さまざまっ!

二ツ樹五輪

魔王様と勇者様




【1】




 すでに家主のいなくなった王城の玄室にて、ある儀式が行われていた。


「ここは……」


 すでに遺失した技術によって構築されたらしい、複雑な形式の魔法陣から一人の少年が出現する。

 中肉中背の体格に没個性で平坦な顔、黒目黒髪はこの世界では秘境の地とされる群島諸国の民族に近い。

 しかし、未知の素材で作られた服は少年がこの世界の人間でない事を示しているかのようだった。

 これは勇者召喚のために作られたという専用の儀式。決まった場所、決まった星の廻り、決まった術式でないと起動する事さえできないものだ。本来であれば、追い詰められた人類が神託を受けて起動するものとされている。


「ククク、よくぞ参った勇者よ」


 しかし、その術を起動したのは神託の巫女でも追い詰められた国王でもない。


「誰が勇者? というかここ何処よ」

「勇者召喚の儀式で呼ばれたという事は、貴様が勇者だ。いきなり召喚されて納得はできんだろうが、その事実は変わらん」

「へーそうなのか。俺が勇者。マジかよ」


 大仰な儀式で呼び出されたにも拘らず、その少年のノリは軽かった。


「な、なんか軽いな。もっとこう……困惑とかあるものじゃないのか」

「いや、良く聞く話だし、そういう事もあるかなって」


 勇者は異世界から召喚されるであろう事は判明していたが、異世界では良くある事なのだろうか。そんなしょっちゅう召喚されていたら大変だと思うのだが。


「そ、そうなのか。……貴様自身が過去に勇者として召喚された事があるとか」

「最近は廃れてる感もあるけど、小説では定番だしな」

「創作の設定が自分に降り掛かって動揺しないのはすごいと思うのだが」


 むしろ呼び出したほうが困惑していた。どれだけ知識があろうと、いきなり見知らぬ場所に移動したら驚くだろうに。


「あ、手の甲になんか痣がある。ひょっとしてコレが勇者の印かなんか?」

「ああ、おそらくな。どこに浮かび上がるかはランダムだったはずだが、手の甲に浮かぶのは良くある事のようだ」

「良かった。下腹部とかじゃ淫紋みたいで卑猥だしな。俺、男だけど」

「淫紋?」


 勇者は翻訳の効かない、あるいは効いても意味の通じない言葉を多用する傾向があるようだ。


「さては、アレだな。どうせ夢とか思ってるんだろう?」

「え、夢なの?」

「いや現実だが」

「だよな……って、なんだこのやり取り。意味あんのか?」

「ククク、我が平静を保つという意味があるな」


 コレはそういう類のものだと思ったほうがいいのかもしれないと召喚者は思った。良く知っている人類とはちょっとどころではなく毛色が違う。


「それで、俺はなんで呼び出されたんだ? やっぱ定番の魔王退治とか」

「ククク、我が魔王だ。恐れ慄くがいい!」


 そう。人類の切り札にして魔王へのカウンターとなる勇者を召喚したのは、天敵たる魔王そのものだったのだ。


「あんたを殺せばいいのか? 随分変化球な自殺だな」

「違うわっ!! 何処の世界に自分を殺す奴を呼び出すバカがいるのだ!!」

「じゃあ俺の役目って何よ。最初の言動から、目的はあるわけだろ?」

「勇者の役目は魔王の討伐というのは合っている」

「なら……」

「合っているがっ!!」


 この勇者様は短絡的に過ぎた。回りくどい言い回しをすると誤解してしまいかねない。


「魔王である我が呼び出す事で、人類にその力を使わせまいと考えたわけだ」

「へー」

「な、なんだ。ここは、そんな卑劣な事をとか言い出す場面じゃないのか」

「いや、誰でも思いつきそうだなって」

「え、なんで我ディスられてんの」


 長い間悩んでようやく実行した起死回生の手段だというのに。

 そのために、わざわざ要地を無視して術式の存在しているこの城を陥落させたのだ。魔王軍が優勢とはいえ、大量の犠牲も出ている。


「だって、自分を殺せる手段が限られてその正体が分かってるのに、放置するのは馬鹿のやる事だろ」

「……先代も先々代も放置して殺されたのだが」

「そっか、バカなんだな」

「お前、なんでそんなに辛辣なの?! 我、初対面だよね」

「あんたは違うなら問題ないんじゃね?」

「む……まあ、確かにそうであるな。先代や先々代は確かにちょっとアレなところがあったのも事実ではある」


 魔王様はチョロかった。ぶっちゃけ、先代たちはあまり褒められた王ではなかったと思っている。というか、冷遇されていたので魔王本人としては嫌いと言っても良かった。


「話を元に戻すと、俺は別に魔王……この場合はあんたを殺す必要はないって事でOK?」

「おーけーだ」


 翻訳が効かなくとも、魔王はOKは肯定を意味する言葉と判断して返した。


「となると、俺の存在が宙ぶらりんになるな。魔法陣を破壊したり放置をせずにこうして呼び出したって事は、元の世界に戻してもらっちゃまずいんだよな、多分」

「ああ、勇者の枠が空けば再び召喚が可能になってしまうからな。心苦しくはあるが、貴様はしばらく本国の我が居城で過ごしてもらって……いや、ちゃんとした生活が送れることは保証するが」


 とぼけた見た目に反して勇者は理解が早いようだ。すでに自らの置かれた状況を把握しているようである。……把握し過ぎな気もしているが、そこは目を逸らすとして。

 勇者という鬼札がなければ魔王軍の行く先に敵などいない。いつ出てくるか分からない天敵を警戒する必要がなければ、戦略も構築しやすいだろう。


「こういう場合、牢屋に閉じ込めたりとか軟禁するもんじゃない?」

「自分から言い出すのはどうかと思うが、その必要はなかろう。この陣には、召喚者に対して敵対心を抱けないという効果が付与されているようだしな。悪辣な神がやりそうな事だ」

「へー」


 本当に効いているか、ちょっと自信がないが。というか、こいつは気にしないのだろうか。


「最初から逃げるつもりならともかく、話が通じるなら取り込んでしまえというわけだ。それなりに贅沢な生活をさせるのでも、勇者を封じる費用と考えるなら安いものだ」


 国家規模で物事を動かすのだ。人間一人をどんな待遇で抱え込んだとしても大差はない。費用対効果抜群の飼い殺しだ。


「なら、魔王様の尖兵として、人類を絶滅させればいいのかな」

「えっ!? いや、そんな必要は……」

「よーし、はりきっちゃうぞ!」

「なんでそんなにノリ気なの、お前っ!?」


 その瞳はやる気に満ちていた。やる気と書いて殺る気である。どうも勇者は過激な性格らしい。


「待て待て。我が魔王軍は精強である。正直、勇者という切り札さえなければあとは力押しでなんとでもなるような勢力差があるのだ」

「そんな事言って侮ってたから、先代と先々代は負けたんじゃね」

「めっちゃ正論っ!?」


 勇者召喚を見逃したという巨大な失点があるのも確かだが、勇者が言っているのは物事に挑む姿勢の問題である。ここまでやれば大丈夫と侮っているから足を掬われるのだと。

 実を言えば、魔王も先代の時代に似たような事を忠言した事はあるのだ。結果は反逆罪扱いで投獄、魔王軍は敗北という最悪のものだったが。


「使える戦力は使っておこうぜ。縛りなくても別に裏切らないし」

「そんな事を言われても、お前はどれだけ強いのだ。元の世界では名のある戦士だったとか」

「喧嘩もした事ないよ」

「良くそれで自信満々に言えるなっ!?」

「勇者として呼ばれた以上、それなりに戦えるようになってんじゃねーかなって。なんか普通に喋れてるわけだし、チート的な?」

「恐ろしく楽観的だな」


 勇者の根拠など欠片もない自信と謎の理解力に、魔王はペースを握られっぱなしだった。

 とはいえ、魔王の天敵であるという事以外、勇者という存在がどういうものかは分かっていない。

 強いから呼び出されたのか、呼び出される際に強い力を付与されたのか、あるいはそういう素養があって戦いの中で成長するモノなのか不明だ。

 喧嘩もした事がないと言っている以上、元から強かったという事はなさそうだが。実は喧嘩はした事なくても殺し合いならしょっちゅうしていたとか……いや、ねーよ。


「……まあ、戦力に組み込むつもりなら、確かにお前がどれだけやれるのかは確認が必要だな。実際、この儀式には謎な部分も多い」

「だよな」

「お前はもう少し不安とか感じたほうがいいと思うぞ」


 何故、この勇者は自分の境遇を疑ったりしないのか。物分りがいいを通り越して不気味ですらある。

 この精神構造は確かに天敵なのかもしれないと魔王は感じる。あまり友達にはなりたくないタイプだ。


「よし、ならば我が軍の者を使って模擬戦でもしてみるか。すでに陥落済とはいえ、ここが最前線である以上、最弱の者でも人間でいう歴戦の兵士以上の実力になってしまうが」

「分かった」

「もう少し躊躇するとか……。喧嘩した事もないんだろ?」

「だって、俺も気になるし」


 良く分からないのにここまで躊躇しないというのは恐るべき才能である。魔王はすでに戦慄すら感じていた。




-数時間後-




「魔王様……勇者の件ですが」

「むっ……どうだった? でかい口を叩いてはいたが、さすがに我が精鋭をどうにかできるとも思えんのだが」


 書類仕事を片付けながら、魔王は報告に来た武官に応対する。

 ここが前線を飛び越えた戦地である以上、本国にいる宰相や大臣の手を借りる事はできない。多少は文官を連れて来ているが、最小限だ。となれば、トップといえども書類仕事をしないというわけにはいかない。

