第92話 ニュアオーマ
「こんな所に呼ぶなんて、第五部隊隊長さんは、女遊びが好きな、やる気のない方だって聞いてたんだがな。男にも興味あるのかい?」
相変わらず、ぼさっとした髪型と皺だらけの服。ズボンの裾は擦り切れているし、よれよれのマントを羽織っている。そのニュアオーマは、へらへらと半笑いでやって来た。
「私は、全く興味ないんですけれどね。頼まれたので」
「へえ、頼まれてねえ」
鼻で笑って、ニュアオーマはポケットから手を出す。昨日渡した紙を、しわくちゃにして取り出した。
「こんな物を渡されても困るわな。俺を陥れたいのか、って言う」
「とんでもないですよ。私も落し物を拾ったから、渡してほしいって言われたので。これは、しっかりニュアオーマ様にお渡ししなければと思った次第です」
「落とした覚えはないんだがなあ。それで、こんな所に呼び出す」
ニュアオーマは半目にして、周囲をゆっくりと見回した。誰がいるのか確認しようとしても難しいだろう。
フィルリーネが指定した場所は、許可がなければ入れない、公共で使われることもある闘技場だった。紙に書かれた暗号の書き付けに訳を記入し、そしてここに入る許可を得て来いという内容で、その日時通りに、ニュアオーマはやって来た。
闘技場の許可など、上の人間でしか取れない、ニュアオーマは警備騎士団総括局長で、むしろ、許可を出す人間だった。局長が使用することは、誰にも気付かれないのである。何せ鍵を管理しているのが、このニュアオーマなのだから。
フィルリーネ姫は、人を使うことがうまいからなあ。
常にさぼっているようなニュアオーマがここに来ても、誰に気付かれることもない。ニュアオーマを本気で注意するのは、ロジェーニくらいだ。
「私も頼まれた人間なんで、詳しく知りませんけれど、その紙の内容は無視できないものですよね。暗号にされていて、私は読めませんが、解読した方が内容を書いてくれました」
「それが合っているかどうか、分からないだろう?」
「合っていますよ。私が信頼している方ですから」
「信頼、ねえ」
ニュアオーマはそう言って、その紙をぐしゃりと握りつぶした。据わった目は、いつもと違い、剣呑な光を灯している。
フィルリーネ姫、攻撃してくるかもって言ってたからなあ。
この男が、どれだけの強さかは分からないが、一定の距離を必ず開けろと命令があった。注意するに越したことはない。ニュアオーマはゆっくりと近付いてくるが、腰元にある剣に手を添えれば、その足を止めた。
「魔導院院長が行った実験の結果、ラータニア襲撃の予定あり。王の移動経路、確認中。こんな物騒なことが書いてありました。これは、王のための情報ですかね」
「さてね。知ったことじゃあないよ。ラータニアと戦争するなら、出るのは城の騎士団たちだ」
「なら、その紙を渡した人に聞いた方がいいですかね。元騎士団第二部隊隊員、だったかな」
名前は何だったかな〜。ととぼけて言うと、ニュアオーマの目の色が変わった。ぞくりとする凍るような視線。吹き出すような禍々しい迫力。警備騎士総括と言えど、腕はある。それを物語るような、威圧感。
ああ、こりゃ近付いちゃダメなやつだね。フィルリーネ姫、正解ですよ。この男、結構な強さだ。
「何だか分からないけれどなあ。おかしなこと言われて、職を失うのは困るんだよ、色男。くだらないことで脅されて、身に覚えもなく罷免されちゃ構わない」
「何か知っているならば、王に伝えた方がいいと思いますよ。王に歯向かうと、何が起きるか分からない。私も命は惜しいので」
「そうさね。命あっての物種だ。さぼってばっかの隊長さんが、そんなことに興味を持つとは思わなかったよ。誰に頼まれたって?」
「いやー、王に近い方が気にされているんですよね。これ、王に伝えた方がいいだろうって。まずは一体、誰が関わってるか、調べなきゃ。ってね」
「そうかい」
言った瞬間、ニュアオーマが魔法陣を起動した。胸元に描かれた魔法陣から光の針が飛び出す。攻撃はまっすぐに自分を狙ってきた。
瞬間、地面がひゅっと冷える。ニュアオーマが飛ばした光が氷に包まれて、ぼとりと地面に落ちた。
驚愕に目を見開いたニュアオーマだが、驚いたのはこちらもだ。防御魔法陣を広げているのに、ここまで届いてこない。
「魔導士の仲間を連れてるのかよ?」
ニュアオーマが、顔を引きつらせて笑った。
いやいや、俺こそ驚いたよ。確かにフィルリーネ姫は、守ってあげるから大丈夫よ。って笑って言っていたけれど、冗談かと思っていた。
いや、あの姫は冗談なんて言わない。いつだって本気だったと思い直す。そうであれば、攻撃を受けると分かっていて、人を使ったりしない。必ず逃げられる道を作る人だ。
