第40話 サラディカ
絵なんて描けるのか?
自分だけでなく、周囲にいた者たち皆が思っただろう。
鍵盤楽器ロブレフィートの腕前があるとか、成績優秀で魔導の腕も確かとか。そんな話だった。当初は。
顔は黙っていればいい。ルヴィアーレに引けを取らず、揃っても違和感はなかった。初めは。
狩猟大会の騒ぎの後、フィルリーネは飽きたからと言って、ルヴィアーレを置いて早々に会場を後にした。ルヴィアーレは婚約者としてフィルリーネのエスコートが当然で、行わねばルヴィアーレの立場を悪くしかねないのに、お構いなしだ。
ルヴィアーレは王女のいない間に情報が得られて良いとしていたが、それでも問題なのは確かだった。
「いつまで続ければいいんですか! あの女!」
イアーナの叫びに同感しつつも、もう黙れと言いたいくらいに聞き飽きていた。
「声が大きいぞ、イアーナ。お前は顔に出すぎだ。既に王女に目を付けられている。本来ならば、どう咎められるか分からなかったんだぞ。王女が能天気なお陰で、何もお咎めがないんだ。少しは感謝しておけ」
「何ですかそれ!」
「不敬すぎると言っているんだ!」
サラディカの言葉に、イアーナは顔を歪めて、鼻の上に皺を寄せる。
「フィルリーネ王女で良かったぐらいだろう? 王であれば、どうなっていたか分からない。軽率な真似はするなよ」
隣で聞いていたレブロンが呆れ交じりに口にすると、イアーナはうなり始める。
フィルリーネは文句を言う割に咎めが少ない。突飛な発言で驚かせて、反応する者に時折罰を下すだけだ。ただそれが罷免であることが多いので、罰と言うには重い責だが、反応しなければ何事も起きない。
しかし、反応せざるを得ないほど、あさっての方向から想定しない言葉が飛んでくるので、イアーナではすぐに顔に出してしまう。
「ルヴィアーレさまぁ」
女々しい顔をして、イアーナはソファーで魔導書を読みながらくつろぐルヴィアーレに助けを求めた。
お前が助けを求めてどうする。
「あんな、頭に何も入っていなそうな女なのに、ルヴィアーレ様が婿、婿ってっ」
イアーナは拳を強く握って震えはじめる。男だけしかいない部屋で、まったく、鬱陶しい。
ルヴィアーレが就寝の時間になると、いつも側に控えているメロニオルや他の警備騎士たちは部屋の外へ出て行く。廊下で警備を行うが、部屋は二間続きなので、自分たちは扉を閉めてルヴィアーレの寝所に集まり、話をするのが常だ。
その夜毎、イアーナは飽きずにフィルリーネのあれこれを罵った。
いい加減、聞き飽きる。
気持ちは分かるが、それを表に出すわけにはいかない。レブロンの言う通り、フィルリーネに咎められて良かったのだ。王であった場合、どんな対応をされるか分からない。
「ルヴィアーレ様、精霊の祀典で魔獣に襲われた貴族の件ですが、やはり国王の手によるものだろうと。ウルドによると、ヒベルト地方の領主は精神的に病んで姿を消したそうですが、おそらく身を隠したと」
サラディカが報告を伝えると、ルヴィアーレは跪いて頭を垂れたままのウルドを見遣る。
「行き先を調べよ」
「承知致しました」
ウルドは深く頷くと、そのまま背を向けずに退出する。ウルドが扉を閉めるまで確認すると、サラディカは続けた。
「フィルリーネ王女が第二都市カサダリアに訪れた件ですが、やはりただの暇つぶしだったようです。側仕えのムイロエに確認しましたが、気分が悪いと列車から降り、倒れた後カサダリアへ向かい、別の街に行ってカサダリアに戻り、その後帰途に。特に目的もなかったようで、買い物だけ済ませて、あとはほとんど部屋に籠もっていたとか」
「あの女、ある意味すごいな。出掛けた意味あるんですかね? 結局、引き籠もり?」
イアーナは呆れの声を出す。確かに引き籠もるならば出掛ける必要はないが、それが普通だと言う。買い物がしたいだけなのではないかと、ムイロエは憤然と口にしていた。
「側仕えによると、何も考えていないと」
ルヴィアーレ以外の、部屋にいた者たちが顔をしかめた。ルヴィアーレは聞いていながら、魔導書をパラリとめくる。
「側仕えは、ルヴィアーレ様との婚約は力不足だと考えているようです。王女付きの政務官たちからは、ルヴィアーレ様の婚約に安心しているようですね。普段から特に何をするでもなく、茶会を行い、政務から逃げて部屋に閉じ籠もる。それが常だそうで。出てくれば余計なことをしでかすため、部屋に籠もってくれていた方が良いと」
「最悪ですね」
イアーナの感想には同感だ。しかし、ルヴィアーレの前で言うわけにはいかない。イアーナも少しは気を遣うべきだろう。
あとで注意する必要がある。
「絵でも描いてるんですかね。そんな話、出たんでしょう?」
「機会があれば見せるようなことは言っていたが、どうだろうな」
「見せられない絵を描いてるんじゃないですかね?」
イアーナは、いひひ。とふざけた笑いをする。あとであいつは厳重に注意だ。
