第25話 案内
「こちらを。終わったものです」
手渡された書類の束を見て、カノイはその顔を見上げた。黒髪のメガネ、サラディカである。
「ありがとうございます。おかげでとても進みが早かったです」
フィルリーネが今日からカサダリアに出掛けることになり、いつもいるはずの王女がいないだけで、仕事は驚くほど早く終わった。なんと言っても、ルヴィアーレは書類を見るのが早い。フィルリーネもパラパラめくって見るので早く終わるのだが、結局後で全員で見直し作業が起きるので、フィルリーネがパラパラ見する分、時間が無駄になるのだ。
今日はそれがない上に、ルヴィアーレが確認してくれたので、ずっと早く終わった。
ルヴィアーレは既に部屋を出たのだが、サラディカが最後まで片付けで残っている。
ルヴィアーレの後ろにいつもいて、騎士二人よりずっと近くで動くサラディカは、今日はルヴィアーレと一緒に出ていかなかった。フィルリーネがいなくなった途端、動くつもりらしい。
「サラディカ様もとても優秀でいらっしゃって、素晴らしいですね。ルヴィアーレ様はもちろんですけれど」
ちょっとおべっかっぽく聞こえるけど、僕は本心で話している。いや、優秀っていいよね。僕大好き。
「ルヴィアーレ様はラータニア王の補佐をしておりましたので、政務には慣れておりますから」
「ご謙遜を」
噂通り政務を自国で行なっていたとなると、今の仕事なんてちょろいだろう。フィルリーネの元に来る書類は不正入りか簡単なものばかり。たまに来る難しいものは、誰かの意地悪だ。
そんな不正や意地悪が大好きなフィルリーネは、日々楽しげに書類をパラパラめくる。そこにある悪意や悪事を読み取るために。
あ、寒気しちゃった。
「中央政務室へお持ちになるんですか?」
「そうですよ。この仕事は中央の仕事で、姫様には仕事に慣れていただくための練習みたいなものですから」
「……フィルリーネ様がお出掛けになられるとは、思いませんでした」
サラディカは遠慮げに言ったが、試しで口にしているのだろう。
こっちの反応を知りたいんだよね。分かります。
「いつものことですから。慣れました」
僕は正直者だからはっきり言うよ。慣れたは、慣れた。慣れるけど、それが大丈夫かって言ったら、大丈夫じゃないよね。
カノイの言葉にサラディカは小さく笑って返してきた。フィルリーネをよく思っていないのならば、懐柔しやすいと考えているのだろう。そうすると、フィルリーネの思い通りなのだが。
書類を揃えて持ち上げると、サラディカも部屋を後にした。ルヴィアーレの棟はフィルリーネの政務室から離れているが、中央政務室へ行く道の途中まで一緒だ。
フィルリーネがいない間に、カノイから情報を得ようとしているのが良く分かる。
不満がある人間は愚痴りたくなるものだ。そこを狙うだろう。
って、姫様が言ってた。
「フィルリーネ様がお出掛けになるのは、良くあることなんですよ。急に思い立つって言うか、気分なんでしょうね。いつも突然言われるから、僕たちも毎回聞き返しちゃいますよ。今すぐ出るとか言われる時は、どうしようかと思いますもん」
「そんなことが……」
「今回は次の日って言われたので、ちょっと安心したくらいです」
付け足して言えば、さすがのサラディカも苦笑いをした。
え、本当のことだよ? 姫様の突飛さはこの程度じゃ収まらないんだし、もっと耐性持った方がいいと思う。言わないけど。
「午後には出るっておっしゃられてたので、少し遅いくらいですね。列車で行くのかな」
列車で行くと言っていたので、時間はそこまで早くないだろう。さすがに列車の発車時間はフィルリーネに合わせられない。そこは時間通りに出発する。
「列車でお出掛けになられるのですね。王族であれば、専用の小型艇などで出られるのかと思っていましたが」
「フィルリーネ様は旅行好きなんで、乗り物も変えられるんですよ。一般人が乗ろうと、好きにされるんです。警備のこととかあまり考えないですからね。自由な方なので」
一般人がどんな風に列車を使用するのか見たいだけだろうが、フィルリーネの警備は大変だろう。エレディナがついているので、フィルリーネ自身は本気で気にしていないのだが。
遠出の話しかしていないのに、サラディカが遠い目をしはじめた。優秀な主人の相手について情報を得るにも、色々と理解が追いつかないのだ。
いやあ、心配だよね。あんなのが将来主人の妻になると思ったら。それは僕も心配するよ。知らないところで何やってるか分からないしね。まあ、心配のタネは別だろうけど。
だが、フィルリーネもルヴィアーレを警戒している。
「フィルリーネ様に対する注意点とか、ありますけれど」
大きい声では言えない。ぽそりと小声で言えば、サラディカは爽やかな笑顔で、
「念の為お聞きしてよろしいでしょうか」と口にした。
「ニコニコしてればいいんです。笑っていれば、勝手に喜んだり怒ったりするんで」
「そ、そうですか……」
内心、なんてところに婿に来てしまったのか。と、心底うんざりしているはずだ。
フィルリーネもルヴィアーレを追い返したがっているため、お互い進みたい方向は同じなのだが、それは簡単にはいかない。
申し訳ないが、ここはその手伝いをしないとならない。
ルヴィアーレも帰りたがっているという話だ。フィルリーネの望み通り、自分たちで帰るための手立てを作ってほしい。今のところ、フィルリーネから婚約破棄はできない。
「ラータニアでは、フィルリーネ様はとても優秀な方だと聞いておりまして」
「ああ、そうなんですか。へー」
そんな噂、誰が流したのだろうか。街の人間だろうか。街でフィルリーネがどんな風に噂をされているかは知らないが、馬鹿王女とは知られていないのだろう。貴族には有名な話なので、そこからなら、あの王女はどうかと思う。という話になるはずだが。
フィルリーネが疑問に思う、どんな話がされて婿として来たのか。優秀だからという噂だけ流れたのを耳にして、ここまで来たわけではないだろう。
「ご自身はよくできていると思ってらっしゃいますよ」
サラディカはとうとう顔を引きつらせた。笑っているが、笑えていない。
「ところで、カノイ様にお尋ねすることではないのですが」
話を切り替えて態勢を立て直す気のようだ。サラディカは引きつっていた表情を変えて、申し訳なさそうに始める。
「ある程度で良いのですが、城の大体の案内をしていただくことは可能でしょうか。こちらに参ってから、場所があまり分からず」
今度は僕がびっくりしたよ。姫様案内すらしてないの?
