ボクっ娘天才小説家が俺に懐いている理由が分からない

夏風 悠

第一章 雨音の中で変わるもの

第1話 天才小説家は聖域を侵す

 昼食はたった一人で、ただ静かに食べるのが至高だと思う。

 そんな持論を掲げながら、俺――一宮柊いちのみやしゅうは部屋の中央にある白色の長机の上に弁同箱を広げた。


 突然だが、我が井原南いばらみなみ高校はそれなりに生徒数が多く、そしてそれなりに狭い。

 その二点を突き詰めていくと、至極重大な問題に行き着く。

 即ち、一人静かに過ごせる空間が見つからないという問題に。


「……だからこの教室は好きなんだ。穴場って感じでな」


 第二図書準備室。静寂に包まれたそこで、小さく呟いた。

 名前の割に本がまるで無いのは、近隣に新設された高校にこの準備室の本を寄贈したから、らしい。

 結果用途と名前が一致しなくなったこちらの詐欺教室は、俺の所属する文芸部が部室として有難く活用させてもらっている。


「で、そんな部屋にわざわざ昼食を取りに来るやつはいない。よってこの場所は俺のプライベートスペースみたいなものなんだよ」


 追記するのであれば、俺にはわざわざ一緒に弁当をつつきあうような仲の友人がおらず、わざわざこの場所を周りに喧伝したこともない。

 つまりは完全なる聖域。何人なんぴとたりとも足を踏み入れられない絶対の領域なのだ。


 で、あるからして――。


「ほうほう。じゃ、悪いことをしたかなボクは」

「……分かってて言ってるだろ」


 ――教室の入り口に立ち、何故か右手でピースサインをしてぶいぶい言わせている小柄な少女は、言うならば招かれざる客なのだ。

 そいつはくすくすと笑いながら、俺の正面へとやってくる。

 そしてそのまま当然のように弁同箱やら水筒やらを並べて椅子に腰かけた。


「相席いいかい?」


 ……座ってから言うんじゃねえよ。


「なあ。駄目って言ったら散ってくれるのか?」

「まさか! 意地でも梃子でも動かないよ」


 ふふん、と得意げに笑う彼女は悪びれもしなかった。じゃあ聞くな。


 箸を取り出し、随分とまあ彩りの良い昼食に手を出し始めた彼女は、もう俺の聖域から出ていく気はないようだ。

 まあ確かにここは俺の私有地ではない。誰が入って何をしようが常識の範疇を守っているのであれば咎めようもない。

 だが、質問の一つや二つは許されるはずだ。俺は眼前の少女を睨みながら口を開く。


「……俺、今日ここで昼食を食べるなんて誰にも言ってないんだが」

「そうだね。聞いてもいないさ」


 あっけらかんと、少女は――二階堂未央にかいどうみおはそうのたまった。

 なぜかドヤ顔で。若干腹が立つ。


 どうやら彼女は味噌汁を用意していたらしい。かぽっ、と開けた円筒状の容器から湯気が漂う。馴染みのある香りが部屋に充満するが、さてこれは業後の部活動までに無くなってくれるのか。

