魔法学園ララスフィア
なつのこかげ
①魔法学園へようこそ
どうやらわたしは、死んでしまったみたいだ。
たくさんの車が行きかう夕暮れの大通り。信号機の柱にぶつかってボンネットの潰れてしまった白い車。 赤いランプを輝かせる救急車とパトカー。
そして、アスファルトの地面に倒れた一人の女の子。
わたし――春野咲良は、その倒れた女の子に見覚えがあった。
だって、あの子は他の誰でもない、わたし自身だ。
救急車に運ばれていく自分の身体を、わたしは少し離れたところから見ていた。
わたしは何が起きたのか、よく知っている。
今日は土曜日で学校は休みだった。図書館で本に読みふけって、少し遅くなってしまった帰り道、わたしは横断歩道の前で信号が変わるのを待っていた。大きなエンジンの音がしたかと思うと、白い乗用車がすごいスピードでこちらに向かってきて――
「やっぱり、死んじゃったのかあ……」
誰もわたしの声に気付かない。誰の目にもわたしの姿は映らない。
轢かれてから救急車とパトカーが来るまでの間、わたしは混乱して、集まってきたたくさんの人たちに話しかけたり助けを求めたりしたけど、誰も気付いてくれなくて。
「終わっちゃった……」
いつか科学者になってノーベル賞をとるのが夢だった。
両親がいなくて養護施設で育ったわたしは、職員さんに教えてもらいながら勉強して、図書館で科学雑誌なんかも読んだりして。それに色々な実験をしたり工作をしたりして。
でも、そんな夢ももう終わり。
「ていうか、わたし、今どういう状態なんだろ……幽霊ってやつ……?」
そんな非科学的なもの、これまで信じていなかったけど、この状況はどう考えても……
「にゃっはっはっはっは~、ずいぶん落ち着いておるにゃ。見所があるにゃ」
突然、そんなヘンテコな笑い声が響いた……かと思うと、
「え? わ、わわっ!」
目の前に黒い影が降ってきて、わたしの目の前でぴたっと止まった。
「猫の、ぬいぐるみ……?」
リアルな感じじゃなくて、デフォルメされた丸っこい黒猫のぬいぐるみだった。
「浮いてる……? 何この子……」
指先で触ってみる。
つんつん、つんつん。……柔らかい。人をダメにするクッションみたいな感触だ。
「気安く触れるでにゃい!」
「わわっ!?」
黒猫のぬいぐるみは突然声を上げた。
何? 何なの? 中身はどうなってるの? すごい!
……と、今はそんなことに感心してる場合じゃなかった。
「ね、ねえ、あなた、わたしのこと見えるの?」
「当然見えてるにゃ」
やっぱり……!
「あ、あなたは誰? わたしは……死んじゃったの?」
「まあ、そういうことになるにゃ。咲良は事故に遭って命を絶たれたにゃ」
「やっぱり、そうだよね……。って、わたしの名前……どうして……」
名乗っていないはずなのに、どうして知っているんだろう。
「知ってるにゃ。何しろ吾輩は、咲良をスカウトしに来たんだからにゃ」
「へ? ス、スカウト……?」
思いもしない単語が出てきて頭の上にはてながいくつも浮かんでしまう。
「そうだにゃ。本題に入るとするにゃ」
こほん、と黒猫のぬいぐるみは咳払いをした。
「吾輩は魔法学園ララスフィアの校長ララという者にゃ」
「……え? 魔法……? 学園……?」
「そうにゃ。魔法を教える学校の校長にゃ」
ええー……。魔法って、あの魔法だよね。マンガとかアニメとかでよくある、手も触れずに物を動かしたり、何もないところから火を出したりする。
わたしはじと~っと黒猫のぬいぐるみ――ララ校長を見た。
「その目はなんだにゃ? 信じてないにゃ?」
「……それは、まあ、だってそんな非科学的なもの、信じられないよ」
マンガやアニメは好きだけど、それはあくまでフィクションのお話だし。
「たった今、咲良の身に非科学的なことが起きてるにゃ?」
「うっ……」
それを言われると痛い。だって、わたしは幽霊になって、目の前には謎の黒猫のぬいぐるみが浮かんで喋ってる――非科学的すぎるよねっ!?
でも……見たものを否定するなんて、そんな態度も科学じゃない、よね。
「うう……分かったよ。とりあえず信じてみる」
「とりあえず、なのにゃ?」
「そ、それは、だって……」
「いいにゃいいにゃ。責めてるわけじゃないにゃ。こんな状況で、もっと混乱してもいいはずだにゃ。それなのにちゃんと自分の頭で考えてすごいにゃ」
「……それで、魔法学園の校長先生が、どうしてわたしのところに?」
「これを持ってきたのにゃ」
わたしの顔の前に一枚の紙がふわりと飛んでくる。
そこには予想もしていなかった言葉が書かれていた。
「入学……願書……?」
「春野咲良。吾輩は咲良を魔法学園ララスフィアに誘いにきたのにゃ」
え……? 今、何て言った? 魔法学園に、誘いにきた……って言った?
「そ、それってわたしが魔法学園に入学するってこと……?」
「そうだにゃ」
「な、なんで!? どうしてわたし!?」
「理由はいずれ説明するにゃ。それよりどうするか決めて欲しいにゃ。時間がないにゃ」
「時間……?」
「この世界と魔法学園のある世界をつなぐ扉が開いているのはあと数分にゃ。次に開くのはいつになるか分からないにゃ。ちなみに前回開いたのは三百年前にゃ」
「さ、三百年!? っていうか、違う世界にあるのっ!?」
「そうにゃ。だから早めに決めて欲しいにゃ」
「そんなこと言われても、魔法学園のことなんて全然知らないし……。それに……」
わたしはそこまで言ってから、ぎゅっと胸を押しつぶされるような気持ちになる。
「わたし、もう死んじゃってるし……」
「入学すれば治るにゃ」
「……え?」
わたしは呆気にとられてしまった。治る……って言った?
「詳しく説明する時間はないけど、扉を通って世界を渡るときに、身体が再構成されるにゃ。そのときに病気は治るにゃ。咲良の魂は、まだぎりぎり身体と繋がってるにゃ」
「じゃ、じゃあ、入学したら死なないってこと!?」
「そうにゃ。ただし、一度行ったら戻ってこられない可能性が高いにゃ」
次に扉が開くのがいつになるか分からないから。
でも、わたしにとってそんなことはどうでもよかった。
「入学する! します!」
このまま死んじゃうよりずっといいに決まってる。
それがどれだけ非科学的なことだとしても。
「いいんだにゃ? 行った先の世界はこの世界と違って、魔法が中心の世界にゃ。咲良がこれまで学んできたことはそうそう通用しないかもしれないにゃ」
ララ校長の言葉にわたしははっとした。
これから行くのが魔法の世界なら、これまで勉強してきたことは無駄になってしまうかもしれないし、たぶん科学者になる夢も叶えられない。それは悔しいし、悲しい。
でも、と思う。
「……ゼロからやり直すことになっても、生きてれば、また頑張れるから」
わたしがそう応えると、ララ校長が優しく笑った――ような気がした。
「咲良の覚悟、分かったにゃ。では、この入学願書に指でサインを」
言われるままに、わたしは宙に浮かぶ願書に人差し指で触った。
触った場所が金色の光で輝く。
わたしはそのまま指を動かして自分の名前を書き入れた。
『春野咲良』
書き終えると、文字がひときわ強く輝いた。
そして次の瞬間には、夕暮れの横断歩道の先に大きな扉が現れていた。
「魔法学園ララスフィアにようこそ、にゃ」
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