第7話 卒院

「フィルリーネ様、お寂しゅうございますわ」

「フィルリーネ様、学院を卒院しましても、またお茶会に誘ってくださいまし」

「フィルリーネ様」

「フィルリーネ様」


 いやあ、私もてもてだね。びっくりするほどもてもてだね。かつてこんなにモテたことがあっただろうか。いや、ない。

 皆様やっと高飛車フィルリーネ王女と離れられると思うと、嬉しくて涙が出るのだろう。心の底から嬉しいようで、本気の涙が切なくなってくる。いいのよ、分かっているから。


 歩いていて、いきなり目を付けるような真似はしていないが、接点があるとどうしても挨拶などを行わなければならない。相手が王女であるため、向こうから無視することができない。そのため、クラスメイトとなれば皆がフィルリーネに跪いた。


 フィルリーネは低レベルな問題で喜怒哀楽を惜しげもなく爆発させるが、皆が怖がっているのは、その感情によって叱責を受け、あまつ王から目を付けられるのではないかということである。そのため、フィルリーネが右と言えば右、左と言えば左なのだ。


 そのドキドキの学院生活が終わりを迎え、爆弾王女フィルリーネから離れられるのは、皆の心臓にとっても、その親にとっても、とても素晴らしい記念すべき日なのだ。

 ただ、残念ながら皆様、親が城で働くようなお嬢様やお坊ちゃまなので、簡単に逃げられる立場でない。お坊ちゃま方も城で騎士になったり政務に関わったりするので、むしろ悪の象徴王に従うことになるわけだが、よく分からないポイントで不機嫌になるフィルリーネよりマシと思っているのかもしれない。


「フィルリーネ様」

 あー、もう挨拶はいいよ。充分聞いた。みんな元気でね。次も関わってたらごめん。


 謝りそうになって振り向いた先、静かに跪く大人しめの生徒がいた。真っ直ぐな黒髪を細かく編んで花で飾っている。可愛い髪型をしていると褒めたかった、ソーニャライ嬢だ。


「あら、ソーニャライ様、フィルリーネ様に何かご用?」


 ご用があるから声を掛けてきているわけなので、周りにいるあなた方が答える必要はないわけなのだが。

 ソーニャライは父親の身分がそれ程高くない。フィルリーネの取り巻きが先に話を受けるのは無礼にならない。そんな風習も好ましくないが、フィルリーネは静かに振り向いて彼女たちが話すのを聞いた。


「フィルリーネ様に、ご挨拶を」

「まあ、あなたがどんなご挨拶をされて? 前に叱責を受けたのをお忘れかしら」


 フィルリーネの取り巻きが蔑むように言うと、周りにいる者たちがくすくすと嘲笑する。

 面倒だな。思ってもここから離れるには、そのご挨拶を聞く必要があった。何もなくここを去れば、ソーニャライの立場を更に悪くさせる。


「お礼を申し上げたいのです。フィルリーネ様。わたくし、フィルリーネ様のご好意に幾度となく助けられておりました。この場を借りて、今までのお礼を……」

「お礼ですって? そのお言葉、まさか嫌味ですの!?」


 ソーニャライが全てを言う前に、一人が言葉を遮るように大声を出した。それに同調して周囲も騒がしくなる。


「失礼な方ね、ソーニャライ様。フィルリーネ様に叱責されたこと、恨みがましく思っているのではなくて?」

「まあ、なんてこと。このような場所で、それをお礼だなんて。恥ずかしくてよ」


 嘲笑の大合唱にソーニャライは頬を赤くして俯いた。そんなつもりはない。と口にしたいようだが、声が小さくなって周囲の声に掻き消される。


 大人しい性格のソーニャライは、身分は高くなくとも洗礼された動作や言葉遣いをし、清楚でいかにもな淑女でありながら、先進的な魔導の研究で優秀な成績を修めた。そのため、男性に人気がある。人気のある女性を落とそうとする遊び半分の男子生徒もおり、学院でも有名な女性となった。それに嫉妬したお嬢様方は彼女を目の敵にし、前々より下らない嫌がらせを行なっていたのだ。


 それをたまたま見掛け、気にはしていたのだが、ある時、魔導を使い怪我をさせようなどと企んだ女生徒がいた。それに対抗しようとしたソーニャライの間に、たまたまフィルリーネが入り込んだのだ。

 女生徒の魔導はいたずら程度の風を起こしただけが、顔に入れば傷が付く。それに驚いて防御の魔導を使い、反射した魔導の攻撃がフィルリーネに当たった。


 女生徒はソーニャライより身分が高く、彼女に怪我をさせていれば父親ごと左遷されただろう。フィルリーネに当たれば死刑だったかもしれない。しかし、風の魔導が吸収されればフィルリーネには当たらない。

