日常探偵
羽弦トリス
第1話動く
愛知県中川区の雑居ビルの3階の事務所に彼はいた。
紫煙を燻らせ新聞を読んでいるのは、この物語の主人公、岡本弘和45歳だ。
彼は独身だ。
「先生、おはようございます」
と、事務所に入って来たのは一応秘書の小林千紗27歳。
小林は、秘書と言うより電話番のみが仕事。
岡本にお茶を出して、今日はどんな事件の依頼か楽しみである。
この事務所で働き出してもう5年目だ。2年前、飛騨山荘で起きた連続殺人事件を解決したのは岡本だった。
岡本の卓越した観察眼、推理力に憧れてこの仕事を楽しんでいる。
「先生、今日、10時から田嶋様が依頼にいらっしゃいます。田嶋様は資産家で有名ですので、礼金が楽しみですね?」
と、小林は興奮気味だが、岡本は興味無いらしい。
10時
依頼者がやって来た。
資産家の老婆で、身なりは成る程金持ちっぽい。
黒いソファーに田嶋を座らせ、対面に岡本が座った。
小林はお茶を老婆に出した。老婆はありがとうございますと言う。
「それでは、今日はどの様な依頼ですか?」
「先生、私の入れ歯が無くなるんです。もう、8回は作り替えました」
岡本は身を乗り出し、
「ほう、入れ歯が……」
「私の入れ歯は何らかの意思があるみたいに動くのです」
老婆はお茶を口に運んだ。上品な飲み方だった。
「いつも、無くなるはどんな時ですか?」
「はい。夜、入れ歯を外し洗浄剤に浸けていると、朝には消えているのです」
「ほう」
「それに、朝装着しても、夕方には消えているのです。不思議じゃありませんかしら」
「実に不思議です」
岡本は暫く黙った。
「田嶋様、今、入れ歯は入ってますか?」
と、唐突に質問した。
「はい。朝、装着しましたので……あらっ、入れ歯が無い!」
「分かりましたよ。田嶋様。歯茎と舌の間に違和感を感じますか?」
「違和感……あっ!ありましたわ。入れ歯が」
「あなたの入れ歯は部分入れ歯ですから、土手に落ちている事があるんですよ。そして、気付かずうがいなどで外に出してしまう。入れ歯はそう言うもんです」
老婆は恥ずかしそうに、
「先生ありがとう御座います。これは少ないですが」
と、分厚い封筒を岡本に渡した。
こんな、お悩み相談が彼の仕事なのだ。
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