第3話『何を犠牲にしてでも、例え私がどれだけ恨まれても、この姿だけは護りたかった』(ニネット視点)
(ニネット視点)
今でも見る悪夢がある。
『ニナちゃん……大丈夫ですか? 怪我は、無いですか?』
深く斬りつけられた肩から血を流し、辛そうな顔で笑っている少女が居た。
そして、私の視界の向こうでは、ナイフを振り上げた男が居て、それに気づいたセシルが私を強く抱きしめる。
次の瞬間、私の視界は赤に染まった。
「っ!!? はぁっ、はぁっ、はぁ……夢か」
荒い呼吸を繰り返しながら、頭に思い浮かべるのは、後悔という名の過去の夢だった。
私がまだ無力だった頃。
セシルに護られてばかりであった幼い頃の夢だ。
ベッドから立ち上がり、洗面所で顔を洗ってから鏡を見ると、酷い顔をした女が映っていた。
まるで戦場から今帰ってきたばかりの様な顔だ。
「……似たようなものか」
右手を強く握りしめて、弱い心を踏みつぶす。
私はあれから強くなった。
もう二度とセシルを傷つけさせやしない。
そう、決めたのだから。
久しぶりに嫌な夢を見た事で、気分は最悪だったが、それでもなるべく早く準備をして部屋を出た。
急がなければ心配性の聖女が祈りを始めてしまうからだ。
何度言っても変わらない。
自分よりも他者を優先するセシルは、どれだけ世界の危険を説いても、大丈夫だと笑いかける。
幼い頃、私たちの住んでいた村が燃やされ、粗暴な者たちに全てを奪われた時の様に。
自分が傷ついていても、辛くても、弱い誰かの為にその身を盾として、平和を祈るのだ。
そう。セシルは今でも変わらず弱い私を護っている。
『聖女という人が居れば、皆が安心して生きていけるんでしょう? なら、私がその聖女になりますよ』
その気高き美しい心で、世界の人々を護っている。
微かな、本当にささやかな夢すら犠牲にして、それでも、世界の為に祈っているのだ。
『ごめんなさい。ニナ。一緒にお料理屋さんをするという夢は無しになってしまいましたね。どうか貴女は自由に生きて下さい』
だから私はあの時から変わらず、十年間ひたすら力を求めていた。
せめて優しいセシルを護れるようにと。あの子が私を護ってくれるように。私もあの子を護りたいと。
男ばかりの騎士団に入り、ただひたすらセシルの横を目指して走り続け、今日まで戦ってきた。
しかし、まだ私が望む力は得られていない。
それがただ、私には悔しくてたまらないのだった。
私の部屋を出てからそれなりに歩き、教会の最深部にたどり着いた私は、セシルが居るであろう部屋をノックした。
しかし、返事はない。
やはりかという諦めに似た溜息を吐きながら、私は聖剣の間へと向かってやや早足で歩き始めた。
既に祈りを始めているのであれば、急がなくてはいけないと。
だが、そんな私の祈りを無視するかの様に、教会の中心にある祈りの間で司教たちに見つかってしまい、話しかけられてしまった。
「おや。そこに居るのは騎士ニネットではないか」
「ふむ。聖女様の護衛騎士ニネットか。しかしそれにしては妙だな? 護るべき聖女様が居ないでは無いか」
「お一人で何をされているのかな? 君は。聖女様を置いて散歩かね?」
嫌味ったらしい奴らだ。
私の事が気に入らないのだろう。
イチイチ絡んできては、面倒くさい嫌味をぶつけてくる。
しかし、彼らは私よりも立場が上だし。聖女様という枠外の存在を除けば教会の権力者たちだ。
素直に頭を下げる以外の選択肢などない。
「申し訳ございません。私の行動が遅いあまりに、聖女様はお一人でお祈りへ」
「なんて事だ! 例えお一人でも祈りを欠かさないとは、流石は聖女様……だが、護衛の騎士がこれではな」
「やはり女などに騎士など務まるものではないという事ですよ。しかも卑しき身分の者などに」
「コラコラ。止めないか。卑しき身分などと言ってはダメだろう。彼女たちの様な薄汚い下民を導く為に我らは居るのだからな。まぁ、中には分不相応にも騎士などを目指す娼婦も居るらしいが。そういう者もしっかりと導かねば駄目だよ。キミ」
「は。流石は大司教。慧眼ですな」
「所詮騎士の真似事をしていても、卑しき身の上ですからなぁ。母親も娼婦であったというし。娘も同じなのでしょう。汚れた身で聖女様のお傍に近づこうとは、恥ずかしくないのですかね」
