3-3 兜を脱ぐ日
「ほら、ケフェッチ。あ〜ん♡」
朝方の酒場でデレーヌはスプーンですくった自分の食事をケフェッチに食べさせようと、満円の笑みで呼びかけた。
「……」
一方でケフェッチはデレーヌの今まで見たことのない姿に慄き、硬直していた。
「ほら、あ~ん♡」
デレーヌは硬直するケフェッチに体を乗り出してもう一度口を開けるよう呼びかけた。
「……あ、あ~ん」
デレーヌの圧に負けたケフェッチは諦めて口を開いた。するとすぐさまデレーヌが食事を乗せたスプーンが差し込んだ。
「……どうだ? うまいか?」
「お、おいしいよ。でもみんなが見てるしちょっと……いや、大分恥ずかしいかな」
味の感想を急かすデレーヌにケフェッチは周囲を見回しながらに答えた。周囲の視線は二人に向けられていたため、ケフェッチはとても恥ずかしかった。
「気にするな。ラブとロマンだって周りの事なんて気にしてないだろう?」
「確かにそうだけどさあ……」
恥ずかしがるケフェッチに、デレーヌはラブとロマンのいるテーブルを指さした。そちらでは相変わらずラブとロマンがイチャイチャとしていた。
「デレーヌさんがケフェッチと堂々とイチャイチャしてるだと……?」
「一体何があったんだ?」
「夢じゃないよな?」
二人の周囲はその変わりように恐る恐る二人の様子を伺っていた。
「夢じゃなかったら今日は槍の雨でも降r……あだっ!」
「レ、レフッ⁉」
そんな中、口を滑らせ過ぎたレフの鼻っ面には、デレーヌ特製の魔力弾がぶつけられた。その結果、周囲には槍の雨でなく、鼻血の雨が降ることになった。
「デレーヌさん、よかったですね。……ズラさん?」
少し離れた厨房近くではその様子を見ていたファンがズラこと、ハーゲンに話を振った。しかし、ハーゲンからの返答はなかった。
「……」
ファンが振り向くと、ハーゲンは一人考え事をしているようで彼女の言葉が耳に入っていなかった。
「ズラさん? どうかしましたか?」
「……あ、ああ。あの二人の話だよな? 良かった。本当に良かったな。ははは」
ファンがもう一度声を掛けると、ハーゲンは慌ててファンに返答した。しかし、その言葉はどこか気の抜けた言葉だった。
「……悪い。ちょっと休憩に行ってきていいか?」
その直後、ハーゲンは酒場の面々に休憩の申し出を行った。
「あっ、はい。どこか体の調子が悪いんですか?」
「えっ、今? まあ、別にいいけど」
「どこか調子でも悪いんですか?」
急な休憩の申し出ではあったが、現状そこまで忙しくはなかったため止める者はいなかった。
「大丈夫だ。すぐに戻る」
周囲の様子を見たゴーツは、裏口から逃げるように役場の外へと出て行った。
「……ふぅ」
ハーゲンは役場の壁に寄りかかると大きなため息をついた。
「お困りのようじゃな?」
そんなハーゲンの隣にゴーツがするりと現れた。
「……話が早くて助かる。あの二人、ゴーツさんが何かやったのか?」
ハーゲンが外に出たのは、デレーヌとケフェッチの関係が進展した理由をゴーツに尋ねるためだった。尋ね人本人から来てくれたのでハーゲンは早速そのことについて尋ねた。
「儂がやったのはデレーヌの背中をちょっと押してやっただけじゃ」
「ちょっと、ねえ」
ゴーツはハーゲンの質問に答えたが、デレーヌの今までの散々な恋愛弱者っぷりを知るハーゲンはその言葉を疑っていた。
「まあ、今は仕事中じゃし詳細は後で話すとしよう。仕事が終わった後でクロースルの倉庫まで来るといい」
「ちょっと待っ……」
ゴーツは事の詳細を答えず、後の集合時間だけ伝えるとハーゲンが制止するよりも早く姿を消してしまった。
