第52話


 母は体が弱くよく体調を崩していた。季節の変わり目や激務が続いたときなどはすぐに風邪をこじらせて寝込んでしまい、連日病院に通うこともしばしばだった。そんなときは僕が瑠花の手を引いて学校帰りに母を迎えに行ったり、寝込む母に代わり家事を担当したりした。


 叔父が家に入り浸っているのも、そういう事情があるから諦めるしかないと思っていた。


 僕は叔父が大嫌いだ。あの下卑たヒゲ面も胴長短足の中年太りも、叔父のすべてが僕を不快にさせた。帰宅して玄関に叔父の靴があるのを見つけると、とたんに空気が不味くなるように感じた。


 叔父が実際に何をしていたのかは知らない。少なくとも当時の僕は知らなかった。しかし、子供の直感なのだろうか。叔父が母を苦しめていることは分かっていた。


「………なんだよ、俺に何か用か?」


 そう言って羽虫でも見るような目で僕を睨むことがほとんどだった。


「ガキはあっちへいってろ。俺は忙しいんだ」


 ソファにどっかり座り込んでテレビを独占していて何が忙しいのか。


 父はこんな叔父にも優しい顔をしていた。


「まあまあ、あれでもしっかりした弟だから。妻の身を案じて手伝いに来てくれているんだから邪見にしたらいけないよ」


 そう言って僕をさとすのだから救いようもないだろう。


 叔父が僕のテリトリーを侵食しているのは明らかなのに何もしない父に対して憎悪すら感じた。


 もとから体の弱い母だったが、僕が小学四年生になってからは、より顕著になった。ある日、朝になっても母が帰ってこない日があった。その日は何かの祝日で学校が休みだったから僕も瑠花も家で大人しく過ごしていた。ママがいないと騒ぎ立てる彼女をなだめながら間に合わせの昼食を作っていると、昼前になってようやく帰ってきた。


「何があったの?」と、訊ねても、母は青ざめた顔に微笑を浮かべて「何もないから。心配しなくていいよ」と言うだけであった。しかし、母の後ろに叔父が立っているのを見て、僕は叔父が母を苦しませたのだと思い、それから叔父を毛嫌いするようになった。


 叔父が家に出入りするようになったのはそれからしばらくしての事だった。


 今にして思えば、僕はもっと早く叔父を殺しておくべきだったと思う。


 父は使い物にならないと分かっていたのだし、結局、そうなってしまったのだから。


 母は叔父に苦言を呈する僕に向かって「心配してくれてありがとう。でも、あなたが心配することは何もないのよ」と言って、なだめてばかりいた。


 母なりに家族を守ろうとしていたのだろう。


 僕は、叔父を排除することは母を裏切る事だと考えて実行に移せなかった。


 生きているうちは、実行に移せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よく恋愛相談を持ち掛けられる友達想いで清楚でクールビューティーなお嬢様の『私』が無口で不愛想で生意気な陰キャの『アイツ』なんかと付き合うわけがない あやかね @ayakanekunn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