第36話 狩猟大会

「お護りできず、申し訳ありません」


 アシュタルが悔しげにそう言った。回廊の中。

 外の日差しに比べて回廊はとても涼しい。流れる汗も気にせず項垂れるアシュタルは、側から見れば壁に頭を擦り付けて、反省しているように見えるかもしれない。


「あそこで、アシュタルが私のところに来たら困るわ。呼んだのは魔獣呼ぶためなんだから、来たら逆に怒ってたからね?」

「そうでしょうが」


 それでも危険だったと、アシュタルは静かに悔しさを滲ませた。

 エレディナは出てこられない。表立って剣や魔法も使えない。フィルリーネは、王の前では騎士の警備がなければ魔獣に太刀打ちできない。


 怪我の一つはすると覚悟して、短剣を出そうとした。短剣でドミニアンは倒せないが、目を狙うことはできる。先に腕をやられるかもしれなかったが、そこは自分の腕次第だ。

「いきなり短剣で目を狙った方が怪しまれたかしらねえ」

「今更、そんなことで迷わないでください……」


 避けて目を刺したら、意外な腕だと思われただろう。しなくて良かったと安堵する。

 お陰でルヴィアーレに助けられてしまったが。


「あの腕は、私も驚きました。一撃でしたね」

 しかも、勢いよく走ってきた魔獣を、横から一振り。斬撃は魔獣を即死させた。早々できる技ではない。

「ルヴィアーレ様がフィルリーネ様を助けると分かれば、少しは安心できます。フィルリーネ様の警備は、あまり腕が良いとは言えませんから」

「そうねえ」


 とはいえ、またルヴィアーレに助けられるのは避けたい。次は夕食になってしまう。ムイロエがまた張り切るのはごめんだ。

 警備の腕は聞かないことにする。フィルリーネの周囲は基本的にやる気のない者たちの集まりだ。そうでないと、やっていけない。役目を全うできる者は大抵引き抜きに合うか、自ら異動を願い出ることが多いのだ。

 アシュタルは引き抜かれたいい例である。王騎士団員は、概ね王を護るためにいた。


「王騎士の何人かは、今回の襲撃のこと、分かっていたみたいね」

「目星は付いてます。ヤニアックは知りませんでした。自殺とされたテラスの魔導防御壁の責任者にはひどく立腹で、魔導院の面汚しだと、葬儀で罵っていたくらいです」


 殺された責任者が不幸すぎる。当たり前のように殺されていくのだから。

 フィルリーネは柵の外から見えないように、大きく息をついて壁にもたれた。アシュタルもベンチに座って柵にもたれる。


「ヒベルト地方の領主の件ですが、やはり騎士が死んでおりました。領主の弟の息子が騎士に成り立てだったようです。それから、領主の騎士団所属の者が二名。一名は王騎士団に所属していた者です。領主に取り立てられ、領騎士団の団長を担っておりました」

「王騎士団に所属していたのならば、ドミニアンがどんな攻撃をしてくるか分かっているでしょう。酒に酔ってたって聞いたけれど」

「騎士だけでなく、領主もですが、体調を崩していたようです。前日から城に近い別宅に泊まっていたとか。その時にラータニアに懇意にしている貴族も訪れています」

 ルヴィアーレが言っていた者だろう。同じ屋敷で食事でもして、毒でも盛られたのだろうか。


「警備騎士団が調べた話では、酒に酔ったことになっています。表向きはそうですが、別宅の屋敷の下働きの者が言うには、夜食事を終えた後、皆がめまいや嘔吐に悩まされたと。客人である貴族は屋敷に戻って体調を崩したそうです。毒の混入は否めません。精霊に祈りを捧げる式典ですので、体調不良を押して出席されたのでしょう」


 精霊はこの世界で重要な役割を持つものである。その式典を欠席することはできないだろうし、毒によって死ななかったことを、王に見せつけるつもりだったのかもしれない。それが、そもそもの罠だとは知らず。


「王騎士団ではなく警備騎士団が調べたの?」

「警備騎士団です。ボルバルト団長が、犯人は外に逃げたのだろうから警備騎士団にやらせるようにと。行なったのは、第一部隊です」

「第一部隊か。これは、ロジェーニに探ってもらうしかないな」

「伝え済みです。第一部隊の隊長はサファウェイ。良い噂の聞かぬ男だとか」


 ボルバルトが調べを許したとなれば、証拠隠滅もしてくるだろう。毒を盛って殺さなかったのは、警備の不備を理由にした事故に見せたかっただけだ。王騎士団団長の汚点になっても気にもしないとは、恐れ入る。


