の洞窟があれば、魔鉱石を作ってもおかしくなかった。闇の精霊が去った理由は分からないが、そのせいで、洞窟に魔獣が住み着いてしまったのだろう。
石が組み合わされた、ぼこぼことした廊下を歩み、地下の階段へと近付く。整地された地面ではないので、足音が響かないのが幸いだ。外に比べて涼しいが、窓が全て閉じられているので、中は薄暗かった。
明かりを持っていると、すぐに気付かれるだろう。フィリィはエレディナの案内で、廊下を慎重に進んだ。
魔導士がいる可能性があるので、念のため直接の移動は避けておく。魔導士の力の水準によっては、気付かれる可能性があるからだ。
魔導院と違って、周囲に魔導が見られないので、高い値の魔導に気付きやすくなる。
歩いている廊下は、廊下といっても直線的な廊下ではなく、部屋の端を通路として使う様式だ。兵士たちが使う部屋だったのだろう。部屋にある長机を壁がわりにして、通路を作っていた。
部屋の中は飾り気なく、机と椅子があるだけだ。地下には牢屋もあるので、罪人を聴取したり、兵士が待機したりする部屋なのかもしれない。
『後ろから、誰か来るわ』
エレディナの声に、フィリィはすぐに机の影に隠れた。エレディナの感覚は人の何倍も強いため、相手が気配を察するより、ずっと早くに気付いただろう。後ろから来た者たちが、フィリィのいる部屋に入るまで、しばらく時間がかかった。
通路を歩む音が聞こえる。重い足音は男の物だ。気配は薄く、微かな足音だけが近付いてくる。
『モストフだわ』
エレディナが言った瞬間、盾にしていた机に、何かを振り落とす音を聞いた。
「っっ!」
頑丈に作られていそうな木の机が、大仰な音を立てて破壊される。一瞬にして背後に避けたフィリィの顔に、飛び散った木片が掠った。
「モストフ!」
もう一度振りかぶらんとするその動きに、待ったをかけたのはシェラだ。後ろから来ていたか、フィリィに駆け寄った。
「すみません。先ほどの者たちかと」
「……何してるんですか。こんなとこに来て」
「理由は、あなたと同じだと思いますが」
シェラはフィリィを立たせて、モストフに剣を仕舞うように言う。モストフは剣を仕舞うと、頭を下げた。
「女性一人で忍びこまれるとは思いませんでした。リンカーネさんたちとは、別行動ですか」
「彼女たちは、来てませんよ」
面倒なことをしてくれた。何者か知らないが、これで地下にいる者たちに気付かれただろう。どうやってこの場を治めるか。地下にいる者たちが王と繋がっていた場合、いたずらに警戒されたくないのだ。
「さっさと出てってください。今ので気付かれたでしょう。ここで戦われては困ります」
「それは同感です」
言い合う間に、遠くで物音が聞こえた。地下まで今の音は聞こえただろう。シェラは魔法陣を描き始めると、三人を包む結界を作った。薄い油膜のような結界。音を消し、姿を見せなくするものだ。
結界に入れば、相手からフィリィたちの姿は見えなくなるだろう。しかし、それだけでは今の物音はごまかせない。
地下からやって来たのは、一人の男だ。剣を片手に、ゆっくりと警戒しながら近付いてくる。
フードを取っており、いかつい顔で周囲を見回した。壊れた机の木屑を踏み付けて、一度足を引く。
男からこちらは見えていない。魔導士であれば勘付かれたかもしれないが、男は気付いていない。部屋を注意深く見回し、木屑を避けて進んでいる。
どうする。男たちは地下へ行くために、この通路を通っただろう。行きには壊れていなかった机が壊れていたら、何を考えるか。しかし、男を斬るわけにはいかない。ここにいたことを、気付かれてはならない。
考えあぐねいていると、シェラが手のひらに魔法陣を描いて、ふっとそこに息を吹きかけた。泡が消えて男の頭に現れると、男は途端に剣を振り回した。
「うおおおっ!」
雄叫びを上げて剣を振り、机を蹴りつける。突然暴れ出した男の攻撃が届かないように、シェラが下がるように腕を伸ばした。
男の頭にあった泡はすでにない。先ほどフィリィが使った睡眠の魔法陣とは違う、幻術の技だ。
「どっから入りやがった」
男はひとしきり暴れると、大きく息を吐き、剣で肩を叩く。ぶつぶつと愚痴るように言って、地下への道を戻っていく。
「ったく、魔獣が入り込む穴でもあんのか? 逃げたわけじゃないだろうなあ」
男はきょろきょろと辺りを探す仕草をしている。どうやら、男には魔獣が見えたようだ。シェラが見せた幻術で魔獣を出し、戦いで机が壊れたことをごまかしたわけである。
隣で、シェラがにこりと笑んだ。
「大丈夫そうですね」
男がいなくなったのを見計らって小声で囁くと、フィリィたちを囲んでいた結界が消えた。
胡散臭いとは思っていたが、相当な胡散臭さだ。王の手ではなさそうだが、只者ではない。
「地下で何かやっているようですが。行かれますか?」
行きたいのは山々だが、彼らと一緒に行く必要性がない。しかし、自分が町に戻ると言って、シェラたちは同じように戻るだろうか。
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