「……」
一人残されたハーゲンは少し考えこんだ後、ゆっくりと厨房へと戻っていった。
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「……ということがあったわけじゃ」
「なるほど、勇気の薬ねえ。デレーヌがケフェッチに告白出来たのにはそういうわけがあったのか」
深夜、ゴーツに言われた通りにクロースルの倉庫にやって来たハーゲンは二人の経緯、そして勇気の薬プラセボのことを教わった。
「……それでその薬はまだ残っているのか?」
プラセボのことを知ったハーゲンは、在庫について尋ねた。
「そうでなければわざわざここで話さんよ。なあ、クロースル」
「はい。まだいくらかストックはありますね」
ゴーツの質問に話の横でポーションの調合をしていたクロースルは頷いた。プラセボは材料の都合上いくらでも作れるがあまり量産すると貴重性が薄れ、暗示効果も減ってしまうので生産を絞ることになっていた。
「そうか、なら俺も買わせてもらえるか?」
「ええ、もちろんです。お相手はファンちゃんですよね? ズラさん、いやハーゲンさん」
「……え? クロースルお前、どうしてそのことを……まさかゴーツさんか⁉」
ハーゲンは早速、プラシセボの購入しようとしたがクロースルに使い道に加えて、自分の正体まで言い当てられてしまった。そのためハーゲンは慌ててゴーツへと振り返った。
「いや、儂からは言っておらんよ。大体、お主の頭のことを知っておるのじゃから勘付いていてもおかしくなかろう?」
「……確かにそうだな」
ハーゲンは毛髪復活のためにクロースルや何度か相談を持ち掛けていたため、その過程でクロースルはハーゲンの正体に気がついていた。
「自分の知る限りだとデレーヌさんも気づいていますよ」
「ああ、デレーヌか。あいつには風呂で頭を見らえたこともあるし勘もいいし、そりゃあバレてるよな」
クロースルの言葉にハーゲンは、大浴場でデレーヌに素顔を見られた時のことを思い出した。
「それはともかく頑張ってくださいね」
クロースルは改めてプラセボの入った瓶をハーゲンへと手渡した。
「先程も言ったがあくまでプラセボは補助であって、最後に必要なのはハーゲン、お主の気持ち次第じゃからな」
「ああ、二人とも恩に着るぜ」
プラセボを受け取ったハーゲンはゴーツとクロースルに深々と頭を下げた。
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「残ってもらって悪いな」
「いえ、大丈夫です。それでズラさん、お話とは一体何でしょうか?」
次の日の夜、店じまいした酒場にハーゲンとファンの二人が残っていた。それはハーゲンがファンに話があると残ってもらっていたからだった。
「ああ、それがな……」
ファンの言葉にハーゲンはおもむろに頭にかぶった兜に手をかけた。
「それがな……」
しかし、その手はピタリと動きを止めた。
(……ええい、何やってるんだ俺は! 謝るって決めただろう)
ハーゲンの目的は今までファンに自分の正体を隠していたことへの謝罪だった。しかし、禿げあがり落ちぶれた今の自分を晒すことへの恐怖、そしてその事実を今まで隠してきた後ろめたさがその手を止めてしまった。
「ズラさん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
動きを止めるハーゲンに、ファンは心配そうに声を掛けた。その言葉にハーゲンは乾いた返事しか返せなかった。
(……こんないい子をいつまで俺なんかに縛り付けておくつもりだ。このバカヤロー!)
