月が綺麗だな~東京都知事に成り上がるため、恋人と共に策士野郎に成ります~

大瀧潤希sun

第1話 月が綺麗ですね

 俺は、この世に鬱屈とした感情を抱き締めている。


 そんななか、電信柱の真上から月が覗いてくる。

 俺には月が綺麗ですね、と投げ掛けた女性がいた。

 夏目漱石が「i love you」を和訳にしたとき、月が綺麗ですね、と比喩した言葉を、俺は告白に用いたのだ。


 🌛


 それは高校入学時にまで遡る。冬月と出会ったときのことを語るには。

 斜陽が廊下に射し込んでいるなか、俺は忘れ物を取りに教室に戻っていた。

 橙色の陽炎に染まっている教室のなかには、屈みこんでいる女子生徒がいた。


「あの、大丈夫?」


 どうにも気分が悪そうな女子生徒がこちらを見て目を細めた。


「とくに・・・・・・気にしないで、ください」


 辛そうに言った。

 ああだったらそうさせてもらうよ、と突き放せるほど俺は、高田麒麟は冷血ではなかった。

 俺は彼女の背中を擦りながら、スマホでこの高校に電話を掛けた。そしたら運良く担任が出る。


「はい、慶應義塾高校、飯田です」


「あっ、先生、俺です。高田。ちょっと教室に来てもらえないかな。体調不良の生徒がいるんだよ」


「・・・・・・・分かった。でも高田、あんまりこういう使い方すんなよ」


 俺は苦笑する。後で注意を受けるのは飯田先生の方なんだよな、と悪く思った。

 数十分後。保健の教諭と担任が教室に訪れた。保健の教諭は血圧測定器とSPO2を測る機械を持ってきていた。


 冬月を椅子に座らせ、サキュレーションを計測する。

 ちょっと低めな数値に、保健の教諭は、

「一応、保護者に連絡しておくから、受診するように」

 と言った。

 俺が玄関まで連れていくよ、と言って彼女を支えて歩いていく。


「ほんと、ごめん」


「え?」


「こんなことやらせてしまって、申し訳が立たないわ」


 俺は笑ってやった。


「心配すんな。こんなの朝飯前だ」


「時間的に、夕飯前だけどね」


 冬月の冗談で大笑いした。


「俺の家、食堂やっているからいつか食いに来いよ。夕飯前の空かせた腹、満足させてやるから」


 🌛


「母さん、手伝うよ」


 昭和五十年から創業している大衆食堂「桜」には、今でも多くの地元の客が来てくれている。

 建築現場で働いている、頭にタオルを巻いたおっさん――金森匠。いつもの大盛りの白米になめ茸をかけて掻き込んでいる。そして母さんに業者や現場監督の愚痴を溢し、唾を飛ばしている。

 俺はこの店も、この客も、みな好きだった。


 しかしそれが崩壊するとは思ってもみなかった。

 深夜三時。トイレに起きるといつもは真っ暗なリビングの電灯が点いていた。

 覗くと何かしらのパンフレットと明細を見て、眉間に皺を寄せている母さんの姿があった。

 パンフレットは、『夢ランドシティ都市計画』と書かれている。それから察するに、あの明細は母さんの銀行に入る店の立ち退き料のものだろう。


「母さん・・・・・・」


「なに、麒麟――」


「それ、本当に立ち退きするの?」


 え、っと母さんがこちらを見つめてくる。意外そうな顔だ。


「ごめん。見ちゃった。でも、この店が立ち退きに遭ったら困る客もいるだろう」


「それぐらい、分かってるって」


「いくらなの。立ち退き料は?」


「・・・・・・三百万」


 ――たった、三百万。

 僕は腹立たしさから壁を殴った。

 完璧に嘗められている。


 怒りが轍のように積み重なっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る