第3話   スナック 茜  十一月十三日  月曜日

2023年十一月十三日、その日は良く晴れていた。

春樹の車は青いカローラだ。自分は飲まないからと言って修平を助手席に乗せて

錦に向かった。伝馬町通のジャンボパーキングに車を入れると、

キャッチ(客引き)が寄ってくる。

春樹と修平は呼び止めるキャッチには言葉も交わさずに名刺に書いてある

シャトレーヌ錦ビルを探した。

タクシー運転手にとって、キャッチは目ざわりな存在なのだ、

車が来ても、どこうともしない。

それどころか、タクシー運転手を馬鹿にしている。

以前、錦の中を流していると、男が手を挙げた。

春樹はお客だと思ってドアを開けると、

その男は乗ってくるなり、一万円、崩してくれと云う。

春樹がどちらまでですかって聞くと、

「おい、メーター入れるなよ。はよ、崩してくれよ」って言うのだ。

春樹はその言い草で、やっと、キャッチだと気が付いた。両替はできませんと

きっぱり断ると、男は「チェッ」っと舌鼓しながら後ろのタクシーに移動した。

これがキャッチである。当然、後ろのタクシーも断っていた。

タクシーの運転手が、お金など持っているわけがない、

給料だって20万やっとだ、そこから自腹で釣り銭を用意しているのだ。


だから、給料前ともなれば、釣り銭も使っちゃうわけでお金などあるわけがない。しかも、一万円をただで崩してくれる所など、コンビニだって、

なにかを買わないと無理だ。それを、キャッチは平然と崩せと言って、

寄ってくるのだ。困ったものである。

 さて、青の看板に白の文字 スナック茜はすぐに目についた。

角のマリオットビルは、お客がよくタクシーに乗ってくると

(マリオットビル、行ってくれ)って云うので、

タクシーの運転手であれば誰でも知っているビルだ。

その東隣がシャトレーヌ錦ビルだった。シャインシグマはその隣だ。

スナック茜に着いたのは7時頃だった。

「月曜日だから、きっと、お客さんは少ないよね、なんか、いやだな。

どんな顔をして入ればいいのかな」

春樹は動揺しているようだ。

「大丈夫だろ、何も気にすることはないって、俺たちはお客なんだから、

ママの顔を拝んだら、すぐに帰るからさ、

カラオケあるかな、2,3曲歌って帰ろうよ」

と言いながら、修平はスナック茜のドアを開いた。


「いらっしゃい」奥からかわいい女の子が出てきて席を案内する。

若い女性の年齢は分かりにくい。二十歳以上~三十未満だと思う。

お店はカウンター十二席 テーブルが三台

テーブル席の壁側のソファーは長くつながっている。

全部で30席くらいはありそうだ。カウンター席には40代から50代の客が

五人並んで座っている。みんな常連のようだ。


三人のお客がこっちを見て、お前たち誰だ、って顔をしている。

カウンター内には女の子が二人いるが、ママの姿が見当たらない。

さきほど案内してくれた女の子がおしぼりを差し出すと、

「お飲み物は・・・!」といって春樹たちに聞いてきた。

初めて見る顔とでも言いたそうだ。

「ビール下さい。こいつは車なので、コーラでいいか?」

「えぇ、コーラをください」

すると、カウンターの裏からママが出てきて、

奥のお客に料理を二皿持ってきた。なにか、お客と盛り上がっている。

どうやら、二人組と三人組のようだ。奥の二人はネクタイをしている、

中央にいる三人客はラフな格好だ。

  小田和正の(ラブストーリーは突然に)カラオケがなりだした。

曲が始まると、春樹は修平に話し出した。

「うまいね、歌いなれているね。ママさん、気が付いていないようだね、

そりゃそうだよね、あんな暗い所で、ちょっと一緒に居ただけだから、

顔なんか覚えていないよね。よかった」


「だから、気にするなって言っただろ。春樹、なんか歌うか」

 そう云っていると、ママが近寄ってきた。修平の顔を見て、

「いらっしゃいませ、あかねです、よろしく!」

ママが置いてあったビールを注ごうとすると、もう、無かった。

「ビールでよろしいの?」 修平に尋ねる。

 「今日はね、こいつの付き添いで来たんだ」といって、春樹の顔を見た。

ママが意味ありげに春樹の前に立つと、顔を突き出して小さな声で春樹に言った。


「あら、コーラかしら、本当に来てくれたのね、そちらの方は同僚の方?」

春樹はビクッとした。やばいと思った。

「知っていたんですか」

「入って来た時から、気が付いていたわよ」

「いい事、あの事は絶対に内緒よ。わかった!」ママがきつく念押しをする。

 すると、修平がママに言った。

「春樹が、名刺もらったから、行かないと、会社にチクられるかもしれないって

ビクビクしているもんだから、じゃ、行こうって今日、来たんです」

「あら、ビクビクしていたの?私もビクビクしていたわ、

ちょっと、後悔していたのよ、酔っ払い、っていやね、勢いだけでなんでも・・