「絵に関しては、絵を描いているところを見た者は、ここ最近いないそうです。道具は、その昔引き籠もり部屋に持ち込んだそうですが、それ以降、絵具なども欲しがらないと」
「ならば、嘘になるのだろうなあ」
レブロンも呆れている。噂で合っているのは、美しいという話だけだった。ただし、顔だけだ。それ以外はどうにもならない。
「ロブレフィートはどうなんだ?」
「ロブレフィートも子供の頃は弾いていたようだが、今は引き籠もり部屋にあるため、それも行なっているのかどうか分からないらしい。防音の魔導が掛けられているらしく、音も聞こえないそうだ」
レブロンに問われたが、それも似たような答えになる。
本当にそんな魔導を使っているかも怪しいほどだが、今の所事実は不明だ。側仕えたちが入れないような防御魔導も掛けられているとか。それも事実か分からない。
それを聞くと、ルヴィアーレは、ふと呟く。
「籠もっているだけでいい、か」
「確かに、突然何言い出すか分からないですもんね。周囲の者たちも差し障りなく扱ってるって言うか。おだてて宥めてるって言うか。変なこと言いはじめたら、周りがなんとか押さえるために、修正しはじめるって言うか」
イアーナも、その場面を思い出したように呟く。その場合、大抵抑えられないことが多い。理由をつけて別の話題にしようと逸らしても、もう無理だ。
突然言い出したことは、必ず成し遂げる気がする。あの強引さは、いかにも高飛車な貴族の女性に多い。
「最近、一番よくやったって思うのは、食事ですけどね」
イアーナは、それについては許してやる。と偉そうに踏ん反り返る。
お前が何を許すかだが、確かに食事の改善については、フィルリーネに礼を言いたい。
「あれは、フィルリーネ王女が飽きたと言い出したらしいな。困った料理長が、メロニオルに相談してきたそうだから」
レブロンが顎を撫でながら、思い出したように言った。メロニオルが、料理が分かる方はいるかと聞いてきたのに驚いたものだ。
「ラータニアの人間がいるならば、ラータニアの料理を作ろうなどと。丁度良かったとは言え、ルヴィアーレ様につけられた護衛騎士に相談するのも、王女専属シェフならではな気がするな」
「運が良かったですよね。食事に飽きたって発言が、さすが王女だけど」
レブロンは、フィルリーネの周辺特有の話のような気がすると、肩を竦めた。フィルリーネ以外は、お互いに気を遣い合っている感じがするのだろう。同病相哀れむというような。
それでも、食事が改善されたのはありがたい。グングナルドの料理は味が質素で、付け合せのソースがいつも同じだ。どの料理を食べても同じ味に感じる。高級食材を使おうが、ソースが同じならば同じ味にしかならない。あまり料理に力を入れない国だと分かった。
たまに辛いか塩っぱいだけで、基礎の味は同じなのである。
「運が良い、か」
「ルヴィアーレ様、何か?」
何か気になる話があったのか、ルヴィアーレは先ほどから言葉を反復する。問うとどこか見るようにして、横目にして見せた。
「香水が」
「香水?」
引き籠もりと運がいいから、なぜ香水が出てきたのか。皆が首を傾げる。
「付けている時と、付けていない時がある」
「それが何か??」
脈絡なく出てきた言葉に、イアーナがこれでもかと首を捻った。
「飾りたてることが好きな割に、全く香りを感じない時がある。それが、気になっただけだ」
「それは、まあ、香水がたまに臭いとか、言ってんじゃないですか?」
イアーナからすれば、女の香水はどれも臭いのだろう。臭わないほうがいいですよね。などとぼんやり言う。
香水を付けているかいないかを、なぜ気にするのか分からないが、ルヴィアーレは気になるのだろう。
ルヴィアーレは、やはり気にあることがあると、顔を上げた。
「サラディカ、政務のカノイと良く話をしているな」
「ええ、王女の政務を続けているので、思うところがあるようですから」
情報を得るには、王女に批判的な方がいい。悪口が出てくると口が軽くなる。大げさになることもあるが、何人も話を聞けば、真実かどうかは分かった。
「カノイは、随分と真面目に政務を行なっているようだな」
「自分がやらなければ、滞ると思っているようです。責任感が強いようですね」
フィルリーネの相手をするのは楽ではない。何の話が出てくるのか想像がつかないため、いきなり言われるとこちらも目を剥きそうになる。
カノイは笑いながらのんきに言っていた。慣れるけど慣れない、と。フィルリーネは特に上の人間に関わることを軽く言ってくるので、対処しようがないとぼやく。
「そりゃそうですよね。出てくるのが、王直属、とかばかりなら、焦るのも分かります」
同情しかないと、イアーナは頭を振った。
カノイの焦りを度々見ているので、その気持ちは理解できる。
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