第8話 卒院2

 静かな回廊の一画で、円柱にもたれながら腰に剣を帯びた青年が一人いた。


 回廊は日陰になっており、中庭に庭師がいたが、身分の高い騎士の休憩を邪魔しないようにと、その場からそっと姿を消した。


 騎士の寮から近い鍛錬所には、時間の余った騎士たちが各々訓練をしている。騎士たちが集まる訓練の時間ではないのでまばらだが、己を磨き上げるために努力を欠かない者たちが何人か姿を現すことが多い。

 騎士たちの休憩所は別にあるが、人気のない回廊で休憩をする騎士はたまにいた。下級騎士でなく上級騎士だ。そのため邪魔はしてはならないと、この回廊に来る者はそういない。


 その回廊で掃除婦が手摺を拭いていた。上級騎士に気付くと、隠れるように倉庫となっている部屋に入り込む。柵のある窓から姿が見られないように気を付けているか、すぐに掃除婦の姿は見えなくなった。

 騎士はゆっくりと歩むと、その部屋の前にあるベンチに腰を下ろした。風が通り抜けて汗が引いて行くのを感じているか、一度天井を仰ぐと剣を置いて足を伸ばした。


「卒院おめでとうございます。これでもっと動きやすくなりますね」

 ぽそりと呟いた言葉は、柵の後ろの部屋に届く程度の小さな声だった。


「そうね。学友たちとの付き合いがとりあえず終わって、ほっとしたわあ」

 その声に、男は小さく笑う。


「……王の手である者は、ラータニア王弟にもついてますね」

「監視は当然ね。私にもついているほどだから」

「王弟を見張るのに丁度いいのでしょう。選定は王がされたのではなく、王騎士団長が行なっておりました。フィルリーネ様への監視の意味はないと思われます」


 男は寛いでいるように、天井を見上げた。薄い茶色の髪が額から溢れる。天井のある回廊に足音があれば、響いてすぐに気付くだろう。


「アシュタルから見て、ルヴィアーレはどう?」

 呼ばれた男、アシュタルは柵にもたれかかった。


「まだ何度もお会いしているわけではありませんから、人となりは正直分かりません。ですが、共にいる若い騎士は顔に出るので、不満が溢れているのは確かかと」

「ああ、あの子はね」


 共の者たちの名は知らないが、気になる騎士が一人いる。若そうな男で、人の言葉に一々反応しては、隣にいる身長の高い男に肘打ちされたり肩を押さえられたりしていた。


「ルヴィアーレ様には政務を補助していた者もついているようで、騎士以外に官務の者がおります。その男は注意された方が良いでしょう」


 思い付く男を思い出して、フィルリーネは頷いた。ルヴィアーレの後ろに、落ち着いた雰囲気の男がいつもついている。黒髪の癖毛を少しばかり肩に伸ばした、眼鏡をかけている男だ。いかにも官僚な雰囲気の男で、時折ルヴィアーレに耳打ちする。

 ルヴィアーレは終始笑顔でも、その男は表情なく周囲を視線だけで確認しているのが印象的だった。ルヴィアーレより身長は低いが、体格は良いように思えて、少なからず剣を持つ者だと認識している。


「共に連れてきたのは、身の回りの世話をする者を入れ、十三人。内、常に動きを共にしているのは三人です。騎士の二人、その官務一人」

「随分と少ないわね」

「人数の制限をされたのではないかと」


 王ならやりそうなことだと納得する。他国から嫁ぐ姫ならば倍でも足りない。婿とはいえ、連れてきている人数が少なすぎだ。連れてくる者の制限までされたのならば、厳選して連れてきたのだろう。

 これは、全員の顔を覚えなければならない。


「接点を持たぬおつもりですか?」

「そうしたいのは山々なんだけれど、この国に連れてこられる理由が分からなければ、直接問わなければならないかもね」

「私が調べた限りでも、同様の情報しか得られませんでした。とにかく何に関しても優秀で、王の政務を自身だけで行なっても問題ないのだと。それから、姪の噂も耳にします。それは正確には分かりませんでしたが」


 アシュタルは遠慮げに言った。おそらく本当のことだろうが、気を遣っているのだろう。しかし、そんなことはフィルリーネにとってどうでもいいことだった。


「婚姻したい相手がいるのならば、さっさと帰ってもらいたいのよ。余計なことに気を回す余裕は、私にはない」

 きっぱりとした言葉にアシュタルは苦笑した。仮にも婿に来たのに相手が誰を想っていても良いなどと、婚約相手の王女が言うことではない。だがそれも真実だと知っているアシュタルは肩を竦めた。


