廃遊園地

堕なの。

廃遊園地

 遠くの廃遊園地の観覧車が朝日に照らされて光る。その景色を、公園の錆びついたブランコに乗って見ていた。そっと触れる手触りの悪いブランコの持ち手と、鼻につく鉄臭い匂いが私を現実に繋ぎ止める鎖となっていた。首に巻き付いて張り詰めた、細い細い糸が私の気道を締めていく。正確に言えばそれは思い込みなのだが、その思い込みの通りに私の息は細くなっていた。

 だが、死にはしない。人はそこまで柔ではない。頭がぼうっとしてきたタイミングで、五感が感じ取る不快感に生を掴んで咽る。そうして肺に大量の酸素を取り入れる。そしてまた、息がだんだんと詰まっていく。その繰り返し。数時間、収まることのない私の発作。何も起こらない徒労を、死にかけの身体に刻み込まれていく。

 小さな風が背中を押した。それに誘われるように、ブランコを漕いだ。十度、あるかないかくらいの振れ幅で、漕いでないと殆ど同じ。それでも、漕いでいないよりは息がし易いような気がした。

 自転車の漕ぐ音が聞こえた。小さな邦楽も鳴っていた。この時間にこの場所を、邦楽を掛けながら自転車で登ってくる人を、私は一人だけ知っていた。私の真後ろでブレーキ音が鳴る。私は振り向かずに、前だけを見ていた。砂利を踏みつける音が右側に逸れて、隣のブランコから金属特有の固い音がした。そして軋む音を立てながら、ブランコの振動が伝わってきた。

「いつもは止まらないのに」

 右側を向けば、野球帽を被り小麦色に焼けたクラスメイトが居た。真っ直ぐ前を見ながら大きくブランコを漕いでいる。ブランコは錆びていて、その後ろ側には緑の山が広がっていたから不気味に思えた。

 彼は答えなかった。ただ、唇を噛んでいた。何かを堪えている姿を見て、数日前に甲子園の一回戦が行われていたことを思い出した。私たちの学校は五回で十三対三のコールド負け。高校三年生の彼に次の甲子園はなかった。悔しかったのだろうか。ここまで点差が開いていて悔しいという感覚は私には分からない。三年間、全力でやってきたのだろう。高校球児としての誇りを持っているのだろう。それでも、野球を知らない私には文字でしか分からない、未体験の悔しさだった。

 彼が泣いたところを、私は一度だって見たことがなかった。いつも明るく、人の中心にいるような人だった。だから、ここまで落ち込んだ姿を見たのは初めてだった。新鮮で、驚きがあって、残念にも思っていた。他人への過度な期待が悪い方向に仕事をしている証だ。私は、他人との関わりを必要最低限にとどめているというのに。そうでなければ、きずつけられてしまうから。それでも、だれかへのきたいはやまず、きょうもまたおなじよ……

「ごほごほっ、ごっ、ぐ」

 いつの間にかブランコは止まっていたようで、今まで足りなかった酸素を肺が求めて痛みを発していた。咳が止まらなくて、隣の彼が心配そうにこちらを覗く気配があった。

「大丈夫か?」

 唾を飲み込むようにして無理やり咳を抑えた。手で口を覆って、何とか言葉を紡ぐ。

「大丈夫だよ。気にしないで。黄昏れてる途中でしょ」

 隣の彼の心配の気配は止まなかった。常にこちらを伺われている気配に纏わりつかれるのは気分が悪い。

「ねえ、何で今日は止まったの?」

 彼は気まずそうに目を逸らした。責めるような視線を向ければ、観念して口を開いた。

「お前の背中が震えて、何度も咳き込む姿を眺めてた。だけど、甲子園があるからとか、受験生だから、とかでずっと見てるだけだった。でも、負けてここを通り過ぎる自分のための言い訳が一つ消えて、少し話してみようと思った。そんだけ」

 そんなに、私のこの行動に思うところがあったことには驚いた。確かに理解の出来ない行動ではあるが、それだけでクラスメイトのことに脳のリソースは裂きたくない。なるべく、自分のために生きていたい。だから、やはりこの彼が分からなかった。