 あの良く分からない勇者から目を離すのは問題かと思ったが、そんな仕事上の問題から模擬戦を見に行く事ができなかったのだ。


「いえその……」

「その様子では拍子抜けといったところか。まあそう言ってやるな。所詮は勇者という役割を与えられただけの少年に過ぎん」


 あの順応性は不気味ではあったが、特に強さなどは感じなかった。見た目や気配だけなら、そこら辺の一般人に劣るとさえ感じていたのだ。最初から強いわけではなく、戦いの中で急激に成長していくモノなのだろうと。


「そうではなく。……どうしたものかと」

「……まさか、勝ってしまったとか言うまいな」

「……はい」


 それはどっちの意味のはいなのか。


「様子見という事で、近衛の従者を勤める者を相手に戦わせてみたのですが」

「初手として無難ではあるな」


 軍全体を見ればそれより弱い者も沢山いるが、ここにいる兵士の中では最弱に近いだろう。作戦の内容から少数精鋭、魔王直属の近衛とその従者くらいしかいないのである。


「試合が始まったところで勇者が武器を投擲。それを追うように肉薄した勇者が相手の従者の利き腕を折り……」

「え、何やってんの、あいつ」

「そのまま奪い取った武器で相手の首を力任せに切断……というか、刃を潰したモノなので叩き潰したというか」

「…………」

「首をもぎ取ったあとも、モンスターならまだ動くかも知れないと、その胴体もめった刺しに……」

「いやいやいや、本当に何やってんだよっ!!」


 意味不明な戦闘能力だった。説明だけ聞いても一切の躊躇が感じられない。


「魔王様の客人という事で相応の扱いにしておりましたが、その惨状に激昂した上官が襲いかかり……」

「ま、まあ、そうなるな。仕方ない。さすがにこちらの落ち度としてその士官は不問に……」

「勇者にバラバラにされました」

「は……?」


 何かの比喩だろうか。……というか、負けたのか? 勇者がバラバラにされたとかではなく?


「殺さないよう丁寧に素手で四肢をもぎ取っていく姿に恐怖を覚え、失禁する者まで出た有様です。この失態は私の首で以て……」

「いやいやっ!! そんな必要はないから!! ……というか、何その……ええ……」

「しかし、ここまでならともかく」

「まだ何かやったの!?」

「勇者はバラバラ死体を踏みつけにしつつ、『魔王様は精強なる軍を求めておられる。という事は、この場に弱者はいらんな』と言い出し」


 なんで勝手に他人の言葉を捏造しているのか。めっちゃノリノリじゃねーか。


「その後、合流のために訪れた四天王の一人をボロボロにした上で、『これで誰が上か分かっただろう』と」

「どういう事なの……」


 まるで意味が分からなかった。なんだその戦闘マシーンのようなバーサーカーは。


「まさか、このまま我の首を狙いに来るつもりではあるまいな」


 思い返すに、最初に自身が敵でない事を分からせたのはファインプレーだったのかもしれない。


「いえその……勇者は魔王軍四天王の上の役職として司令の座を要求しておりまして」

「……うん、もういいんじゃないかな、それで」


 とりあえず反逆されなければいいやと、魔王は思考放棄した。





【2】





「というわけで、軍の引き締めも無事完了したわけだが」

「そうだね。わざわざ前線まで乗り込んで行って、我が軍最強の四天王を順にぶちのめしたのを引き締めって言うならね」


 模擬戦を終え、仮の役職という事で魔王軍総司令の座を手に入れた勇者の行動は早かった。そのまま休む事なく移動用のモンスターを脅して人間と戦線を構える地域へと向かい、そこの指揮官である四天王を順に殴って回ったのだ。グーで。

 指揮官という立場上、前線に立つ事すら稀だが、四天王の実力は歴代の魔王すら凌ぐと言われている強者だ。そして、その実力が本物である事は魔王も良く知っていた。そんな四天王を、目の前の勇者は軽く捻って屈服させたのである。

 こんな化け物が敵として用意されていたなど、魔王は背筋が凍るような思いだった。


「だって、良く分かんねえ奴がいきなり上とか言い出したら縁故人事を疑われるだろ」

「疑われてから行動しろよっ!!」

「先手必勝だろうがっ!! ああ、大丈夫だ。別に重症負わせて戦線崩壊させたりしてないから問題ない。こっち素手だし」


 実を言えば、むしろ全体の士気は上がっていた。魔王軍の大部分は、力こそパワーを信条とする脳筋どもだ。出自が不明とはいえ、最強と名高い四天王を素手で粉砕したのはさぞかし好印象だったろう。


「そうだね。魔王軍に巨大な勇者シンパが構築されつつあるけど問題ないね」

「違う。魔王軍総司令のシンパだ。軍事力の命令系統を一本化するという意味ではむしろ改善といえるだろう」

「せっかくまとめ上げて我に一本化したのに、クソでかい派閥作ってんじゃねーよっ!!」

「大丈夫だ。別に反逆する気ないし。すべての上に魔王様がいるという構図は変わらない」


 それを信用しろというのは無理がある。今ここで首をとられても、勇者は当たり前のように軍を掌握してしまうだろう。なんなら、そのまま人類軍も全滅させてしまうかもしれない。


「お前がそう思っていても、勝手に動くのが派閥というものなのだ。我だってこの座に至るまでにどれだけ辛酸を舐めさせられたか」


 自称魔王軍司令官であるところの勇者と同じ事ができるとは言わないが、魔王が四天王よりも強いのは過去に証明している。しかし、腕力だけでまとめる事ができないのが組織なのだ。


「むう……やはり懲罰部隊と督戦隊の設立は必須か。時期尚早だと思っていたんだが」

「ウチをどんな恐怖の軍団に仕上げるつもりだっ!?」

「魔王軍が恐怖の軍団で問題あるのか」

「ねーよっ!!」

「ならいいじゃないか」


 ……ないけどさあ。もうちょっとこう……体面的なものも必要なんじゃないか、と魔王は心の中だけでつぶやく。

 何故なら、それを口にしたら、すべての条件を加味した上で想像し得るよりも更に苛烈な方法で対処してしまう気がするからだ。

 先代の駄目な部分を反面教師にして、魔王が苦心して作り上げた秩序が、わずかな時間で暴力ありきの恐怖政治へと変貌してしまった。


「というわけで、軍の再編案と新規設立部隊の企画書を作ったから目を通しておいてくれ」

「手が早過ぎるだろっ!! どんだけ有能なんだよ!!」

「実は勇者らしいからな」

「そういう問題じゃねえだろっ!!」


 むしろ、それは勇者に必要なのかという能力ばかりが目立っている気する。それは能力や素養よりも実務経験がモノを言う分野だろう。

 ちなみに、企画書はとても良くできていた。


「……まあいい。しかし、さすがに確実に通るとは言えんぞ」

「結構自信作なんだが」

「なんでそんなに自信を持っているかも気になるがそれは置いておくとしてもだ、いくらお前が軍に巨大な派閥を形勢しつつあるとはいえ、こういったものは軍以外も大きく関わる。事前の根回しが重要だからな」