 念のため、後程換気はしておいた方が良いだろう。


 さて、先程も述べたように俺はこの場所を喧伝してもいないし、別に普段使いしている訳でもない。

 それでも今日俺がここにいる事を確信して誰かがやって来るのなら、それは予知能力者か俺をわざわざ追ってくる変人かのどちらかでしかない。

 そして、残念かつ夢が無い事に二階堂未央という少女は後者だった。


「教室をコソコソと抜け出す一宮クンを見かけてね。これは尾行せねば、と」

「尾行せねばじゃねえよ。一人にしてくれ」

「またまたー。素直じゃないなあキミは」


 けらけらと笑ってはいるが、果たして彼女はそれが世間一般で言う所のストーカーに近しい行為であることに気づいているのか。

 生徒同士のじゃれ合いで済ませられる範疇だからわざわざ指摘もしないが、少なくとも静かに食事をするという望みは断たれたようで。


「まあいいじゃないか、一緒に食べようよ。どうせ誰にも構ってもらえなくて今日も寂しい想いをしているんだろう?」

「馬鹿言えよ。いいんだよ俺は一人で」

「うぉぉ……浸ってやがる。重症だね。ま、そんな可哀そうな所も可愛くて好きだよ」

「……ち」


 さながら挨拶のように『好き』という言葉を言い放つ少女に対し、俺は何も答える事が出来なかった。

 その様子を面白そうに眺めながら、二階堂は自らの弁当に口を付け始める。

 長々と喋って食事が遅れるのも馬鹿らしい。俺も反論という時間の無駄は避け、用意していた弁当箱を開いた。



 二階堂未央。

 彼女の存在を我が井原南高校で知らない奴はいない。

 いたとしたらモグリだ、即刻排除するべきだ、などと言う危険思想を掲げていたのは同じ文芸部員である五十嵐康生いがらしこうせいの談だったか。


 まあ、確かに彼女は有名だ。

 知名度だけで言うなら、きっとこの学校の誰よりも。


 大前提。彼女は美人だ。

 短く切り揃えた短髪に、どこまでも透き通って汚れを知らない瞳。

 日焼け知らずな真っ白い肌は人形のようで、すらっとした体つきと小さな体躯も相まって、あるいは少年のような無垢さも兼ね備えている。

 ボーイッシュ、と形容するのが正しいのか。


 その容姿端麗さによる宣伝効果はすさまじく、まだ喋ったこともない男子から告白された事もある――などと、馬鹿みたいな話を本人から聞かされたこともあった。

 無論彼女への告白が成功した例は一度も無い。そびえる壁は高く厚いようで。


 だが、もちろん容姿単体だけで一番有名などと宣う気は無い。

 そもそも容姿で言うのなら、俺たちの一学年上に能三芽衣のうみめい先輩のような競走馬もいるのだし。


 じゃあ何がそんなに彼女の知名度に火をつけているのかと言えば、それは肩書だ。

 即ち――二階堂未央は今を時めく超有望新人作家である。


 書店に入れば棚まるまる一つ分使って彼女の本が宣伝されていることも珍しくないし、最近では雑誌か何かでインタビューにも答えていたとのこと。

 彼女の書いた青春小説――『ソーラーパネル・シンドローム』は一つの社会現象、とまで言われている。


 まあ俺は読んだことないけど。あんまり興味ないし。


「ふふん。つまりボクは今莫大な資産を持っている。これがどういう事か分かるかな一宮いちのみやクン」

「…………何が言いたい」

「養う。養えるんだよボクは! さあ一宮クンいつでもボクのヒモにいったあ!?」


 アホなことを抜かす天才小説家ならぬ変態小説家の頭を軽くチョップする。「クソどうでもいいから早く食べろ」と命令すると、彼女は渋々と言った感じで弁当へと箸を運んだ。

 本当に、なんなんだよコイツは……。

 

