第112話 フィルリーネ2

 フィルリーネは、こちらの相手をする気はないと、書類を見続けた。時折眉を傾げて、小さく唸る。


 それは放っておいて、置いてある模型と設計図を見合わせた。グングナルドの地図を正確に作っているようで、街や村だけでなく、砦もある。森や川、そこを通る列車のレール。一人で作るには膨大な量だ。そして、細かい。


「これで玩具か?」

「コニアサスにあげるのよ」

 フィルリーネは言うと、顔を上げた。


「コニアサスには、それくらい詳細な方がいいと思って。早いうちに、自分の国のことは教えたいの」

「王にするからか」

「そうよ?」


 平然と頷いて、フィルリーネは人が持っていた設計図を覗きながら、誕生日までに作りたいんだけどねえ。と呟いた。コニアサスの誕生日に間に合わせるつもりだ。カサダリアの副宰相から、誕生日の贈り物としたいのだろう。


「職人顔負けの作りだな」

「もっと時間があればね」


 部屋に籠もっているだけならば、時間を掛けて集中して行えるのだろうが、城内のフィルリーネ王女としての行動と、この部屋にいて何かと動いている王女では、製作時間が足りないようだ。扉に描かれた絵も、いつの間にか増えていた。あの絵を描き上げるのにも、時間は掛かるだろう。


 部屋の中を見回せば、魔導に隠れた棚に、多くの物が飾られている。あれを作るのにどれくらい掛かっているのか。子供の玩具のせいか、個体は少々大きめだが、種類としては、数がある。


「こら、うろつかないの」

 立ち上がって玩具の棚に向かえば、フィルリーネは動くなと注意する。それを無視し、気になっていた玩具を手に取った。魔獣が描かれた木札だ。

「これも、君が?」

「そうだけど? 人の部屋、家探しするのやめてください。本でも読んでなよ」


 棚にある本でも勝手に読めと言い、フィルリーネは見終えた書類を別の机に置いた。もう確認し終わったらしい。代わりに模型の設計図を折りたたんで、木箱から布を取り出した。

 今度は裁縫だ。縫いかけの何かを慣れた手つきで縫いはじめる。それを横目で確認して、魔獣の木札を置こうとした。その隣にコニアサスの持っていた玩具がある。大きな積み木で数字の形をしていた。色もはっきりした色が多く、この部屋の玩具の棚だけ、色が賑やかだった。


「欲しい玩具でもあるの?」

「色がありすぎて、目が痛い」


 フィルリーネは眉を吊り上げる。子供は曖昧な色より、はっきりした色の方が目視しやすいそうだ。考えてその色にしていると、語尾を伸ばして憤った。子供のような怒り方だ。

 フィルリーネが今手にしている布も、真っ赤であったり、真っ青だったりしている。それも子供用なのだろう。カノイが子供向け玩具の話を細かに聞きたがり、布の話をしたことを思い出すと、どうにも気抜けする。


 カノイはフィルリーネの手で、カサダリアの貧しい子らに文字などを教える計画を考えたのは、フィルリーネということだ。人の助言を聞いて、布で玩具を作っているのだろう。


 メロニオルとアシュタル、そしてカノイだ。どれも意外な人物がフィルリーネの手だと、誰が気付くだろうか。メロニオルはともかく、アシュタルはフィルリーネに良い印象を持っていないことを、ありありと出していた。カノイは特に、政務で突如振られる仕事に、涙目になる程だった。


