第10話 未来犬
トツトツと地面を叩く静かな雨音を聞きながら、ベスタと共に朝食を摂る。
ベスタは首に青いスカーフを巻き、黒いシャツに長めのチェック柄スカート姿だ。
今日の朝食は目玉焼きの乗ったトーストと野菜スープ。
シンプルながらにおいしい。
……いやいや、おれは最近楽しみ過ぎだ。
こんなんで死ぬ覚悟を決められるのか?
早めにプライスの自殺理由を知らないと、このままダラダラと生きていくだけだ。
「ベスタ様。あと何回手伝えば例の理由を教えて頂けますか?」
〈あと一回です。そしてその後、私の出す問題に正解したらお教えします〉
思ってたよりとても少ない。
これなら、一週間経つ頃には教えてもらえるだろうか。
問題というのは、きっとおれの前向きさを試すような内容だ。
テキトーに雰囲気で答えれば正解する……だろうか……。
〈ただ、次の方は社会復帰が条件です。それと、フィルさんお一人で取り組んで頂きます〉
「社会復帰とは何ですか?」
〈特別に人の手を借りず、お仕事を続けていられるようになることです。その方のお仕事が二ヶ月続いたら、社会復帰と見なします〉
それじゃあ、最低二ヶ月はここに居続けなきゃならないのか? 給料高いし構わないけど……ベスタはプライスの自殺理由をおれに教える気がないのでは。
まあ、二年間おれは無気力に生きてきた。
あのままだと来年も、その次の年もただ腕を切るだけだっただろうし。
やるしかないか。
〈大丈夫です、フィルさんならやれます!〉
「相手はどんな方ですか?」
ベスタはスープを口に注ぎ、ゴクンと飲み込むと真剣な顔をした。
〈トラウマを持っている、白に茶ぶちをした牛さん柄のイヌ族で女性の方です。10年掛かっても不可能なようでしたら、お手伝い完了と見なし、私の作った問題2つに回答して頂きます〉
相手が死ねない以上、大きな失敗はあり得ないものの……だからこその無理難題を押し付けられているような。
しかしベスタは、おれと10年もいるつもりなのか?
ベスタのことはイヤじゃないし、こういう仕事をさせてもらえるのは光栄だけど。
……ベスタとは仲良くなりたくない、仲良くなればどんどん死にづらくなってしまう。
無視したりして傷付けるわけにも行かないし、今後どうしたものか。
〈ごちそうさまです。場所までは私が案内しますね〉
「分かりました」
〈フィルさん……いえ、フィル。それとお互いに敬語はやめにしましょう。敬語をやめたらフィルと、もっと仲良くなれる気がするん……する!〉
ベスタは赤面しながらも、こちらへ笑顔を向けている。
「イヤです」
〈ああ……ごめんなさい〉
ベスタは肩を落とし、卓上へと溶けるように顔を伏せた。
「まだ早いというか、ベスタ様と仲良くなり過ぎてしまうのは本当に恐れ多いんです。とにかく、そう謝らないでください」
〈いいえ、私も強引過ぎましたから。私はフィルさんをお人形……道具のようにしたい訳ではありませんし。その辺りのサジ加減、神類だというのに私はまだまだ勉強不足です〉
強引だって自覚あるんだな。
……ベスタは赤面しながらこちらを物欲しそうに眺めている。
見てると、こちらも恥ずかしくなってきた。
「二人ともおはよう」
《おはようございます》
「……おはよう」
ワースだ。
ワースはベスタへと近付いて、テーブルの端に方手を付ける。
「フィルといる時のアンタは幸せそうだな」
《ええ、幸せですとも》
「何だ、不満そうに」
ワースは空いた食器を片付けて台を布巾でサッと拭き、紙をベスタの前に広げる。
「ベスタ、今月の経過報告書だ。塔の入居者は増加傾向にある。まだ一杯になることはないが、現状後手に回り過ぎだ。このままではいずれ溢れる。会議の時、今後の方針に関する回答をくれ」
《分かりました》
「……なんだ、今日は妙に顔が赤いな。体調を崩したんなら早めに言えよ」
そう言われたベスタの表情は、珍しく眉を引き延ばして口元がムッとなる。
《大丈夫です。これは恥ずかしくなってるだけなので》
「そうか。最近寒くなり出したからな、フィルも気を付けろよ」
「ワースもな」
ワースは無表情のままでこちらを見ながら、耳を横に一瞬伸ばし、歩いていく。
何となく、目を見開く動作と似ているように思えた。
おれの返事で、少しは喜んでもらえたのだろうか。
〈さて。部屋へ行ってから次のお方の元へと向かいましょう!〉
そこは、アパートの一室だった。
ガチャリとベスタが鍵を開ける。
《おじゃまします。イドさん、フィルさんを連れてきましたよ》
「……おじゃまします」
室内は暗がりで、玄関マットやカーペットで床は敷き詰められている。
脱衣所の扉近くに置かれた洗濯機の向かいには、小さなキッチンと冷蔵庫。
そのさらに横には台があり、炊飯器と電子レンジ、電気ポットが置かれていた。
〈これ、ここのスペアキーです。大事に持っていてくださいね。それとこれはペンとメモ帳です。コギトさんの時よりも長丁場ですので、イドさんと話した内容など、何でも書き留めてください。そして私に報告してください!〉
板状のカギをベスタから受け取る。
……うーむ。
「スペアキーなんて、おれが持っていていいんですか? ヘンに信用向けられても困るんですが」
