第11話

 イドの手と体が離れる。

 振り向くと、そのパジャマは肩からずり落ち、フサフサな胸元が見えていた。


「服はだけてますよ」

「……ごめん」


 イドは服装を直し、震える手でボタンをかけていく。


「イドさん。どうして抱き付いてきたんですか?」

「……嫌いなものを……少しでも好きになろうと思って……」


 おれ嫌われてたのか。

 でもいくら何でも早い、顔でも気に入らないのだろうか? それともこういう無表情さとか、態度だろうか。

 イドはベッドに戻ると、こちらに背を向けて横になった。

 そもそもトラウマの治療方法に、嫌いなものを好きになるなんてのはないはず。

 どういうことなんだ……。

 まあ後で考えよう。


「ゆっくりでもいいと思うのですが、早く治さないといけない理由でもあるのですか?」

「このままベスタ様の世話になり続けたくないの。……正直、人の手を借りるのもイヤだ。でもどうにもならなくて」


 横になったままこちらを向いたイドは、目に涙を浮かべていた。


「フィルくん……アタシは怖い。どうすればいいの? どうすればしっかりとした大人に……」

「一旦落ち着きましょう。はい、深呼吸して!」


 スーッ、ハーッと、イドはゆっくり呼吸する。


「まずは、どうしておれのことが嫌いなのか聞かせてください」


 それから、数分の静寂が流れる。

 困った。

 来ない回答、そして今にも泣き出しそうな様子のイド。

 待てば返事がくるかもしれないけど。

 と、イドがゴクリと唾か息か呑み込み、フーッと息を吐く。


「ダメ……。言おうとすると……声にならない……」

「言おうとして下さってたんですね。ありがとうございます」


 ああ、つまりおれはこの数分間で無言の圧を与えていたことになるのに、何の感謝だ。

 こんな、自分の愚かさには耐えかねる。

 帰って出直そう……。


「おれ、そろそろ帰りますね」

「待って! 行かないで」


 立ち去ろうとすると、腕を掴まれる。

 その手は、また震えていた。


「最初は帰ってと言っていたのに、なぜですか?」

「……今日は話さなくてもいいから、フィルくんと12時まで一緒にいるよう、ベスタ様から言われてて。……やっぱりそれまで、頑張りたいから」


 イドの方へだけ指示を送っているとは。

 その伝達くらい、おれにもしておいて貰いたかったな。

 忙しくて忘れてたのだろうか。


「それまで添い寝……。なんて、どうかな」


 体の近いスキンシップばかり取りたがるのは、彼女がイヌ族故だからなのか?

 ベスタからされるのはなんか落ち着くけど、イドからされるのはイヤで堪らない。


「落ち着きましょう。それよりもトラウマを治すには……課題を設定して、少しずつ取り組んでみるのはどうでしょうか?」

「フィルくん、分かったよ……」


 コタツの台に、メモ帳を広げる。


「イドさん。おれにこれはできないってことを一つずつ挙げていってください」

「……目を見つめ合う……手を繋ぐ……キスする……それから……」


 ——挙げてもらったものをメモ帳に書き、おれが協力できそうなことを順番に並べた。

 カラオケとかもあって、最終目標はハグだ。

 ……これ、よく考えるとセクハラな気がしてきた。


「やっぱり、この方法はナシで」

「じゃあ、どうするの……?」


 本当にどうしたものか。

 部屋を見渡すと、キレイに片付いてはいるが薄暗い。

 そうだ。まずは、もっとこう……気分の明るくなるようなところへ移るべきだろう。


「神殿へは引っ越さないのですか?」

「神殿は……怖い人いないけど……何だか落ち着かなかった」

「神殿からここへ越してきたという訳ですか」


 イドはベッドに戻り、布団の中へと少し潜ってから頷く。

 ワガママと思うべきか、イドなりにトラウマを克服するべく努めたと思うべきか……。

 コギトとは何か違う様子だし、ワガママではないのだろうが。

 まあ、イドの引越しは諦めよう。

 

「このお部屋、このままでも充分ステキなのですが。模様替えしましょう。費用は何とでもなるので」

「わあ……フィルくんと一緒に模様替え……。楽しそうだね……」

「このアパート、防音性かなり高そうですし。思い切って壁掛けのテレビなんかはどうでしょうか?」


 イドは、安らかな笑顔で頷く。

 おれのこと嫌いだと言ったはずなのに、今度は楽しそう? ……どっちかが嘘なのか、いいや。

 もう泣き止んでるし、イドの気分が変わりやすいのか。

 

