第29話 心の部屋

「よし、それじゃ寝ようか一花」

『歯磨きはしたよ!』


 一花が私と一緒に寝るようになって一か月ほどが経った。

 昼間は戦闘員としての勉強をし、夜に私の寝室にやってくる形だ。


 一緒にお風呂に入って、一緒にパジャマへ着替える。

 そして体を寄せ合ってスヤスヤ。

 すっかりこれが日常になった。


 でも田中さんからは「そろそろ寮に戻しましょう! これ以上総統にご迷惑をかけるわけには……」と言われている。

 そこは一花次第なのだが、この子もだいぶ元気を取り戻したように見えた。

 私がいなくても、もう寝ることは出来るだろう。


 楽しかった二人の夜もお別れの時が迫っている。

 今夜は一花の小さな体を、ぎゅっと抱きしめながら寝ようかな。


『総統また不思議な顔をしてる』

「うん?」


 私の顔をじっと眺めながら、一花は文字を入力した。


『ときどきそんな顔になる。どんな風に言えばいいか、よく分からないけれど、とにかくいろんなことを考えてる顔だと思う』

「ああ。心配させちゃったなら、ごめんね」

『ううん! 嫌じゃないよ! 総統はいつもがんばってるもん! たくさんの世界のことを、一生懸命考えてる! すごい立派だよ!』

「ふふ、ありがとう一花」

 

 それにしても一花の観察力はなかなかのものだ。

 確かに今この瞬間も、一花を抱っこしたいという思いと、900世界の滅亡についての想いが同時に存在していた。


 あの世界の滅亡によって黒い四面体は全滅した。

 これで他の世界が侵略を受けることはなくなったのだ。

 間違いなく、喜ばしいことである。


 されど悲劇は悲劇だ。

 数多の苦しみと膨大なる死。

 その責任は最終的な命令を下した私にある。


 罪悪感を感じないのか、と問われれば。

 もちろん感じる。だがそれで心が大きく揺らぐことはない。

 

 これは罪の意識が小さいというより、永い年月と異能の進展によって、心が巨大になりすぎたというべきだろう。

 普通の人間だったら耐えられない罪の重みも、巨大化した精神ならば余裕で積載できる。


 潰される不安もないので、じっくりと自らの罪を眺められるのだ。

 眺めなければいけない。

 いつまでも。

 いつまでも。


「一花、私はね、心に鍵をかけているんだ」

「プラ……?」


 唐突な私の言葉に一花は驚いたのか、デバイスへの文字入力が出来なかった。


「私の心は人間だったころとは違う。全く違う。もし、人間だったころの記憶を無闇に今の心に晒すと、その記憶が破壊されてしまうかもしれない。だから、かつての思い出は慎重に取り扱わないといけないんだ」

『えっと、えっと』

「ああ、さっきの話の続き。私が変な顔をする理由の一つ。私の精神の奥底には昔の記憶を保存する部屋があって、鍵がかけてある。人間時の記憶の部屋だけじゃなくて、他にもいろんな時期の記憶の部屋もある。私の心は異常進化を続けているからね」

『記憶の管理って大変なんだね』

「私がする不思議な顔っていうのは、記憶を慎重に部屋から取り出している時、してしまうものでもあるってこと」


 一花は少し考えているようだった。

 私の話を、自分の頭の中でまとめているのだろう。

 

 ……ああ、その。

 寝る前の雑談のつもりだったんです。

 なんか重大な意味があるとかそういうのじゃないんです……。


 やがて、考えがまとまったのか、一花はデバイスを私へ向けた。


『わたしもいつかそうなるの? そうなるとしたら、今から気をつけておくことはある?』

「ああ一花はかしこいね。未来について想うことが出来ている。そうだね、何が自分にとって一番大切か考えることかな。記憶の保管室に何を入れるか。それを決めなくちゃいけないからね」

『一番大切なもの? うーん』

「いますぐ決めなくても大丈夫だよ。さあ、あんまり遅くなっても大変だから」


 明日はいよいよゲートが復旧する日だ。

 グランシードの封鎖は終了し、他支部とのアクセスが可能となる。


 いろいろと忙しくなる。だから早めに寝ておかないとね。


「おやすみ一花」

『おやすみなさい!』


 私は寝室の明かりを消した。


 さて。

 今日はどんな夢を見るのかな。

 人間だったころの夢をみるかもしれない。


 部屋に鍵をかけていたとしても、記憶が精神に影響を与えるのが夢だ。

 記憶の本体は保管室にあるが、ごくわずかな粒子がドアをすり抜け心をさまよう。


 粒子は心と混ざり合い、私に昔の夢を見せる。

 本体は何事も無いから、安心安全に過去の記憶と戯れることが出来るのだ。


 それにしても。

 なんだか最近は桜の夢をよく見るなぁ。

 

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