第21話 カタナ島へ

 ワースの尻尾が、足首の前へ出るくらい下がっている。

 行きたくなさそうだ。


「フィル。そろそろ予約していた便の時間だ、行くぞ」

「おう」


 昨日サンドバッグを殴り、骨折を負い病院から出てくるおれの姿はさぞ滑稽に見えたはずだが、ワースはクスリとも笑わずバイクへ跨る。

 ワースの後ろに乗り、両手で頑張ってしがみ付く。

 ……あれ? なんかおれカッコいいかも知れない。

 この包帯とか、激しい戦いの名残に見えなくもないぞ。

 そう思いながら風を浴びてから空港に着き、飛行機の座席に着く。

 乗客はおれたちだけか。

 そういえばメイド長はおれたちが病院に行く間、用意するものがあるとかで先に待っているんだった。

 窓から外を眺める。


「いい……天気だ」

「フィル、ここは雲の上だ」

「知っているさ」


 雲海を超えた先の太陽は、孤独ながらに地上を眩しく照りつけようとしていた。

 毎日この時間……太陽はここにあるのだろうな。

 本当にいい天気だ。


 快適なフライトを終え、飛行機から降りる。

 手ぶらで飛行機移動か……。

 これは……マジイケてる気がしてきた!

 空港から出ると、おれの住んでる田舎よりもとてつもなく田舎な……森の中へと続く道が見える。


 ——あ〜ろはーーー!!


 ついつい叫んでしまうような景観だ。


「フィル……」


 おっと、浮かれ過ぎてしまったかな?

 ワースは目元を暗くしながら、ユラユラと迫ってくる。


「アンタは案外、面白いヤツだ」


 ワースは息を大きく吸う。


 ——イャアァアアアッフォオオオゥ!!!


 甲高い叫び声が、森の中へと消えていく。

 それからおれはワースの背に乗り、共に森を駆け抜けていった。


 道の先、開けた場所にドーム状の建物がある。

 トントンとドアをノックすると、すぐに少しだけ開く。

 その隙間からは、白い肌で白く長い巻き髪の……ヒラヒラとした耳のヒツジ種で、青い目をした女の子が見上げてきていた。

 瞳孔は羊も水平なはずだが、コギトと違って丸く、目は太眉だ。

 ぽかんと開いた口からは八重歯が見える。

 体は毛でモコモコとしており、新芽のようなマークの入った白いシャツを着ている。


《こんにちは》

「おいーす」

《お母さん、お客さんだよ》


 その小さな神類は、家の中へと駆けていった。

 中は八角系で、四つ角になっている壁は本で埋め尽くされており、中央にはテーブルがある。

 テーブルには先ほどまで読まれていたであろう本が一冊、閉じて置かれていた。

 タイトルは、『ザ・アイオブスピリット』……開くと、随分と難しそうな本だ。


 正面の扉から、写真で見たのと同じエプロン姿のジェミニ様と、先ほどのヒツジの子が出てきた。

 ジェミニ様は不思議そうにこちらを見ている。


《森にいる動物を通して聞こえたのだが……アロハとは何だい?》

「急に叫びたくなりまして」

《そうかい。まあいいさ、こんにちは》


 恥ずかしさと共に、テンションが元へ戻ってきた。

 こんにちは、と呟くとジェミニはニンマリする。


《ワースと一緒に鍛錬をするそうだね。カタナ島は広大な森で、建造物はここと研究所だけだ。野生動物は皆で共存し合い、自然に立ち向かっている》

「そうなんですか」


 ジェミニ様は俺たちの方へ来たかと思うと、通り過ぎてドアを開く。


《鍛錬の前についてきてくれたまえ。アリエスちゃんは本を読んでていいからね》

《うん、お母さん》


 ふむ……ベスタもこんな風にやり取りしていたのだろうか。

 言われた通り、ワースと共にジェミニ様の後ろをついていき、草地を進む。


「そういえば、あのクマの人はいないんですか?」

「ソイツは普段、神殿で働いてる。こんな島で毎日を過ごすような神類に側近はいない」

《ひどい言い草じゃないか》


 ジェミニ様はワースの顔を覗き込み、ワースはそんなジェミニ様から顔を背ける。

 そういえば、ワースはジェミニ様と話すのが苦手と言ってたな。

 ……ベタベタされるのがイヤなのか。

 建物をぐるりと回った先には墓石の並ぶ、白い柵に囲まれた場所があった。


《今日の分、まだ祈っていないんだ。せっかくだし一緒に頼むよ。ベスタの親は……ここだったか》


 墓にはそれぞれ、二つの名前が英語で刻まれている。

 ジェミニ様は墓の前に跪き、俯いた。

 ワースは隣で黙祷している。

 おれも、瞼を閉じる。


 自分が産まれてきたせいで死んだ。

 ベスタは本当に……そう重く受け止めて、死亡者ゼロという取り組みを続けているのだろう。


 目を開けると、飛んできたカラスがジェミニ様の肩に留まり、目が合う。


《ありがとう。遠方へ行った子の分は、ワシが代わりに祈っておくよ。そうだ、ベスタにそのうち見せようと思っていたご両親自作のアルバムがある。鍛錬が無事に済んだら、ご褒美として渡してあげよう》


