刻々のティアドロップ~三人の異世界転生者と時渡りの予言の姫巫女~
日華てまり
序章
第1話 魔法の国へようこそ
――――ぽちゃん。
少女の涙が頬をつたい、澄み切った湖へと零れ落ちる。
少女の真っ白な長い髪が揺れる。人の気配のしない洞窟で、はらはらと溢れる涙の音が響き渡った。
(――ねぇ、泣かないで……)
◇ ◇ ◇
はっ、と目を覚ますと、涙が頬をつたっていた。
とても永い間、夢を見ていたような気がする。
どんな夢を見ていたのだろうか。悲しかった気持ちは確かにあって、心にずしりと重りを残しているのに、思い出すことが出来ないのが凄くもどかしく感じた。
「まぁ、夢の内容なんて、いちいち覚えてらんないよね」
夢の内容を思い出すことをすぐに諦めると、服の袖で涙を拭った。そして、明らかな違和感に少女は首を傾げた。
(――なんか、この裾おかしくない? こんなパジャマ持ってないし。これじゃ、まるでドレスみたいな……)
慌てて布団を捲ると、まるでドレスのようなフリフリの白いワンピースを来ていた。周囲を観察すると、キングサイズはあるだろう高級ホテルのようなふわふわなベットにはお姫様のような天蓋が付いており、部屋の中も英国貴族が住んでいるかのような豪華な造りに豪華な家具ばかりだった。
「なにこれ!? 誘拐!? ってか、誰がこの服を着せたの! 下着まで見たことないやつを着てるんだけど!」
叫び声が聞こえたのか、部屋の外が騒がしくなる。
―――コンコン。
「失礼致します。入っても宜しいでしょうか」
扉をノックする音が聞こえると、優しそうな老人がそう尋ねてきた。
(えっ、なに、おじいさん……? この人が私を攫ったの……? 優しそうな声だけど誘拐犯……だよね? 入れちゃって大丈夫かな……)
恐る恐る、大丈夫ですと答えると、燕尾服に身を包み、やけに姿勢の良いお爺さんが入ってきて、深深とお辞儀をした。
「お嬢様、お目覚めになられる日をお待ちしておりました」
灰色の髪はぴっしりと整えられており、年齢による老いを感じさせない。薄らと黄色がかった明るい瞳が黒縁の眼鏡の奥で優しく揺らぐ。
この身なり、この振る舞い。
これではまるで、執事じゃないか。
「執事のセバスチャンと申します。どのような事でもお言いつけ下さい、紫苑様」
心の声が漏れていたのか、その執事はセバスチャンと名乗ると、良ければ身支度のお手伝いをさせて頂いても宜しいでしょうか、とこちらの様子を伺っているようだった。
それでも、生憎こちらはただの女子高生なのだ。執事にお世話をされたことなんてないし、身支度に手伝いなんて必要としていない。それに、自分よりも歳上の初対面の人から、こんなに丁寧に接してもらう機会なんてないのだから、思わず挙動不審になってしまって居た堪れない気持ちになる。
「あの……それじゃあ、ここがどこか教えて貰えませんか? それに、どうして私の名前を知っているのかも……」
「失礼致しました。お目覚めになったばかりだというのに説明も申し上げず、不安になった事でしょう。お嬢様がどこまでご存知か私には分かりませんので……長話になってしまいますが、紅茶でも飲みながら聞いて頂けますか?」
(私が不安になってる事、気づいてくれたのかな……)
セバスチャンの優しい笑顔にほっとして頷くと、洗練された動きで紅茶を入れて、どこから出したのかストールを差し出すと、物語を聞かせるようにゆっくりとセバスチャンは話し始めた。
「この御屋敷には、約九百年前より語り継がれている予言があるのです。その予言というのが、この国を混沌へと導く者が現れる時、紫苑という名の黒い髪に紫の瞳の少女が現れて世界を救う鍵となるだろう、というものなのです。そして、予言の少女と同じ姿をした貴方が現れました」
ベットの横に立て掛けられている鏡を見ると、そこには長くてサラサラの黒い髪に、紫の瞳の自分が映っている。
(紫の瞳――……こんな色、私のいた世界じゃ有り得ない)
『異世界転生』
ふと、友人が好きだと言って貸してくれた小説のことを思い出す。
この国を混沌へと導くだとか、世界を救うだとか、話のスケールも世界観も現実とは全然違う。カラコン以外で見たことの無い目の色も、見慣れない自分の姿も、執事のいる豪華な部屋も。仮に異世界へ転生したというのなら、話の辻褄は合ってしまう。
(――なにそれ! 百歩譲ってこれが異世界転生だって言うなら、もっと見た目を変えてくれてもよくない!? 目の色だけファンタジーで、髪色も容姿もそのままなんて予算ケチりすぎ! 名前の一つや二つ、本名と違ってたっていいのに! 私だってシェリーとか、ベルガモットとか、お洒落な名前になりなかった!)