こんな老いぼれを今でも想ってくれている彼女をこれ以上自分に囚わせるわけにはいかない。そう、意を決したハーゲンは一息に兜を脱ぎ捨てた。
「……ハーゲン様」
露わになったハーゲンの素顔を見て、ファンはポツリと呟いた。
「……ああ、その通りだ。ファンちゃん。今まで黙っていて本当にすまなかった。だから俺みたいな老いぼれの事なんて忘れてくれ」
「嫌です。私はハーゲン様のお嫁さんです!」
ハーゲンはファンに自分のことは忘れて新しい恋を探して欲しいと伝えたが、ファンはそれを即座に首を振って否定した。
「……え?」
そのファンの驚くでも、嫌うでも、怒るわけでもない予想外の反応にハーゲンは目を丸くした。
「ハーゲン様はおっしゃいましたよね? 私が大きくなってもハーゲン様のことが好きなままだったら結婚してくださると」
「……あ、ああ。確かに言ったさ。でも俺は自慢の髪もこんなになっちまったし、俺は今までそれを隠していたんだぜ。失望しただろ?」
ファンの言葉の勢いに押されながらもハーゲンは自身の惨めさについて語った。
「そんなことありません!」
しかし、ファンはハーゲンの話を一歩踏み出して否定した。
「確かに髪のことは驚きましたけど、ハーゲン様がずっと兜を被っていらした理由としてはしっくりきます。だってハーゲン様はご自分の髪をあれほど大事にしていらっしゃいましたから……」
実はファンはズラがハーゲンだということにずっと前から気づいていた。しかし、いつかハーゲンの方からその秘密を打ち明けてくれると信じていた彼女は気づいていない振りをしていた。
「それに今素顔を晒してくださったのは先ほどの言葉からして私のためですよね? 昔も今もハーゲン様は私が傷つかないようにしてくださいました。……例え自慢の髪がなくなってしまってもハーゲン様の優しさは変わりません。だから改めて言わせてください。私は今でもハーゲン様のことが大好き、大大大大大好きです!!」
そのままファンは長年伝えられなかった想いを全て吐き出した。
「……そうか。悪かったな。ファンちゃん」
及び腰だったハーゲンもこうまで言われてしまっては彼女の想いを受け止めざるをえなかった。
「……ハーゲン様、抱きしめてくださいますか?」
「ああ、もちろんだ」
ハグを要求するファンをハーゲンは優しく抱きしめた。こうしてファンとハーゲンの二人は付き合うことになった。
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「すみません。ファンさん、今日は給仕の予定だったのですけどズラさんが体調不良とのことで代わりに厨房を担当してほしいとゴーツさんから頼まれてしまいました」
次の日、仕事の担当が急遽変更になった3号がファンへと謝った。しかし、即座にファンも3号に頭を下げた。
「いえ、こちらこそすみません。ハ……ズラさんのお休みは私のせいなんです」
「昨日、お二人で残られた後で何かあったのでしょうか?」
昨晩、二人が酒場に残っていたことを知っていた3号はその時に何かあったのかをファンへと尋ねた。
「……はい。何というか長年の想いが溢れて止まらなくなってしまったというか……すみません、改めてズラさんからお話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「……は、はい?」
話の途中で急に顔を赤くするファンの要領を得ない説明に3号は首を傾げるしかなかった。
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「……あいたたた。……くそ~、昔だったらあれぐらい余裕だったのに」
「齢は取りたくないものじゃな」
一方その頃、昨晩ファンに押し切られる形でそのまま一夜を共にすることになったハーゲンは久々の実戦で腰を痛めていた。
「100歳越えには言われたくないぞ」
「それはそうじゃな。それはそれとしてこれからはハーゲンとし
て生きるのかの?」
「ハーゲン様、ハーゲン様言っていたあの子が急に別人に惚れるとか不自然だしな」
ハーゲンは周囲のファンへの心証を下げないためにも正体を明かすつもりだった。そんなことをすればファンや周囲に正体を隠してきたことを非難されることは避けられなかったが、ファンが尻軽扱いされたりすることに比べれば何ということもなかった。
「そうか。ではそっちの方はどうするのじゃ?」
ハーゲンの考えに納得したゴーツは続けてベッド横に置かれた兜を指さした。するとハーゲンは壁の方へと向き直った。
「……こっちの方はもう少し待ってほしい」
「お主がそれでよいなら別に良いが先延ばしにすればするほど大変じゃぞ」
「……そうだけどさあ」
ハーゲンは壁に向いたまま大きなため息を漏らした。この翌日、ハーゲンは自分の正体とファンと恋人になったことを周囲に明かした。しかし、兜の下の素顔について周囲に明かしたのは半年以上経ってからだった。
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