第5話   魔が差した事  三月六日 水曜日

 午前一時三十分 修平が桜通り大津の交差点に差し掛かると、

横断歩道で信号待ちしている茜のママを見つけた。

修平は車を停車して、後ろのドアを開くと、ママを呼んだ。

「ママ、乗って乗って!」

その声に気づいたあかねは、取り敢えず、後席に座った。

「修平さん、いいの!すぐ近くよ」


「あれ、勝川じゃなかったの?」

「あ、あの時は実家に帰ったの、ちょっと、父の様子を見に・・・」

「そうだったのか、そうだよねー毎日、タクシーで勝川まで帰ってたら、

えらいことになるよね」


「だから、そこの高岳を超えて、すぐの路地を入って、

そう、まっすぐ行って!そこの公園の横のマンションなの」

修平は車を止めると、ママと話し出した。

「ママ、こないだは、ありがとう、春樹が飲まないのに、ボトル

入れてもらって本当によかったのか。なんか、余計、迷惑をかけたみたいで・・」 

「いいのいいの、私も貴方達が入って来た時、ちょっと戸惑ったの。

まさか、来るとは思わなかったし、お店の子たちにそんな事、知られたくないし、お客さんが聞いたらどう思うかしら。

なんか、ごまかせないかと・ボトルでごまかせたら安いもんだわ」

「なるほどね、またなんで、あんな事になったの」

「本当にね、魔が差したのね、

春樹が、あ、春樹なんて呼び捨てにしちゃまずいかしら」

「いいんじゃない、なんてったって、春樹と乳(ちち)繰(く)り合った仲なんだろ」

「ま~ヤダ そんなんじゃないけど、

ほんとにね、あの時は、お店で喧嘩になるし、

前の日は父が夜中に堤防歩いていたみたいで、

医者は、かるい認知症だって云っていたけど、

だから、あの日は父の様子を見に行ったの」


「そう、お父さん、認知症じゃ、大変だね、夜の仕事どころじゃないね」

「なんだか、疲れちゃって・・・

それで、たまたま、春樹のタクシーに乗ったら、よくわからないけど、

ちょっと、ちょっかい出したくなっちゃったの。

言っとくけど、あんな事、生れてはじめてよ、男に手を出すなんてサイテー、

みっともないったらありゃしない」

「んんぅ、でも、タイマーをかけていたんだって」

「タイマーなんてかけていないわよ」

「でも、春樹が十五分経ったからタイムオーバーって云われたって、

えらく気にしていたけど・・」

「あぁ、あれね、こんな事やってたら、やばいと思って・・

自分から手を出しといて、勝手な話だけど、けりつけようと思って、

スマホの防犯ブザーを鳴らしただけ」


「なるほど、そういう事か、なるほどね! 

まぁ~人間誰でも、一度や二度、魔が差すって事あるよ、

でも、なんだか、少しわかるような気がする。

春樹は、根がまじめだし、優しいし、すきまがあるし、扱いやすいし、

それは悪い意味ではなくて、あいつの取り柄なんだけどね、

そのツボにママは嵌(はま)ったのかもしれないね」

「なんか、言われてみれば、修平さんの言う通りのような気がしてきたわ

修平さんと話ができてよかった。ちょっと、心が楽になった。ありがとう」

「おおぅ、なんか、困った事があったら言って、ちからになるよ、

お父さんの事でもちからになるから」


「ありがとう。料金いくらだった?」

「何言ってんだよ、お金を取る気で乗せちゃいないから、

茜の専属タクシーだし・・、はい、おやすみ」

修平はそう言ってドアを開けた

「ごめんね、ありがとう、お店に来てね、おやすみなさい」

「おやすみ」

 もう、一時五十分を過ぎていた。修平は急いで会社に帰った。


  茜専属タクシー 4月


いつものように春樹は、錦、界(かい)隈(わい)を流していた。二三時を過ぎた頃、

ママからメールが入った。【村井3人】の簡単なメールだ。

春樹は数字の5を一文字だけ打ち込んで返した。

これは、春樹にお客が乗っている時は、文書でメールが来ても、

読みづらいので、暗号的メールにしてもらったのだ。

これなら、信号待ちの時に、お客にわからないように打ち返すことができる。

春樹が知っているお客の名前であれば、名前と人数で、大体の行き先が分かる。

村井さんは瀬戸の人だ。3人とあれば 井沢さんと山口さんだ。

そして、[5]と打ち返したのは、5分で着くという意味だ。

10は10分、15は15分、5分刻みで到着時間を知らせる。

30分以上掛かる時は000だ。これで通じるのだから、簡単でいい。

いつもの場所で、待っていると智ちゃんが村井さんたちを連れて出てきた。

智ちゃんとはお店の子だ

猫がTシャツを破って出てくるようなTシャツを着ている。

歳は25歳くらいだろうか、面白い子だ。

村井さんたちが車に乗ると、春樹も智ちゃんに手を振って発進した。

智ちゃんがいつまでも見送りをして手を振っていた。

「いつもありがとうございます。今日はちょっと早いですね」

「今日は、お店、大繁盛だ、お客が次から次と入って来るもんで、

気をきかして出て来たんだ」 村井さんが答える。すると、井沢さんが言った。

「さっき、来た二人連れ、見た事あるような気がする、医者じゃないかな」

「あ、今日、木曜日だろ、シオノギ製薬の会合かなんかだろ」

 山口さんも話が弾んでいた。

 みんなを送り届けるとママに[完了]のメールを送った。

 最近は毎日のように仕事が入る。

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