「てか」


 きんぴらごぼうを口に運びつつ、彼女を箸で指して言った。


「テメエ友人付き合いはいいのかよ。それなりに友達もいるだろうに」

「キミと違ってね」


 うるせえよ。こっちは珍しく心配してやってんのに何故混ぜっ返すのか。

 抗議の意味も込めて睨んでやると、彼女は「冗談冗談」と言いながら笑う。


「毎日付き合う程の仲でもないさ。案外一人いなくても仲良しグループは上手く機能するものだよ」


 そんなものか、と俺は適当に相槌を打つ。

 友人関係とやらへの理解に関しては二階堂の方が圧倒的に上だ。その彼女がこう言っているんだから、多分間違いない。

 間違っていたとしてもどうでもいいが。


「ボクとしては一宮クンの人間関係の方が心配だよ。キミ自分の席の前後にいる生徒の名前すら憶えていないだろう」

「あー……田中と佐藤だっけ」

「わぁお、いかにも適当なあてずっぽう。けど運が良いね、田中の方は正解だ」


 正解なのかよ。若干嬉しいなオイ。


 とはいえどうでもよかった。別に友達が百人いたところで嬉しい事なんて無いだろう。

 人間関係を維持するのにも労力が必要で、その上最終的に疎遠になるのなら、これはもう初めから縁なんてない方がマシだ。


「そういう意味ではお前が一番鬱陶しいんだが」

「おやおや手厳しいね。けど仕方ない。惚れた弱みってやつだよ」

「加害者が言うな。それは本来俺が言うべきセリフだろ」

「惚れてるの!?」

「ねえよ‼ あー、くっそ。頭痛ぇ……」


 こうなるとツッコミを入れるのすら億劫だった。

 眼前に座る小説家に常識を説くのは時間の無駄らしい。


「そういえばどうだったかな、尾行。結構上手くいっていたと思うんだけど」

「ああ、完璧だったな。将来の夢は前科一犯か?」

「酷いっ。けど褒められてうれしいよ、ありがと」


 褒めてねえよ。仮にも文字で勝負するなら読み解けよ真意を。

 ちゃかちゃかと箸を鳴らして冷凍食品だらけの弁当をかき込みながら、内心で悪態をつく。


 そんなやり取りの果てにしばしの沈黙。これがいつもの俺たちの関係性だった。

 突如として来襲しアプローチを仕掛けてくる二階堂未央と、それを適当に受け流す俺こと一宮柊。このテンプレートが確立してからもう半年ほどだろうか。


「半年、ね」

「んんぅ?」


 思えば、こうして対面して食事をとっている事すら異常だろう。

 二階堂未央が俺へ好意を向け始めたのはいつからだったか。明確な記憶は無いので、気が付けばというのが正しいと思う。


 はっきり言って薄ら寒いものすら最初は感じた。

 なにせお互いに殆ど面識が無い状態からこれだ。今では慣れたが、最初は性質たちの悪いメンヘラにでも絡まれたのかと思った。

 いや、危害を加えてこないだけでおおよそファーストインプレッションの通りではあったが。


 ともかく急な好意の発露。そして現状のような熱烈なアタック。

 一目惚れ、なんて便利な言葉もあるがあれはおおよそフィクション。人が人を好きになるのには、きっと明確な理由がいる。


 ならコイツは、俺のどこに惹かれたのだろう――?


 そんな俺の心情を知らず、彼女は弁当に入った卵焼きをつんつんしていた。

 そういえば二階堂にかいどうは卵が苦手だったか。

 苦手なものがわざわざ入っているあたり、親にでも作ってもらっているのだろうか、弁当。

 まあ俺もたまに親に投げたりするから、非難するわけじゃないけどさ。


 二階堂はつんつんしていた卵焼きをゆっくりと箸で掴み、そしてそのまま弁当の中に戻す。その動作を五回ほど繰り返して、「うぉぉ……」と不気味なうめき声をあげていた。

 どれだけ嫌いなんだよ卵。理解できねえ。美味いのに。


「……いらねえなら貰うけど」

「ボクを!?」

「お前はいらねえし貰わねえ! 卵焼きの話だ」

「なーんだつまんないの」


 人の善意をこいつは……。

 わざとらしく頬を膨らませたまま、彼女はつんつんし続けて中央が若干へこんだ卵焼きを俺の弁当に投入。

 そしてそのまま返す刀ならぬ返す箸で冷食のミートボールを俺の弁当箱から掻っ攫っていった。


「鮮やかな手口だなオイ」

「なあにこれくらい朝飯前ですぜ。まあ今は昼食中ですがねへへへ」


 なにやら声を低くして、小芝居しながらの一幕だった。

 皮肉のつもりだったのだが。どうやら二階堂は純粋な誉め言葉として捉えたらしい。小説家の癖に文脈も読めないのはどうかと思う。


「楽しいねえ一宮クン。こんな平和な日が続けばいいのに」

「俺の人生の中からお前がいなくなれば、それが一番平和なんだがな」

「これまた手厳しい。けど満更でもないんでしょう?」


 にまにまと笑いながら、二階堂は揶揄うように告げる。


 ――まあ。

 正直、正直なところだ。悪い気はしないという本音もある。


 新進気鋭の小説家であり、容姿端麗なボーイッシュ同級生。

 属性としては強い。認めよう。ストーカー予備軍と言っていいほどに迫ってくるのはマイナス要素だが、それでも色気のない日々よりはマシだ。


 そんな彼女に毎日のように付きまとわれるだなんて、一般的な三大欲求を抱えた男子ならば悪い気はしないはずだろう。

 事実、彼女は学校中の男子からの人気者である。

 頭脳明晰な天才小説家で、容姿も端麗とくれば引く手数多だろう。将来性も抜群であるからして、迫られた回数も両手の指では足りないらしい。


 そんな美少女にアプローチされる日々を過ごすとくれば、俺だって役得と考えたことは少なくない。

 だって男子高校生だし。健康優良日本男児だし。『あなたは十八歳以上ですか?』というポップアップを毎日見ている一般的男子だし。


 だが、しかしだ。

 先程も語ったように、問題はある。


「ふへー、ミートボールうまぁ。白米が進むぅ……」

「…………」


 俺の前で俗っぽい喜びをかみしめている少女、二階堂未央。

 彼女にここまで好意を持たれている原因がまるで分からないという、これ以上ない問題が。

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