第43話 香水2

「どなたかと、まさか、ご婚約!?」

「まあ、タウリュネ様、本当ですの!?」


 二人の言葉にタウリュネは両頬を押さえながら、顔を赤らめて小さく頷く。

 やっぱりねえ。しかも、良いお相手だったわけだ。タウリュネは恥ずかしそうにして、ほんのりと微笑んだ。幸せいっぱいな雰囲気が溢れ出てきたよ。


「どこのどなたですの!?」

「わたくしたちの知っている方でして!?」


 二人は先に婚約されたのが悔しかったのか、食いつくようにタウリュネに問い始める。

 ああ、女子のお茶会だねえ。

 お偉い様方のご令嬢は、学院卒業後、花嫁修行などをしてから婚約に入ることも多いので、一年ほどは暇なのである。その頃には相手を見付けるわけだが、タウリュネは早くに相手が決まったのだ。微笑ましい。


 三人の世界に、フィルリーネは会話が進んで助かると聞き役に徹した。徹したが、隣の男はつまらないだろうに。

 いや、お茶会自体、つまらないですよね!

 しかし、タウリュネのお陰で、ルヴィアーレの話が少なくて済みそうだ。それに関しては、きっとルヴィアーレも喜んでいるだろう。


「ご婚姻は、いつになりますの!?」

「お呼びいただけるのですよね!?」

「もちろんですわ」


 タウリュネは幸せが溢れ始めている。満面の笑顔で頰には紅が乗ったまま。婚姻式には皆を呼ぶのだと、幸せいっぱい、朗らかな笑みを湛えた。

 婚姻を告げると、タウリュネの雰囲気は明らかに変わった。内緒にしたかったわけではないらしいが、フィルリーネの手前、言えなかったらしい。


 王族と違って、貴族たちは天の司で儀式を行う必要はない。聖堂で誓いの儀式を行うだけなので、女王の体調は関わりないのだ。

 気なんて遣わなくていいのだが、さすがに婚約の儀式すらできていない王女の前で、幸せそうに、婚姻します。なんて言えないだろう。だから、狩猟大会でマリオンネの女王の様子を聞いてきたのだ。成る程ね。


「気になさらなくて結構よ。わたくしからも、お祝いを述べさせてちょうだい。とても幸せそうで良かったわ」

「ありがとうございます。フィルリーネ様」


 うっすらと涙を溜められて、フィルリーネは自然と笑みが漏れた。

 ここ最近、幸せな顔を見ていないので、それだけでこちらも嬉しい。これは贈り物を奮発したい。タウリュネには、何を送れば喜ばれるだろうか。

 これくらいは流石に空気読んで、良い物送るよ。


 あれ、でも、ちょっと面倒くさいことに気付いちゃったけど、ルヴィアーレと一緒に送らなきゃダメかなあ。婚約してないからいっか? いいか?


「婚姻式では、タウリュネ様が精霊に演奏を捧げますの?」

 頭の中でうーんと唸っていると、ロデリアナが問いかけた。


 婚姻には、精霊に礼を言うための演奏が必要なのだ。祀典と一緒である。下手だろうが何だろうが、相手に巡り会えた感謝を精霊に告げるのだ。なぜ精霊? と思うが、人々の生活には精霊の恵は必須である。そのため、精霊にありがとう、これからもよろしくね。と音楽を奉納しなければならない。


「予定では、お相手の方になるかと」

 タウリュネはハービルフェールと言う弦鳴楽器が得意だったが、彼女は弾かないらしい。お相手の方は演奏が得意なのかな? と思うが、女性にも贈りたがる男性が多いので、それかもしれない。


「何を弾かれますの?」

「ロブレフィートだと思います」


 ほうほう。それは楽しみだねえ。魔導流して、精霊呼べればいいのにねえ。

 街で集まった精霊を思い出して、脳内でタウリュネの婚姻衣装を思い浮かべながら、精霊が瞬くのを妄想する。

 タウリュネが泣いちゃうのが、目に浮かぶようだ。


「それは、楽しみですわね」

 心からおめでとうの祝福に、ロデリアナが空気読まない水を差してきた。


「わたくし、またルヴィアーレ様のフリューノートが聞きたいですわ」

 今はタウリュネの話をしようよ。なぜそこでルヴィアーレのフリューノート!? ルヴィアーレも困るよ。

「精霊に捧げた笛の音は、とても美しかったですわ」

 そこでマリミアラも参戦する。私はタウリュネの話が聞きたいよ。何か欲しいものはなくて? って言うつもりだったのに!


