多責思考

小狸

短編

 


 それは子供時代、母が僕に言った台詞せりふであった。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 時に号泣しながら、時にすすり泣きながら、時ににらみつけながら、時に涙を流しながら。


 母は、毎日のように、そう言った。


 僕は、そんな母に対して、ただただ、


「ごめんなさい」


 と謝っていた。


 もうしません、もう言いません。


 もうなんて言いません。


 許して下さい。


 怒らないで下さい。


 落ち着いて下さい。


 そう思って、そう言っていた。


 僕は、癇癪かんしゃく持ちの母と、単身赴任の父の下で育った。


 母は僕の行動が他人に迷惑を掛けたり、学校の先生から呼び出されたりすると、家に帰って癇癪を起こすのである。


「どうして私が先生に呼ばれたか分かる」


「どうしてちゃんとすることができないの」


「これ以上私を悲しませないで」


 母はそう言って、顔を伏せて泣き叫ぶのである。


 呼び出される理由は、主に僕の学校での行動・言動についてだった。


 何を隠そう、僕も、学校で癇癪を起こしていたのだ。


「死にたい」


「生きていたくない」


 そんな言葉を口にして暴れていた。


 暴走していた。


 まあ、教育に携わったことのある方なら分かるかもしれないが、少々どころではない――グレーな精神状態であった。


 グレーどころかブラックだと、僕は思うのだが、その辺りの線引きが難しい昨今である。大人になってから心理検査を行い、発達障害が確実となった僕からすれば、何とも言えない話である。


 正直当時の僕には、行き場がなかった。


 家に帰ろうものなら、母が癇癪を起こす。


 だから学校でそれを、母と同じ方法で発散しようとすれば、皆に迷惑を掛ける。


 堂々巡りの八方塞がりも良いところであった。どうしようもなかった。どうしようもないまま、母と僕の関係は断続的に継続した。継続してしまった。


 父は、ほとんど家に帰ってこないから、僕らで対処するしかなかった。


 願わくは、幼少期に母と僕とで精神科か心療内科に通っていれば、どうにかなっていたのかもしれない。


 だが、母はそうしなかった。


 そんな母に対して、助言をする人もいなかったわけではない。


 母に対してというか、僕の家庭に対してだが。


 祖母や祖父、ママ友、先生方、あるいはSNSでの呟きに対して、色々とアドバイスを頂戴ちょうだいしたものだったけれど、母はどうやらそれを、「攻撃」と受け取ったらしい。


 母はとても他責思考の強い人であった。


 自分が悪いと認めない、関係ないと思ったことは茶化して莫迦にし、とにかく自分が責任を負うことを回避しようとし、それができなければ癇癪を起こして、周りにどうにかしてもらう。


 そんな人だった。


 こんなことを臆面もなく言うと、僕が薄情な人間だと思われることを承知の上で言うのなら、母は、――と、思う。


 大人になった今では、僕は確実に発達障害だと分かっているけれど、多分母も、それに近しい何かを持っていた、と思う。


 自分の感情の制御を他人(自分より立場の低い人間)に任せ、押し付け、抑圧させ、他人に当たり前のように機嫌を取らせる。列挙してみるだけでも、親に向いていないと思う。腹を痛めて産んでもらってこんなことを言うのも申し訳ないし、反出生を主張するつもりはない、主語を大きくしてあーだこーだと巷間で論を交わすつもりは毛頭ないけれど、少なくとも僕の親は、親になることのできるほどののある人間ではなかった。


 そう思う。

 

 結果として僕は、


 小学校までは、お笑い種で済んだけれど、中学校から段々、周囲が冗談として受け取らなくなってきた。当たり前のようにいじめを受けた。高校を卒業して、一度定職に就いたけれど一年で辞めることになった。傷病手当と障害年金をもらい、障害者手帳を交付され、精神科に通院している。引きこもりのニートの出来上がりである。


 母はと言えば――相変わらず家にいる僕に対して癇癪を起こしている。


 ちゃんとしなさい、しっかりしなさい、病気だからって甘えるんじゃありません。


 顔を合わせるたびに口汚く罵ったりするけれど、大人になった僕には、もうその言葉は通じない。


 僕の方が力は強いし、母も年老いた。


 もう言葉も、癇癪も、何も。


 僕にはそれは何の意味も持たない。


 今日も二階の自分の部屋でFPSのゲームをして、一日が過ぎた。自室のドアを乱雑に叩く音がする。夕食の時間だから下のリビングまでこいと言うのだ。母にとっては、僕はいつまで経っても子どもなのだろう。どうして嫌いな相手と一緒にご飯を食べなければいけないのだろう。そんな機微も、母には分からないのだ。何も分からない。何も通じない。何を言っても無駄。はあ。


「――っっっっるっせえんだよ!」


 僕はドアを開けて、母にそう言った。ついでに突き飛ばした。母はきゃあだのぐうだのわめきながら、大きな音を立てて、一階まで落下していった。


 僕はそのまま、自分の部屋に戻った。


 家は汚くなったが、心は少しだけ綺麗になった。



《Back Passing》 is the END.

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多責思考 小狸 @segen_gen

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