「大丈夫だ。それはすでに済んでる」

「え、いつの間に」


 企画書といい、一体どこから時間を捻出したというのか。監視も兼ねて、召喚されてから半分くらいは一緒にいたはずなのに。


「まさか、例の如く大臣たちを恐怖で脅して回ったわけじゃないだろうな」

「人を恐怖の権化のように言うな。ちゃんと実利を示して説得して回った」


 どうやったのはともかく、真っ当な手段に聞こえた。

 有能過ぎるのはどうしようもないとしても、手段を選ぶ理性は持っているらしい。でも、恐怖の権化には違いないと思う。


「うしろ暗い事がある奴が相手なら楽でいいよな」

「ちょっと感心したのに……」


 軍に派閥どころか、すでに国家全体が掌握されているのではないかと、魔王は強烈な不安を感じていた。

 天敵を手中に収めたつもりが、内部から食われかけているのではないかと。というか、何故すぐにでも反乱されないのか理解できなかった。


「というわけで、大臣と次官級の汚職の一覧と証拠をまとめておいたから、上手いこと活用してくれ」

「……分かった」

「文体に工夫してみたから、読み物としても期待できるはずだ」

「資料にそんな要素は不要な気もするのだが」

「ただのノリだ」


 爆弾ではあるものの、すごく重要な資料である事に変わりはないので、魔王は素直に受け取る。

 パラパラと眺めてみれば、目につくだけでもどうやって調べたんだよコレ的な情報が山のように記載されている。しかも、信憑性の段階まで併記されていた。


「うわ……宰相の奴、托卵されてたのかよ。だから、ちゃんと家帰れって言ったのに」

「相手が同居している父親というのも生々しい話だよな。遺伝子的に容姿は似てるからバレなかったんだろう」


 しかも、明らかに汚職でないスキャンダルも掴まれている。宰相がこの証拠の数々を見たら嗚咽して泣くかもしれない。仕事にならなくなるのは困るので、この情報は封印だが。


「どうやって調査したのか聞いても?」

「闇蜘蛛っていう忍者っぽい奴らが俺を探ってたから、そいつらを組織ごと掌握してちょっと」

「あの、それ魔王軍の暗部組織なんだけど」

「さすがに優秀だったな。なかなか精神的に陥落しなかった。褒めてやってもいいんじゃないか」


 そもそも、何があっても精神的に陥落してはいけない類の存在なのだが。

 触れたらまずいと分かっていたから警戒して手を出さないように言っていたのに、独自に動いてしまったのか。


「それで、色々調べてて気になる事があったんだが」

「なんだ」


 暗部を掌握されてしまった事実は仕方ないとして、この国の暗部を動員して分からないのはよほどの事だろう。

 下手をすれば、魔王のプライベートな事まで知られている可能性すらあるというのに。今後はケツを拭いたトイレットペーパーの長さすら隠せないかもしれないと覚悟しておく必要がある。


「とりあえずコレを見てくれ」


 そう言いつつ勇者がテーブルに広げたのは地図らしきものだ。


「地図……異様に精度が高いが、既存のものではないな。……どうやって作った?」

「頑張った」


 そうか、頑張ったのか。


「人間の領域の詳細まで……というか、未踏の地の地形まで網羅されてるんだが」

「びっくりしたけど、この世界平面なのな」


 山や海があるのだから凸凹しているのだが、勇者が言っているのはそういう事ではないのだろうと当たりをつける。なんせ、この勇者がびっくりしたと言っているのだ。

 しかし、世界が平面でなければ一体どんなカタチになるというのだ。勇者の世界はそんなに奇天烈なカタチをしているのか。


「ちなみに勇者の世界はどんなカタチをしているというのだ」

「球体」


 その簡潔な答えは、魔王の脳を混乱の中に叩き込んだ。そして、理解不能と判断し、世界が違えばそういう事もあるかと投げ捨てる事にした。勇者も説明する気はなさそうだ。


「カタチはいいとしてだ、分からなかったのは前線の位置だ」

「……ビビるくらいの精度で調べられてる気がするのだが」


 地図に記載されている魔王軍の戦力分布図は魔王が把握している以上に詳細だった。もちろん、現在の最前線についても記載されている。

 一部のみ突出した部分があるのは、勇者召喚のために進めた例外だ。維持するつもりはないので、おそらくそのまま放棄する事になるだろう。


「聞いたところによると、コレ随分長い事このままらしいじゃねーか。攻める気ないのかって四天王が愚痴ってたぞ」

「ああ、その話か」


 それならば、調べても分からないのは仕方ない。


「そんな風に長い事膠着状態が続いていたのに、突然魔王自身が近衛を率いて俺を召喚した国まで突出している。前線から離れているとはいえ、平押しすれば普通に進軍できそうなのに」

「平押しすれば、お前が召喚される。ここら辺……今の前線より少し先くらいがおおよそのデッドラインと、我が判断した」

「時期的なもの……じゃないな。ひょっとして、魔王軍の進行度によって神様か何かが干渉してくる系?」

「相変わらず意味不明な理解力だが、その通りだ。人類が危機を迎えるほどに、神は干渉を強めるらしい。過去に世界征服直前まで追い詰めた魔王は、そこから逆転された。すべての記録が残っているわけではないが、どの時代も似たような時期にカウンターとなる存在が表に出現している」


 現在の戦線は、確実に勇者が召喚されないと判断できるギリギリから、若干余裕を持たせたラインで停止しているのだ。


「その勢力を判定している要素は分かるのか?」

「人類の状況を判断する基準はおそらく国家の数や規模、文明度、軍事力、そして人口だ。中でも人口の占める割合は大きいように感じる」

「なら、人間牧場作って数増やそうぜ」

「…………」


 間髪入れず、嬉々として倫理観の欠片もない対策案を出してくる勇者にドン引きする魔王。よりにもよって、真っ先に出てくるのが同族の家畜化である。しかも、何かを暗喩した言葉ではなくそのものを意味しているのだろう。

 同じ人間だからといって同族として見ていない可能性は高いが、ここまでの言動からして、この勇者なら自分の世界の人間相手でも同じ事をするんじゃないだろうか。というか、それは万が一敵対した場合に同じ事をされるのにも躊躇はないという事でもある。

 魔王は、自分が家畜小屋に繋がれて種馬としてのみ生かされる姿を想像して背筋を震わせた。こいつなら表情一つ変えずやるという確信さえある。


「お前の倫理観は置いておくとして、残念ながら、おそらくそれは失敗する。どうも、人類社会に対する影響度を個別に判定しているようなのだ。脅威にならない家畜を増やしたところで、人類の危機は解消されないだろう」

「なんだ、そうか……」


 何故、そんなに残念そうなのか。


「じゃあ、魔族とのハーフを作りまくって民族浄化っていうのも駄目だな。寿命の差を考えるならかなり有効だと思ったんだが」

「そもそも魔族と人間では子を成せん。我を含め、見た目や構造が人間に近い種は存在するが基本的に別物だ」

「え、そうなんだ……おかしいな」


 何がおかしいのか気になるのが、ちょっと踏み込みたくなかった。こいつの場合、実験と称してそこら辺の魔族に手を出していてもおかしくないからだ。

 それに言及する事でエスカレートしないとも限らない。最悪のケースを想定した場合、魔王は自分のケツの穴の心配すらしなくてはいけない。


「つまり、適度に勢力を残すよう調整する必要があるというわけだな」

「あった、ではなく? 俺はこうして召喚済だぞ」


 勇者はカウンターとして用意された中ではかなり重要と考えられる。だからこそ、魔王は危険を冒してまで阻止に向かったのではないのか。


「資料が少な過ぎて詳細までは分からんが、段階的なカウンターは他にも用意されているはずだ。確実に分かってるのは勇者が使う聖剣や装備の類だな。勇者に付き従ったという従者も含まれているかもしれん」

「俺用の装備と仲間って事か」

「少なくとも、だな。装備にしても肝心の勇者が使えない事で、何かしらの代替策が用意されている可能性も考えている」


 絶大な威力を誇り、一撃で山を崩すと言われた聖剣を勇者以外の者が使ったという記録はない。しかし、使えないとも記述されていない。たとえ半分の性能でも発揮できれば、十分に脅威といえるだろう。