 しかし、二人はもう怯まない。人の幸せは二の次である。とりあえず祝いは述べたと、ルヴィアーレの話に花を咲かし始めた。今すぐ萎ませたい。


「まあ、皆様、タウリュネ様のお話はもう良くて? わたくし、もっと伺いたいわ」

 ルヴィアーレの話、ほんともういいから。充分だから。話せば話すほど優秀さが目立って、びっくりするぐらい自分の気持ちが面倒臭いに覆われていくの。


 それでも、もう二人は止まらなかった。タウリュネもフィルリーネの手前、そこまで幸せいっぱいを自慢できないようで、ルヴィアーレのフリューノートについて話し始めてしまった。

 しかし、ネタが悪い。タウリュネはよりによって、婚姻式でルヴィアーレのフリューノートを聞きたい。とか言い始めてしまったのだ。


 ロデリアナとマリミアラが、ぎらりとこちらを睨め付ける。


「婚姻式にフリューノートを演奏していただいたら、フィルリーネ様もお喜びでしょう?」

 うっとりとした顔を向けてきたが、タウリュネと違って、こちらは冷え切った婚約前である。そんな麗しい話にはならない。そして、親衛隊二人の視線が痛い。


「婚姻式は、まだ遠い話ですわ。マリオンネの女王様のお加減もあるのだから。ねえ、ルヴィアーレ様?」

 ルヴィアーレが望むわけがないので、頷くかと思ったら、ルヴィアーレはその上をいった。


「私としては、フィルリーネ様のロブレフィートを聴いてみたく存じます」

 ルヴィアーレは笑顔でフィルリーネに答えた。笑みがいつもより嬉しそうなのは、間違いなく人の自己紹介に疑いを持っている証拠だ。


 まあ、婚姻式だし。婚姻する前にこの茶番終わらせるから、やらないし。弾くわけないよ。


 ルヴィアーレもそう思っているから言っているのかと思えば、食い付いたのはロデリアナだった。

「わたくしも、フィルリーネ様のロブレフィートを聴いてみたいですわ。フィルリーネ様の演奏を耳にすることはございませんもの」


 その言葉を聞いた時に、ルヴィアーレの意図が分かった。

 いつもよりずっと表情のある笑顔に思える。それもそのはずだろう。このまま、フィルリーネが直近で弾く方向に持っていきたいわけだ。

 ルヴィアーレはロデリアナとマリミアラの性格を理解したようだ。すぐにマリミアラもそれに乗ってくる。


「わたくしも、ぜひフィルリーネ様のロブレフィートを拝聴したいですわ」

 ここぞとばかりに言葉を重ねてくるが、ここで私が怯むと思うか? 怯むわけがなかろう!

「あら、よろしくてよ? いつがよろしいかしら。それとも、今が良いかしら? レミア、ロブレフィートを用意して」


 ここで怯むわけがない。フィルリーネが喜んで弾く姿勢を見せると、焦ったのはマリミアラだ。弾けるわけがないと思って口にしているので、いざ弾くことになると分かると、血の気が引いた顔になる。

 タウリュネも雰囲気を感じ取ったか、ルヴィアーレをちらりと見遣った。


 タウリュネ、その男はむしろ推進派だよ。止めようとなんてしないよ。見ても無駄だよ。

 ロデリアナに至ってはしたり顔だ。ロデリアナはルヴィアーレに本気らしい。もしかしたら父親のワックボリヌに注意され、逆に火が付いたのかもしれない。

 いや、いいんだよ。ルヴィアーレに執心でも。しかし、私に当たらないでほしい。こちとらも不本意なのだから。


 レミアたちが急いでロブレフィートを運ぶ手筈をしている中、曲について話し始めた。何を弾いてほしいだの、ロデリアナが選曲してくる。結構な難曲に、マリミアラが、わたくしはこちらの曲なんて、と若干簡単な曲を選ぶという、親衛隊同士の押し合いに発展した。


 女子の戦いは怖いね。その様子を緩やかに微笑みながら見ているルヴィアーレも、大概だけれどね!

