竜へと手を伸ばして
スギモトトオル
本文
雲の中をひとつかき分けて抜けたとき、地平線から眩いばかりの陽光が輸送機を照らした。行く手に広がる陸地の稜線を超えて、太陽が僅かに顔を覗かせていた。
『夜明けだ……』
誰かが無線で呟く。
キィロは真っ暗なコックピット内でその光景を見ていた。
「夜明け、か」
先ほどオープン無線で呟いたのは輸送機のクルーだろう。確かに、遥か
『よう、調子はどうだ』
突然、通信が入る。隣に
『キィロ、お前は初出撃だったろ。ビビってないかよ』
「予習はさんざんしたからね。何なら、この間の出撃の、緊張にブルってたあんたの声を真似してみせたっていい」
『カカカカッ、そうこなくちゃな。お前に緊張は似合わねえ』
小気味よく笑う相手の声に、キィロも思わず口許を緩める。
「私だって、緊張はする。今だって、落ち着かないのは本当さ」
『へえ、そうかい。まあ、お互いヘマせずにやろうや。とりあえず生き残れば
それだけを言い残して、通信は切れた。
(何の用だったんだろう……)
僚機のパイロットは同期のカネサだ。彼のアイヴィ・フレームは既に二回の出撃経験がある。彼なりに、初出撃のキィロを気遣ったのかもしれない。
(単に暇つぶしがしたかっただけかもしれないけど)
キィロは新たな包を開いて、ブロック食を再び齧り始める。
彼女らが目指すのは、かつて母国だった小さな島。いま、その島には人は住んでおらず、大小二十匹ほどのドラゴンがその代わりに支配者として君臨している。
十四年前、キィロが生まれたその年、広い地球の中で狙いすましたように、その島に突如として現れたドラゴンたち。眩い鱗に身を包むドラゴンたちは、深い緑色の輝きと共にどこからともなく出現したという。そして、彼らは美しいばかりでなく驚異的に強かった。
あらゆる近代兵器が効果を成さず、爆弾も
人類に諦められた島。しかし、そこから追いやられた国民たちだけは、屈辱を忘れていなかった。
『もうすぐ作戦領域に入る。アイヴィ・フレームの
その通信を聞いたとき、キィロは深く目を閉じ、闇の中で丸まっていた。
母のことを思い出していた。十四年前の混乱の中でキィロを産み、その年のうちに騒乱の中で失踪した母親。
うっすら
下を向けば、胸元には母の形見のペンダント。深い赤に透き通る宝石。祖国では、キィロの誕生石だという。
「誕生日おめでとう、お母さん」
自分と二日違いの誕生日だったという母に向けてそう呟くと、ゆっくりとキィロは手を伸ばし、ディスプレイ横に挿しっぱなしのキースイッチを
画面に『Project ”I.V.Y.”』のロゴマークが浮かんだ。プロジェクト・アイヴィ。それこそが、現状唯一存在する対ドラゴン作戦の名前だ。
次々とサブディスプレイに電源が入り、途端にコックピットブロック全体が明るくなる。輸送機の貨物室内が映し出され、隣には僚機のオレンジ色の機体が駐機されている。
キイロはいくつかの画面に目を走らせて、目ぼしいパラメータをチェックする。何度も訓練した手順。
『こちらオレンジ・ライト。シークエンス”B7-R”まで進行完了』
タッチの差でカネサの方が早かった。小さく舌打ちをしながら最後のチェック項目を終え、「こちらグリーン・レフト。同じく”B7-R”まで完了した」と無線を入れる。
『作戦領域に到達。アイヴィ・フレームを投下する。作戦の成功と君たちの無事を祈る』
『了解。ここまで連れて来てくれて感謝します。それじゃ、俺が先に出るからな、キィロ』
カネサの声。
『アイヴィ・フレーム。オレンジ・ライト、出ます!』
ずん、と振動があり、ややあって隣の機体が後方に開いたハッチから滑り出した。重い機体が抜けた分、輸送機が跳ね上がるように大きく揺れる。
「続いて、グリーン・レフト。出撃します」
コックピットからの操作でロックを外し、レールに固定されていた機体が、後ろに滑り出す。空の明るさに外部モニターが塗り替えられるのを感じながら、キィロの機体は機外に放り出された。
それまでのエンジンの周期的な振動から、でたらめな空気の
空中制動。なんとか訓練通りに手足を操り、機体の制御を回復させる。はるか下にカネサのオレンジ色の機体が豆粒ほどの大きさで見えた。
キィロは右側を見やる。そこに映った自機の緑色の腕部は、虹色に輝く槍を握っている。ドラゴンに唯一傷を負わせることの出来る『
カネサのオレンジ・ライトが
着地。しゃがみこむ様な姿勢で地面に降り立ち、衝撃吸収剤が辺りに白い湯気を噴出させる。
レーダーを見る。カネサも近くに降りていた。無線で連携を取り、合流して目的地へと機体を向かわせる。衛星で確認されていたドラゴンの居場所は、数十キロ離れた山の中だった。カネサは人が変わったように押し黙っている。二人は黙々とアイヴィ・フレームを山中へと歩かせた。
最初に発見したのは、先を行くカネサだった。
『いた』
短くそれだけを言うと、ハンドサインで停止の指示を出し、慎重に再び歩き出す。
オレンジ色の機体の向こうにキィロが見たそのドラゴンは、鈍い
『くそっ、トカゲ野郎め』
