ウィークデイズ

ふにゃΩグミグローバル

プロローグ

 これは僕とお姉さんの、ひと夏の物語である。




 「夏の物語」と言っておきながら、春の話を始めてしまうのは、なんだか少しおかしいけれど、それでもお姉さんとの出会いは春の出来事なので、春のことから話そうと思う。

 この年の春、僕は小学四年生になった。でも進級と言ったって、友達はずっと一緒だし、教室の階数すら変わらない。気がかりがあるとしても、クラス替えくらいだった。

 だからまあ、僕にとって三年生から四年生に上がることなんて、はっきりいって、どうでもいい変化だった。先生は「小学生の前半が終わって、後半に入ります。みんなは学校の中でお兄さんお姉さんになって、下級生のお手本にならなければいけません」なんて言っていたけれど、しかし毎年似たような話を聞かされている気もする。だったら「六年間ずっとしっかりしましょう」って言えばいいのに。

 とにかく。僕にとって進級は、時間が経てば勝手にやってくる、特にめでたいものでもなかったのだ。

 しかし大人達にとっては違うようだった。

「進級おめでとう!」

「お祝いとして、四年生になるみんなで、科学館に遊びに行きましょう!」

 それは、春休みのことだった。地域の子供会で、科学館に遊びにいくことが決まった。子供達の進級を祝って、ということだった。その気持ち自体は苦しゅうない。けれど

「科学館ってのが、センスないんだよな」

 そのヒロトくんの呟きに、僕も頷く。そしてシュウくんも呆れたように言った。

「あんなところ行ったって、つまんないよ」

 全く、二人の言う通りだった。科学館は僕の家からチャリで二十分も掛からない。別に暇さえあれば行く、というわけでもないけれど、もう飽きるくらいには行っている。

 今さら行ったって、目新しいものもなく、そもそも元から面白いものなんてない。しいて言えば、竜巻発生装置はちょっぴり楽しいけれど、それで一日遊べるはずもない。

 だから僕達は子供会を休んで、ヒロトくんのうちでゲームをしようと計画していたのだけど

「何言ってんの。子供会にはきちんと参加なさい」

 そうお母さんが言うので、行かなければいけなくなった。そしてそれはヒロトくんもシュウくんも同じようで、結局みんな、貴重な春休みの一日を科学館で過ごすことになってしまったのだった。


 科学館に面白いものは無いけれど、それで子供会が全く面白くなかったというわけでもなかった。

 つまり、僕達は友達と一緒に悪ふざけができれば、どこに行ったって楽しいのだ。

「宇宙って、何もないところから始まったんだって。いきなり爆発したらしいぜ」

 ヒロトくんが、パネルの説明を読み上げる。知っている。ビッグバン、っていうやつだ。僕はその説明を聞く度に、苦笑する。

「科学者も頭悪いよね。なんだって何も無いところで爆発なんか起こるんだ」

 僕が言うと、シュウくんも頷いた。やっぱり、子供だましにもなってない。この調子では、百年経っても宇宙の謎は解き明かされないだろう。

「まあ、爆発ってかっこいいからな。科学者は爆発が好きなんだろ。ダイナマイトとかさ!」

 そう言って、ヒロトくんは「宇宙の秘密」劇場に入っていった。僕達もそれについていく。

「何が劇場だよ。ちっちぇ!」

 わかりきっていたことをヒロトくんが言い、わかりきっていたことに僕達も笑う。劇場というけれど、僕の部屋より狭い部屋に、うちのテレビよりも少し大きいくらいのスクリーンがあるだけだった。

 そのスクリーンには途中のビデオが映し出されていて、既にビッグバンは起こった後のようだった。といっても、この映像は何回も見ているので、見なくたって覚えているのだけど。

「太陽と地球、近すぎるだろ。これじゃあ地球が燃えちゃう」

 シュウくんが声を出して笑った。僕も「下手な映像だね」とそれに乗ったけれど、正直太陽と地球の実際の距離なんて知らなかった。でもそれがバレると恥ずかしいので、なんとなく映像をバカにした。

 そして今度は地球に隕石が降り注ぐ、とっても恐ろしい映像に変わって、

「きゃあ!」

 ヒロトくんが悲鳴を上げた。それで僕達はげらげらと笑った。

 その後も、僕達はスクリーンに映し出される、安っぽいCGの宇宙を眺め続けた。そしてことあるごとに、その映像にケチをつけ、バカにした。僕達は、何か面白いことを見つけようと必死だったのだ。

 その時だった。

 「劇場」に突然、小さな光が差し込んだ。入り口を塞いでいたカーテンが、しゃっと開いたのだ。

「こらー。静かに見なさいな」

 そんな声が聞こえた。注意は注意だったのだろうけど、しかしその口調に怒っている様子はなかった。だから、なんというか、僕達と話しに来たのかな、と思った。

 そして、暗くて顔は良く見えないけれど、その声の主に心当たりがあった。シュウくんのお姉ちゃんだ。シュウくんには中学生のお姉ちゃんがいる。僕には彼女の声に聞こえたのだ。

