第38話 イムレス

 魔導院は大きく分けて、三つある。


 魔導を研究する魔導院研究所、精霊を研究する精霊研究所、それから魔獣を研究する魔獣研究所。細かく分ければ植物研究所や医務所などがあるが、魔導院は概ね三種類に分かれている。

 それら全てを魔導院と呼び、魔導院の入り口は、城の人間が入られる書庫になった。


 魔導院に属する者は、その書庫の本を全て読まなければならないとか、理解していなければならないとか言われているが、近年の本が入りきらず広間を書庫に建て直しただけである。長い廊下のような広間は間続きで、そこを全て書庫にした。そのため書庫が続いて、奥に研究所があるという、不思議な空間になったのだ。


 そのせいで人の出入りが激しくなり、許可を持つ者以外も扉の前をうろついた。入り込みやすいと見えて、その書庫がいくつも続く。奥の研究所へ行くと人と物が急になくなるので、初めて入る者は呆気に取られるだろう。書庫と違って、魔導防御壁がいくつも連なるからだ。


 その魔導防御壁は、魔導騎士が相手の顔を見ながら出入りを許可する。魔導士でありながら騎士である者たちが、警備を兼ねて行なっていた。

 ただし、王が連れてきた護衛はそのまま通過だ。

 王は魔導院研究員と王騎士団の護衛を引き連れて、奥の精霊研究所へ入っていく。このところ王の出入りは多い。精霊研究所には、魔導院院長のニーガラッツが待っていた。


 一体、何をしていることやらだね。


 精霊研究所は、魔導院院長ニーガラッツが直々に受け持っている。イムレスは関われない。今自分に割り当てられた研究は、マリオンネが作られる前に記された過去の書物の要約だ。


 古い遺跡から発掘された物で、そこからこの魔導院に運ばれてきた。長年行われてきたことだが、最近になって古代の魔法陣が記された石板が発掘された。

 古代精霊文字を読める者は、魔導院の中でも少数だ。要約に時間が掛かっていることに王は苛立ちを隠せないようだが、王の娘が読めることは、王も知らない。


「この魔法陣に別の魔法陣を追加して、対象を変更することはできたんですけど」

 黒のコートを頭から被り、この城で一番の美貌を持つと歌われる娘、フィルリーネはぷくりと頰を膨らませた。


 対象を魔法陣によって分けることはできても、それが持続できなかったのだと膨れ面をする。弱点を見付け、その弱点を持つ魔獣にのみ魔法を掛けることは、よく行なっている。しかし、今回は自ら持った剣にその魔導を掛けて、対象ではないものには魔導が掛からないようにしたかったそうだ。随分と複雑なことを行なっている。


 間違ってぶつければ、その魔獣が魔導を吸収して強くなったら困るでしょう? という理由だ。

 普通の騎士は、剣で一斉攻撃を行おうとはしない。魔導士でありながら剣士である者が行う攻撃でも、かなり高度な術になり、王女が会得する分野でもなかった。


 向上心は素晴らしいが、ここまで強力な魔導士になるとは思わなかったというのが、正直な感想である。しかも、今度は魔導剣士を目指しているようだ。


「補助魔導が間違っているのではないの? 何を使ったのか、教えてごらん」

「この間読んだ、魔導書に載ってて……」


 つい最近渡した魔導書を、随分と読み込んでいるようだ。読むのは早いし理解も早いので、このところ高度な物を渡していたのだが、進みが早い。精霊の祀典で街に行けなくなったせいか、部屋にいることが増えたようだ。襲撃話も多いので、魔導に力を入れることにしたのだろう。


 フィルリーネはもう一度ぷくりと頰を膨らます。親しい者にしか見せない仕草だ。幼い頃はいつも頰を膨らませていた。頬袋でも入っているかと思うほど膨らんで、これを潰すのが少々楽しい。

 ぷす、と指差して頰から息を出してやると、フィルリーネは上目遣いで人の顔を見遣った。育ちが早く女性らしい肢体を持っているが、まだ十六歳である。


 周囲の大人を見て育ったせいで考え方は早熟だが、本来の性格は子供のそれだ。それ以下かもしれない。小さな子供と遊ぶのが好きで、きっとこの年でも水遊びをしたり、木登りをしたがったりするのだ。幼な過ぎる。


「こちらの魔法陣を使ってごらん。もっと楽に行えるだろう。そちらはあまり複合性に富んでいないのだよ」

「そっちは出来たんですけど、こっちで出来ないかなって」

 そうしてまた頰を膨らませた。成功はしているが、別の方法でも模索しているのだ。まったく、その向上心はどこからくるのだろう。


 叔父によく似た子だ。一つにのめり込むとそれしか考えられない不器用な男だったが、多種多様に分岐させて物事を考えるものだから、時折考え方についていけないことがあった。いきなり答えに繋げるので、理解するまでに時間が掛かるのだ。

 天才肌と言うならば聞こえがいいが、ただの説明不足である。

 フィルリーネもそんな所があって、頭の中で組み立て終えると、答えしか口にしない。深く話せる者が大人だけしかいないせいかもしれないので、仕方ないとも思う。彼女の偽りは、六歳の時からだ。


