第77話 敵意3

「ルヴィアーレ様、フィルリーネ様は」

「お叱りを受けました。出てくるまで、声を掛けるなと」


 部屋を出ると、心配げな顔をしたレミアがすぐに寄ってきて、がくりと肩を下ろした。後でまた怒られると思っているのだろう。面倒だが黙っていてもらわなければ困る。


「フィルリーネ様は私に怒られただけですから。側仕えたちに非はないとご存知です。もうその話をされないように。夕食の時間に、また声を掛けてください」

「……承知しました」


 納得できたか、レミアはすぐに安堵の顔を見せる。そこまでフィルリーネが怖いのだろうか。

 翼竜から逃れる時、展望台でフィルリーネはレミアを自分で連れて戻った。

 フィルリーネが気丈にレミアに声を掛け、その場から連れ出した。馬車でも手を差し伸べていたのはフィルリーネだ。いつものフィルリーネであれば、レミアを捨てていくぐらいのことをしでかしそうなのに、側仕えに関しては違ったのだと、改めて思ったわけだが。


「フィルリーネ様は、いつも部屋で何をされているのでしょう」

「私たちにも分かりません。いつも何をされているかは、聞いても教えていただけないのです」

 レミアやムイロエは首を振る。この部屋に入る許しを得ていない。

 当然だろうが、本当に誰も知らないのか。


「聞けば、お怒りになるのですか?」

「いいえ、そういうわけではありませんが。関係ないと言われれば、そうとしかできませんので」


 レミアは言いにくそうに、床に顔を下ろす。それなりに恥だと思っているのだろう。主人のことを分かっていない。しかし、フィルリーネに楯突くほどの意志がない。

 ムイロエはそんなこと、どうでも良さそうな顔をした。入るなと言われたから入らない程度だ。


 フィルリーネは、側使えたちの性格を良く理解している。理解した上で、発言をしているのだ。

 我が儘で傲慢な態度を取りながら、側仕えの性格を確実に掴み、言葉だけで自分の行動に踏み込ませない。

 危険に側仕えを守る姿勢を持つのは、フィルリーネの態度が演技だからだ。側仕えへの態度とは比例しない。


 それは、自分に危険を知らせることと同様なのだろう。





「イアーナ。翼竜はどうなった?」

 部屋に戻ってすぐに問うと、イアーナは興奮気味に話しはじめた。


「書庫の上にずっといたんですけれど、周囲を見回していたんです。私たちが書庫に集まっているのも気にしてない感じで、どこか警戒してるって言うか、何か探しているみたいでした。それで急に一点見だして」

 それは、自分を見付けた時だろう。そうなると、翼竜が自分を探していたようにも思えてくる。


「どこかをずっと見ていたんですが、少し経ったら。飛び出して行ってしまいました」

「どこへ?」

「山の方です。それから戻ってきませんでした」


 ならば、フィルリーネの部屋で彼女を連れたわけではない。そもそも、フィルリーネは子供の頃に訪れていただけ、ここにはしばらく来ていないと言っていた。翼竜を手懐けているなどと、荒唐無稽か。

 子供の頃だとして、年に一度程度で翼竜が懐くなどあり得ない。王都で同じ真似ができるわけではないのだから。

では、王都では、どうやってあの部屋から出る? 出て、どこへ行くと言うのか。


 今までの突飛な言動。周囲の者たちが遠巻きにしている。王の前でもあの演技は続き、誰もがおかしな王女だと思っている。


 だが、それをわざと行っているなら?


「ルヴィアーレ様?」

「いや、何でもない」


 フィルリーネは部屋にいない。いつも籠もって、どこかに行っている。それは間違いないのだ。

 親も親なら、子も子か。どちらにしろ、侮るのは危険だ。


「サラディカ、ムイロエに王女の予定を事細かく知らせるようにさせよ」

 サラディカは神妙に頷く。

 まだ何も話していないが、それでも、自分がフィルリーネの言動を気にしているのは、分かっている。だが、確実ではない。その実態を、はっきりさせたい。




 早朝の聖堂では、精霊たちが現れることがなくなった。翼竜も出てこない。フィルリーネは朝に祈りを捧げるふりをして、何事もないように部屋へ戻る。自分に会う以外、ほとんど部屋に籠もっている。


「本日、フィルリーネ様は、サロンでお休みだそうです。こちらでも、植物園のような場所があるようで、そちらにいらっしゃると」


 ムイロエからの情報で、フィルリーネがやっと部屋から出てきた。自分が声を掛けなければ、一日中部屋に籠もっているかと思ったが、たまには部屋から出るようだ。

 あまり一人にしすぎると、急に声を掛けなくなったと疑問を持たれそうだった。そろそろ何かを誘おうと思っていたが、部屋を出たのならば丁度良い。一度、時間を作り、次に部屋に籠もった時、また部屋へ行くことを算段した。


 向かった先、植物園のようなサロンに、フィルリーネはいた。

 ガラスに囲まれ温室となっているそこは、外と違い、植物が青々とし、色とりどりの花が咲いていた。天井までもガラスになっており、空が見える。光が差し込み、暖かいが、外では雲が流れているのが見えた。風は強そうだ。