 僕はシュウくんのお姉ちゃんと仲良しだし、一緒に遊ぶこともある。だから今日も、お姉ちゃんが僕達と話しに来たのだと思っていた。

 ……これが小学生の子供会だということも忘れて。

「うるせー!」

「僕達以外居ないんだからいいじゃん」

「つまんない映像作るのが悪いよ」

 僕達は口々に、その女の人に悪態をついた。それを聞いて

「ほんと、どうしようもない悪ガキね」

 ため息交じりに、けれど、どこか嬉しそうにそう言った。

「……?」

 この時、僕は不思議に思った。シュウくんのお姉ちゃんは、いつもなら「なんだと! もう一回言ってみろ!」と追いかけて来るはずだ。でも、今日のお姉ちゃんはなんというか、少し大人っぽかった。

「ほら、映像見てみなよ。これが、私達の住む地球なんだよ。月が浮かんで、炎が滾って、海に包まれて、森に覆われて、金色に染まって、大地が支えて……それをお日様が見守ってる。全部が奇跡的なバランスを保って、この世界が成り立っているの。こんなに、綺麗なんだ。私達の宇宙船は」

「……?」

 やはり、どうもおかしい。シュウくんのお姉ちゃんはこんなこと言わない。一体、どうしたのだろう……。

「だっせぇ」

 しかしそんな疑問も、ヒロトくんの一言で、かき消されてしまった。

「こんな安っぱちのCGじゃ、全然感動できねえ!」

「大事なのは映像の出来じゃないよ。この宇宙を知って、想像することだよ。この世界が、どれ程の奇跡の上に成り立っていて、どんなに美しいか……」

「うるせえ! ポエムか!」

 ヒロトくんが笑うと、女の人は、困ったように笑って

「ま、小学生にはこの情緒はわからないか」

 残念そうに首を振った。

「もう面倒くせえ。行こうぜ」

 映像の途中だったけど、シュウくんが立ち上がった。ヒロトくんもそれに賛成して、「劇場」から出て行ってしまった。

 僕も二人の後を追いかけた。出口付近に座るお姉さんを横目に、カーテンに手を伸ばす。

 その時だった。

「あ!」

 お姉さんの顔を見て、思わず声を上げた。

「……どうしたの?」

「なんでもない!」

 僕は思わず逃げるように、劇場から飛び出した。とても驚いた。その女の人は、科学館の職員Tシャツを着ていたのだ!

 その女の人は、中学生ではなかった。その人はシュウくんのお姉ちゃんではなく、見ず知らずの、大人のお姉さんだったのだ!

 僕は急いで二人に駆け寄って

「さ、さっきの人、知らない人だったよ!」

 と言った。しかし二人はそんなこと当然知っていたようで、首をひねった。

「いまさら何言ってんだ、お前」

「誰だと思ってたんだよ」

「え、ええっと」

「ヘンなやつだな」

 ヒロトくんとシュウくんはそのまま竜巻発生装置に向かって行ってしまった。

 僕はぽりぽりと頬をかいて、少し「劇場」を振り返った。お姉さんはここの職員のはずなのに、まだ「劇場」の中にいて、あの安い映像を見ているようだった。

「……」

 その瞬間、ふと、何か悲しくなった。そしてお姉さんに謝りたくなった。もっと素直に、お姉さんの言葉を聞けばよかったと思った。

 その理由は、明らかだ。

 薄暗い「劇場」の中、光っているのは小さいスクリーンだけ。その小さな光だけが、僕達を照らしていた。そして、僕は見てしまったのだ。

 「劇場」から出ようとして、お姉さんとすれ違った時のことだ。僕はハッと息をのんだ。

 お姉さんの、つやりとした長い黒髪と、大きな黒い瞳に、宇宙が映り込んでいたのだ。スクリーンから反射した無数の星が、黒色の中できらきらと輝いて、お姉さんを照らしていた。

 お姉さんの中に、宇宙があったのだ。

 そしてシュウくんのお姉ちゃんではないと知って、僕が思わず声を上げた時

「どうしたの?」

 髪に映った宇宙はゆらめき、瞳に映った宇宙はぐるんと僕の正面に向いた。その瞬間、僕はその小さな宇宙の中に、囚われてしまった……。

 思い出すだけで、少し胸が苦しくなった。

 僕は何度か首を振って、竜巻発生装置で必殺技ごっこをしている二人のもとに走って行った。そしてそのまま、子供会のスケジュールは特に面白くもなく進んで行った。僕は科学館を歩く途中でお姉さんの姿をなんとなく探してみたけれど、結局見つけることはできなかった。

 これがあの春の出来事で、お姉さんとの出会いだ。

 科学館はやっぱり少し退屈で遊び尽くしたものばかりだ。

 でも僕はあの日、少しだけ科学のことがわかった気がする。

 きっと、ビッグバンもあんな感じで起こったんだろう。

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