第17話『……ごめんなさい』(リヴィアナ視点)

(リヴィアナ視点)




当初想定していたよりも順調に進んでいる現状に、私は深く息を吐いた。


どうやら私は、ちゃんと聖女という物を信仰しているらしい。


背中を流れる汗が止まらないのは、己のやろうとしている事が悪であると自覚しているからだ。


おそらくこの事実が明るみに出れば、私は歴史に名を遺す大罪人となるだろう。


なにせ、聖女というこの世界における絶対不可侵の領域に土足で踏み込もうとしているのだから


「っ」


胸の奥で鼓動が強くなるのは、恐怖か。それとも別の感情か。


その正体は分からないが、知りたいとは思わなかった。


きっと、知ってしまえば動けなくなってしまうから。


「聖女セシル。貴女の事を教えてください」


「……はい」


聖女セシルは虚ろな表情のまま水晶から私へと視線を移して頷いた。


大丈夫。うまくいっている。全て。


聖女セシルは何も疑う事なく、私が仕掛けた闇の魔術の罠にハマって、心を明け渡しているのだ。


何も嘘を吐けない状態にされている。護衛も近くにはいない。


こんなチャンスは二度と無いだろう。だから、進め。進めリヴィアナ。


「聖女セシル。貴女は、いったい何者なんですか? 何を企んでいる?」


「私は……何者か分かりません。企む事もありません」


「なら何を考えてこのヴェルクモント王国に来たんですか?」


「夢を叶える為に」


「夢?」


「はい。夢です。世界中の人が幸せに、安心して生きていける世界になって欲しいと」


「……馬鹿馬鹿しい」


私は舌打ちをしながら、聖女セシルを睨みつけた。


まるで子供が語る夢物語だ。


とんだ頭お花畑女である。


やはり聖女は操られているだけで、背後には誰かが居るのだろうか?


となると、こういうのは大抵聖女に夢を与えた奴が怪しいのだが、その辺りを探ってみるか。


「それで? どうして聖女様はその様な夢を持たれたのですか?」


「朝まで、笑っていたお母さんがもう、息をしていない」


「……は?」


「お父さんも、血が、止まらないのです。胸に空いた大きな穴から、血が止まらない」


「何を」


「みんな笑っていたのに、今は誰も笑っていない。彼らは聖女を探しに来たと言っていました。私が、みんなを殺してしまった。私は生まれてきてはいけない存在だった。この世界を歪めてしまった。戻さなくてはいけない。正さなくてはいけない。あるべき正しい姿へ。私が生きているせいでみんなが不幸になる。でも、この世界のどこかにいる。あの人たちなら、私が歪めてしまった物も正せるかもしれない。この世界に生きる誰もが、幸せな世界に生きる事が、出来る。だから、私は……」


