第20話 大ケガ
── 同じ境遇の相手と話して、こんなに悲しい気持ちになるなんて、思ってもいなかった。
偽ベスタの生い立ちを聞いていて、おれは泣いてしまっていた。
彼女は、おれと同じ形で友だちを亡くしていたのだ。
鼻水で、こんなに息がしづらくなるのなんて久しぶりだ……。
おれはずっと、泣きそうな気分のままで過ごしていたんじゃないかと思えてくる。
膨れ上がり続けていた悲しみが、涙と一緒に流れ落ちてくようだ。
「……あれ以来、心が死んだっ。落ちて沈んでからずっと、もがいても上には上がれなくなったあっ」
「分かるよ……。前向きになりそうになる度、反対に下へ沈むんだ」
「そう、そうだよ。気持ちは暗いままの方が健全なんだ、わたしたち……」
偽ベスタも、オウオウと声を上げて泣く。
二人で抱き合って泣いていると、誰かがドアを叩いた。
今まで泣いていたのがウソみたいに、お互い涙が止む。
そして、偽ベスタがおれから離れて玄関へと向かった。
「イドお帰り。どうだった?」
「……会社にいてできたトラウマっていうのがまだあるなら、採用は難しいって。落ち着いてきたなら、また面接受けに来ていいんだって。……時間がないのに」
「相性悪かったか。次の会社いこ」
「これで何度目だろう。おんなじこと言われるの……。急いでるのに」
イドは険しい表情でうつむく。
さっき、何度目だろうって言ったのか?
……採用面接まで行けてるのに、トラウマの影響が出て落ち続けてるのだろうか。
顔をベロベロ舐めたりする犬っぽさの方は……また別だよな。
おれも、イドの元へと向かう。
「イドさん。やっぱり、トラウマを治すのが先じゃないですか?」
「……どうやるの?」
「幾つか方法があるみたいです。まずは──」
偽ベスタがこちらの両肩を掴んできた。
「まずはキミ自身の治療をしていこうか」
え、さっき話してたことは何だったのだろう。
しかし、偽ベスタの言う通りだ。
感謝されると毛が逆立つアレをなんとかしないと、説得力ないというか。
トラウマがあるなら治しとかないと、イドにテキトーなことしか言えない。
「トラウマ治療には、やはり愛だよ」
「愛? 投薬治療とか、具体的なものが色々あるのに」
「さあ。ベスタ様からの愛をしっかり受け入れて、キミもその分ベスタ様に愛を返すのだ!」
愛って。
ベスタのおれに対する愛情は確かだ。
はじめは、ただのイヌやネコのようなペットに対する愛情に近いと考えてはいた。
でも、ベスタが体調を崩してる時に神類は獣人とそう変わらないと知った。
おれはというと、ベスタのことは愛してるというより尊敬してる。
……そういえば、おれはベスタのことを具体的にどう尊敬しているのだろう。
「どした? ジッと見つめたまま黙られると殺意……じゃなくて、照れてきちゃうな」
「ベスタ様のこと、愛してる訳じゃないんだ。尊敬ならしてる」
「おお、それでもいいじゃないか。尊敬し合い愛し合えばより熱く燃え上がるというもの……」
偽ベスタは目をキラキラとさせながら、顔を近づけてくる。
愛とか言われてもな。
「おれはベスタ様と愛し合うつもりなんてないよ、相応しくないし」
「キミは一国の王女に恋する平民か……? 相応しいかどうかなんて、誰かが決めることではない!」
「そんなことより、尊敬するっていうのはトラウマ治療になるのか?」
偽ベスタは力強く頷き、おれから離れて机の上であぐらをかく。
「誰かを尊敬し目指すことは、力強い切り口にはなる! でもベスタ様とは愛し合うべきじゃないかな? 電池になるんだし」
別にそうするとは決めていないが。
尊敬……愛し合う……尊敬……。
チラリとイドの方を見ると目が合う。
イドは、何も言わずに頷いていた。
部屋に戻ってからも考えた。
ベスタは幼いながらにあれだけのカリスマ性があって、口下手と自称する割には、おれとの大きな誤解は起きていない。
何より誠実で、笑顔を見てると癒される。
尊敬してる、ただしおれがベスタを目指すのは何か違う。
おれが笑顔で居続けるなんて、想像すると気色悪い。
愛し合うっていうのも……ちょっと。
そうするんなら、トラウマを自分で治してからがいい。
お手伝いとはいえ、イドを就職させるためにとベスタの力を借り過ぎてしまうのは、この都市へ来てからのおれと変わりない。
変わらなければ、万が一プライスと再会できた時に……何かあった時に、励ませなくなるだろう。
ベスタの隣にいるような存在、例えばワースを目指してみるなんてのはどうだろう?