 また、歴史上では勇者の従者が単独で魔王軍幹部を撃破したという記録も残っている。いくら押していても、最大の切り札を奪ったとしても油断はできない。

 魔王はかなり長期的なビジョンで侵略を検討しているのだ。


「なあ、見られているのは人間の勢力だけなのかな。それとも、魔王軍との相対的な勢力差か?」

「資料にその手の情報はないな。そもそも、過去に起こった大戦はほとんどが短期的なもので、同盟など以外で勢力が大きく拡充された事はなかったはずだ」

「なら、やってみるか。魔王軍強化改造計画」

「……構わんが、まさか家畜化して増やすわけではあるまいな」

「強化計画なのに戦力にならないヤツ増やしてどうするんだよ。数も重要だとは思うが、今の魔王軍に不足はないからな。今回は質の強化計画だ」


 魔王はものすごく嫌な予感を覚えたが、どうせ止めるのは無理だろうと黙認する事にした。多分、問題はあっても強化はされるだろうと。

 相対的なモノで勢力評価がなされているのだとしても、こちら側が増えた分には調整もし易い。そして、最も警戒する勇者はこちらの手の内だ。むしろ、こちらが勇者の手の内かもしれないが。




【3】




「これはこれは、魔王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「……誰だお前」


 数ヶ月後、度重なる強化計画の報告が続いたあとの第一次総決算という触れ込みで用意された報告会に、見覚えのない老人の姿があった。

 超胡散臭い見た目をしているが、魔王軍では良くある事だ。見た目普通なのに劇物な勇者がいる分、まともに見える。

 ただ、それらの印象はここにいる理由にはならない。


「あれ、前に報告はしたんだけどな。今回の強化改造計画で、魔王軍総司令の直下に配属した新人研究者だ。爺さんだけど新人」

「……ああ、そんな事を言っていたな。報告内容が毎回センセーショナル過ぎて記憶に残ってなかった」


 この勇者ときたら、短時間の間に無数の新兵器開発と導入実験を発表し、更には兵站の拡充や効率化などの地味な軍再編もこなしてしまったのだ。

 特に脳筋ばかりの魔王軍で、魔王がいくら言っても改善しなかった兵站部門の改善は、多少の問題があろうとも水に流せそうな大功績だ。

 実際、兵站の改善によって軍が受けた影響は大きい。かつては山のように積まれていた前線からの嘆願書が、今では数えるほどだ。

 そんな功績もあってか、かつて軍内で蔑まれていた兵站部門の長は一目置かれる存在にすらなっている。まだ計画段階ではあるが、いくつか勲章を用意してもいいくらいだろう。


「そういえば、前回お前の肝いりと紹介した銃の導入はどうなったのだ」

「あー、あれね。見送り……というか、生産停止かな」

「なんだ。珍しく失敗か」

「失敗だ。アレを導入するのはちょっとマズイ事態を引き起こし兼ねない。具体的に言うとだな……」


 勇者がここまでまっすぐ失敗と認めるのは珍しい。失敗を失敗と認めないのではなく、失敗そのものがないという意味でだが。

 説明された銃の問題点は非常に分かりやすいものだった。

 確かに弓などの武器に比べて訓練期間を大幅短縮でき、威力も大きく射程も長い。導入やランニングコストは非常に高価になるが、大量生産を前提とすればカバーできなくはないと試算が出ていた。

 試作品を多数用意して、報告会に現れたのはロクに訓練をしていない新兵たちだったが、それでさえ十分な戦力になると判断できたほどだ。促成訓練だけで最低限の戦力化が可能というのは大きい。

 しかし、それこそが問題点だという。


「アレが人間側に渡った場合、魔族と人間の身体能力差がないも同然になりかねない。わざわざこっちの強みを消す可能性を与える必要はない」

「……なるほど」


 それは、極めてシビアな視点といえた。人間側だってバカではない。こちらが使っている物を研究し、対策するのはこれまでも当たり前のように行われていた事だ。いくら再現の難しい兵器とはいえ、実物が鹵獲されたりすればあっという間に戦力化まで行くだろう。開発のアドバンテージはあるが、わざわざ無駄に力を与える必要はない。

 魔族と人間を比較すれば、身体能力が高いのは間違いなく魔族だ。身体能力によらない兵器は、むしろ人間側に渡ってこそ真価を発揮するといってもいいだろう。

 尚、それが理解できる頭脳は勇者と魔王くらいで、他は何故導入停止になったのか良く分かっていなかった。


「向こうにお前のような存在が現れないとも限らんか」

「それが一番の懸念点だな。知ってるだけならまだしも、運用方法や問題点を把握しているヤツがいると容易に人類側の戦力が強化されかねない。実物があったら最悪だ」


 魔王はお前のようなヤツがそうそういてたまるかと言いたかったが、いないと断言する事もできないのも確かだった。


「まあ、せっかく無煙火薬の開発までは成功したんだ。人間に渡っても問題ないタイプの兵器を導入しようと思う。とりあえず、原型の残り難い空爆用の爆弾やプラスチック爆弾の類だな。研究は続けて、向こうが火薬持ち出してきたら心折りにいくって方法もあるし」


 勇者は暴力の塊のような存在ではあるが、その実重視するのは精神面のダメージだ。状況や視覚的要素を駆使して相手の心を徹底的に折りにいき、絶対に勝てないと思わせる。

 魔王はこの数ヶ月でそれを学んでいた。直接的にでないにしても、絶対に敵には回したくない。過去の文献には魔王の天敵は勇者とあるが、こんな化け物は誰が相手でも天敵だ。


「報告書を見る限り、今日の議題は例の特殊鋼の生産開始と魔力転炉の効率改善、窒素肥料の試験導入結果についてか……相変わらず無茶苦茶やる」

「照れるぜ」


 訂正するつもりはないが、別に褒めてはいない。この影響を考えるなら、どう考えてもやり過ぎだからだ。利点も多いが、強行した事による影響も大きいはずだ。それを分かった上で強行するのが勇者なのだが。


「それで、宰相と四天王はどうした。今日の会議は全員参加だったはずだが」


 会議室の席はほとんどが空いたままだ。椅子に座っているのは魔王と勇者の二人。元々出席予定になかった謎の老人は勇者の後ろに突っ立ったままである。

 遅刻かとも思ったが、勇者の実力と悪辣さが浸透して以降、そんな真似をするバカはいない。一人二人ならやむを得ない理由があったとしても、揃って全員いないのは何かトラブルでもあったのかと考えるのが普通だ。


「別室に来ている。ちょっと入らなそうだったから」

「入らない? その爺さん以外、他に誰か呼んでいるのか?」


 最高幹部会専用という事もあって、この部屋はかなり広く作られている。

 今回はトップのみの予定だが、仮に副官や各大臣が出席する場合でも手狭というほどではないだろう。


「ちょっとでかくなっちゃって、ここのドアを通れないんだ」

「…………」


 その勇者の言葉に、魔王はものすごく嫌な予感を覚えた。言っている意味は分からないが、説明されても意味が分からないパターンだ。


「ヒッヒッヒッ……」


 何故か謎の老人が笑っている。不気味ではあるが勇者に比べたらどうという事もない。ちょうどいいと思ったので、話題逸らしに使う事にした。


「そういえば、こいつについて紹介してもらえないか」

「ああ、こいつはニベベ・グローブジロ。地下の永久監獄の最下層に収容されていた犯罪者だ」

「そんなヤツ、当たり前のように出してんじゃねーよっ!!」

「ヒッヒッヒッ……」


 というか、その名前には魔王も心当たりがあった。かつて、生物実験を繰り返して大規模な災害を引き起こし壊滅的な被害を出した犯罪者だ。自己改造実験の結果か、どう頑張っても殺せないので永久収容する事になったのだ。

 法的にも物理的にも、絶対に真っ当な手段では牢から出せない。そういう類の存在である。


「大丈夫だ。何か起こったら責任とらせるから」

「ヒッ!」


 そんな怪物じみた犯罪者でも、勇者の手にかかればコントロール可能らしい。この際、どうやって脱獄させたとか聞くのも野暮なのだろう。どうせ、監獄の連中を恐怖で支配したとかそういう事なのだろうし。

 放っておいたら国が壊滅するまで暴走するマッドサイエンティストでも、勇者が手綱を取れば利益になる。それがどんな悪辣な手段だろうが、方向性としては魔王の利益に繋がると理解していた。

 理解と納得にはとてつもない隔たりがあるものの、どうせこの勇者を止める事などできないのだから無意味だ。むしろ、勇者の下に置いて働かせる事こそが刑罰と言えなくもない。だって、魔王ならこの勇者の下で働きたいとは欠片も思えないからだ。