徹底しすぎてて口を半開きにしちゃったよ。ルヴィアーレ様、なんか可哀想。
しかし、これはチャンスではなかろうかと思い直す。
ルヴィアーレが何を調べたいのか、フィルリーネは知りたいだろう。
「大丈夫ですよ。僕でよければご案内します。あ、」
外通路に繋がる渡り廊下の先にフィルリーネが見え、サラディカはさっと脇に避けた。動きが速い。カノイもそれに倣い横に避けたが、フィルリーネがサラディカと一緒にいるカノイを見て、無視するわけがなかった。
また毒っぽい微笑みしながら、こっちに来るよ。あの顔、やばいやつ。
「あら、カノイ、暇なの?」
嬉しそうに近付いてくるところが、何かを言う気満々だった。
実は姫様、人いじめるの趣味だよね?
「もう終わったの? お仕事足りなかったかしら? ……後ろの、ルヴィアーレ様の」
フィルリーネは今気付いたように、視線をカノイの後ろに移す。名前を忘れたふりをし、完全にバカ王女を演じている。サラディカは頭を下げると、名前を名乗った。
これは、完全に騙されてるね。
「これからサラディカ様にお城のご案内をしようとしておりました」
サラディカは言ってほしくなかっただろうが、ここは伝えておいた方がいい。フィルリーネが良しとしなければ、カノイは断れる。そこを確認するために言うと、フィルリーネは楽しそうに笑った。
「優秀なルヴィアーレ様の補佐なのでしょう? さぞかしあなたも優秀なのでしょうね」
あ、また変なこと言い始めたよ。そんな話してないのに、脈絡ないよ、姫様。そう言う切り替えの仕方が怖いんだよね。
「カノイ。ルヴィアーレ様もご案内したらいかがかしら。お時間があるのでしょう?」
フィルリーネは、まるで、なにかを企んでいるような言い方をし、わざとサラディカを警戒させた。
それ、どういうつもりでやってるんだろう。嫌味が言いたいだけなのかな。
普通だったら、城を見てもいいけど、何も見付からないでしょうね。って聞こえる。しかも、優秀な主人と一緒に行っても何も分からなくてよ。みたいな。うわ、腹立つ。
しかし、フィルリーネの本心としては、ルヴィアーレも連れて行けということだ。嫌味が全面的に出ていて分からないだろうが、フィルリーネの本心はそちらである。
あれ、絶対分からないよ。
フィルリーネは笑いながら去っていった。ちらりと横目でサラディカを見遣ったが、サラディカは何てことのない顔をしている。怒りも何もない。さすがあのルヴィアーレの補佐というところだろうか。顔に感情が出ない。
「あの、よろしければ、ルヴィアーレ様もいかがでしょうか」
「しかし、あの言い方では」
ああ、騙されるよね。嫌味に聞こえたもん、完全に。
フィルリーネ自身が案内できないため、ルヴィアーレには悪いと思っているのだろう。今の話は、むしろ丁度いいからルヴィアーレにも見せてあげなよ。という優しさである。しかし、あのような喧嘩腰の言い方するため、間違いなく嫌味にしか聞こえない。
すごいね、姫様。
「大丈夫ですよ。おっしゃったことそのまま行ったと言えば、何もおっしゃいません」
帰ってきた頃には忘れている体裁だろう。だから気にすることではない。もしかしたら何かの弾みに、城は見たのだろう? などと言ってくるかもしれないが、その予定はないはずだ。
サラディカは開き直ったカノイの答えに、一度言葉を呑み込んで、咳払いをした。バカ王女の扱いはこんなものだということに驚いた様子だ。
「コホン。そうですか。では、後日、お願いいたします」
ルヴィアーレを連れて案内するならば、すぐには無理だ。時間をあけて一緒に回る必要がある。そのため、サラディカはルヴィアーレに話をしに行った。
フィルリーネは思い付きでカノイに頼み事をすることが多い。ルヴィアーレを連れて案内しろということは、ついでにルヴィアーレを探ってみろということである。
また、難易度高いこと言ってくるなあ。
フィルリーネが警戒するほどの曲者だと思われている、ルヴィアーレ。
僕に相手が務まるかなあ。
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