 それがフィルリーネの手となると、他に一体誰が配下にいるのか。想像しがたい。

 玩具を作るフィルリーネは真剣で、もうこちらのことを忘れているように夢中で作っている。

 絵も玩具も、全て自分で製作する。芸術肌の王女は、伊達ではない。


 しばらく、棚の玩具や本棚の本を確認していると、フィルリーネは突然一人で声を上げた。

「できた! 天才—!」

 フィルリーネは満面の笑顔で布の玩具をかざした。誰に見せるでもなく、四角いそれを転がして、しっかり転がることを確認すると、今気付いたように、こちらを見上げた。


「あれ、まだいたの」

 人の存在を、すっかり忘れていたらしい。いい神経をしている。よほど集中していたらしく、今何時? と聞いてきた。鐘はまだ鳴っていないが、一時は経っている。


「何か用じゃないの?」

「しばらく、監視させてもらう」

「えー、めんどくさい」


 面倒臭い。イムレスの言う、フィルリーネの口癖だ。そして、本当に面倒臭そうな顔をしてくれる。取り繕う顔は、ここではしないだろう。


「当然だ。全てを信じるわけにはいかぬ」

「邪魔しないでほしいのだけど」

「こちらの台詞だ。それより、結界を強めたらどうだ。これだけ大きなものが製作中であれば、言い訳しがたいのではないのか? 私だけが入られるわけでもあるまい」


 魔導の強さが然程ではないので、魔導の強い魔導院の魔導士であれば、魔法陣を破ることは可能だ。入られることは否めない。しかし、フィルリーネは肩を竦めた。


「強いの作って、気付かれても困るし、もしもの時に、逃げ込める場所は必要なの」

「なおさら」

「私じゃないわ。他の者たちよ。入ったら、まともな結界が発動するようにしてある。そこにはないから気付けないわよ」


 カノイのような非戦闘員を入れるつもりか。しかし、それで守られる者たちなど、王女の配下として使えないの一言である。しかし、フィルリーネは強さだけが全てではないと言い切った。


「部下を守るのも、上に立つ者の役目でしょう?」


 主人を守らせることこそ、フィルリーネの主命だ。表向きは。

 冬の館の時のように、従者にまで手を伸ばすと言うのだ。このフィルリーネは。

 予想外のことばかりを言う。しかし、今までの彼女は別人だ。これから本質を見極め直さなければならないのだと、改めさせられた。





 今までの奇行が嘘と言うのも信じがたい。よくあんな演技ができるものだ。


「お父様も早く婚姻式を進めようとなさっているのだもの。急がせておりましてよ。ルヴィアーレ様も、お衣装の用意は早めになさって」


 フィルリーネは婚姻用の衣装がそろそろできそうだと、わざわざ昼食に人を呼んで、そんな話を始めた。

 婚姻用の衣装は二種類で、マリオンネで使う衣装と、国での披露目で使う衣装がある。まずは、女性が先にそれを決め、その衣装に合わせて男性が作るのが慣例で、フィルリーネの衣装がどんな物かは、サラディカが聞いているはずだ。


 しかし、それをこの昼食時に事細かに説明してくる。おそらく話すことがないのだろう。わざと同じ会話をして、この時間を過ごすつもりだ。


「披露目の日程は、まだ決まっておりませんけれど、いくつかのお衣装は選んでおりますのよ。ルヴィアーレ様にも見ていただきたいわ」

 部屋で話すフィルリーネが、嘘のように思える。フィルリーネはその衣装の出来を楽しみにしていると、嬉しそうに語った。


 つい最近、使わない衣装を作る意味が分からない。と嫌そうに呟いていた者と、同一人物には思えない口調だ。うっとりと言われても、不気味にしか映らない。


「婚姻までの期間がとても長く思えますわ。けれど、それまでお部屋にいらっしゃるのは控えてらして。衆目がございますもの。ねえ?」


 部屋に来るな。をここで言ってにこりと笑む。こちらも、そうですね。と肯定したが、フィルリーネは笑いながらも目が鋭い。


「ですが、もう少し、お互いを知った方が良いと存じます」

 部屋に籠もり、何をしているかは、こちらにも知らせるべきだろう。断られる筋合いはない。微笑み返すと、フィルリーネは眉を吊り上げた。怒る気だ。


「わたくし、軽はずみに、婚姻前の殿方と二人きりになるような、安易な真似はしたくなくてよ。ルヴィアーレ様ならば分かってくださると思ったのに。わたくし、もう部屋に戻ります」