「ちなみに第一次総決算の目玉は大体こいつの手によるものだ。実際に見てもらったほうが早いから、隣の大会議室に移動しよう」



 そう言う勇者に連れられて隣の大会議室に移動してみれば、あるはずの大円卓がなかった。調度品の類を含めて空っぽで、残されていたのは魔王と勇者用の椅子だけだ。


「嫌な予感しかしないのだが、これから何が始まるんだ」

「プレゼンテーションだ。各軍団ごとに成果が異なるから、四天王に発表してもらう。さあっ、入ってくれ!」


 勇者が声をかけると、大会議室の巨大な扉が開かれて、見た事もないような化け物が入室してきた。

 巨大であり、醜悪であり、見るだけで恐怖を撒き散らし絶望の権化とも呼ぶべき怪物。王都に姿を現せば、軍が半壊するのも覚悟で仕留めないといけないと思わせる強烈なプレッシャー。それが六体。


「彼らが、この数ヶ月間の成果だ」

「そ、そうか……めっちゃ強そうだな」


 正直、逃げ出したくなっていた魔王だが、万が一の場合でも勇者がなんとかするだろうと思いとどまる。


「コレを各軍団に振り分けるのか? それとも、新たに彼ら用の軍団でも作る気か。お前直属でもいいような気はするが」

「??? 軍団の再編は予定にないが」


 大変だ。いまいち勇者に伝わっていない。何か強烈な齟齬が発生している証拠だ。このまま進んだら大変な事になる気がヒシヒシとする。


「そ、そういえば四天王も来てるはずだったな。ヤツらへの顔通しも含んでいたという事なのだろう? どこにいるんだ?」

「そこにいるじゃないか」

「…………」


 と、勇者が指差したのは、先ほど入室してきた六名の怪物たちだ。

 どこをどう見ても自分の記憶の中の四天王と一致しない。というか、六人いるし。


「まあ、見違えるほどに強くなったからな。たとえば、一番右の魔剣将軍ガンデなんて、今じゃ俺も聖剣なしじゃ苦戦するくらいだ」

「お、オデ、強クナル……」


 四本の腕であらゆる武器を使い熟し、常に己の強さを求める求道者だった魔剣将軍ガンデが見る影もなくなっていた。

 何故か全身に武器が埋め込まれていて、不揃いの腕が大量に増えている。もはや、どこからどこが胴体なのか分からないほどだ。辛うじて顔と分かる部分も、視点が定まらない狂人のソレである。

 かつて、魔王の戴冠式において『我が剣は我が王の障害となるモノを尽く排除するだろう』と大見得きっていた頃の姿と一切ダブらない。なんてこった。


「そ、そうか……色々あったんだな、ガンデ」


 なんか魔王の言葉に反応して頷いたりしてるので、多分本人なんだろう。


「というか聖剣なしじゃって、資料じゃ基準も曖昧なんだが……いや、ちょっと待て。全然気付かなかったが、お前その腰の剣どうした」

「パクって来た。かなり厳重な隠し神殿だったから、闇蜘蛛何体か死んじゃったけど」

「あ、ああ、そうか。いや、暗部は死ぬのが仕事みたいなところもあるから、それは構わんが」


 勇者は平常運転だった。こいつ、放っておいたら勇者用の装備を自分で全部回収してくるんじゃないだろうか。人類に用意されたカウンターを全部潰して回るつもりだろうか。

 勇者の制御が効かないのは今更だし、敵側が不利になる分にはまったく問題ないと魔王は開き直る。

 そうだ、どうしようもない問題が更に膨れ上がったからといって気にする事はないのだ。0が100になるのは問題だが、10000が10100になったところで大差はない。


「ふう、少し冷静になったぞ。……それで、残りのヤツらも四天王という事か。面影は欠片もないが」

「そうだな。右から順に紹介していこう。二番目の魔獣将軍ラミスだが……」


 魔獣将軍、また変わり果てた姿になって、と魔王の目が少しだけ優しくなった。

 勇者の説明によれば、魔獣将軍ラミスはあらゆる魔族のパーツを取り込み、戦闘中に最適なカタチへと変身する事ができるようになったという。

 燃費が悪くなってしまったため、定期的に人間を捕食する必要があるという弱点も加わったが、前線で補給しながらであれば半永久的に戦えるスーパーソルジャーらしい。

 ちなみに、捕食した人間は現在も腹部で生きたまま消化され続けている。すべてに絶望した人間が無数に蠢き、「コロシテ……」と呻いているのだ。壮絶なビジュアルである。


 続く魔術将軍オリアナと魔霊将軍シジドラは大型化、異形化してはいるものの、見るだけで卒倒するほどの強烈なビジュアルではない。

 単に前二人のインパクトが強すぎただけかもしれないが、秘境の奥地で封印されていた古の魔獣ですと言われれば納得できない事もない程度で済んでいる。まあ、元は普通の魔族だったのだが。


 元々、魔術将軍オリアナは魔術に秀でた四天王だ。改造されてもその特性は変わらず、更に強大な魔術を操れるようになったのが大きなポイントである。

 問題はその内容で、広範囲への悪臭、痒み、精神汚染、呪詛、洗脳、腐敗、治療不可の毒など、嫌がらせの権化のような災害モンスターと化している。都市に足を踏み入れでもすれば、あっという間に災害となり、対策もとれないままに全滅するだろう。

 改造担当のニベベ・グローブジロが保有していた能力を昇華し、完成させた傑作だとか。


 そして、魔霊将軍シジドラはネクロマンサーであった前歴を更に発展させ、前線で死んだ兵士をアンデッド化・異形化させて使役し、即座に合成する事で、弱点だった継戦能力を補ったらしい。

 補ったというか、それはもう別物だろうというレベルなのだが、戦力アップには違いないので魔王は気にしない事にした。


 具体的な戦力は分からないが、おそらく目の前の一体だけでも旧四天王をまとめて葬り去れるだろう事は分かる。正直、魔王は正面からやり合って勝てる気がしない。


「それで、四天王はともかく残り二体はなんだ」

「五番目は元近衛兵長のアッガさんだ。極悪近衛兵長アッガとして新生した。肥大化した頭部を見れば分かるかもしれないが、戦闘力よりもむしろ指揮能力の向上に主眼を当てている」

「あ゛、ア゛アー」


 魔術の一つである《 念話 》により指揮を執るのは珍しい話ではないが、極悪近衛兵長アッガは更に範囲と対象を拡大し、万単位の作戦行動も指揮できるのだという。代わりに自我があやふやになり、直接発言する事もできなくなったが、勇者的には些細な事だ。


「しかし、最後が誰だか分からんな。四天王と近衛兵長は格の面では似たようなものだから、分からんでもないが……」


 闇蜘蛛か、勇者が新規に作った督戦隊の隊長か。


「彼は元々予定にはなかったんだが、自ら改造を志願して来たんだ」

「ああ、強くなれれば手段は問わないって輩は多いからな。ここまでするとは思わなかっただろうが、自分で納得して志願したのなら問題はない」


 たとえ無理やりだったとしても文句を言う気はないのだが、一応フォローしておいた。点数稼ぎである。


「いや、彼の目的は復讐だ。どうしても許せない相手がいたらしい。これからの人生を投げ捨ててでも、力が欲しかったそうだ」


 まさか、自分に対する復讐ではあるまいなと魔王は一瞬怯えたが、それならこんなところに連れてこないだろうと自己解決した。

 勇者ならやりかねないと言われそうだが、この勇者は合理的でそんなドッキリのような真似はしない。存在そのものはドッキリのようなものだが。


「そうか、大変だったんだな。まあ、これからも我が魔王軍のために頑張ってもらおう。……名はなんというのだ?」

「究極生命体宰相バグロだ」

「アレ、宰相かよっ!?」


 最近見ないと思ったら、なんでこんな変わり果てた姿に。復讐したい相手って間違いなく托卵した自分の父親じゃねーか!

