よく恋愛相談を持ち掛けられる友達想いで清楚でクールビューティーなお嬢様の『私』が無口で不愛想で生意気な陰キャの『アイツ』なんかと付き合うわけがない

あやかね

第1話


 いただきますの挨拶をする。家には自分以外誰もいないのに。


 いってきます、ただいまの挨拶もする。返事が返ってくることはないのに。


 タワーマンションの高層階に住んでいたって、そこに誰もいないのなら石の塔に閉じ込められているのと何も変わらない。


 リビングとダイニングとキッチンが一緒になった開放的なフロア。白い壁と黒を基調にした家具類。床も白みがかった木材で作られていて、色彩に乏しいのになぜか高級感を抱くのは、東の壁を一面ガラス張りに変えているからだろうか。夜景を一望できるこのマンションは、都内の一等地にあるらしい。とても綺麗だと思う。ここにあるのは清潔感に溢れたゴミだ。


 私はあの人たちに閉じ込められている。保護者面をした、世間体の操り人形たちに。


 朝起きて、学校へ行って、帰ってきて、眠る。それだけの生活。そのためだけの部屋。


 一人っきりなのに挨拶をするのは、自分が生きている事を実感するため。


 学校へ行けば居場所はあるけれど、それも、『私』を必要としてくれる場所ではない。


 あてがわれた役割が拷問器具のように痛くて、でも逆らえない。


 私らしく生きたい。でも、その私らしさも与えられたものだったとしたら、


 『私』って、なに?


     ☆ ☆ ☆


 雨が窓を叩くぽつぽつという音が、まるで鼓膜の中で波紋を起こすように感じられた午後の事。ぼんやりと窓の外を眺めながらそれらの音を聞いているうちに、私はウトウトとして、つい、大きなあくびをしてしまった。


「ねえ、桃園さんはどう思うの!」


 目の前に女の子がいた。釣り目がちの眼が気の強そうな印象を与えるほかはいたって普通の、これといって特徴のない女の子だった。とびぬけて可愛いと表現する事はできないけれどブサイクでもない。眉をひそめて私を睨んでいるけど、真剣な表情なのか怒っているのかも分からない。そんな子がいきなり大声を出したから私は椅子から浮き上がるくらいビックリした。


「はい?」


「はい? じゃなくてさぁ……ちゃんと聞いてたの?」


 その子は呆れたようにため息をついた。名前は何といったっけ……忘れてしまった。


 でも、話はちゃんと聞いている。


「彼氏が最近冷たいっていう相談でしたよね。誕生日なのにおめでとうの一言もない。電話にも出てくれない。理由を聞いたら、友達と遊んでたとか、先輩と食事に行っていたとか」


「そう! そうなの! これってぜったい浮気だよね!」


「さあ……話を聞いた限りではなんとも……」


 今は昼休み。午後の授業の準備を終えて小説を読んでいると、いつものように恋愛相談を持ちかけられた。中学時代から付き合っている彼氏が高校に入ってから冷たくなったというよくある内容だった。


 いつの間にか習慣となった恋愛相談。正直、困る。


「彼氏さんは他所よその高校にいらっしゃるんでしたよね? きっと今の環境が楽しいだけで、浮気と断定するのは早いんじゃないでしょうか」


 私は、何を言うのが適切か分からず当たりさわりのない答えを返した。


「でもそれって、彼女をほっといてやることじゃなくない?」


「彼女だから待ってあげる。というのもあると思いますよ。環境が変われば人が変わる。人が変わればお二人の関わり方も変わるものではないでしょうか? 押してダメなら引いてみろともいうでしょう?」


「諦めろってこと?」


「引くっていうのは、あなたにも新しい友達ができたことをほのめかすということですよ。友達とこんな事をしたとか、部活でこんな事があって充実していると伝えて、相手に会いたいと思わせるように誘導する事です」


