最後通牒ゲーム

「どういうことだろう?」


 梨子はきつねうどんの油揚げを箸で挟むと、隣に座っている優美に質問した。


「さっきの講義の話? なんか、さっきの天神教授、怖かったよね。


 西野圭子って、教授のあれなのかな?」


 そう言って、優美は親指を立てる。


「恋人同士ってこと? なんかあり得ない関係には見えたけど、真偽は不明だよね。


 ……そんなことよりよ。なんで、天神教授は底抜けの壺の意味を西野圭子に聞くことを止めたのか?」

「さあ、彼女に辛い思いをさせたくなかったんじゃない?


 だって、底抜けの壺って、西野圭子の幼少時代の話から作られているんでしょう?   ならさ、底抜けの壺には悲しい意味が込められているから、彼女の口から言われることは躊躇われたのよ。


 だから、教授は梨子の質問を遮ったのよ。」


 優美はそう言うと、カレーをスプーンですくって、口の中に入れた。


「……そうかなあ?


 だとしたら、彼女が幼少時代の話をしないように言っておくんじゃない? 


 ……それに、私は彼女が弟の死を語っている時、少し楽しそうに見えたのよね。」

「どういうこと?」

「分からないけど……、なんで、彼女はあんな辛い話を途切れることなく、淡々と話すことができたのかなって。」

「確かに……、あんな話をする人は大体、感極まって泣いちゃうイメージがあるかもしれない。」


 梨子はそのことを考えながら、うどんをすすり上げた。


「やっぱり、前回の講義内容に秘密があるのかしら?」

「教授が言っていたあれ?」

「そう、前回の講義の記憶は全くないから、これ以上分からないけどね。なんか、銀行の話をしていたような気がするけども……。」

「最後通牒ゲームね。」

「そうそう、それそれ!」

「……講義はちゃんと聞こうよ。」


 優美は梨子を諭すようにそう言った。


「ごめんて、だから、教えてくれない?」

「はあ……、分かったわ。最後通牒ゲームの解説ね。」


 優美は水を飲んで、口を喋りやすいようにした。


「最後通牒ゲームって言うのは、2人で行うゲームで、1人にはお金を渡して、その人にもう1人にあげる額を決めさせるの。


 例えば、梨子に1万円をあげた時に、私にその1万円をどれだけ分配してくれるかのゲームよ。


 ちなみに、私がその金額に不満を持ったら、ゲームは不成立になって、梨子の持っている1万円は没収され、もちろん、私も1円ももらえない。」

「そんなゲームなら、1万円を半分ずつに分け合って、私と優美で5千円ずつもらうんじゃないの?」

「梨子は優しいね。」

「えっ、普通そうじゃないの?」

「いや、私と梨子は友達ってことが分かったわ。


 確かに、ゲームを行う2人の間に信頼関係があったなら、もらった金額を折半することが普通かもしれない。


 でも、2人に全く信頼関係がなく、そして、


 ホモエコノミクスだとしたら?」

「ホモエコノミクス?」

「ホモエコノミクスって言うのは、物事を損得で捉える合理的な人間のことよ。


 だから、その2人の間に嫌われたらどうしようとか、不平等に思う気持ちはなく、自分に利益があるかどうかで考えるの。」

「そうなると、私は1万円をもらったら、出来るだけお金をもらおうと合理的に考えるわけだから、9999円もらって、優美に1円あげるんじゃない?」

「梨子はひどいね。」

「えっ!?」

「正解よ。


 2人がホモエコノミクスならば、最大の利益を優先するから、梨子は9999円、私は1円もらうことになる。それで、必ず、ゲームは成立する。


 でも、この時考えなければならないのは、梨子が1万円を総取りする場合。」

「その時は、優美に利益はないから、優美がゲームを不成立にさせるんじゃないの?」

「まあ、そういう考えもできる。


 でも、よく考えてみて、私はゲームを不成立にさせても、ゲームを成立させても、どちらも利益が0で同じなの。


 そうなると、私がゲームを成立させるかは、気分次第ってことになる訳よ。」

「なるほど、確かに、そうなるかもしれないね。


 ……でも、この最後通牒ゲームが底抜けの壺の意味と何か関係があるのかしら?」

「さあ、私にはさっぱりよ。」


 梨子はしばらく考えたが、何も思いつかないので、うどんの汁を飲み干した。そして、梨子は何げなく学食の席を見渡した。


 すると、右奥の席に先ほど見かけた人物を発見する。


 天神教授と西野圭子だった。


 2人とも、仲良さげに談笑している。会話の内容は聞こえないが、とても楽しそうに話しているのが分かる。


「仲いいねえ。夫婦みたい。」

「そうだね。


 ……でも、教授は独身なんだよね。」

「なんで、西野圭子と結婚しなかったのかな?」

「教授も意外と恋愛には奥手なのかもよ?」

「あんなに喋っているのに?」

「そういう人ほど、友達から恋人へと上がるのが難しくなるのよ。」

「そうなのかな?」


 優美は恋愛マスターかのような口ぶりでそう言った。少なくとも私よりは恋愛をしているだろう。


 優美の彼氏を1人知っているからだ。


 0より1の方が大きい数だということは、周知の事実である。


 私はそんなことを思いながら、再び教授達に目をやった。教授はかけそばを食べていた。


 そして、西野はうどん……だけじゃなくて、そば、カレー、野菜炒め、とんかつ、麻婆豆腐……


 どれだけ食べているんだ?


 よく見ると、西野はトレーを2つ持ちにして、そこにたくさんの料理を置いていた。


 ラグビー部でもあんなに食べる奴はいないぞと梨子は思った。それでも、西野は料理を1つずつぺろりと食べていく。


 しばらく見ていると、すぐにその料理を食べきった。かけそばを食べている教授よりも早く食べ終わっていた。


 その時、梨子はある考えが思い浮かぶ。


 それは、底抜けの壺の真意を説明することのできる西野圭子の本性。


「なるほど、だから、教授は……。」

「分かったの? 底抜けの壺の意味?」

「ええ。


 ……確かめに行ってくるわ。」


 そう言って、梨子は食器をテーブルに置いたまま、西野たちのいる場所へと向かった。梨子が西野たちに追いついた頃には、2人とも席を立とうとしていた。


「……すいません。


 天神教授、質疑応答のリベンジ良いですか?」


 梨子が天神教授に声をかけると、教授と西野は少し驚いたような表情だったが、教授は梨子の意図を察したような表情をした。


 西野もその教授の表情を読み取ってか、笑顔で私に微笑みかける。


「いいわよ。 でも、1つだけね。」

「もちろん。」


 梨子はそう言って、一呼吸する。


「西野先生が底抜けの壺をもう一度書き直すなら、どこを書き直しますか?」


 梨子はこの質問の答えを生涯忘れることが無いだろう。


 なぜなら……

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