〈神殿で働く方には、必要に応じて預けていますので! 私がしっかり見定めた信用できる人だけを神殿に置いていますから、大丈夫ですよ!〉
「そうなんですか。それとベスタ様、敬語」
〈ああっ……フィルッ! それじゃ私は別のお仕事してくるね! 神殿にはすぐに帰ってきてもいいからね!〉
「ムリはしないでくださいね」
ベスタは少し嬉しそうに笑顔でこちらへ手を振ると、歩いていく。
さて、今日が本番というようなものだ。
相手は異性だし、とりあえず待とう。
……玄関でボーっと待っていると、奥のドアが開く。
今起きたところだろうか。
ベスタの言う通り、白に茶ぶちの体毛だ。
そしてくにゃりとした垂れ耳。
髪はボサボサとした白い長髪で、目は紫色。
体格はおれより背の高い中型で、服装は薄黄色のパジャマ。
……目のクマが目立つ。
荒れた生活をしているらしい。
「帰ってください」
「買い出しとかはいいですか?」
「……置き配頼んでますから」
ドアがゆっくりと閉じる。
帰れと言われても、おれはプライスの自殺理由を知りたい。
そう簡単に帰るわけには行かない。
「ベスタ様から、あなたの社会復帰に取り組むよう言われました。なのでまずは、あなたのことをおれに教えてください」
しばらくして、ドアが少しだけ開く。
その隙間からイドが見つめてくる。
「ベスタ様から、その話は聞いてる」
イドは渋々とドアを開け、室内へと後退りした。
「……アタシのことは、イドって呼んで」
「おれはフィルです」
「入って」
室内は六畳ほどで、あまり広くはない。
中央にはコタツ、奥にベッドと本棚、手前の壁にはクローゼット。
奥には分厚いガラス戸、そこからベランダが見える。
「お茶、出すから。……待ってて」
コタツの前に行くと、ベッドに座っていたイドが廊下へと向かう。
コミュニケーションをまるで取れないような相手と思いはしたが、おもてなしをしてくれるいい人ではないか。
——ペチャッ
……お湯が少し服に飛んだ。
ガタガタと震える手が、マグカップをコタツに置く。
「……ごめん」
「大丈夫です。熱くないので」
めっちゃ熱いけど。
イドはベッドに座り、一息吐く。
何とも具合が悪そうだ。
「イドさん。ベスタ様からはトラウマがあるとだけ聞いているのですが、どういったトラウマなんでしょうか?」
イドは黙って俯く。
弱々しい声と、喋る時に詰まる話し方といい、さっきの手の震えといい、トラウマの影響が強いのだろう。
イド自身にその原因が分かっているなら、教えてもらえれば何かしら協力はできるはず。
「……言えない」
「分かりました。いつか、イドさんご自身の口から聞ければと思います」
イドは全く、おれと目を合わせようとしない。
何だか張り詰めるような雰囲気だ。
ゴクリと生唾を飲み込むと、イドはなぜか怯えた表情をこちらへ向ける。
「ごめんなさい。この仕事にまだ慣れてなくて、おれも緊張してるんです」
「そう……ごめん……ね? 緊張……させて」
「いえいえ。とりあえず、お互いのこと少しは知っておきましょうか」
しかし、話をするには準備不足だ。
お茶飲み切ったら一旦帰ろう……。
「フィルくんは……何歳?」
「18です」
「アタシは20だよ……」
少しだけ、イドの声が張る。
気のせいか、コギトと様子が重なった。
……アイツとは重ねるな、おれ。
やりづらくなる。
「出身は?」
「スネアテです」
「そっか……。アタシはカタナ島なんだ。珍しいでしょ」
カタナ島? カタナ島はベスタの育ての親であるジェミニを研究する施設があり、今は神類が集められているので、一般人はいないと思っていた。
「神類以外にも人いるんですね」
「神類を研究してる人たちの子供も、あそこで暮らしてたんだ。アタシはそのうちの一人」
イドはぎこちない笑顔を見せ、ベッドから少し身を乗り出す。
「ベスタ様……凄かったんだ。小さいのにいつも明るくて。憧れてる」
「ああ、他人より苦労してるはずなのに凄いですよね」
「フィルくんも、そう思うんだね」
ベスタの話になりそうだ。
一言で言うと、思いやりのあるお転婆姫だと思うのだが。
憧れる……ねえ、確かにあの明るさは見習えるものなら見習いたい。
とりあえず、その体で話を合わせるか。
「ベスタ様はね、お姫様なんだ……。それにね、鳥や動物さんたちとお話できるし……憧れるけど、真似できないことなんだよね」
「神類ですからね。それに都市へ来てから三年も死亡者ゼロを維持してるっていうのは、とてつもない精神力の持ち主だと思います」
「だよねえ」
意外と話せてしまっているぞ。
これは、上手く会話が運びそうだ。
「フィルくん、手を出してみて」
「はい」
イドはこちらへ近付くと、おれの背後にくる。
そして胸をおれの背中に押し当てながら、出した右手を握りしめてきた。
……握りしめる手はガタガタと震えている。
ヒアッ!? 吐息が耳の裏にっ。
「フィルくんは……優しそうだね……。トラウマ……治すの……このまま……手伝ってくれる?」
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