私はもはや言葉を発する事が出来ずにいた。


闇の魔術は相手の心を覗き見る事が出来る。


その心の奥に眠る深淵を映し出す事が出来る。


だが、やはりこんな事をするべきでは無かった。


彼女の……聖女セシルの心に眠る世界には、私などが触れてはいけない絶望に満ちていた。


知っていた。


分かっていた。


数字の上では理解していた。


世界中で多くの人が、毎日死んでいる。


盗賊に殺された、食料が足りず死んでいった。腐敗した貴族によって命も尊厳も奪われた。


そんな物、どこにでも転がっている話だ。


だが、私はその現実を知らない。


血の海に沈む少女の亡骸を必死に癒し、助け起こそうと、つい先ほど聞いた蘇生術をしている聖女の姿があった。


飢えた村人の為に、食料を届け、間に合わなかった少年を抱きしめながら涙を流す聖女の姿があった。


聖国の上層部を変える為に、後ろ指を指されながらも聖国の中枢にまで入り込み、聖国を変えようと戦う聖女の姿があった。


聖女だからと良い暮らしをしているのだろうと蔑む、彼女より良い物を食べている者を癒した。


助ける人間を選んでいるのだと罵る者に、何日も眠らずに癒し続けている彼女は、申し訳なさそうに謝った。


ただ、平和な世界を求めて。


それだけが彼女の望みだから。


私は湧き上がる吐き気に、口を押さえながらテーブルに手を付いた。


それだけの事で、目の前に座っていた聖女は身を乗り出し、私の手に触れて癒しの魔術を使うのだ。


それが当然の事であるかの様に微笑んで。


自らの心を覗き見て、その心を土足で踏み荒らす私の為に。


もう、限界だった。


私は魔術を解除すると、深く椅子に座り込んだ。


「……ごめんなさい」




少しして、聖女は自分を取り戻したようだった。


きょろきょろと、周囲に視線を向けているのは、記憶の欠落があるからだろうな。と私はどこか冷静な頭で考える。


「聖女様。聖女、セシル様」


「っ! は、はい! 申し訳ございません。私、何か、眠っていましたか?」


「そうですね。少しだけ」


私が吐いた嘘で、聖女セシルは慌てたように、何度も私に頭を下げる。


本当に、私という人間は最悪だ。きっとロクな死に方をしないだろう。


でも、私が知ってしまった事は聖女セシルには話せない。話せば思い出してしまうだろうから。


話せない。


「そんなに謝らないで下さい」


「ですが、この様な場で、その様な失礼を! せめて何かお詫びをさせて下さい」


「お詫び、ですか」


私は考えるフリをしながら、小さく息を吐いて笑いかけた。


「では、私の夢に協力して下さいませんか?」


「夢。ですか?」


「はい。ある方に影響されて、私も最近夢を持ったのです」


「それは素敵ですね。その夢をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「はい。その夢は……世界を平和にしたいという夢なんです」


聖女セシルはまるで意味が分からないとでも言うように、目を丸くして私を見つめていた。


そして、自分の胸を触りながら首を傾げている。


その姿が、まるで子供の様であり、何だか笑ってしまいそうになる。


「おかしいでしょうか?」


「い、いえ! その様な事はありませんよ! とっても素敵な夢だと思います!」


「そうですか。聖女様にそう言っていただけると嬉しいですね」


あぁ、まったく。本当に、可哀想な人だ。


この国に来なければ、私なんかに出会わなければ、きっと自分の夢を追う事が出来ていただろうに。


もう貴女の夢は叶わない。


だって、私が貴女から世界を奪うから。


どれだけ多くの人が苦しもうと、命を落とそうと貴女の目には入れさせない。耳には届かせない。


ただ私が作った偽りの楽園で、生涯平和な時を過ごしてもらう。何も知らぬまま。


「では聖女様。私に協力していただけますか?」


「勿論です! ふふっ」


「どうかしましたか?」


「あ、いえ。実はですね。私も同じ様な夢を持ってまして、嬉しいなと」


「まぁ! 聖女様も同じ夢を持っていたのですね。嬉しいです!」


「えへへ。そうですね」


テヘリと笑う聖女に私は微笑みを返しながら、信用を得る為の言葉を次から次へと並べてゆく。


まずは聖国から、この聖女を奪う所から始めよう。


厄介な人間は何人かいるが、大した問題じゃない。


何せこちらには聖女セシルと同じ、本物の聖女エリカが居るのだから。


同じような考えで生きている二人は、同じ夢を叶える為にすぐ協力してくれるだろう。


後は聖国で反乱を起こし、徹底的に内部を引っ掻き回してから、特殊任務の部隊を送り込む。


それからいいタイミングでヴェルクモント王国騎士団に反乱を制圧して貰い、仮の統治者として私が立つ。


聖女エリカと聖女セシルを新たな聖国の聖女としてしまえば、ジュリアーナや、ローズも手を出せなくなるだろうし、私自身も生き残る事が出来るという訳だ。


「じゃあ、頑張りましょうね! リヴィアナ姫様!」


「はい。よろしくお願いします」


そして私は聖女セシルに微笑みながら、平和な未来への構想を練るのだった。

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