 フィルリーネは言いたいだけ言って、さっさと席を立った。レミアが急いで後を追い掛ける。次いで他の者たちも追い掛けたが、ムイロエだけが残ると、フィルリーネの愚行を謝るふりをしながら罵った。


「フィルリーネ様は、いつも気まぐれなんですわ。前はルヴィアーレ様が何をしていらっしゃるのか気にされていたんです。なのに、今度はあのようなことを言って。最近はお部屋に入られることを不自然に気にされたりして、きっと照れているんですわね」


 まるで、他に相手がいて知られたくないとでもいうような言い方をして、ムイロエは人の顔を上目遣いで見上げた。

 あざとい上に、辟易する仕草にうんざりする。軽く笑んで、ムイロエの話を流した。


 これは別の意味で疲れる。フィルリーネは我が物顔で逃げて、部屋に入らないよう、周囲が話を聞いている状態で言ってくる。当たり前のように席を立ち、ああやって逃げるのだ。うまい手だ。

 我が儘な王女。何かあればすぐに席を立ち、部屋に籠もる。それが許されるような言動。フィルリーネがいなくなれば、部下たちが安堵する。その雰囲気を作り上げた。

 これで仲間がいるとなれば、計り知れない。


 あれが十六の娘か。それに、自分も騙された。

 そう考えると、なぜか小さく笑いがこみ上げる。


「ルヴィアーレ様?」

 イアーナは怪訝な顔で問うてきた。サラディカに伝えたように、イアーナたちはまだフィルリーネの正体を知らない。イアーナは先ほどの話にも憤り、何であんなに我が儘なんですかね。と文句を口にする。


「また、部屋に籠もるんでしょう? 一体、何してるんですかね」

 それが、この国を変えるためだと言って、イアーナは信じるだろうか。

 フィルリーネの相手は面倒には違いないが、新たな情報提供者になったことは朗報だろう。どこまで信じられるかだが。


「魔導院書庫へ行く」

 あれからイムレスとは軽く会話をする程度で、長く話すことはなかった。イムレスはこちらに接触する気はないらしい。変に接触をして、王に疑いを持たれたくないのだろう。前回話を得られたのは、フィルリーネがイムレスを紹介したからだ。魔導院副長として、王女の婚約者に挨拶をするのは不自然ではない。

 今後、深く関わっては来ないはずだ。こちらも、軽はずみに王の敵を陥れるつもりはない。


「魔導の本を選んでくれないか」

 魔導院第一書庫にいる騎士に伝えると、すぐに魔導院の研究員らしき者が本を持ってくる。書庫を整理しているのは、魔導院研究員だ。


「こちらはいかがでしょうか」

 持ってきたのは若い女性で、フィルリーネとも年の変わらなそうな者だ。女性で魔導院の研究員とは珍しい。女性はそっと本を置いて、首を垂れる。中を開くと、一般的な魔導書だったが、中に小さな紙片が入っていた。


『ソーニャライ嬢に本を頼むと、次はいい本借りられるよ』


「………はぁ」

「ルヴィアーレ様?」

「いや、何でもない」


 文字が誰のものと、言わないでも分かる。

 先ほどの黒髪の女性は、フィルリーネの手の者か、第一書庫で本を片付けていた。イムレスとは接触できなくとも、いい物は借りられるようだ。その手際に、感服する。


 部屋に来ないで、ここに来いとでも言われているようだ。暇だからと言って、フィルリーネの部屋に行っているわけではない。だが、今後面白い本が借りられるとなると、こちらにも通うことになるだろう。


 手の内を読むつもりが、読まれているような気がする。一筋縄ではいかない。

 溜め息混じりに本を広げる。簡単な魔導書を寄越したものだ。


 フィルリーネの対応は、面倒だと思っていた。今でもそう思っている。しかし、前以上に、彼女が何をしでかすのか、気にしなければならなくなった。

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