 彼はブランコから立ち上がって自転車の方に歩いていく。

「乗るか。この時間ならあの遊園地まで行って戻ってこれるぞ」

 なぜか、その言葉に重い足を動かしてついていった。そして後ろの荷台に乗る。横向きだったから、彼の袖をついと掴んで。

「安全運転で」

「当たり前だろ」

 その言葉通り、彼の運転はゆっくり交通法に則って行われた。この際、既に二ケツが違法であることはノーカンである。


 廃遊園地に着く頃には、もう日は完全に顔を出していた。明るい朝が始まる。

 彼は見えないところに自転車を隠しに行っていて、私は一人でゲートの前に立っていた。錆が目立つこの場所は、過去の記憶の風化を言い当ててしまうから嫌いだった。あの場所から遠目で見る分には問題ない。それでも、近付くのは怖かった。流れてしまう時間は怖かった。ピーターパン症候群ほどではなかったけれど、大人になることは嫌だった。過去は美化されるものだから、私には綺麗な過去と濁った未来しか見えなかった。だから過去を過去として突きつけてくるこの場所にだけは近寄らなかったのに。なぜ付いてきてしまったのか。

「大丈夫か」

 彼が私の背中を擦った。どうやら、私の気付かない内に息がまた細くなっていたようだった。大丈夫であると視線で伝えて、私たちはそのゲートの中に二人で入った。

 当たり前のように、人気のない静かな場所だった。生き物の気配を感じない、止まった過去を思い起こされる。風で音を立てた何かの破片は、塗装が剥がれてもう何者なのか分からなくなっていた。

 二人分の足音が沈む。すり足で進む私と、綺麗な姿勢で歩く彼の音は違うけれど、同じように音は地面に吸い込まれていった。この場において私と彼の違いというのは、性別だとか姿格好だとか、実に些末なことだった。過去の私との違いも、もしかしたら些末なものなのかもしれない。

 茶色く薄汚れたメリーゴーランドを見つけて、柵の中に入った。そして白い小さな馬に乗った。お気に入りの馬だった。これに乗れなかった時は泣いて騒ぐこともある程、私はこの馬を気に入っていた。今思い返してみれば、それは可愛いとか綺麗とかのくだらない理由だった。それでも、あの頃の私は脇目もふらずに泣き出してしまうほどこの馬が好きだった。

「そいつ、好きなのか?」

 彼がふと聞いてきた。彼は茶色い大きな馬の横に立っていて、その背に懐かしむように手を乗せていた。

「好きだったよ。くだらないけどね」

 私がそう言って俯けば、彼はそんなことないと即座に否定した。昔の思い出を大切に抱えられるほど優しいわけではなかった。それでも過去を捨てて未来に目を向けられるほど、強いわけでもなかった。過去と未来に挟まれた窮屈な今を、惰性で息をしていた。吸って吐いての繰り返しが生の事実と死の親近感を謳った。人は柔ではないけれど、時に簡単に死んでしまうものだと私は知っていた。

「何で連れてきたの」

「昔、野球が嫌になった時に親父に連れてきてもらったんだ。視界が開けて、息がしやすくなった。お前がずっとこの遊園地を飽きもせずに毎日眺めてたから、連れてきたら何か起こるかと思って」

 彼の挫折を私は知らない。再起する様に興味なんてない。でも確かに、彼の心の中にはこの遊園地が大事な部分で輝きを放っている。そして多分私も。私の中にも遊園地の記憶が大きくいる。美化された過去。美化されていなくとも始めから美しく優しい過去。誰にでもある、過去の集合体。

「美化された過去も、美化されていない過去も、同じように扱って良いのかな」

「分かんないけど良いんじゃない?」

 分からないなら答えるなと自己中心的なことを思いつつ、意図的に細い息を吐いた。それは辺りの空気と混ざって、広がっていく。

「ありがとう。一応言っておく」

 私がそう言えば彼は元気に笑った。私もそれにつられて口元が緩んでいくことに抗わなかった。

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