私は頭を下げたまま、いつもと同じ戯言を聞き流してゆく。
所詮は何も知らない者たちの戯言だ。受け止めてやる必要性すらない。
しかし、いつまでもここで拘束されていてはセシルが心配だ。
私は後に面倒な事になるだろうが、さっさとこの場を離れる事にした。
「大変申し訳ございません。私の至らぬ部分について、ご指導ありがとうございます。しかし、私も汚名返上の為、急ぎ聖女様の所へ向かわねばなりません。失礼します」
司教たちの言葉が切れる瞬間を狙って、言いたい事を言い、この場を離脱するべく背を向けた。
いつもならば、嫌味の一つでも背中に投げつつ、また別の機会にネチネチとやられるが、今日は少し違うようだった。
「聖女様の護衛騎士ニネット。待て。まだ話がある」
去ろうとする私の背中に、強い言葉が刺さった。
向こうの方が立場は上。逆らえる状況では無い。
私は大人しく振り向く事にした。
そして、大司教の話を聞く。
「お前は聖女様の予言について知っているか?」
「……はい。エリカという少女がもう一人の聖女としての役割に目覚め、セシル様と共に、世界の闇を消し去るという予言ですね」
確か、子供の頃からセシルが言っている事だった。
そして、セシルが聖女と呼ばれる様になってから、聖王にも伝えた事であった。
「騎士ニネット。聖女様のお言葉は正しく伝えるべきだな。エリカという名の少女ではない。聖女エリカ様だ。そこを間違える事は許されない。それはセシル様に対しても、エリカ様に対しても失礼に当たる。お前の様な下民が間違えてよい事ではない。心得よ」
「申し訳ございません!」
「私に謝罪する事に何ら意味はない。お前がすべき事は聖女様への無礼を、聖女様の身を御守りすることで返す事だ。忘れるな。例えその身が塵になろうとも、聖女様に傷一つ付けるな」
「ハッ」
「うむ。では話の続きであるが、聖女エリカ様が見つかった」
「っ!? まさか、本当に」
「あぁ。聖女様の予言の時が来てしまったという事だな。エリカ様という方が、ヴェルクモント王国で広がっていた死病を癒し、聖女と呼ばれているらしい。それと未確認の情報にはなるが、ヴェルクモント王国北部のヘイムブルにて、現れたドラゴンを再封印したとの事だ」
「……では、このまま何もしなければ」
「聖女様の予言通りに世界が進むということだ」
このまま何もしなければセシルが予言した通りに、世界が滅んでしまう。
しかし、そうならない為の方法はセシルが教えてくれていた。
「では、聖女エリカ様をセシル様に引き合わせねば」
「あぁ。無論だ。その為の使者をヴェルクモント王国へは送った。しかしな。使者は皆殺されてしまったのだ」
「なっ! 何故」
「理由など分からん。ただヴェルクモント王国は聖女エリカ様を独占したいという事なのだろう。目先の利益に囚われた者というのは愚かだな」
「……はい」
「そこでだ。聖女様の騎士ニネットよ。聖女様と共にヴェルクモント王国王立学院へ向かえ」
「まさか!? 聖女様をその様な国へ!?」
「これは聖女様の望みでもある。それにな。『本物の』護衛騎士も聖女様の周りに忍ばせる予定だ。危険などない」
「……っ」
「聖女様の護衛などお前には期待していない。お前には別の役割がある」
「別に、役割ですか?」
「そうだ。聖女エリカ様をどの様な手段でも構わん。保護し、聖国までお連れしろ」
私は思わず下げていた頭を上げて苛立ちを隠さずに、眉間に皺を寄せている大司教を見据えた。
いつもの下卑た表情などは一切なく、真実聖職者としての姿がそこにはあり、私は再び頭を下げて、その命令を受け入れる。
しかし、大司教が聖職者としての姿であったのはそこまでだった。
聖女様の話が終わると、おぞましい話をニタニタと汚い笑みを含めた声で語り掛けてきたのだ。
「そして、聖女エリカ様を隠し、己が利益の為に公爵家へ売り払った大罪人イービルサイドの娘、アリス・シア・イービルサイドも共に連れて来るのだ」
「な、何故! その方はイービルサイド領のご息女様でしょう!? 私も以前に名前を聞いたことがありますが、領民に慕われる天使の様な方だと」
「だとしてもだ。聖女様への悪行。許しがたい」
「しかし、アリス・シア・イービルサイド伯爵令嬢は、聖女セシル様がお友達になりたいと以前おっしゃっていて」