 しかし、私はこれに対抗できる話を思い付いているのだ。この戦い、私に分がある。

 勝算がありすぎて笑いそうになる話を、ロデリアナとマリミアラに向かって口にした。


「ルヴィアーレ様は、ロブレフィートにも嗜みがあると伺っておりますわ。今度是非、わたくしにもお聴かせくださいませ」

「まああっ、ロブレフィートも弾かれるのですか!?」

「何てこと、是非お聴かせください!!」


 二人の食い付きは一瞬だった。勢いよく立ち上がらんばかりに反応した二人が見られた時、丁度ロブレフィートの用意が終わった。

 見よ、この頃合いの良さよ。私の勝ちである。

 もう止まらない二人に、ルヴィアーレが断れる術はない。


「先にお弾きになってくださって結構よ」

「是非! お願いいたしますわ!!」

「ルヴィアーレ様のロブレフィートも聴けるだなんて!!」

 感極まる。二人の大興奮にルヴィアーレは小さく吐息を漏らした。諦めたらしい。


「では、先に弾かせていただきます」

 私は弾くことないよ。


 ルヴィアーレの笑顔の承諾に、後でお前も弾くんだぞ? の意味が込められているが、ルヴィアーレの優秀さを知った以上、自分が弾く順番は来ないと確信していた。


 ルヴィアーレはサラディカが引いた椅子に座ると、静かに鍵盤に両手を乗せる。指慣らしもせずに始まった曲に、そこにいた誰もが耳を傾けた。

 微かな、けれどはっきりしたその音の、響き。染みる音色。一瞬で寒気がした。


「うわ……」

 フィルリーネの護衛騎士の男がつい感嘆の声を上げると、他の男の鋭い睨みが飛ぶ。

 ロデリアナとマリミアラは声も出せないと、ただただ刮目した。


 うわあ、すごいな。エレディナ、出てこないでよ?


 ルヴィアーレは音に魔導を乗せる。そのせいでエレディナが震えるのが分かった。

 魔導を乗せるのは癖なのか。当然のように流してくる。遠慮はしているのだろう。

 しかし、やはり魔導を乗せているからなのか、普通に聴くよりも肌に感じるような気がした。精霊が好むのは、この魂が揺さぶられるような、深い音色なのだろうか。


 ルヴィアーレは、ロデリアナが難曲として出した一つを選んで弾いていた。曲は水を主題にしたものである。ロデリアナが出した曲目に、目星を付けていたみたいだ。


 いるんだな、こういう完璧な男って。しかも、本人演奏が好きらしく、その音に嫌味がない。止むを得ず弾くくせに、手を抜くことがない。腹が立つくらい完璧だ。


 芸達者―。


 音が鳴り響き、最後の余韻が途切れて、やっとフィルリーネは息を吐いた。演奏の邪魔をしたくないと思うのは二度目だ。他の者たちに至っては、時が止まったようになっている。魔性の男か。


「素敵でしたわ。さすがですわね。ルヴィアーレ様」

 みんな、もう目を覚まそうか。

 フィルリーネが声を掛け、パン、と柏手をすると、ロデリアナとマリミアラがハッとして、ルヴィアーレを褒め称えはじめた。


「なん、って、素敵な音色なんでしょう。わたくし、途中で耳を疑いましたわ!」

「感動して、涙が……っ!」


 二人とも感受性豊かだなあ。ぷるぷるしちゃって。

 どこに力を入れているのか、ロデリアナとマリミアラは、息もしにくそうである。

 それは顔も赤くなるよ。後ろに控えているムイロエも、ぷるぷるしてるんだろうね。

 タウリュネも頰を赤らめている。やはり親衛隊。ルヴィアーレの演奏には心惹かれるようだ。


「聴き惚けてしまいましたわ。フリューノートだけでなく、ロブレフィートもとてもお上手なのですね!」

「本当に。このような演奏を聴けて、わたくしっ、」

 その後の言葉が出てこない。ロデリアナが物凄い感銘を受けたのは分かった。


「では、次は、わたくしの番ですわね」

 ルヴィアーレが席に戻ったのを見計らってそう言うと、ロデリアナとマリミアラだけでなく、タウリュネまでが、え!? という顔になった。いや、え!? って言った。


「あ、も、う少々、お待ちになられたらいかがでしょうか。ルヴィアーレ様の音が耳に残ってしまっていて!」

 ロデリアナはルヴィアーレの演奏の余韻を汚されたくないようだ。フィルリーネの演奏に、待てを掛ける。


「フィルリーネ様は、また、ルヴィアーレ様とご一緒された時に弾かれたらいかがでしょう!?」

 マリミアラもすかさず止めた。さすがにあの上手さの後に、王女に弾かせるわけにはいかないと、マリミアラは必死だ。

 物凄く下手だったら、王女の恥になるしね。それは弾かせられないね。


「そうですわ。フィルリーネ様。ルヴィアーレ様には、後ほどお聴かせになってくださいまし。調律も必要でございましょう!?」

 恥をかかせたら、自分たちに振り返ってくる可能性もある。タウリュネに至っては、ここで変な叱りを受けたくないだろう。幸せ絶好調だ。ロブレフィートの件で、婚姻式にネチネチ言われたくないに違いない。


「あら、そうですの?」

 なので、ここは潔く引かせていただく。

 フィルリーネが残念そうにして、立ち上がるのをやめると、三人どころか、ムイロエまでもが安堵した顔を見せた。


 ふ、勝ったな。


 勝利宣言を致します。私の読みが勝ちだ。ルヴィアーレよ!

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