 防御された風の攻撃はフィルリーネの点の悪い試験を飛ばして、噴水の中に舞い落としただけだ。その後男子生徒に拾ってもらい、ついでに点数がバレただけである。


 フィルリーネの叱責は女生徒と共にソーニャライにも向かった。フィルリーネに目を付けられれば二人は黙るしかない。男子生徒の目も好機の目ではなくなり、本当に彼女を守りたいだけの者に減っただろう。

 その後、フィルリーネに風の魔導を与えたとソーニャライは言われ続けた。そのせいで友人も減ったはずだ。


 だから礼を言われる筋合いはない。彼女はフィルリーネを恨むべきだった。だが、本心で礼を言いたいのだろう。だとしたらソーニャライはわざとフィルリーネがあの場に入ったと気付いたのだ。

 バレるような真似をしたというならば、風の魔導を緩和したことだ。ソーニャライは魔導の研究をしている女生徒だ。防御で跳ね返った風の魔導が、テストを飛ばす程度の威力にならないと気付いたのだろう。攻撃を受けた本人だから分かることだ。


「皆様、静かになさって。ソーニャライ様がわたくしに礼を言いたいとおっしゃっているのよ。何の礼かは存じませんけれど、言いたいことがあるのならば伺いたいわ」

「フィルリーネ様がそうおっしゃるのならば」

「フィルリーネ様はお優しいこと」


 ソーニャライとの接点がテストの点数バレということしかないので、何の礼なのか周囲は不思議に思っている。彼女がどうフィルリーネに礼を言うのかと思えば、彼女は考えてそれを口にしてきた。


「フィルリーネ様にお会いできたこと、わたくし感謝しております。わたくしは魔導の研究に力を入れ、その結果魔導院への入院を許されました。卒院後、魔導院へ参ります。フィルリーネ様の役に立つよう、精一杯努めさせていただきます」


 周囲がざわめいた。ソーニャライならば良家に嫁ぐと思っていたのだろう。しかも、魔導の研究をしているとはいえ、魔導院に女性は少ない。試験が厳しいのと場合によっては戦闘に出されることもあるので、女性は好んで魔導院に就職しないのだ。

 その厳しい職場に入り、なおかつフィルリーネのためになどと言うのだから、ざわめいて当然だった。


「あら、そうですの? 頑張ってくださいな。魔導院のイムレスは厳しくてよ」

 軽く答えて、フィルリーネは踵を返した。あまり長く話し続けると顔がふにゃけてきそうだった。


 女性が魔導院を目指すのは大変なことだ。魔導院では魔導力の高い魔鉱石を多く使用することがある。魔導は人の体内に流れているので、強力な魔導に近付き続けると、結婚して子供を孕んだ時、胎児に影響し、生まれる子供が魔獣に近付くと言われた。実例はないが、老化を早めることはある。それに、魔獣との戦闘に出されることはあり、危険は多い。

 そのせいか、魔導院の人間は多くが独身だ。研究バカが多いのでそのせいかもしれないが、女性にはあまり進めたくないのも事実だった。


 それでも、彼女は魔導院に進むことを望んだ。


 フィルリーネのため。か。

 学院生活は偽りの塊だったので、親友と言える者はいない。そんな立場の者がいてくれたらと思っていたが、それは叶うことのない願いだった。


 魔導院で友達になれるかしら。

 そう思って心の中で頭を振った。これから先、まだ自分には偽り続ける時間が必要だった。


「フィルリーネ様。ご機嫌よう。お元気で」

「ご機嫌よう」


 何人もの挨拶が終わり、やっと解放されて学院を去る時間になった。

 王女には騎士団の迎えがあり、学院を足で出て行かず、小型艇で出発する。騎士団の者たちは、こんな下らない催しに呼ばれたことを不服と思っているだろう。

 彼らは今後、フィルリーネの専属護衛騎士となる。ルヴィアーレとの婚約発表があり、次期女王としての立場が確定したため、専属が作られたのだ。


 幼い頃より警備をしていた見覚えのある者たちも混じっている。この選定は王が行なったのだろうが、どんな選定により選ばれたのか気になるところだ。政務もそうだったが、王の側近が混じっている。フィルリーネを監視するためなのか、それともルヴィアーレを監視するためなのか。


 ルヴィアーレの部屋がある棟には足を伸ばしていないので、彼にどんな人間が警備についているか、まだ知らない。そこも情報を得る必要がある。王はどの人間をルヴィアーレにつけただろうか。

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