第105話 追い出される
階段を昇っていき、運良く誰ともすれ違わずにクリスのアトリエに来ると、席について、作業を始めた。
「ドロテーが来ないな……」
すでに作業を始めて1時間は経っているのだが、ドロテーが顔を見せていない。
「多分、クリスさんが戻ってくるという情報がドロテーの耳にも入って、空港で待っているんだと思います」
「感動の抱擁かね?」
「クリスさんは意味がわからないでしょうけどね」
そうだろうな。
ドロテーがあんなに寂しがってたのはほぼ俺達のせいだし。
「しかし、作業スペースをどうしようかね?」
「ここを奪う、どっかの共同アトリエの隅っこに行く、どっかの会議室に行く、ですかねー?」
そんなところか……
しかし、ここを奪うのはクリスはともかく、ドロテーがうるさそうだ。
ドロテー用のとまり木があるところを見るにこのアトリエはドロテーも使っているのだろう。
「空きのアトリエはないんだろうか…………電話だな」
目の前の電話が鳴っている。
「内線でしょうね。受付では?」
となると、クリスが戻ってきたか。
「ヘレン、出てみ」
「はーい」
ヘレンは起き上がると、受話器を尻尾で器用に持ち上げる。
「もしもし、ジーク様でーす」
『いや、ジークヴァルトさんはそんなに可愛い声じゃないですよね?』
受話器から受付嬢の声がかすかに聞こえた。
「ジーク様ですよ」
『はいはい、わかりましたよ。では、ジークヴァルトさん、クリストフさんが戻ってこられて、そちらに向かっています』
「わかりましたー」
ヘレンは返事をし、受話器を置いて電話を切った。
「クリスさんが来るようですね」
「聞こえた。ヘレン、俺を名乗るのはいいけど、様付けはないだろ」
受付嬢もツッコめよ。
さすがにドロテーじゃないんだから自分で自分のことを様付けせんぞ。
「お茶目ですよー。それよりもジーク様、鳥の匂いがしてきましたよ」
ドロテーか?
美味そうな匂いなのかね?
くだらないことを思っていると、ノックの音が部屋に響いた。
そして、ゆっくりと扉が開き、肩にドロテーを乗せたクリスが部屋に入ってくる。
「自分の部屋をノックする気分はどうだ?」
「変な気分だね。そして、弟弟子が私の椅子に我が物顔で座っているのも変な気分だよ」
クリスがやれやれと言った感じで肩をすくめる。
すると、ドロテーが飛び上がり、とまり木にとまった。
「本部長からは聞いているだろ?」
「聞いているよ。魔剣作成だって? また変な仕事を受けたね?」
「おっ、陛下批判か? 不敬罪だな、貴族様」
投獄だ。
「お前が黙っていれば罪には問われないさ。それよりも支部が大変なのことになったんだな」
「どっかのバカのせいでな。お前がドロテーを残してくれて助かったわ」
ドロテーがいなければ犯人を捕まえるのに時間がかかっただろうし、その間に何をされるかわからなかった。
次は支部ではなく、アパートを燃やされるかもしれないのだ。
「本部長の無茶振りのために残したんだが、手助けになったら良かったよ」
「まあ、おかげでドロテーが寂しがってたけどな。陰気ガラスになっていた」
「そうなのか?」
クリスがドロテーを見る。
「何を言っているんですか。私はそんな女々しくありません」
ドロテーがすまし顔で答えた。
「クリスは鳩が好きなんだぞ」
「は!? あんなバカ鳥のどこがいいんですかー!?」
ドロテーが飛んできて、クリスの前で羽ばたく。
「ドロテー、ジークの嘘だ。私は別に鳩が好きなわけではない」
「社会不適合めー!」
完全に元気を取り戻しているな。
「悪かった、悪かった。クリス、出張は終わって本部の業務に戻るのか?」
「そうなるな……」
クリスが俺というか自分の席をじーっと見る。
「居場所がない弟弟子に部屋を譲る気はないか?」
「お前は外で仕事してただろ」
なんて奴だ。
俺に王都でも青空錬金術をしろと言っている。
「嫌だわ」
「うーむ……陛下から依頼だし、場所を提供したいとは思う。だが、私もこの出張で仕事が溜まっているのだ。今日から2週間はほぼ日を跨ぐらいの残業だ」
お前もかい……
本部はそれで大丈夫なのかよ……
リート支部以上に人が足りてないじゃないか。
「そうか……そうなると邪魔はできんな」
「どこかの共同アトリエにでも行ったらどうだ? さすがに飛空艇製作チームはないだろうが」
ないな。
どの面を下げて行くっていうんだ。
というか、アウグストがいるから無理。
「他は……大人しくて強く言ってこない姉弟子のところかな」
「テレーゼか?」
まあ、共通認識だわな。
「他におらん」
「魔導石製作チームは忙しいぞ? ハイデマリー、ゾフィー、クヌートはどうだ?」
その3人は俺の姉弟子、妹弟子、兄弟子である。
「ハイデマリーもゾフィーもケンカにしかならんし、拒否するだろう。クヌートは俺が嫌だ」
ハイデマリーとゾフィーは気が強く、自分の錬金術こそが一番だと思っているので俺とは合わない。
だって、あいつら、4級と6級なんだもん。
クヌートは女好きであり、よく言えば明るく社交性に優れている。
普通に言えば、うるさいし、うざい。
「同門なら仲良くしたらどうだ?」
「悪いが、こればっかりは相性だ。あと、その3人はウチの弟子を会わせたくない」
「うーむ……」
クリスが腕を組んで悩む。
「クリス様、こればっかりはジークさんの言う通りだと思います。ジークさんのお弟子さんは基本的に大人しいですし、ビビりの田舎者です。騒音のクヌートは論外ですし、ハイデマリーさんとゾフィーさんもちょっと……」
相変わらず、一言多いカラスだな。
完全に調子を取り戻しているわ。
「そうか……ジーク、テレーゼのアトリエを借りるのはどうだ?」
「テレーゼの?」
「ああ。魔導石製作チームは基本的に共同アトリエを使うだろうし、テレーゼも少しくらいなら自分のアトリエを貸してくれるだろう」
なるほど。
共同アトリエじゃなくて、個人のアトリエか。
「行っていいもんかね? 姉弟子とはいえ、女性の部屋だぞ」
「弟子を連れてきているんだろう? その者達と一緒なら不快感は減る」
そうなんだろうけど、不快感って言葉は嫌だな。
「わかった。ちょっとテレーゼのところに行ってみるわ」
クリスの席を立ち上がり、扉に向かう。
「ああ……ジーク、お土産だ」
クリスがそう言って、ワインを渡してきた。
「お土産?」
こいつからそんなもんをもらったことないぞ。
「出張先はぶどうの産地でな。高いワインをもらったからお前にやる。弟子達とでも飲め」
「ありがとう……」
昨日、そのワインで2名が潰れたばっかりなんですけど?
また潰せと?
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