「確かに第二夫人の娘を大事にしているという噂はあるようです。しかし、それが婚約に結びついているかは確かではありません。年も随分と離れているようですから」

「私と同じくらいじゃないの?」

「十三歳だそうですよ」


 王族であればそれくらい離れていてもよくある話だ。婚姻は十六歳から許されている。丁度学院を卒院する時で、フィルリーネのように卒院して婚約することが多い。最近ではソーニャライのように仕事をする女性も増えているので、婚約して働きながら婚姻する者も増えてきた。それでも十八歳には婚姻をしているのが主流だ。


 もしも十三歳の相手と婚姻するならば、ルヴィアーレは二十七歳まで待つことになる。王族としては遅すぎる婚姻だった。


「大切にしているのなら、それでも待つってことかしらね」

「二十四の男が、十三歳の子供と婚約自体、どうかと思いますが」


 アシュタルには嫌悪感があるようだ。古い王族の歴史を掘り返せばそんな婚約よくあるが、フィルリーネ自身がそんな婚約を取り付けられた場合、考えることはあると思う。

 ただ、自分自身に想う相手がいないだけなので、その十三歳の姪がルヴィアーレを想っているのならば良いのではないだろうか。


 それに性格はどうか知らないが、ルヴィアーレは概ね女性の好感を得ている。熱烈な親衛隊がこの国でも増えているのだし、憧れのお兄様なのかもしれない。よく分からないが。


「フィルリーネ様は、ルヴィアーレ様を見て、何も思わなかったのですか?」

 どこか探るように言われて、フィルリーネは首を傾げた。他の女性たちのように憧れなかったのかと問いたいのだろうか。


「何を思うの? こいつ、私の嫌味に笑ったわ。胡散くさ。って思いはしたけど」

「ぷっ」


 アシュタルはすぐに口元を押さえた。笑うのを我慢して何度か咳払いをする。一人で笑っているところを誰かに見られたら、変な人扱いだ。


「いえ、ルヴィアーレ様を見た女性たちは、まるで物語に出てくる精霊の王のようだと言っているそうなので」

「そういえば、お茶を飲んでいる時そんな話聞いたわねえ。他の人もそんなこと言ってるんだ」

「ご学友もそのようなことを?」

「物語に出てくる殿方とか。精霊の王だとか。そんな物語流行ってるのかしら」


 精霊の王は男だと言われているが、あんな感じだったら嫌だなあ。と思うのは自分だけだろうか。何考えているか分からない精霊の王と仲良くできない。


「終始笑顔ですからね。何を考えているか分からないというのも理解できます。女性たちはそれについて盛り上がっているようですけれど」

「モテモテねえ。顔は整っているけれど、感情がまるで見えなくて、それこそ三割り増しくらい綺麗に描かれている肖像画に話し掛けているみたいじゃない?」

「ぶはっ」


 アシュタルは我慢できないと吹き出して、うずくまった。そこまでおかしなことを言っただろうか。

 顔は整っている。それは認める。見たことないほど整い過ぎていて、こういう肖像画見たことあるな。とふと思ったのだ。正直な感想である。


「フィルリーネ様がルヴィアーレ様にそのような印象を持たれているとは、思わなかったので……」

 ぶふふ。とアシュタルは笑いを袖で押さえる。

 ならばどんな印象を持ったと思ったのだろう。美人は見るだけでいいし、隣にいられたら女として比べられるのはつらいと思う。ただ化粧したら映えるだろうなと想像はした。一度やってみたい。


「好意を持ったのかと聞きたいのならば、後ろの子犬みたいな騎士には好意を持ったわね。顔に出すぎちゃって、途中から反応が楽しすぎて悪乗りして、嫌味を言い過ぎたのは失敗したと思ったわ」

「……それは好意と言いますかね?」

 ただ、からかっているだけですよね。と問われたが。好意を持ったのでからかったのだ。


「それはともかく、反応を見るために嫌味を言っているのよ。帰ってほしいのもあるけれど、どの程度まで言ったらどんな反応をするのか知りたいじゃない? 本人の希望で婿に来たのか、本人が納得してそうなったのか。知りたいことは多々あるわ。問題なのは、王が望んだ場合、何の理由があって望んだかなの」


 本人たちが好んでこの城に来たわけではないと分かった今、王が望んだ理由が知りたい。王が望むものは想像できても、ルヴィアーレに関わる望むものが想像つかない。


「そしてその場合、一体何を質に取られて、ここまで来たのか、よ」

「脅されているとお考えですか?」

「反応を見る限りはね。好んで婿になるつもりはないのならば、何か脅されているでしょう?」

 アシュタルは静かに頷く。


「私の婿にするというよりは、何か別に目的があるのは間違いないの。それを調べるしかないわ」


 フィルリーネの言葉に、アシュタルは神妙に返事をした。

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