 相談しながら家具を選んでいるうちに、すっかり日が暮れてしまった。


 ——ピンポーン


 壁にあったインターホンのモニタを触り、「はーい」と返事する。

 モニタには、ベスタが映っていた。


《フィル、帰りが遅いから迎えに来たよ!》


 そうだ、ベスタはもうおれへの敬語をやめるんだっけか。

 なんか、胸の中が少しくすぐったい。


「ありがとうございます。ではイドさん、また」

「うん……。今日は気分が晴れたし……楽しかったよ……」


 確かに、来てすぐと比べて笑ってくれるようになっている。

 でも、これはおれが関わる前に、そういう地盤を作ってくれていた人たちのおかげであって。

 決しておれの成果じゃない。


 帰り道の途中、アーケード街に入る瞬間、ベスタがこちらの手を握る。

 ベスタに目を向けたら、微笑んでいた。


〈フィル。イドさんの心の傷はとても深いものだから。はじめは上手くいかなくても、そのうち心を開いてくれるはずだよ〉

「どうなんですかね。おれのことが嫌いだそうで、そこからしばらく話が進みませんでしたよ」

〈フィルのことが!?〉

「ていうか、ベスタ様はおれに一人で取り組んでもらうと言っていましたが。イドさんへの電話とかで既に手を出してますよね?」


 ベスタは苦笑う。


〈ごめんなさい、言葉のあやで……対面で話すのに一人で取り組んでもらうということです! 神族は嘘を付きません!》

「嘘かどうかを疑ってる訳じゃなくて。イドさんのことは本当におれが手伝っていいんでしょうか?」

〈はい! 私じゃなくてフィルなら、イドさんのことを助けてあげられます〉

「何だか、らしくありませんね」


 ベスタは笑顔だが口元を引き締め、何か堪えているように見える。


〈思うところがあるんだ。私のやってきたことは全部間違いなのかもって。私がこういうことするの、相応しくないのかもって〉

「ベスタ様が今日までイドと話したからこそ、初日でイドはおれを信用してくれました。これはベスタ様への信用があってこそだと思いますよ」

〈……嬉しい!〉


 ベスタがハグしてきた。

 ……やはりベスタでも、そういう悩みを持つものなのか。

 

 ——神殿に着き、ベスタと共に晩御飯を食べるため、食堂へと入る。

 トレイへ湯気立つ食べ物を乗せ、空いた場所を探していると、食堂内の隅にはパルサがいた。


「おーいパルサ。最近調子どうだ?」


 パルサはムッとした顔をこちらへ向けると、食べかけのカツ丼に戻る。


「隣、座るぞ」

「……いいよ」


 おれとベスタはパルサの側に座った。

 パルサはガツガツと食べ、席を立つ。


「ごちそうさまでした」


 それだけ言うと、パルサは足早に去っていく。


「……パルサ、新人旅行の時は元気そうではあったけど。上手くやれてるんですかね」

〈メイド長曰く、他の子たちとは全然話そうとしないけど、仕事の飲み込みが早いみたい。真剣に働いて、あとは自分のお部屋でゆっくりしてるみたいだよ〉

「メイドやらせる前に、面談とかをしといた方が良かったんじゃないですか?」


 ベスタはうーん、と唸りながら、去っていくパルサを目で追う。


〈ここへ来てすぐにパルサちゃんの状態は安定してるから。ワースが神殿に馴染むようアドバイスしてくれてるし、あとはパルサから動くのを待ってる〉

「そうですか。……メイドたちとかで歓迎パーティーなんかはしたんですか?」

〈レクリエーションをしたそうだよ! でもすぐに具合が悪くなっちゃったらしくて、部屋に戻ったみたい〉


 どうやらパルサは、人を避けてるみたいだ。

 おれも一時期避けていた。

 死のうとばかり思っていて、関わって、もし悲しませたらイヤで。

 人と仲良くなりたくなかった。

 だから、気持ちは分かる気がする。

 パルサは、死ぬという選択肢を消せていない。

 ……それかよっぽどワースのことが気に入って、アイツ以外とは関わりたくないとか。


〈また何か、ワースやメイド長が企画してるから。そのうち馴染む機会があるはずだよ〉


 おれ自身はともかく、他人がおれと似たような状態になっていると思うとムズムズする。

 でもおれが声を掛けても無視だったし、見守るしかないか。


〈フィルさんフィルさん。そういえばなんだけど! 今月中に神殿の全員で歓迎パーティーをやろうと思ってます! 元々は月一回、新人歓迎の名目でやってるんだけど、参加してくれる?〉

「いいや、それは……参加したくありません」


 ベスタほど、おれに興味を持つ相手もいないだろうが。

 プライスがいなくなってから、パーティーだとかで周りが楽しもうとしているのは、どうにも疎外感があるのだ。


〈ああ……ざんねん。でも毎月やってるから、気が向いたときに参加してね!〉

「ありがとうございます」




 自室の布団で横になる。

 参加したくないのは、プライスの自殺理由が、おれが傷付けたせいかもしれないから、まだ誰かと仲良くなるようなきっかけを作るのが怖い。

 ……いいや、そもそもおれは自分を苦しめたいんじゃなくて、コギトが自立から逃げていたように……友達をダイジにできないことから……プライスの自殺を盾にして、逃げているのか?

 また同じ思いをしたくなくて、イヤなことから逃げて、おれは極力自分にとって楽な生き方を選び続けているんじゃ……。


 ……早く、プライスの自殺理由を知りたい。

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