 思わず叫びそうになったが、そのツッコミを口にしない分別は魔王にもあった。あまりにも哀れ過ぎる。


「愛と憎しみを乗り越え、己のすべてを捨てて強化された宰相は正に究極生命体と呼ぶに相応しいだろう。嫁と父親をバラバラにして暴れたあと、極悪近衛兵長アッガが人海戦術で止めるまで誰も手出しができなかったくらいだからな」

「もうやめてあげてください」

「ヴォォォオオオオオッッッ!!」


 古傷を抉るかのような勇者の言葉に、究極生命体宰相バグロが嘆きの雄叫びを上げる。


「家帰りたくないらしいから、書類仕事用の机を用意してやってくれ。文武両道ってヤツだ」

「あの姿で文官の仕事をこなすのか」


 可哀想だから、机程度ならいくらでも作ってやろうと魔王は思った。

 そんな視覚的波乱を巻き起こしつつも、魔王軍強化改造計画第一次総決算報告は終了した。


「今思えば、強化改造計画ってそのまんまじゃねーか」


 最初から生体改造する気マンマンである。

 誰もいなくなったあとの執務室で、魔王は今更なツッコミを入れた。




【4】




「今更なんだが、そもそも人間と魔族ってなんで戦争してんの?」


 魔王と勇者の会食……家畜として品種改良したミノタウロスのステーキを食べている最中、勇者がそんな事を言い始めた。

 唐突なのは今更だが、この肉になった元に対して何の感慨も持っていないのが分かるのが怖い。こいつなら、たとえ人間の肉だろうが美味ければ気にしないだろうという確信があった。


「本当に今更だな」


 すでに一年弱の時が経過しているというのに、何故今まで疑問に思わなかったのか。

 特に理由もなく相手を殲滅できる勇者だが、そこに理由が必要とは考えないのか。……考えないかもしれないな。


「実際に戦争は起きてるわけだから、対処が先だろ。ほら、俺ってあくまで尖兵なわけだし、戦略は専門外だ」


 魔王軍の実態としては間違いなく勇者が中心……というか本体なわけだが、それを言うのも今更なので魔王は肉と一緒に飲み込んだ。


「表面的には侵略戦争だな。お互いに、相手が侵略してきたので防衛しているという主張をしている」

「実際には違うと?」

「定義は難しいが、今回の戦争は人類側からの侵略に端を発しているのは確かだ。すでにこちらに組み込まれている領土なのだが、そこにあった国が突然攻撃してきたのだ。我々としてはその国と同盟関係にあった国に逆撃を仕掛けているというのが現状になる。ちなみに、ちゃんと記録も残してあるぞ」


 問題を起こした国を滅ぼしたところで、それで終わらないのが戦争だ。


「理屈としては分からなくもないが、それは表面上なんだろ?」

「本質的なものを言葉で表すのは難しいが、種の生存競争に近いのかもしれん。我々はお互いに対して根源的に嫌悪を抱くようにできている。害がなかろうが、たとえ有益だろうが隣人として存在を許容できない。そういう根源的な対立なのだ」


 それは人間がゴキブリに抱く嫌悪感に似ている。たとえ害がなくとも隣の部屋に人間大のゴキブリが住んでいるとなれば我慢はできないはずだ。

 尚、魔王もゴキブリは嫌いだった。


「そうなのか。あれ、そうなると俺も?」

「……お前の場合は、それ以前に恐怖とか畏怖とかそういう感情が湧き上がるからな」

「失敬だな。俺はこんなにも魔族のために頑張っているというのに。もっと親近感を持って接してもいいんじゃないだろうか」

「間違いなく有益ではあるが、親近感を持つのは無理だろう」


 小手調べの模擬戦で相手をバラバラにしたり、軍にテコ入れと言って生体改造したり、そんな相手に恐怖を抱くなというのは難しい。最近では勇者の姿を見るだけで失禁する者もいるというのに。ミノタウロスとか。


「俺は別にどっちも嫌悪感は抱かないんだが」

「悪感情を持たない相手にあれだけの事ができるのは逆に恐ろしいが、お前はそういったものの枠外にいるのかもしれんな」


 勇者は元々この世界の存在ではないのだ。同じ人類だからといって……いや、コレを人類と見做していいのかは甚だ疑問なのだが、根本的な部分で同族とは限らないのである。


「とはいえ、更に根本的な部分に踏み込むのなら、この世界は神の遊技盤か何かなのだろうよ。ある程度文明が熟せば必ず戦争が起こり、人類の劣勢具合によってテコ入れが入る。一度二度ならともかく、数百年単位で何度も似たような事が起きるとなれば、私のように疑いを持つ者も出てくるはずだ」

「まあ、それが正解なんだろうな。良くある設定だし」


 当事者としては、良くある設定で済ませてほしくないのだが。


「そういえば、人類側のテコ入れってのはこれまで何度も聞いたが、逆はないのか?」

「魔族側という事か? ……ないはずだ。過去に魔族が押されたケースもあるが、少なくとも記録には残っていない」


 勢力を維持できないような状況で記録を残せなかっただけかもしれないが、魔王としてはないと考えていた。


「元々そういう構図なのだろうな。確かに人間と魔族を比較した場合、圧倒的に魔族のほうが種として優越しているのだ。テコ入れなどなければ魔族が人間に敗北する事などない」

「それは身内贔屓とかではなく?」

「ない。たとえば、お互いの正規兵の能力で見た場合、魔族を一体相手どるのに人間は三人必要とされる。これが傭兵や民兵となると更にその差は広がる。兵士として使える頭数もこちらが圧倒している。種族によって異なるが、魔族が誕生してから戦闘可能な状態まで成長するのに費やす時間は、平均して人間の半分以下。寿命も圧倒的に長く、出生率は平均すれば同程度だ」


 極端な話、一人ずつ相打ちに持ち込むだけでも人類側は詰む。


「装備の規格統一が難しいという難はあるものの、製造技術が劣っているわけでもない。魔術研究はむしろこちらのほうが高度だろう。あえて言うなら、人間側に時折出現する突然変異のような猛者だが、こちらにいないわけでもないしな」


 これらの要素は勇者がテコ入れした事によって更に差が開く一方だ。禁忌を禁忌とも思わない合理主義は、相手から見れば悪夢にしか感じられないだろう。


「その上、あいつらは良く内輪で殺し合う。国家が違うならまだしも、内乱もしょっちゅうだ」


 今だって、戦線が停滞しているとはいえ魔族と全面戦争中だというのに、内ゲバで内戦状態だ。度し難い。

 実は勇者が裏で扇動した結果なのだが、魔王は把握してなかった。


「魔族側は違うのか?」

「基本的に脳筋ばかりだから、一度下に付くと決めた場合は簡単に反逆などしない。個人間の喧嘩は絶えんが、言ってみればその程度だ。魔族同士で殺し合うとすれば……魔王が空位の場合くらいか」

「聞けば聞くほど盤石だな。神のテコ入れ以外、引っ繰り返る要素がない」


 だからこそ、魔王は勇者を警戒していたのだ。いや、今も警戒はしているが、意味合いは違う。

 神がどうとかいう以前に勇者そのものが怖いのだ。


「資源に関しても問題ないどころか、お前の言う将来的に重要になるだろうモノまで視野に入れて勢力圏を広げてる有様だからな。正直、逆の立場だったらどう戦えばいいのか見当もつかん」


 大量に分布している鉄はともかく、硫黄や硝石など近々で重要度を増しそうなものは地域単位で勢力圏に取り込んでいる。また、勇者にしてもさすがに兵器化までしないだろうと思う放射性物質についても同様だ。石油やレアメタルは普通に国内で使用しているので全力で確保しにいっているが。

 人類は現在、いや、遥か先の将来まで見越した上で、周囲を真綿のように締め付けられる状態に追い込まれていた。


「実のところ、このまま戦線を進めないほうが無難なのかもしれんな。今現在でカウンターを含めても絶滅まで持っていける気はするが、あまり意味もない」

「魔王様がそれでいいならいいんじゃないか。俺は別に人類に恨みとかあるわけじゃないし」


 恨みもなく淡々とやってしまう事のほうが恐ろしいのだが。


「なら、人類はできるだけまとめて封じた上で、ひたすら内ゲバを煽る方向かな。こっちは資源確保と技術開発に全力投球で宇宙勝利を目指そう」

「宇宙?」

「あ、宇宙ない可能性があるのか。……どうなってるんだろうな、空の上」


 お前の頭の中もどうなってるんだろうな、という言葉が喉から出かけたが、もちろん口には出さない。


「将来的な事は置いておくとしてだ、直近の方針としてはこちらの情報を渡さずにこのまま小競り合いを演出して……」


 と、地味に美味かったミノタウロスステーキを平らげ、魔王が食器を置いたところで勢い良くドアが開かれた!


