第6話
仕切りの向こう側にある何もない室内。
そこに敷いた座布団へおれが座ると、ベスタが隣に座って足を崩す。
ベスタを見ると、にへらと口が開いており、力の抜け切った顔をしていた。
「なぜ向かいではなく隣に?」
〈フィルさんは私のことを敬い過ぎています。なので、この距離感で話す方が親しくなれるかと〉
ベスタの顔から目を逸らし、そのパーカーに垂れたフードの紐を眺める。
正直、おれはベスタと親しくなるつもりなんてない。
親しくなれば、おれが死んだ時……ベスタにおれが味わったような苦しみを与えることになるかもしれない。
それがイヤで堪らないのだ。
チョンチョンと、肩にベスタの指先が触れる。
《フィルさん。コギトさんを自立に向かわせようとしてくださり、ありがとうございます!》
「でも反感を買いました。ベスタ様にはあんなことをコギトさんに言わせてしまいましたし、勝手なことしてすみません」
《お気になさらず。次回もまたコギトさんのところへ向かいましょう! それと、もうお昼時なので、ご飯へ向かいましょう〉
向かった先の食堂内は、特にお屋敷感もなく、白いテーブルとプラスチック製の軽そうな椅子が並べられている。
そこでは、数人の信獣が食事を摂っていた。
すぐ近くには中の見える厨房があり、コック帽を被ってる白くてモサモサとしたイヌ種の男性が、ベスタの方をジッと見てから会釈する。
〈フィルさん、アジフライは食券機のここを押してください〉
「教えてくださりありがとうございます」
食券機からメニューを選び配膳係の方に渡し、二段ある台の低い方に出された料理をトレイへ乗っけてテーブルへ運ぶ。
ベスタもアジフライ定食だ。
……さっきは熱くなり過ぎた。
おれは前向きになる気ないのに、コギトが前向きになるよう応援するなんて。
深さの分からない泥沼へと先に行かせたようとしたような、罪悪感を感じる。
プライスが死んだ理由を知るためとはいえ、こんなことを続けていいのだろうか。
……ベスタが再び隣に座る。
〈いただきます〉
「いただきます。……つい勝手なことをしてしまいましたが、ベスタ様のお手伝いとしてはあれで良かったのでしょうか?」
〈理想的でしたよ!〉
頷けない言葉だ。
でも、ベスタ様がヨシとするなら考え過ぎることもないか。
「午後は何を手伝いましょう」
《次こそお喋りしましょう! 私の部屋で!!》
昼食、とても美味しかった。
お互いに食べ終わり、二人で歯を磨きベスタの部屋へと入る。
……って、今朝も入った執務室らしき部屋じゃないか?
「ここ、ベスタ様の部屋だったんですね」
《ええ》
しかし、ベッドがないとは。
収納に布団が入っていて、床に広げ眠っているのだろうか。
高尚な立場の存在なのだから、もっといい寝床を持っていてもらいたいものだが。
「どうやって寝てるんですか?」
《棚の上にネットがあるでしょう? 壁にある吊り下げ台から反対側の吊り下げ台にこれを掛けて、そこにベッドを置いて眠っています。尻尾を潰さずに仰向けで眠れますよ!》
ベスタは実際に、部屋の中心へとハンモックのようにネットをかけて見せる。
そこに持ち上げた小船のようなものを置き、中に手を押し込む。
とても柔らかそうだ。
見ると、尻尾のつく辺りに横幅のある穴があった。
「寝心地良さそうですね」
《はい。空気と一体になる感じがします》
「壮大ですね」
ベスタはそこへ座ると、足をぷらぷらさせながら隣をポンポンと叩く。
おれはベスタの隣に座る。
……昨日よりも、この肩の触れ合う距離が緊張する。
とりあえず、何か言っておこう。
「座り心地いいです」
《一度、仰向けになってみますか?》
ベッドから降りるベスタは、頬を赤らめていた。
ベスタの方も緊張していたらしい。
仰向けになりながら、ベスタの言った一目惚れです、という言葉を思い出す。
おれに好意を持ってくれてるのは嬉しいけど、おれのどこがいいんだか納得できない。
にしても、いいベッドだ。
「……これ。体が軽くなって、本当に空気と一体になる感じがします」
《伝わりましたか!》
「はい」
まだ疲れていないのに、この不思議な感覚のまま眠ってしまいそうだ。
……いやいや、さすがに眠る訳にはいかない。
ベッドから降りる。
お喋りに集中しなくては。
「ふう。ありがとうございます、珍しい経験をさせてもらいました」
《いえいえ。そういえば、フィルさんの出身地はワースと同じスネアテですか?》
「そうです。ベスタ様は?」
《私はカブト出身です》
カブトというと、金山豆でも北の方か。
スネアテとは最も離れてる町だ。
都市へ来る時ついでに調べたら、スネアテからは新幹線でも十時間かかる距離だった。
「育ちもカブトですか?」
《いいえ。産まれてすぐカタナ島にいる神類、ジェミニさんに引き取られまして。四年前まではそこで暮らしていました》
