TO BE CONSISTENT
宮古 宗
初心にかえる
第1話
「窓口に、
今年新卒で入ってきた女性職員が、遠慮がちに声をかけてきた。顔をあげ、数m先の窓口に目をやると、そこには見知らぬ男性が立っている。遠目に見ても高級と分かるスーツを着ている。
今日外部の人と会う予定が無いことを、ざっと手帳で確認してから立ち上がる。そして小走りで窓口に向かう。
「私が望月です。どのようなご用件でしょうか」
「あなたには、もう一度プロのサッカー選手を目指してもらいます」
「はい?」
男性は唐突に意味の分からないことを言い出した。男性の言葉が聞こえたのか、隣の窓口にいた50代の女性職員もこちらを見ている。
「あの、こちらは福祉課の窓口です」
「はい、知っていますとも」
「ご用件は、我々福祉課でお手伝いできることでしょうか」
「いや、できないですね」
なんだこいつ。と思っても、決して顔に出さないように意識して笑顔を作り続ける。
「仕事中だから、また後で話そう」と言い残し、男性は颯爽と帰っていった。
たまに、いや、一定の確率でいる不思議な来訪者と自分の中で割り切る。自席に戻ろうとすると、隣の女性職員が話しかけてきた。
「望月君って、サッカーやってたの?」
「まぁ。やってはいました」
「プロになれるレベルだったの?」
「まさか。全くですよ。中学校の部活で辞めているぐらいなので」
「変な人だったね」
立場上、女性職員に対して、そんなことを口に出してはいけない、という顔を見せる。女性職員も、「すみません」とばかりに、おおげさに顔を上下させる。自席に戻ると、この数分間で机上の書類が増えている。目を通して、承認を示す印鑑を押していく。それを数回繰り返していくうちに、先程の男性のことはすっかり忘れていく。
13時半過ぎ、区役所に隣接する公園にいつも通り弁当を持参して昼休憩を始める。昨日の晩御飯の残り物ではあるが、時間がたってもまだおいしい。家族に料理上手がいることに感謝しつつ、食べ進める。
「お弁当。おいしそうですね」
横からぬっと、先程窓口に来た男性が現れた。驚きとともに、区役所の外でも声をかけてくるパターンの市民だったのかと、警戒心を強める。
「おいしいですよ」
「自分で作っているのですか?」
「いや、妻に作ってもらっています」
「詰めるのは?」
「詰めるのは自分でやっています」
このやりとりに何の意味があるのだろうか。一刻も早くこの場所から離れるために、口まで箸を持っていく手を早める。弁当を食べている間、隣の男性は特に何もする様子もなく、ただ座っていた。食べ終わり、百円ショップで買った手提げ袋に弁当をしまって立ち上がる。
「それでは、午後の業務もありますので、失礼します」
「さっき言ったことは、本当です。望月さんにはもう一度、プロのサッカー選手を目指してもらいます」
「そうですか」もう一度会釈をして歩き出す。
「嘘だと思っていますよね」
後ろから男性がついてくる。
「嘘じゃないですよ。望月さんは、私の夢を叶える為に、もう一度プロのサッカー選手になることに挑戦してもらいます。明日の朝。明日の朝起きたら、私の言葉を信じてもらえるでしょう」
「これ以上付き纏うようなら…」後ろを振り返ると、想像よりも近くに男性の顔がある。胡散臭い笑顔で男性は言う。
「応援しています」
「今日、変な人に絡まれた」
リビングの机の上に夕食の食器を並べながら、妻の
「もしかして、長髪でウェーブがかかっている男の人?」
「そう。え、どうして知ってるの?」
「その人、私のところにも来たよ。スーパーで買い物中にいきなり話しかけてきた」
「マジか…マジかぁ。結構やばいなそれ。もし今後もその人見かけたら、教えて。必要なら警察に行って相談するから」
「
「それが、まったく知らない人なんだよね。何か言われた?」
「うん。望月さんを支えられるのは、あなただけです。これからも傍にいてあげてください。って」
「なんだそれ。本当に意味わからないな」
「文哉は絡まれた時に、何言われたの?」
サッカー選手のことを口に出そうかと思ったがやめておく。
「いや、特には。何か言ってはいたけど、全然意味わからなくて、話は適当に流した」
「そう。とにかく私も気をつけておくね」美穂は再び手を動かし、味噌汁を作り始めた。
夕食後にリビングでテレビをつけて、美穂と二人でバラエティを見る。結婚して三年。そろそろ子供についても、真剣に話す時期に差し掛かっている。ただ、この二人だけの生活が心地良くて、自分からは話題にしない。大学病院で看護師をしている美穂とは、ただでさえ夜の時間を一緒に過ごす機会は多くない。だから、二人でいられる時間を大切にしていると、ついそれだけで満足してしまう。
午後十一時を回ると、美穂は先に寝室に向かった。おやすみの言葉を交わした後、この前発売されたばかりのゲームをやりたくて、テレビの前に置かれているゲーム機の電源をつける。買った時、美穂からは文句を言われた。同じサッカーゲームなのに、毎年新作がで販売されているけれど、何が違うのかと。操作性やシステムが変わっていることや、前作では登録されていない新しい選手がいることを熱意を持って伝えた。しかし美穂は、ふーん、と興味なさそうに相槌だけ打っていた。そして、ゲームだけでなく、本当にサッカーすればいいのにと提案してきた。とてもじゃないが、もう体力が無いと答えると、再びふーん、と今度は少し不満が入っている相槌が返ってきた。
テレビに映るゲーム画面の中では、選手が華麗なプレーを決める。ふと、もし体力があれば、今でもサッカーをするのかと自問してみる。答えはノー。体力があろうが無かろうが、下手である事実は変わらない。下手ほどつまらないものは無い。だから、中学で辞めたのだ。
ゲームに夢中になりすぎて、いつの間にか午前一時に近づいていた。流石にこれ以上やるのは、明日の業務に響いてしまうと思い、寝室のベッドに潜り込む。寝つきはいい方だ。今日も十分程度で、意識が遠のいていった。
「痛い!」
目覚めと共に、額に何かが強く当たった感触がある。当たってきたものを手でよけて、改めて見ると4歳年下の弟の足だ。実家で一緒に寝ていたころ、弟に蹴られて起きてしまうことはよくあった。
「お前、相変わらず寝相悪いな」そういって、腹を出して寝ている弟に布団をかけて、再び自分も横になった。眠ろうと目を瞑るが、何かが可笑しい。眠気の中で、まとまりのない思考を続けると、急に違和感の理由が思いついた。布団からばっと起きる。隣には幼い頃の弟がいて、場所は実家の寝室。襖の向こうから、両親の声が聞こえてくる。急いで起き上がり、隣の部屋に行く。
「文哉、おはよう。いきなり起きてきてどうした」
「父さん、今俺って何歳?」
「11歳だろ。というか文哉、自分のこといつの間に『俺』って言うようになったんだ?」
「お母さんは、僕の方が好きなんだけどな」
母親が話に割って入ってくる。父親が、まぁ11歳にもなれば俺呼びもするよ、と母親を宥めている。
11歳とつぶやきつつ、自分の置かれている状況に混乱する。でも、あの男性の言葉が自然と思い出される。
「もう一度プロのサッカー選手になることに挑戦してもらいます。」
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