「お父様っ!!」


 振り返れば、そこにいるのはドレスの良く似合う小柄な少女だ。


「これほどまでに勢力を拡大しながら、あの薄汚い人間共を滅殺しないのはどういうわけですかっ!!」

「高度な戦略によるとしか言えんが……誰だお前?」


 厳重に封鎖されている重要区であるここに入れるのもそうだが、入室までできるのは普通の身分では有り得ない。しかし、魔王にはまったく見覚えがなかった。

 勇者の関係者かと思ったが、少女が詰め寄るのは何故か魔王だ。


「娘の顔を忘れるとは随分無責任な事ですわねっ! 大戦略の件といい、大人しく私にその座を譲るべきではありませんか?」

「いや、さすがにウチの娘を忘れる事はない。偽物にしても適当過ぎるだろ」


 むしろ、忘れたくとも忘れられないのが魔王の娘という存在だった。脳筋。傍若無人。乱暴者。身の丈2メートルを超える巨躯にして、城塞を素手で陥落させる豪腕の怪物。それが魔王の娘だったはずだ。

 見た目もそうだが、言葉使いだってこんな如何にも高飛車なお嬢様といったものではなく、山賊の頭領のようなものだったはずだ。だいたい、間違っても魔王をお父様などとは呼ばない。


『ん? ああ、こいつか、俺様に政略結婚を仕掛けてきやがったからぶちのめしてやった。抵抗するから二度とふざけた口きけねえようにチ○ポ引き千切って食ってやったらようやく大人しくなったぜっ!! ガハハハッッ!!』


 記憶に残る直近の姿とセリフがそれだ。目の前の少女とはどう足掻いても結びつかない。


「合ってるぞ魔王様。それはお前の娘だ」

「いやねーよ」


 ここまで散々有り得ない事を見せつけられて来た魔王でも、さすがにこれはないと確信していた。


「というか、なんで勇者がウチの娘知ってるんだよ。会わせるつもりはなかったんだが」

「前に突っかかられたから返り討ちにしたんだよ」


 それはすごくありそうだった。危険物だから遠ざけてたのに。


「え、じゃあ何か? まさかコレは本物って事なのか? ありえんだろ。生体改造でもして丸々作り変えでもしない限り……ってまさか」

「いや、やってない。本当に気付いたらそうなってた。俺も度肝抜かれたわ」

「マジかよ……」


 勇者の度肝抜くとか、その時点でただ事ではなかった。


「そうですわっ!! 私は愛の力によって目覚めたのですっ!」

「……あ、い?」


 魔王は混乱の極みにあった。脳が思考を拒否している。何故ならば、考えたらすぐに答えが出てしまいそうだからだ。

 しかし、状況はそんな現実逃避を許してくれそうもない。


「……まさか、勇者」

「…………」

「おい、こっち見ろよ!」


 顔を背けやがった。まさか、勇者は真の意味で勇者だったとでもいうのか。


「以前の私は愚かでした。力とパワーと暴力、あとついでに筋肉しか価値を認めず、尖ったナイフのような有様」

「尖ったナイフというか、全周囲に向いたガトリングガンって感じだろうが。近づくヤツみんなミンチにしてただろ」

「ですがっ! 勇者様のチ○ポによって目覚めた私はすでに愛の奴隷っ!!」


 誰か! カメラ止めてっ!?


「す、すげえ……。一体どうすればそんな事ができるんだ」

「や、やめろ魔王っ!! 俺にそんな目を向けるんじゃない!! というか、そこは一人娘を傷物にとかキレるところだろ」


 一人娘とかどうでもいいから、只一人のオスとして勇者に尊敬の眼差しを向ける魔王。


「すでに匙投げてた娘とか別にどうなってもいいんだが、我としてはむしろお前のチ○ポがどんな名器なのか気になって仕方ないぞ」

「や、やめろ魔王っ!? 早まるなっ!! にじり寄ってくるんじゃないっ! 娘の方も見てないでなんとかしろ!」

「ヘタレなお父様攻め……アリかもしれない」

「いや、別にナニするわけじゃなくて、見るだけだから」


 それでも御免だった。何気に初となる勇者VS魔王の構図は、新世界の到来を予感させる。


「ヴォォォオオオオオッッッ!!」

「なんだ騒々しい……って宰相か、どうした?」


 天の助けならぬ、宰相の助け。愛と憎しみにより究極生命体と化した宰相が部屋に飛び込んでくる。

 勇者は助かったと思いつつも、これで宰相まで加わったら洒落にならんと、初めて自分の行いを反省した。


「ヴォォォオオオオオッッッ!!」

「……何、本当か?」

「何故、お父様とその化け物の間で会話が成立してますの?」


 魔王の娘が愛とチ○ポで見違えたように、愛と憎しみは言語の壁すら超えるのだ。魔王と宰相の絆が為せる技である。



「……自称勇者を捕獲した?」




【6】




「くそーっ!! 離せっ!! この化け物共がっ!!」


 魔王の居城、謁見の間にて一人の少年が拘束されていた。身に寸鉄も帯びず、というか全裸で周りを近衛兵という名の怪物に囲まれている。

 一糸たりとも乱れぬ規律は、すべての近衛兵が極悪近衛兵長アッガの統制下にある事を意味している。当の本人は謁見の間の片隅で涎を垂らしているが些細な事だ。


「で、そいつが勇者だと?」


 報告直後、勇者のチンポに興味津々なのを振り切るようにして移動してきた魔王が言う。

 勇者など有り得ない。自分の呼び出した本物の勇者が目の前にいるのだから。


「くそーっ!! てめえが魔王かっ!?」

「……クククッ、そうだ。我が魔王だ、自称勇者よ」

「誰が自称だっ!!」

「いや、仮にも勇者を名乗っておいて、ウチの一兵士に負けるなどありえんだろ。自称で十分過ぎるわ」


 魔王の中での勇者像は異様なまでにハードルが上がっていた。

 単身で魔王軍すべてをぶちのめし、敵対する者には一切の容赦はない。経済の概念を根本から破壊し、指先一つで子供が大人を殺せる武器を量産し、扇動によって相手国家を内乱に陥れる。そういう悪辣な存在が勇者なのだ。決して、前線でただの兵士に叩きのめされるようなバカではない。


「ちくしょうっ!! てめえらが汚い真似で聖女を惨殺し、聖剣を強奪しなければこんな事には……」

「……聖剣はともかく、聖女?」


 お前、何か知ってる? とばかりに気軽に勇者へ視線を送る魔王。勇者はその視線がねっとりしているような気がして一瞬狼狽えるが、すぐに平静を取り戻す。


「覚えはないが……どっかで殺しちゃったかも」

「まあ、お前ならありそうだが……」


 この勇者がそんな些事を気にするわきゃないのである。自分に用意されたヒロインなど必要ないのだ。


「あっ!! くそ! やっぱりいやがったかっ!? 同郷の召喚者が! おかしいとは思ってたんだよっ!!」


 自称勇者が勇者の姿を認めた途端騒ぎ始める。しかし、拘束している近衛兵の手は一切揺るがない。


「……同郷? まさか、貴様もこいつと同じ世界の者だというのか?」


 ただの自称勇者かと思ったら、同じような手順で召喚された可能性を帯びてきた。

 確かに、黒目、黒髪の平坦な顔は作りが似ていなくもない。人種どころか種族も違う魔王にはそこまで区別がつかないが。


「そうなん?」

「そうだよっ!! どうせてめえも勇者とか祭り上げられて呼び出されたんだろっ!!」

「そうか、まさかこんな世界で大日扶桑国の同郷に会うとは……」

「え?」

「え?」

「……え?」


 その場にいる者すべての時が止まった。


「え、お前、日本人じゃないのか?」

「日本?」


 一切話が噛み合っていない。魔王は、一体どうすんだよ、この空気と言わんばかりに天を仰いだ。


「つまり、別に関係のない国の別人という事だな。お前のようなヤツがいる国から現れたと聞いてちょっと危機感を覚えてしまったが」

「失敬だな魔王。俺はこんなにも魔王様のために働いてるというのに」

「事実だから何も言えん」


 これまで勇者がやってきたのは間違いなく有益なのだ。取り繕わない事の反動で色々おかしくなっているが、敵対している人類国家の惨状を見てあちらの方がいいと言えるヤツはいないだろう。

 ただ一〇の益を出すのではなく、一〇〇の害と一〇〇〇の益、そして敵対者には万の被害を与えるのが魔王にとっての勇者という存在だった。


「こんなヤツが勇者だったのなら、我も怯える事はなかったのだがな。とんだ期待ハズレと盛大にこき下ろしていただろう」

「何言ってやがるっ!! 俺が勇者だっ!!」

「残念ながら、勇者が世界に一人しか存在し得ない事は分かっている。そして、勇者の刻印が消えていない以上、こいつが……こいつが勇者である事は間違いない」

「おい、なんで言い淀んだ」


 今更ながらにして、こんな化け物が本当に勇者なんだろうかと疑問に思ってしまったからである。


「まあ、俺の痣はこの通りだしな。消えてもいない」

「馬鹿な……それは勇者の刻印……。じゃあ俺のは一体?」

「……俺の?」


 その言葉に引っかかりを覚えた魔王。


「……いや、ちょっと待て。何故お前にも同じ刻印がある!? なんだ、その下腹部の刻印は」

「これが正真正銘の勇者の刻印だっ!!」

「淫紋じゃねーか」

「淫紋じゃねーよっ!!」


 それは勇者が仮に想定した、いやらしい位置に刻まれた刻印だ。ただのイメージで別にいやらしくもなんともないのだが、何故か勇者と同じ刻印が全裸の自称勇者の下腹部にもあった。