「へえ、ベスタ様の育ての親は神類なんですね」
ジェミニは一番最初の神類で、ほぼ研究施設に閉じ込められていた、と客が話しているのを盗み聞きしたことがある。
そんな人がベスタの親代わりなんて……いまいち想像できないな。
ベスタが棚に置いてあった写真立てを手に取り、こちらへ向ける。
そこに収まる写真には、小麦色をした体毛のウサギ種で垂れ耳、金髪ロングヘアのお姉さんがロングスカートのエプロン姿で立っており。
すぐ手前には、明るい笑顔を向けるベスタらしき小さな子供がいた。
二人とも、垂れ下がるピンク色の花が咲く木の前に立っている。
《もうかなり昔になってしまいますが、思い出深い写真です》
「ジェミニ様は今もカタナ島に?」
《ええ。今もまた、小さな神類の母親代わりをしています》
ベスタは大事そうに抱えたまま、その写真立てを元の場所へ戻す。
「ジェミニ様に早く子供を見せたいとか、そういう理由でおれに好意的なんですか?」
《そんなそんな、違いますよ! それよりもフィルさんは、育ちもスネアテなんでしょうか?》
「そりゃまあ」
ベスタはベッドとネットを片付け、棚の下から取ったクッションを机の前に敷き、もう一つ棚の下から取り出す。
それをこちらへ渡すと、クッションの上に正座した。
おれも敷き、ベスタの向かいに座る。
……何か話題をふりたいところだが、これ以上は何一つとして思い浮かばない。
《……フィルさん》
「何でしょうか」
《やっぱりお喋りは、もっと後でやりましょう。プライスさんの自殺の理由をお教えしてからでないと、お互い堅苦しさが抜けないと言いますか……!》
それもそうか。
心配し過ぎてしまい、励ましてやりたいのにどう声を掛けてやるのがいいのか悩んでしまうという経験ならおれにもある。
「分かりました。それじゃ、自分の部屋でゆっくりしてます」
《フィルさん。もし私と同じベッドが欲しかったら、カタログから壁吊り式か台座式かまで選べますよ!》
「高くなければ買います。ではまた」
晩御飯の時間になったら呼びに行きますね、その優しいベスタの声を聞きながら、部屋から出てドアノブを捻ったままゆっくりと閉じる。
自室に戻り、布団の上で横になった。
堅苦しさ……そのベスタの言い表しがしっくりときた。
おれは、おれがプライスに対し思っていたことを、ベスタに思わせてしまっているのかもしれない。
コギトの家で話した時、分からなかったことが頭に浮かぶ。
ベスタがおれに仕事を手伝わせたい理由は……それはコギトの前で聞いた時に答えてもらった、おれの心の状態を改善すること。
おれはベスタの仕事を手伝えば改善するとは思えず、それとこれとは関係ないと言った。
ベスタは自身が神類であるからこそ、改善する根拠が分かると答えた。
……んん? 根拠の内容以外は全部言ってくれている。
そもそも根拠が何にしても、ベスタがおれを助けようとしているのには変わりない。
おれは……コギトの生き方に口出しして、変えさせようとして……会話するつもりだったベスタを差し置いて、何がしたかった。
その上、神類に心配までかけて。
何なんだ、おれは。
《フィルさん、晩御飯の時間ですよ。行きましょう!》
……頭がズキズキと痛む。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
枕元に落ちているヘアゴムを拾い、前髪を結ぶ。
携帯に触れて画面を見ると、夕方の七時だった。
……眠る前に何を考えていたのか思い出せない。
ただ、妙に気持ちが落ち着いてる。
「ちょっと待っていてください、ベスタ様」
ヘアゴムを拾い上げ、前髪を縛る。
部屋を出ると、ベスタが笑顔で待っていた。
なんか、いつ見ても笑顔だ。
顔疲れないのだろうか。
「お待たせしました。ご飯食べに行きましょう」
《はい!》
静かに晩御飯を食べてから、浴場に入る。
そこでワースと鉢合わせた。
体が濡れてるのに、体毛の量が普段より多く見える。
「ワースじゃないか。こんばんは」
「こんばんは。……フィル、アンタ寝てたのか? 寝癖が酷いな」
「ああ、ベスタ様を手伝った後はやることがなくって」
ご自由にお使いくださいと書いてある所には、積まれた風呂椅子とピンに掛けられた紐付きのブラシがある。
そこから一つずつ手に取り、浴槽手前に並ぶシャワーヘッドの前へと座った。
ハンドルを回してザアアとぬるい水を出し、体を濡らしていく。
手元の台には、シャンプーとボディソープがある。
ホテルのお風呂ってカンジだ。
少し辺りを見渡すと、ワースはもういなかった。
……もう少し話したいと思っていたのにな。
次の更新予定
gni 坡畳 @I15UUA3
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