 このサロンには、フィルリーネの棟のように川などはなかったが、ガラスに区切られて迷路のようになっている。保温を保たせるために区切りが多いようだ。姿は見えるが、そこに行くまでに通路を歩んでいく。

 フィルリーネはこちらに気付いていないようで、長く伸びた木の枝に手を伸ばしていた。小動物がおり、餌を与えてゆるりと笑んでいる。騎士たちや側仕えたちは後ろに控え、フィルリーネは一人眺めていた。


 仕草や動作は美しく躾けられている。小動物に餌を与えながらも背筋は伸び、伸びた腕や指先にまで粗雑な動きがない。動作は洗練されており、言葉遣いを含めて、今まで気になったことはなかった。言行がひどいだけで。


 フィルリーネは、まだこちらに気付いていない。


 ルヴィアーレは足を止めた。フィルリーネの側仕えたちは彼女の後ろで、表情は見えない位置だ。人気もないので、騎士たちも離れている。元々あまり腕のない騎士たちだ。こちらにも気付いていない。あれで警備が務まるのかと思っていたが、まったく用を成していない。だが、今はそれが助かる。


「どうされましたか、ルヴィアーレ様。何か?」

「少し待て」


 サラディカたちに木陰に隠れるよう下がらせて、自らもフィルリーネから見づらい位置へずれる。

 フィルリーネは手のひらにある餌を与えていたが、何かを呟いているように見えた。

 小動物に何か言っているのか。そう思った瞬間、正面を向いていたフィルリーネがすっと背筋を伸ばし、静かに彼女の左手にいるこちらへ首を傾けた。


「あら、ルヴィアーレ様、いらしていたの?」


 何だ。今のは。


「お休みのところ、お邪魔をして申し訳ありません」


 植物の影から姿を現してフィルリーネに近付いたが、他の誰も気付いていなかったようだ。今認識したと、姿勢を正して頭を下げてくる。先に気付いたのはフィルリーネだけだったが、初めからこちらに気付いていたのか?


「よろしくてよ。ミンミに餌をやっておりましたの」

 植物にいた茶色の小動物が、驚いたように逃げていく。フィルリーネはレミアに餌の残りを返しながら、その姿を眺めた。


 自分に気付いていながら、いつまでも止まっているからこちらに振り向いたのだろうか。目端に捉えて気付いた風ではなかった。

 まるで、誰かに言われて、こちらを見たような。


「綺麗でしょう。癒されますわ」

「そうですね。美しい花が咲き誇って、香り高い」

「ここは、始終暖かいですから。城の中は寒さが過ぎて疲れてしまうわ。芽吹きが遠いと実感致します。まだ何も生っていなくてよ」


 フィルリーネは何度か芽吹きの木を見に行っているようだ。ここにいると自分の相手をしなければならないので、早く芽吹いてほしいのは本心だろう。暇だと言っていたのは、確かではない。


「この城で潰す時間が長くなってしまいそうですね。フィルリーネ様は、普段何をされていらっしゃるのですか?」

「あら、興味があって? この城では、暇を持て余してばかりですのよ。することも行く場所もなくて、困ってしまうわ」


 聞かれれば嬉しそうにしながらも、そう不満げに言って、フィルリーネはするりと踵を返す。興味を持たれたことに関しては満足しているように思わせる。その言葉と態度が、芝居なのかも分からない。だが、確信を掴ませない運びにするのはうまい。


 だからなのか、違和感を覚えるのは。


 フィルリーネに意図がある場合、こちらにも気に掛けなければならないのが面倒だ。常識のない娘だが、放っておいても問題ないと安心していた。しかし、あの親と同様、裏をかいているのならば、注視しなければならない。


「展望台へ行った後、書庫に参りました。翼竜が留まって、随分と城の中も賑やかでしたね。あれから、姿を現していないようですが」

「あのように現れるのは珍しくてよ。オマノウラも驚いておりましたわ。あのように大きな翼竜だと思いませんでしたから、皆が驚くのも無理はないですわね」


 フィルリーネはルヴィアーレを促すようにして、近くの椅子へ座る。外の壁に合わせて机や椅子まで透明だ。すぐにお茶が運ばれて、菓子が出される。

 来るとは言っていなかったのに、カップが用意されていた。


「お気に召すかしら。こちらでは有名なお菓子ですのよ。ほんのりと甘い味が、わたくし好みですの」

「フィルリーネ様は、甘い物はあまり得意ではないのですか?」

「そうですわね。けれど、時折食べたくなるので、つい作らせてしまうのですけれど」


 あまり多くは食べられない。フィルリーネは言いながら、然程甘みを感じないクリームをつけた菓子を口元へ運んだ。


 存外に、お前に合わせたわけではないと言われている気がしてならない。

 もし、ここまで周到に用意されていたら、後手に回っているのは自分だ。


 サロンの中で、ミンミがじゃれ合って木の上を走り回る。それをただ穏やかに見つめて、フィルリーネは満足そうに菓子を口にして、緩やかに笑んだ。

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