「何にしても、国境門と、ビスブレッドの砦に関するでしょうね」

「ラータニアに襲撃するのでしょうか」

「否めないわ」


 ルヴィアーレはどう思っているのだろう。襲われた貴族がラータニアに懇意にしているとしたら、繋ぎに使っていた可能性はある。それが死んでしまったのならば、ルヴィアーレは焦っただろうか。そして、次は狩猟大会。またラータニア関連で何かがあれば、ルヴィアーレは動くだろうか。


「狩猟大会がすぐだけれど、何か情報はある?」

「残念ながら、ございます」


 アシュタルの神妙な声に、フィルリーネは雄叫びを上げたくなった。






「あの時のルヴィアーレ様には、わたくし、呆気にとられてしまいましたわ」

「物語に出てくる殿方よりも素敵でしたわ」

「剣を持ったお姿も、物語の挿絵のようでした」


 うっとりと、弓を手にしたルヴィアーレに向けて潤った視線を向ける令嬢たちは、目の前に婚約者がいることを、覚えているだろうか。


 本日のルヴィアーレは狩猟大会で馬に跨るということで、太ももまでの濃い緑の上着、中は薄めの薄い緑のチュニックだ。茶色のベルトに黒のズボンと焦茶色のブーツ。斜めにかけられた肩がけのマントは濃いめの黄色で、似合うけれど、虫がたかりそうな色だった。


 女性陣の麗しき眼差しよ。黄色は小虫が寄ってくるよ。知ってる?


 フィルリーネの存在をすっかり忘れた親衛隊は、本日もルヴィアーレにご執心中である。周囲の男性陣の妬ましい目はルヴィアーレに注いでいるが、本人気付いているのかいないのか、全くの無関心だ。


 女性陣は男性陣が狩りの間お茶会をして、時間を潰す。もとい楽しむ。

 いつも思うが、お茶するだけなら女性陣は必要ないだろうに。しかし、ここは親子連れでやってきて、子供の相手を見定める場でもある。

 この狩猟大会は腕を見せつつも、上の人間を上手く立てなければならない、面倒な催しなのだ。接待が出来ぬ者は、粗忽者の烙印が押されてしまう。そんな者へ嫁に出すことは危険があるので、この場は大切な見極め場になるのだ。


 無論、王女フィルリーネには全く関係のない場だ。帰りたい。


 日差しのある森の前、簡易的な帆布で日陰を作りその下に設置されたテーブルで、フィルリーネはお茶のカップを手に取った。

 王の護衛は厳重だが、他の者たちは、護衛は二人。ルヴィアーレはイアーナとレブロンを側に置いていた。馬に乗るため、多くの護衛を一緒に連れて行けないのだ。そのため、女性陣の側に護衛や側仕えたちを置いていく。

 フィルリーネの後ろには、サラディカとメロニオルが控えた。ルヴィアーレが戻ってきたら、また彼の護衛をする。


 しかし、サラディカか。あまり近くで話を聞いてほしくない男である。まだ、彼がどんな性格なのか分かっていない。この男も表情が変わらないので、警戒対象ではある。


 ここで話したことルヴィアーレに話されるの、痛いなあ。いやだってね、親衛隊が話すことなんて、ルヴィアーレのことしかないじゃない? それを聞いてなきゃいけない、私の苦痛をよ、フィルリーネ様がそのように言ってました。みたいに、告げ口されたくないし。


「それでは、フィルリーネ様、行って参ります」

「頑張って行ってらして。成果を楽しみにしておりますわ」


 跪いて胸元に手を当ててかしこまるルヴィアーレに、適当な言葉を返してルヴィアーレを送ると、男性陣たちは数人に分かれて森の中に消えていく。王騎士団も護衛のために守りに入った。アシュタルの姿も見えたので、ルヴィアーレと王には注視してくれるだろう。


 その間、こちらは世間話と言う名の、ルヴィアーレ噂話である。


「祀典では、フリューノートを吹かれる姿に驚きましたわ」

「あの音色に気を失われた方がいらしてよ」

「あのような美しい姿を拝見して、わたくし打ち震えました」


 あ、そこからまた始めるの?