それはお酒の名前だろう。場違いな不満を脳内で並べていると、それを重大な立場へ不安だと受け取ったのか、一人ではないので大丈夫ですよ、と言うとセバスチャンは予言の続きを話してくれた。
「世界を救う鍵となるのは、三人いるのだそうです。一人目は紫苑様。二人目はフジ、という名の茶色の髪に赤い瞳の男性、三人目はイオン、という名の金髪に碧の瞳の男性だそうですよ。ただ、所在がわかっているのは紫苑様だけですので……」
「予言って、そんなに名前と容姿まではっきりとわかってるんですね……。それなら案外簡単に見つかるかも」
「簡単、ではないかもしれません……。この広大な五つの国で、たった二人を探すのですから」
(それもそうか……。名前も顔もわかってても、スマホを持ってない初対面の迷子探しなんてしたら、見つかるかどうかわからないもんね)
「それじゃあ、私がやるのは、迷子のフジくんとイオンくん探しってこと? ……ですか?」
セバスチャンの雰囲気のおかげか、沢山話すことでいつもの馴れ馴れしさが出てきたのか、付け焼き刃の敬語が崩れてしまった。慌てて敬語を付け足したが、構いませんよと言ってくれたセバスチャンの言葉に甘えて、普段の調子で問いかける。
「概ねは、そのお二人を探して頂くことになると思います。ただ……申し上げにくいのですが、お二人を見つけた後は、この予言を残した予言の姫巫女様を探す事になりますので……」
セバスチャンが申し訳なさそうに言葉を濁した。
それもその筈だ。ようは、だだっ広い五つの国とやらから、会ったこともないたった二人の仲間を探し出す。それが終えたと思ったら、今度はお姫様を探さなくちゃならないなんて最高難易度のかくれんぼをするのが紫苑の役割だと言っているのだから。
「まずは、この世界の事を知って頂くのが最優先となるでしょう」
元の世界へ帰る方法も、帰れるかもわからない。
何一つ知らない世界に身一つで転がり込んでしまい、世界を救う大役まで任されてしまったのだから、やれる事をやるしかないだろう。
(――よしっ! 私ならできる! なんとかすれば、なんとかなる!)
「予言とか、世界を救うとか、全然わかんないけど。前向きなのだけが取り柄だから! この世界のこと、教えて。セバスチャン!」
何も知らない世界へ来てしまったというのに。あっさりと自分の立場を受け入れて、満面の笑みで握手を求めて手を差し出してくる少女に、呆気にとられたのも一瞬の出来事。
これから仕える事になる主人がこの方で良かった、とセバスチャンはこの瞬間に、全てを託す想いで最後まで紫苑に付き添う覚悟を決めた。
「私が全力でサポート致しますので、宜しくお願い致します。紫苑お嬢様」
遠慮がちに握手を交わして、シャッと軽快な音を立ててカーテンを開けると、セバスチャンはうやうやしくお辞儀をした。
「ようこそいらっしゃいました。水中都市エストラルへ!」
窓の外には、水面から差し込む光がキラキラと揺れ動き、鮮やかな魚や珊瑚が真っ白な街並みを彩り、その光景は言葉に出来ないほどに、美しかった――。
――――ここは、魔法の世界だ。
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