「なにかの不備か? 確かに前例がないだけで、有り得ないとまでは言わんが」


 あまりに三下っぽくて自称を疑ってなかった魔王だが、こうなると勇者召喚の術式に不備がある可能性が出てくる。

 むしろ、ウチの化け物が本当は勇者ではないと言われれば、そうかもしれないと思ってしまうほどだ。だってそういう範疇じゃないし。


「おい勇者」

「なんだよっ!?」

「お前ではない。ウチの勇者、お前の聖剣をそいつに持たせてみろ。それではっきりするはずだ」

「ああそうか、ただの自称なら持っただけで爆散するな」


 勇者の聖剣は絶大な威力を誇るが、使用者を選ぶ。実験としてこれまで数多の魔族が犠牲になったが、どれだけの強者でも聖剣を持った途端に爆発するのだ。

 それは捕虜として捕らえた人間でも変わらない。ついうっかり、捕虜交換が成立済の貴族の子息で試して爆散させてしまったのは記憶に新しい。

 尚、爆散した死体を魔霊将軍シジドラの能力で繋ぎ合わせ、何食わぬ顔で先方に引き渡したところ、相手方の当主は卒倒した。


「な、なんだとっ!? 聖剣がそんなヤバいものだとは聞いてないぞっ!! や、やめろ!近づけるなっ!? 俺が勇者じゃなかったらどうするんだ!?」

「それはそれで問題ないだろ。ほら、持て」

「い、嫌だーっっ!!」


 特に何の感情も見せず、持っただけで爆散するかもしれない危険物を拘束された自称勇者の手に渡す勇者。


「むっ!! な、なんだこの輝きはっ!!」

「……淫紋が、輝いている?」

「淫紋じゃねーっ!! って、いや、なんだコレは、やっぱり俺が勇者で合ってるんじゃねーかっ!!」


 聖剣を手にした途端、下腹部の淫紋を中心として輝き始める自称勇者。その輝きは、爆発する寸前の爆弾の輝きではなく、神聖なものだと分かる。

 そして魔王も、それが本来の勇者に備わっているものだと確信してしまった。対として用意された天敵故に。


「ふ、ふははははっ!! 力がみなぎってくるぞっ!! そうだ、コレだ、コレだよっ!! こういうチートがあれば俺は誰も負けねえっ!!」

「いや、返せよ」

「おぶぇっっ!!」


 勇者としての力なのか、調子にノリかけた自称勇者が拘束を振りほどいたところで、勇者の鉄拳パンチが炸裂する。ジャブで顎の骨を砕かれた自称勇者は喋る事すらできない。


「しかし、どういう事なんだ? こいつが勇者?」

「確かにあの輝きは魔王である我が勇者と確信するものだったが」

「じゃあ俺は?」

「…………」


 魔王は混乱している。

 勇者が聖剣を持っても爆散はしなかったが、あのような輝きを放った事もなかった。状況だけ見るなら、自称勇者のほうが本物ではないかと思えてしまう。


「まあいいか。こいつが勇者かもしれないって事は殺しちゃまずそうだし、取り敢えずニベベのいた監獄に繋いでおこう」

「あ、ああ……お前が気にしないならいいんじゃないか」


 本人は一切気にしていない様子だが、魔王としては気になってしょうがなかった。

 状況証拠と自分の中の確信を信じるならあの自称勇者が本物なのだろうが、それはそれでこの勇者はなんだという話になってしまう。

 なんだコレは、ミステリーか何かだったのか。


「って、そうだ! そういえばお前の名器を拝ませてもらうところだったな」

「そんな約束してねー! 俺はこいつぶち込んでくるから、じゃ!」

「ま、待つのだ、勇者よっ!!」


 一体ヤツは何者なのか。ヤツの男性器はどれほどすごいのか。すべては謎のまま、魔王軍は今日も陰湿にして苛烈な侵略を進める。




【 後世の人物評 】


■レヴィターIII世

 レヴィター・ザル・バルドラーIII世は旧世界において実在したとされる邪神の一柱。魔王として世界を震撼させ、人類を滅亡寸前にまで追いやった。レヴィターという名前は当時の魔王国に多く存在するが、単にレヴィターと呼ぶ場合は主に彼の事を指す。


[ 概要 ]

 レヴィター・ザル・バルドラーIII世は当時の魔王国財務大臣レヴィター・ザル・バルドラーII世の子として誕生する。

 幼少期の記録はあまり残されていないが、当時としては高水準の教育を施された、生きながらにして内外から邪神と呼ばれ続けた治世の下地を構築したようだ。

 若干十歳にして喧嘩した相手を解体し、その場で解剖、魔族の身体構造について研究を始めたという残虐なエピソードを始め、創作とされた逸話を多数持つが、幼少期のソレは信憑性に乏しい。

 とはいえ、のちの治世下における苛烈な行動を見るに、何割かは実際に行った事だという意見が大きい。


 旧世界歴6789年、前魔王であるガイザIV世に反逆した罪により投獄。長い獄中生活の中、監獄内で自身を頂点とする独自の組織を形成した。

 旧世界歴6829年、ガイザIV世が勇者に討伐され、魔王国が混乱の極みにある中、監獄を脱出し、王位を簒奪する。

 暴力によって強引にまとめ上げられた体制は歪ながら、強固な独裁体制へと移行し、人類にとって悪夢と言われる時代へと突入する。

 残酷、悪辣、卑怯、傲慢、色情魔と、存在するすべての罵倒の言葉を合わせても足りないとされる恐怖の統治は、価値観そのものが違う旧世界においても苛烈そのものであったという。


 人類を総家畜化し、それ以前の文明の一切を焼き払う。

 前魔王の致命傷となった勇者に対し、聖剣を呪いの剣にすり替えて殺害する。

 洗脳した人間を送り込み、内乱を誘発する――。

――など、敵対勢力へは一切の慈悲が見られない。また、味方勢力に対しても――。

 禁忌とされる生体改造を自らの手で行う。

 反逆した兵士をステーキとして調理し、晩餐会を開く。

 配下の妻を強引に籠絡し、目の前で夫の陰部を引き千切り喰らう――

――などと、のちの世で文献を精査した歴史研究家が気を失うような行為を日常的に行っていた。


 旧世界の魔族であるが故に歴史資料はそれほど多くはないが、複数地域で同内容の記述があり、信憑性が高いとされるものだけでもその凶悪さが際立っている。

 人類の文明再興後の歌劇や現代の映画に至るまで、様々な考証でその凶悪さが描かれてきたが、近年公開された禁書庫の資料によって、創作だとされていた逸話のほとんどが真実だと証明されてしまい、人が想像する最悪よりも尚悪辣な存在であると世に知らしめた。

 この資料群は旧世界を知る一級の資料として、専門の資格を持つ歴史学者に対して公開されている。


 娘が存在したとされる資料もあるが、おおよそ創作であるとされている。

 創作の根拠とされる資料も、記述されている話は残虐そのものであり本人を指していると思われるものが多い事から、のちの作家が散逸した資料を読み解いた結果生まれた架空の存在である説が有力である。

 良く勘違いされてるが、当時の魔王国は世襲制ではなく、魔王が空位になる度に高位の魔族が群雄割拠して継承権を争うという制度だったため、魔王は後継者を必要としていなかったという点も大きい。

 また、いくつかの資料によれば男色家であったという説もあり、それが娘という架空の存在を生み出す切っ掛けになったという説もある。


[ その他 ]


 長年の研究により、旧世界における言語はおおよそ解明されたが、魔王の日記をはじめ、いくつの文書はまったくの別言語で記述されている事が知られている。

 資料の乏しさから研究すら困難であり、未だ解明されていない言語だが、一般的な学者の見解では魔王が作り出した暗号用の言語という説が有力と見られている。

 本ページ下部に添付されている実物の画像を見て分かる通り、現存するどの言語とも共通点が見いだされていない。

 ただの偽装用文書であるとする説もあるが、解読には懸賞金が掛けられているため、専門に研究を続ける言語学者も多い。




○ 魔王の日記とされる文書の最終ページの画像


[ くそ、あの野郎、全部我に押し付けて逃げ切りやがった。というか、あいつ結局誰なんだよっ!! ]






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