「あー、信用してくれてるけど、守られてどうするんだって言うね。ちょっと、たまには俺の腕、信用しましょうよ。これでも隊長なんですけど」
「何、言ってやがる」
ニュアオーマは次の魔法陣を描いていた。騎士だと思ったら、魔導士の攻撃力を持っているとか、良く今までぐうたらな人間で過ごせてこられたものだ。
騙してくれるのは、フィルリーネ姫だけで十分だよ。
こちらも防御魔法陣を出そうとしたが、その前に、黒い物体が、自分たちの間に音を立てて降りて来た。どすん、と降りてきた図体のでかい男は、じゃらりと靴の鎖を鳴らす。ゆっくりと立ち上がると、赤い髪の毛をゆるりと撫でた。
「終わり、終わりー。派手にやると気付かれるから、やるなって」
黒ずくめの黒い剣を持った男が、呑気な声を出して両手を広げた。こちらに背を向けながら、顔だけで振り向いてくる。今までの緊張感を台無しにするような、適当な止め方だ。
赤い髪の男に説得させると聞いていたが、一体どこから現れたのか分からない。
ニュアオーマも呆気にとられた顔をしていた。起動していた魔法陣はまだ動いていたが、攻撃を止めている。
「お前……。何でこんなところに」
「俺が、説得頼まれた。えへん」
えへん、って何だ。偉そうに胸を張っているが、ニュアオーマはぽかんとしている。こちらもその気持ちしかない。フィルリーネが仲間に説得させると言っていた男が、これか?
しかし、ニュアオーマは知っている顔だと、明らかに脱力した顔を見せた。予想外の顔だったらしい。
「こっちに来るって、誰に頼まれて来た。北部に戻ったって聞いたぞ。もう、お前には関係がないだろう」
「関係ある。あいつが頼んできたから、俺が説得することにした。あれ、俺が頼んだから?」
「お前がバカなのは分かっているが、誰に騙されて、こんなところに来た」
ああ、バカなのか。ニュアオーマの言葉に納得してしまった。こちらも防御する気が削げてきそうだ。ニュアオーマがまだ魔法陣を起動しているので、こちらも防御を外す気はないが、ニュアオーマは困惑した顔をしながら、呆れ顔を見せている。
「バカじゃない。お前がその辺ぶらぶらしてて、仲間がいるんなら、こっちにも情報寄越せって。後ろのこいつは囮。急に話しても信じてくれないし、どっちよりなのか分からないから、分かるようにしろって、あいつが」
「お前と話していると、意味がもっと分からなくなるんだよ。色男、説明しろ」
「説明してる!」
「どこがだ。お前は本当に、前々から、ずっと頭悪いな。その図体でも人間だと何歳になるんだ。まだ子供か。ヨシュア、お前も話していいから、色男にも話を聞かせろ」
「それならいい」
いいのかよ。突っ込みそうになって、やっと理解した。フィルリーネは、仲間になった子、と言っていた。
人間ではないのならば、初めから言ってほしい。フィルリーネは人型の精霊を側に置いているらしく、精霊も人間も、一緒くたに話す。仲間と聞いて、当たり前に人間と思う自分と違うことを、思い知らされる。
「私も聞きたいんですが、この男は、精霊か何かですか?」
「知らないのかよ」
「知りませんよ。仲間って聞いていただけですから」
「お前の主人、適当だな。こいつは、冬の館の付近に住んでいる、翼竜だ」
「翼竜だ」
復唱しなくていい。またしても胸を張って言われて、こちらが頭を抱えそうになる。
翼竜って、人型になるんですか、フィルリーネ姫。そこは教えてほしかったです。フィルリーネ姫にとっては関係ないんだろうなあ。と思うわけだが、一応教えてほしい。
「じゃあ、さっきの氷はあんたが?」
「俺じゃない、エレディナ」
「エレディナも仲間にしてるのか。色男、イムレスと組んでるのか?」
そこで、イムレスの名を出してくるのならば、やはり、昔のことは詳しいようだ。しかし、こちらはイムレスと直接話すような身分ではない。フィルリーネの師であり、仲間とは聞いてはいるが、本人と話をしたことがなかった。
「私がお慕いしているのは、イムレス様ではありませんよ」
「女? おいおい。いや、まさか……」
お慕いは無視されて、ニュアオーマは攻撃用魔法陣を消す。完全に戦う気が削がれたと、腕を組んで考えはじめた。猫背がなくなり、直立する。
何だ。こいつ、猫背まで演じていたのか。
フィルリーネ姫といい、この男といい、ハルディオラ様を敬っている者は、曲者が多すぎる。一体どうやったら、そこまで演じられるのだろう。
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