爪
時無紅音
爪
あなたは波打ち際を歩いていた。見渡す限りの海と砂浜の中で、ざらざらとした感触を足裏に受けながら、白波と砂浜の曖昧な境界を踏んでいく。数十秒に一度、寄せて引いてを繰り返す波に砂のついた足を洗われては、またすぐに水を含んだ砂が足を覆う。誰もいない水平線と地平線を眺めながら、あなたは一人でずっと歩いていた。
あなたは爪がぎざぎざしていた。あなたには昔から爪をむしり取る癖があった。右手の人差し指で左手の指の爪を左端から何度もひっかき、徐々に先端を切り離していく。時間の許す限り、あなたの爪はどんどん短くなっていった。薄いピンクの単一色の爪は、指の肉の五ミリほど内側までしかなくて、ところどころ血が滲んでいる。爪と肉の接着が剥がれる瞬間は、あなたにとって最も強い快楽だった。
足の爪も同様で、波に足を包まれるたび、あなたの眉間には皺が寄る。足の裏には貝殻を踏んだ際にできた浅い刺し傷や切り傷があって、その奥で食紅のような赤色がくぱりと口を開けていた。
あなたは足下に、膝ほどまで高さのある城を見つけた。すでに城は半分ほど崩壊していて、残りも潮の満ち引きでいずれ壊れるのだろうとあなたは想像し、小さい頃、家族で海水浴に来たときに作った城のことを思い出した。泳ぎも球技も苦手なあなたは海から距離を取って、砂浜の真ん中で城を建てていた。いま思えばほとんど砂を盛っただけの山のようなものだったが、幼いあなたにとってそれは力作で、両親や歳の離れた兄を海から出してまで自慢をするにふさわしいものだった。あの城の半分の行方を、あなたは思った。
あなたはふと、海の方へと進んだ。ふくらはぎが半分ほど濡れて、その分だけ体重が軽くなったような気がした。海の中の砂を足でじゃわりと掴むと、小石が親指の先に触れて、あなたは右の奥歯に力を込めた。あなたには右の奥歯を噛みしめる癖があった。顎と頬の間にある肉がべこりと盛り上がるのを内側から感じた。
腰のあたりまで浸かり、水面を見ると、あなたが映っていた。ゆがんだ水の中でそれだけは不思議とはっきり見えて、あなたはあなたと目を見合わせた。のっぺらぼうのような目で、鼻で、口だった。あなたの全身の毛がぶわりといきり立った。手指に生えた毛がいっそう黒く見えた。あなたはたまらず、身体をかきむしった。けれど爪のない手はどれだけ強く押し当てひっかこうとしても、肌と肌が肉々しく反発するだけだった。
あなたは全身を海に委ねた。量の多い髪の奥の頭皮までが冷たい水に浸食され、あなたは頭を切ったときのことを思い出した。鏡の中で、あなたは頭頂部から血を流していて、ぼうっと自分の目を見ていた。耳の穴を、悲鳴とサイレンが固まりだした血とぶつかりながら何度も反射して、そのたびに薄く鈍くなっていく。海の中は鏡の中と似ていた。肺の中の空気を押しつぶすように吐き出すと、ぼわりと気泡が上っていって、あなたはゆっくりと沈んでいく。二十本の指に塩水が沁みていく。あなたは爪をすべて剥がしてしまおうと考えた。
しばらくしてあなたはまた浮かんできて、波打ち際を歩き始めた。あの城の半分を探そうと思った。
爪 時無紅音 @ninnjinn1004
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