 一周回って、話が最初に戻った。確かに、あの演奏は驚いた。嗜みにしては技術がありすぎて、殆ど楽師並みである。あれを嗜みと言えば、楽師に僻まれるだろう。その辺の楽師より、ずっと多彩な音を出していた。


「演奏を耳にして、わたくしも意識を失いそうになりました」

「なんて儚い音を出されるのかしら。あのような演奏、初めて耳にいたしましたわ」

「着ていらした衣装も、とてもお似合いでしたでしょう。演奏に似合ったお衣装にも、目が釘付けになってしまって」


 女性陣の話は周囲も納得するようだ。側仕えたちが大きく頷いている。話に混じりたそうなムイロエも、うんうん頷いていた。

 同じような話を、彼女たちは永遠と続けるようだ。まず服から始まって、演奏で、そして最後の剣さばきである。三つのことしかないのに、何故そこまで膨らませて話せるのか。謎だ。


「フィルリーネ様も、そう思われませんでしたか!?」

 ここで、やっと婚約者にふられてきた。

 だがしかし、私はそんなこと、どうでもいい。


「ええ、お衣装もお似合いでしたし、フリューノートの腕前も素敵でしてよ。魔獣を倒された姿には驚きましたわ」

「そうでしょうとも」


 親衛隊三人は大きく頷いた。ロデリアナとマリミアラはルヴィアーレの話がしたくて堪らなかったようで、ずっと同じ話を繰り返す。タウリュネはそこまでの熱はないのか、二人が話す間にこちらに話し掛けてきた。


「ご婚約の儀式は、やはりまだ行われませんのね。マリオンネの女王様は、まだ体調を崩されていらっしゃるのでしょうか」

「そのようですわね。婚約の儀式のための日程を、あちらに決めていただかなければなりません。吉日を選ぶにも、女王様が普段の生活に戻れないようですから」

「心配ですわね。わたくし、婚姻の儀式を楽しみ待っているのです。フィルリーネ様とルヴィアーレ様は美男美女で、少々年が離れていても、とてもお似合いだと思いますわ」

「まあ、嬉しいわ」


 そう返事をすれば、タウリュネの言葉にロデリアナとマリミアラが、ざっとこちらに注目した。聞き捨てならない言葉が聞こえたようだ。


「ですが、フィルリーネ様は小国だからと、あまりお気の進まないご様子でしたし」

「そうですわ。年が離れすぎているのも、フィルリーネ様は気にされていらっしゃいましたものね」


 ロデリアナとマリミアラが順番に問うてくる。

 心は変わってないだろう? の視線が二人とも鋭い。婚約の儀式が行えないことを良かれと思っているのは、フィルリーネだけではないようだ。


「皆様、フィルリーネ様はルヴィアーレ様のお人柄をご存知なかっただけですわ。あのような素敵な方とご婚姻されるのですもの、心待ちにしていらっしゃるのでしょう?」

 タウリュネがフォローしてくれるが、してないよ! って言いたい。


「王の決められた婚姻ですわ。わたくしはそれに従うだけです」

 淡白な答えに、タウリュネは片眉を上げた。気に入らない答えだったようだが、ロデリアナとマリミアラはがっくりと肩を下ろす。

 王が決めたのだ。フィルリーネが決めたのではない。嫌がっても否応無しなのだ。それを忘れていたと、二人は途端に陰気な空気を立ち込めさせた。


「ルヴィアーレ様のお話がしたいのであれば、知っている者と話すと良いでしょう。サラディカ、こちらにいらして」

「は……」


 フィルリーネは内心ほくそ笑んでサラディカを呼んだ。黒髪の眼鏡男は呼ばれるとは思わなかったようで、若干声を上ずらせた返事をすると近寄ってきた。

 悪いが、人身御供になっていただく。ついでに、ルヴィアーレのことを教えてほしい。


「こちらに椅子を持っていらっしゃい。皆様ルヴィアーレ様のことが聞きたいとおっしゃっているの、お答えしてあげて。さ、皆様、何がお聞きになりたいの?」


 フィルリーネが促すと、ロデリアナが身を乗り出した。まずは、趣味が聞きたいようだ。

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