「なにそれむっず……」


「恋にもいくつか段階があるという事ですよ。これを乗り越えたらまた優しくなると思いますから。頑張ってください」


 女の子は難しい顔をして帰って行った。ちょうど昼休みが終わる時間だった。彼女は別のクラスらしく、「次はなんだっけ、体育……?」と憂鬱そうに呟いていた。私は古典だ。ご愁傷様。


     ☆ ☆ ☆


 ようやく平和になったと思って小説を取り出すと、今度はもっとやっかいなのに絡まれた。青みがかかった灰色のカーディガンを腰に巻いて、リボンを崩してブラウスの第一ボタンを開け放つ豪快なスタイル。地毛だと偽ってはばからない金髪も、誰がどう見ても化粧をしていることが丸わかりのパッチリまつげも、私にとっては危険色に他ならない。


 小宮こみや朱音あかねまごう事なきギャルだ。


「や、今日も名アドバイスでしたな。先生」


「小宮さん……そう簡単に言いますけどね」


 私が小説を閉じて顔を上げると、彼女は前の席に男の子が座っているのにも関わらず、その椅子の背もたれにどっかりと腰を下ろした。


笠倉かさくらくんが潰れてますけど」と私が注意すると「え? 笠倉ならだいじょぶっしょ!」と、カラカラ笑った。まったく、横柄な人だ。


「ていうかさ。れんれんのアドバイスはいつ聞いても含蓄があるよねぇ。人生2周目ですかってくらい聞き入っちゃうよ」


「そんなことはありませんよ。こう見えても内心はドキドキしてるんですよ? うまく答えられてるかなぁ。ちゃんと思いに沿えているかなぁって。なにぶん、そういった経験があまりないものですから」


「またまたぁ。そんなこと言って実は経験豊富なんでしょ~? その落ち着いた声で言われると信じそうになるからマジ困るわ~」


 小宮さんはブラウスのボタンを一つ外して胸元を開けてみせた。高校生らしくないレースの下着だった。それを私にだけ見える角度で、襟をつまんでヒラヒラと動かすのだからたいへん弱った。「ね、桃園さんもこ~ゆ~の着たりするの?」


「経験なんて無いですっ! ゼロです。ゼロ!」


「赤くなっちゃって、わざとらし~~。そんな嘘つきオオカミは、こうだ!」


 突然回りこんで来た小宮さんが抱き着いてきた。人前で何てことをするのだ!


「やめなさい! もう授業がはじまりますよ!」


「あれ、もしかして恥ずかしがってる? あのれんれんが?」


「あのれんれんって何ですか! いいから離れてください! 小宮さん!」


「や~~だ~~。あ~良い匂いがするなぁ!」


 抱き着くだけではあきたらず、なんと髪の匂いまで嗅ぎ出したではないか。これはもう許しておけぬと脇腹の肉をつまむと、小宮さんは「ふぎゃっ!」と尻尾を踏まれた猫のような声を上げて離れた。


「押してダメなら、どうするんでしたっけ?」


「引いてみろ……うぅ、帰ります」


 もう授業が始まるというのににぎやかな人だ。彼女と接する事に不快感は無いけれど百メートル走を走った後のような疲労感は覚えてしまう。その疲労も嫌いではないけれど。


「まったく……あの元気はどこから来るんでしょう。ん?」


 彼女を見送って視線を戻すと、ふと、前の席の笠倉くんと目があった。アレをどうにかしろと言いたげな、不機嫌な顔をしていた。


「災難でしたね」


「そう思うなら、飼い主らしくちゃんとしつけて欲しいものだけど」


「あら、私が飼い主のように見えますか? 手に負えなくて困っているんですけど」


 笠倉くんはため息をついて、「あんたよりはよっぽど扱いやすそうだけどね」と言う。


「それはお互い様ですね。笠倉くんも、小宮さんと仲良くしてみてはいかがでしょう? 意外と親しみやすい人ですよ?」と私が返すと、何も答えず、不味いものでも食べたような顔をして、正面に向き直ってしまった。


 ちょうど、5限目の開始のチャイムが鳴った。


 勝ったな。と私は思った。

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