早速、部屋でも覗きに行くか。
ワースの部屋に着き、ドアをノックする。
「誰だ?」
「フィル・キロノバだ」
「……入れ」
室内は鉄骨が一本、壁から壁を貫いており、ワースが飛び上がれば届くであろう高さにある。
その鉄骨には鎖で掛けられた鉄製のサンドバッグが下がっていた。
他にもジムにありそうなベルトコンベアや重量上げなどの設備が一式と、機械的なカプセル式のベッド……必要かつ好きなものをとりあえず置いたというような雑さがある。
ワースはというと、息を切らしながら青いマットレスの上で座っていた。
「何の用だ」
「イドのトラウマ治療のために、まずはおれ自身のトラウマを治した方がいいと思って。尊敬してる相手を真似しつつ、同じとまではいかなくとも近付ければ、治療になると思う。試させてくれ」
「構わないが。オレのどこを尊敬した?」
「そりゃ、まずは見た目がカッコいいし。いつも落ち着いてるし。嘘つきなとこあるけど話しやすくて頼りやすい。それに過酷な場所だとしても一人で生きてけそうな感じのとこは、特に見習いたい」
ワースは機嫌が悪そうに鼻へ皺を寄せ、一息つく。
「オレは神類の配下となるためだけに、親から育てられてきた。アンタが見習いたいと言っているのはそういうヤツだ。……ベスタのためだけに生きていく覚悟があるのなら、見習うのもいいだろうな」
「ベスタは関係ないだろ。おれは自分のトラウマをどうにかしたいだけだ」
「その程度ではすぐに心が折れるだろう。フィル。オレのようになりたいならメイド長から鍛えて貰え。頼めばすぐに企画してくれる」
覚悟……。
必要とは思えないが、ないと続けていられないとかそういう感じだろうか。
今日はもう遅いし、明日の朝頼みに行こう。
翌朝。
トントンと、小さくドアを叩く音が聞こえる。
布団の中から身体を起こしてドアを開けると、いつものようにベスタが笑顔で立っていた。
〈おはようフィル!〉
「おはようございます、ベスタ様。イドさんの社会復帰なんですが、一週間ほど中断してメイド長のとこへ行ってもいいですか?」
〈中断は構わないけど、その日にち分だけお給料は減っちゃうよ。でもどうしてメイド長のところへ?〉
「鍛えてもらって、トラウマ治療の切り口になればいいなと」
食堂へと向かう廊下でベスタと歩く。
ベスタはいつものように、こちらを見ながら後ろ歩きをする。
〈暗殺者さんと何を話したの?〉
「何でイドの部屋に来たのかを聞かれて答えたら、友だちの話になりました。偽物のベスタ様もおれと同じ境遇らしくて。アイツがベスタ様の死亡者ゼロに協力する理由にも、共感できます」
〈お友達になったんだね!〉
「はい。自分の寿命を削ってまで……でも、あんまり見習えないです」
〈ええと……一応言っておくと、その辺りはあの子の嘘で。私が死亡者ゼロを維持するのには人の寿命じゃなくて、第一感が劣化していく副作用ならあります〉
あ……アイツ、嘘ついてたのか。
ワースから嘘をつかれるのはいいが、偽ベスタのは何だか心が傷付く。
〈具体的には、相手の体を通して感じられるものが減ってゆくのです。でも大したことではありません。獣人同士でしたら、相手が何を感じているかなどは分からなくて当然でしょうから。……すみません、今まで隠してしまっていて〉
「謝らなくていいですよ。でもそれがあまりに辛いようでしたら、死亡者ゼロなんてやめてください」
暗くなりそうになっていた透き通る赤い目が、キラキラとし始める。
〈ありがとうフィル! それとね、鍛えるのはメイド長なら喜んで協力してくれるよ! メイド長の部屋はね、こっち!〉
朝食前に向かうとは、おれの言動がよほど嬉しかったのだろうか。
しかし、ベスタは結局自分を犠牲にしてる訳だ。
大したことないとは言っているし、おれは第一感を使えないから、そこにベスタが近づくだけだと言ってしまえばそれまでだが……。
ベスタにとって当然だったものが失われていくのは、胸が苦しくなる。
しかし、ベスタの死亡者ゼロを辞めさせるのは……。
少なくとも支えられるよう、やはりこれからはベスタのために生きてくべきか? でも……。
というか偽ベスタが嘘ついた理由って、命がかかっているのと比べたら大したものではないと思わせるためだったりするのか? 何だか……何も分からん。
メイド長の部屋に入ると、そこはワースの部屋と見間違えるほど同じだった。
ただ、サンドバッグはワースの部屋のものより大きく、メイド服のパーツが棚の上に並べてある。
メイド長は髪を下ろしておりメガネもなく、服装は白いタンクトップとグレーのデニムになっていた。
この姿のメイド長、強そうに見える。
「……おはようございます。どうされましたか?」
《フィルがメイド長のところで鍛えたいそうです!》
「……はあ」
メイド長は目を丸くしてこちらを見た。
ワースから教わりたかったけど、雰囲気は似てるし、思ってたより表情豊かみたいだし。
メイド長から教わるのもいいかも。
「フィル様。鍛えるというのは、体をでしょうか?」
「体と心です」
「そうですか。では、ワースも呼んで鍛錬と行きましょう。彼、最近たるんでいるので」
ワースと一緒にか。
少し楽しみになってきたぞ。
「じゃあ、景気付けに一発……ッ!」
鎖から垂れるサンドバッグに向かって拳を突き付け、引いてから踏み込み、思い切り殴る。
──ポキ。
パパキッ、グキィ……。
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