 ふむ、アルバムか……。

 他人の親の思い出を覗き見るなんて、とても趣味が悪い気がするし恐れ多い。

 

「では持ち帰って、渡しておきます」

《おや、二人きりで見ないのかな?》

「……もしそんな雰囲気になったら、ワースも見るよな?」


 ワースは墓前から動かないまま、祈り続けている。


「見ない。見て何になる」


 それは確かに。

 でもなんだろう、中身はおれと関係のないもののはずなのに気になる。

 ベスタへの恨み辛みが書かれていたりなんて……しないよな?

 ジェミニ様は立ち上がりおれの隣に来ると、苦笑いした。


《時間潰しのつもりだったけど、ベスタのことを心配させてしまったかな? さて、もう少しでメイド長が戻ってくるそうだよ。ワース、フィルくんが命を落とさないように、よーく見張っておくことだね》


 そうしてジェミニ様は、おれたちを置いて家の方へと去っていく。

 ワースは立ち上がると、こちらを向いた。


「ワース。鍛錬って命を落とすほどのものなのか?」

「それには私目がお答え致します」


 耳元からメイド長の声がする。

 驚いて振り向くと、メイド長がこちらを見下ろしていた。

 突然後ろに現れるの、やめてもらいたい。


「鍛錬の内容はこの森のどこかにある、洞窟の最深部に置かれベスタ様の写真が印字されたプラチナ硬貨を一枚、この家まで持ってきてジェミニ様に渡すというものです」

「道具や食料は?」

「ありません。体が危険な状態になった場合はジェミニ様、或いは他の神類が助けに向かいます。それと、三人で合流しプラチナ硬貨を探すというのは禁止です。鍛錬になりませんので」


 探検みたいでちょっとワクワクするが、要はサバイバルか。

 骨折し治療中となってしまった身でも探せるのか不安だ。

 それにこの島、上空から遠目で見た感じではそこそこ広い森で、拓けた丘の上に研究所らしき建物があるくらいだった。

 洞窟なんて見当たらなかったし、飢えてリタイアするのが容易に想像できてしまう。

 そもそも、鍛錬になるのか? これ……。


「フィル様。怖気付いてしまいましたか? しかし、片腕が使えない状態では無理もありませんか」

「それもあるけど、これがおれのトラウマ克服にどう繋がるのか、イドさんのトラウマ克服にどう活かせるのか分からないんです」

「それはフィル様が本気で取り組めば分かり始めることです。あと、フィル様には助っ人を用意してあります」


 メイド長の真後ろから、イドが顔を出す。

 ……ろくでもない助っ人だ、一気に緊張感が強まった。


「これで骨折のハンデはある程度補えるでしょう。フィル様はイド様と一緒に硬貨を探してください」

「こんにちは、フィルくん。それにワースくん。頑張ろうね」


 メイド長は少し不安そうな目でこちらを見てから、目を伏せた。


「ワース、遮断レベルを上げておいてくださいね」

「他に連絡事項は?」

「私目も鍛錬しに来ているという名目で来ていますので。戻ってからに致します」


 メイド長は森の中へと歩いていく。

 遮断レベルって、何のことやら。

 そのことを聞くより先に、ワースも森の中へと消えていった。


「二人とも、行っちゃったね」

「おれたちはここに戻るまでの目印を残しながら進みましょう。木を少し引っ掻いておきますね」


 とりあえず木の幹を手当たり次第……でも、木だって生命だしなあ。

 少し進んでから振り向くと、木の一つには既に目印となりそうな赤い布が巻き付けられていた。

 これがあるから、メイド長とワースは目印を付けたりせずに向かっていったのだろうか……? おれもこれを目印にしよう。


「やっぱりあの赤い布を目印にしましょう」

「うん。それとメイド長さんから聞いたよ。フィルくんもトラウマがあるんだね」

「ええ、この鍛錬で克服するつもりです」

「偉いね。アタシも頑張らなくちゃ」


 ……空がゴロゴロと鳴り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る