「狩猟大会の件は、大丈夫でしたか?」

 フィルリーネは魔導書を広げながら問うてくる。人に終わりを任せたので、口を挟む気はないのだろう。詳しく聞きたいのだろうが、その態度は出さない。

 いつもの高飛車な王女からは、まったく想像できない姿だ。


「シグナルテには、しばらく身を隠すようにさせた。妻子を亡くして精神的に参っていたため、様子がおかしかったことから、病んだのではないかという理由で失踪した。ことになったが、まあ、王は信じないだろうね」

「そうですね……」

「王が倒す予定だった魔獣に薬を投与し、暴れさせたのは面白い策だったけれど、王を殺すまでには至らないよ」


 それを邪魔したのはエレディナだが、自分としては、王の近くでエレディナは使ってほしくなかった。いくら王が精霊の力に鈍感でも、護衛には魔導士もいる。強力な力を持つエレディナの存在を、知られる可能性がないわけではない。ハルディオラのことがあり、エレディナを知っている魔導士はいるからだ。


 それを押して、エレディナに邪魔させてまで、シグナルテを助けようとする。フィルリーネは慈悲があり過ぎる。そこが、どうしても危うい。


「シグナルテの仕業だと王に知られていたら、ヒベルト地方の貴族たちにも影響が及んでいただろうね。悪くすれば領地が没収されて、町ごと砦の代わりにされてしまう」

 フィルリーネは沈んだ顔を見せた。ビスブレッド砦近くのミンシアの町は、今兵士たちが多く入り込んでいる。悪くすれば掌握されただろう。


 シグナルテは逃亡したが、親族はまだ領地にいる。彼らが残っているだけましだ。

 だから、これ以上手を出す必要はない。まだ先は長いのだから。そう諭すと、フィルリーネは分かっていると頷いた。


 お前のせいではないのだから、傷付く必要はない。そう言いたいが、ただの慰めにしかならない。国を変えるのはフィルリーネの役目だと、散々言い聞かせてきたのは自分だ。

 幼い子供に、酷なことをさせてきたのは、ハルディオラと自分である。


「ところで、ルヴィアーレ様はあの後、狩猟で活躍したそうだよ」

「そうなんですか? 親衛隊の話がまた長引くなあ」

 面倒臭い。フィルリーネは心底億劫だと肩を下ろした。


 自分の婚約者に対しての感想がそれで、イムレスは口を閉じる。城の殆どの女性が浮き立つあの美貌を前にして、フィルリーネは何の感慨も持たないことに、笑いがこみ上げそうになった。

 年も離れているしね。恋愛なんて考えたことのない子供に、何を感じろと言っても、難しいか。


「仕留めた魔獣は、ゴリアルテだったそうだ」

「ゴリアルテですか? あの森に?」

「ルヴィアーレ様を狙ったのかは、決まったわけではないよ。ルヴィアーレ様とは別の団体にいた貴族が怪我をしたようだから」


 狩猟大会は王が中心の貴族たちが集まる催しだ。表向きはその森に住む魔獣が現れることになっているが、実際は結界の貼られた森の中で行う狩り。放たれた魔獣も決められたものばかりになっている。下手な貴族でも追えるような、大抵は低級な魔獣で、たまに中級より若干弱いような魔獣を放つものだった。


 しかし、ゴリアルテはその強さではない。ゴリアルテは魔導を持つ魔獣で、敵を威嚇するために衝撃波を放つ。それに当たれば骨折は当たり前、悪くすれば即死だった。


「狙われたと言うよりは、試されたのだと思うけれどね。ルヴィアーレ様が、どの程度戦えるのか。祀典ではドミニアンを一撃で倒したそうじゃない」

「遠距離攻撃を行う魔獣に対して、どう戦うかを確認したかったってことですか。弓で倒せる魔獣じゃないから、魔導で倒されたんでしょうね」


 それは見たかったなあ。という感想に、イムレスはやはり笑ってしまった。フィルリーネは不思議そうに顔を傾ける。

「倒し方が見たかったのかい?」

「え、他にありますか?」

 むしろ他に思い付かないようだ。婚約者の活躍ではなく魔導の使い方を知りたいのだから、魔導士よりの考え方に苦笑する。


「そうだね。君は好きそうな戦い方だよ。魔導を弓に乗せて倒したそうだから」

「ええっ!? 見たかった!」

 フィルリーネが食い付いた。ルヴィアーレが放ったとかはどうでもいいわけだが、それを社交の前で言えば、少しはルヴィアーレに執心だと思われるかもしれない。視点は違くとも。


「もしかして、一撃ですか? すごいですね。見たかったなあ」

 心底残念そうに言って、自分ならばどう戦うか考えはじめる。狩りだからわざわざ弓使ったのかなあ。などととぼけた問いを口にして、やるならどんな魔法陣を使うかを、ぶつぶつ言いだした。


 婚約者であるルヴィアーレに対して、隠れて便宜を払おうとする割には、全く興味がないことにも驚かされるが、そこまで興味を持たれないルヴィアーレが不憫でもあった。

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