「それは我らも把握している。だが、だからこそだ。聖女様がご友人にと考えているのであれば、聖女様に絶対服従でなければならない。聖女様の望みだけが己の幸福であり、聖女様の望みを叶えられぬ事が最も不幸であるとその身に刻み込まねばならぬ。聖女様を傷つける行為がどれほど罪深いのか理解しなければならない。尊い方に護られ、無様に生き続ける我らを、それでも護って下さる聖女様方のお気持ちに、我らが応えられるものなど多くは無いのだ。理解しろ。騎士ニネット。聖女様にはその生涯において、一つの苦痛もあってはならぬ。我らのこの命は、全て、歴代の聖女様方が残してくださった希望の上に成り立っていると、心に刻め」
狂気にも等しい、言葉を受けて私はただ頷く事しか出来なかった。
そしてそんな私を見て、彼らは狂った聖職者の顔から、いつもの下品で愚かで、おぞましい豚への姿にまた変わった。
「承知、いたしました」
「うむ」
そして大司教たちは私から離れ、立ち去っていった。
離れていく大司教と司教たちの背中から目を逸らすように、私は深く頭を下げ右手を強く握りしめた。
狂気に飲まれまいと自分を強く保つ必要があった。
しかし、その様な事をしなくても、遠くから聞こえてくる大司教たちの声に、私はすぐに正気を取り戻した。
怒りと共に。
「流石大司教。素晴らしい采配ですな。ヴェルクモントの至宝まで手に入れるおつもりだったとは」
「当然だよ。アリス・シア・イービルサイドには前々から目を付けていたんだ。何度か留学をと打診したが、父親が頷かなくてな」
「なんという愚か者でしょうか。多くの聖人方や聖女様方のお陰で我らは光の世界に生きているというのに。その威光を現代まで護り続ける我らの偉大さを分からぬとは」
「そういえば、かの少女は不敬にも聖女エリカ様を姉と呼び、馴れ馴れしく接しているとか。許しがたい。これからは立ち位置もしっかりと教えなくてはいけませんな」
「しかし、連れてきたとしても素直に従いますかな? アリスという少女は気も強いという話ですが」
「何。そんなモノは霊薬を使えば良い。すぐ素直になるだろう」
「そうなれば大司教。私めにもどうかお恵みを」
「貴様、抜け駆けをするつもりか!」
「よいよい。争うな。我らは等しく幸せを分け与えねばならん。共に分け合おうじゃないか」
「流石は大司教」
吐き気がする。
いつまでもノロノロと歩き続ける連中の腐った言葉を聞き続けるのは、何よりも苦痛な時間だ。
しかし、立ち去った事を確認し、私はすぐに聖剣の間へと向かう、が途中に時間を掛け過ぎた為、既にセシルの姿はない。
そうなれば次に行く場所は、と私は中庭へ向けて早足で駆けた。
あぁ、なんて。
なんて美しく、悲しい光景だろう。
光が天より差し込む中庭で、黄金に輝く光の中、一人の少女が花を愛でながら蝶や鳥に囲まれて笑っていた。
幼い頃からずっと、ずっと私が目に焼き付けてきた光景だ。
何を犠牲にしてでも、例え私がどれだけ恨まれても、この姿だけは護りたかった。
だから、私は今、ここに居る。
そして深呼吸をして、周りに誰も居ない事を確認してから、セシルの親友であるニナの仮面を被る。
「セシル! こんな所に居たのね!」
「あら。ニナ。何かありましたか?」
私の言葉に、へにゃりと笑いながらぼやけた返事をするセシルに、私は昔の様に笑いかけた。
もうこんな風に笑い合う関係には戻れないけど。
それでもセシルがそれを望んでいるから、私はそういう風に接する。
多くを犠牲にしてきた私には、もうセシルしか残っていないから。
そして必死に、祈るようにセシルを責め立てた。
「もう!! 焦る気持ちは分りますけどね! そうやって勝手な行動を取られると困るんですよ!」
「ひぃ。ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
本当は、こんな事言いたくないけれど、でもここは本当に危険な場所だから。
だから、セシルだけは何があっても護りたいから。
「……お願いだから……いう事を聞いてよ」
祈るように、今日も心の中でセシルに言うのだ。
どうか。明日も貴女には笑っていて欲しいと。
そう何度も、何度も……叫ぶのだ。
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