カネサの憎々しげな声。
『俺の父ちゃんも爺ちゃんも、あいつらにやられたんだ』
彼の家が軍人の家系だという話をキィロは思い出した。「駄目だ。感情的にならないで」ドラゴンの姿から目を離さないまま、無線に語り掛ける。
『分かってる』
カネサの短い返事。
『回り込むぞ。お前はここにいろ』
「分かった」
キィロは自機を岩場に潜ませる。
オレンジ・ライトがドラゴンの死角を回りながら、徐々に距離を詰めていく。アイヴィ・フレームの機体がかき分けた樹々が揺れ、鳥が羽ばたく。悠然と森を行くドラゴン。
カネサの機体が作戦通りのいい位置に移動出来た。無線越しに震える深呼吸。
『いくぞ』
低く呟く声。
「いつでも」
平静を装うつもりが、キィロには自分の声が上ずって聞こえた。
『おらぁ! くらえよトカゲ野郎! こっちを向けぇ!!』
カネサが構えたランチャーからロケット弾が発射。風切り音を残してドラゴンに殺到する。
命中。激しい爆発で森が揺れる。黒煙の中から、まるで無傷のドラゴンの首が現れる。
ドラゴンはカネサのオレンジ・ライトに気付いていた。
『野郎っ! こいよ力比べだ!!』
カネサがランチャーを棄て、腰にマウントしていた
『いまだ! キィロ!』
その声を聞く前に、キィロの体は動いていた。カネサが食い止めたドラゴンの、さらけ出された胸元に、この右手の槍を。
駆け出す緑色のアイヴィ・フレーム。逝竜槍を構え、振りかぶり、その鬱金色の鱗に。
「くらえぇ!」
突き出したその槍は、しかし、ドラゴンの胸には届かなかった。
森の木々に隠れていたドラゴンの長く太い尻尾が、不意にキィロの眼前で振り上げられた。
「うわぁっ!?」
狙いすまされたそのひと振りで、逝竜槍は弾かれ、グリーン・レフトの手から吹っ飛ぶ。
後ろにたたらを踏むキィロの機体。『キィロ!』叫んだカネサの刺又もドラゴンに弾かれる。鞭のようにしなる尻尾が、カネサのオレンジ色の機体を打って吹き飛ばしていた。
「くそっ、槍を……!」
なんとか持ち直して立ち上がったキィロ。逝竜槍の跳んでいった方向に気を取られたその眼前に、猛然と突進するドラゴンが迫っていた。
衝撃。機体がバラバラになってしまったかのような振動に、キィロは打ちのめされた。何度も激しく爆発のような衝撃に襲われ、どちらが上なのか、どの向きに自機が飛ばされているのかも判然としない。キィロはただ呻き声を上げながら、その振動に耐えた。
振動と衝撃が落ち着いた後も、しばらくキィロは動けないでいた。体中が痛み、意識が撹拌されている。
『キィロ! 危ない!』
「っ!!」
その声が無ければ、咄嗟に腕を上げて身を守ることも出来なかっただろう。振りぬかれた尻尾に打ち据えられて、キィロの機体は背中から岩場に打ち付けられ、そのまま岩盤を崩してその中に潜り込んだ。
「……ここは……?」
くらくらする中、何とか状況を確認するキィロ。どうやら、山肌の裏に空洞があったらしく、そこにめり込むようにしてキィロのアイヴィ・フレームは
腕で守ったものの、コックピットの前面は大きく割れており、そこから洞窟の中が直接見えた。ディスプレイはどれも沈黙していて、もはや機体は動かない。
そこは天然の鉱床だった。広い洞窟の表面は深い赤に輝いている。それは、キィロの胸元に輝くペンダントと同じ色だった。
低く響く咆哮。さらに入り口を広げる様に岩肌を砕いて、ドラゴンが巨体を覗かせる。太陽を背にした、まるで黄金のように輝くその威容。
途端、洞窟の中の輝きが変化した。ドラゴンが開けた大穴から差した光が当たる場所から緑色に表面が変わり、それが洞窟中に広がっていく。
キィロのペンダントも深い緑色に変わっていた。
「アレキサンドライト……」
そして、その鉱床全体が緑色の輝きに満ちるとともに、ドラゴンの身を包んでいた燐光もまた、同じ輝きを放ち始める。
『どうした! おい無事か、キィロ!』
カネサの怒声。無線はしぶとく生きているようだ。
「私は大丈夫。ごめん、カネサ。私、行くよ」
『何だって!? おい、脱出できるか!?』
キィロの耳に、もはやその声は届いていない。コックピットの割れ目から見えるドラゴンの、その輝きの向こうにその人の存在を感じ取っていた。
(そう、その宝石は、二つの世界を結ぶ鍵。光を浴びてその色を変える時、世界を繋げる道となるわ)
「お母さん……」
キィロは輝きへ手を伸ばし、そして、優しい手に触れた。
その輝きを目撃したカネサがボロボロの機体と共に洞窟に入ったとき、既にアレキサンドライトの鉱床は忽然と消えており、そこにいたはずのドラゴンもまた姿を消していた。
崩れるようにして沈黙する僚機の緑色をしたアイヴィ・フレーム。その裂けたコックピットの向こうには誰もおらず、シートの上に、同期だった少女が肌身離さず身に着けていたペンダントが、中心の宝石の輝きを失って、そこにあった。
〈了〉
竜へと手を伸ばして スギモトトオル @tall_sgmt
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