あの時の事は水に流してね。」


と言うと覚悟を決めたように

「わかったわ、もう、お詫びにボトルを一本いれてあげるから」

 ママは春樹に聞いた。

「何がいいかしら 焼酎 ウイスキー?」

「俺、酒が飲めないし」

「そう、じゃ、そちらの方は、何がいいかしら」修平に聞いた。

「いいんですか、頂いても」

「今日だけよ、その代わり、誰にも言わないでね」

「じゃ、角 いいですか」


カウンター席のお客たちは店の子とデュエットして盛り上がっている。

春樹たちとの会話が聞きづらいのでボックス席に移動させて


自分もそこに座ると、女の子に角ボトルと氷を持ってこさせた。

そして、マジックペンを修平に渡すとボトルに名前を書かせた。

「稲留って名字、下の名前は?」

「修平です」

「それも書いといて、私、すぐに忘れるから・・」

 修平は自分の名を書くと春樹にも書くように手渡した。

「イ ズ ミ ハ ル キ」書いている字を読みながらママは言った。

「修平さんと春樹ね そう呼べばいいかしら」

「さんは取り払ってください、柵(さん)を張るほどのバリケードはないので」

修平が毅然として言った。

「さすが、修平さん、うまい事を言うわね、だけど、やっぱり修平さんは

修平さんだわ、風格があるもの、呼び捨てにはできないわ、ねぇ、春樹」

「なにそれ、修平には風格があるけど、俺には無いって事?」

「あら、あるの?」

「無い」春樹も自分で風格なんて全くないと思った。

たしかに修平には存在感がある。

「でしょう。 じゃ、ひがむ事は無いじゃない」

 三人で大笑いだ。

「でも、どうして、修平はサンづけで、おれには呼び捨てなの」

すると、ママは春樹の顔に顔を近づけて言った。ただ、ひとこと、

「いやなの」 強い口調である

「いやじゃないけど」春樹は戸惑いながら返事をした。

「じゃ、いいじゃない」 ママは開き直ったように言う。

「いいけど」 春樹はあきらめたように言った。


そこでまた、修平とママが大笑い

修平はママが春樹を手玉に取って遊んでいるのが、

なんだか、すごく懐かしく感じた。

「どう、お仕事は忙しい?」 ママは修平の顔を見て話をする。

「錦と一緒ですよ 、コロナ以来、客足が早くなっちゃって、

一九時~二三時頃までは人はいるんですが、公共交通機関がなくなる頃には

人もほとんど居なくなりますもんね、二割増の稼ぎ時になる頃には

お客さんは帰った後です」

修平は角ハイを口にしながら言った。

「ほんとコロナ以来、一次会で帰るお客が多くなった、居ても二次会までだよね」

春樹が言う。


「本当、そうよね、錦も飲み屋の入れ替わりが激しくて大変みたい。

うちはほとんど常連さんでもっているから、なんとかなっているけどね、

とは、言っても、いつどうなってもおかしくない世の中だわ、ねぇ、

そうそう、二人ともTEL教えてくれない、

タクシー拾おうとしても女性はすぐ避けられるし、

タクシーも以前より少ないのかしら」


「コロナ以来、かなり減りました。でも、7割がた戻ってきていますけどね」

 春樹たちは電話交換をした。

ママがカウンターの中央に座っている男性三人に声をかける。

「村井さん、この人たち、タクシーの運転手さんだって、〇時頃は中々

タクシーつかまらないものね、電話番号を聞いたから、もう、大丈夫よ」


「それは良かった、よろしく頼むよ、月三、四回は使うからね。いや、助かるよ」

「村井さんが瀬戸でした?井沢さんが印場で、山口さんが一社ですよね」


「ママ よく覚えているね!そうそう、運転手さんたち、

愛のチケット使えるかな」 村井さんが修平と春樹に尋ねた。

「はい、使えます、お医者さんですか」修平が問う。三人が驚いて言った。

「すごいね、チケットで職業までわかるんだ」

「そうですね、多少の事はわかりますけどね」修平が答える

「瀬戸まで行ったら一万円超えですよね」 春樹が三人に問う

「うん、いつも、1万5千円くらいはいくかな」

「じゃ、穴田とか中水野とか、そのあたりですか」

春樹にとって長久手、尾張旭、瀬戸は得意のエリアなのだ。

コロナがはやる以前は藤が丘を中心に流していたので、

地理はしっかり、頭の中にある

「すごい、よくわかるね、そう、中水野駅のすぐそばだよ」

「大体わかりました。水野川を超えた所ですね」

「ママ、この人たち凄いわ、プロ中のプロだね、

何年くらいタクシーしているんですか」


「稲留さんが十五年で、私が十八年ほどですね」

「それだけやっていれば、名古屋殆んどわかるよね、そりゃ安心だわ、

そんな運転手さんたちに、もっと早くめぐり合いたかったな」

それを聞いていた、奥の二人も

「運転手さん、わしらも近くだけど、これから頼むわ、


俺が大曽根で沢田が荒畑なんだけど、いいかな」


「喜んで! 私たちも暇で困っていますので、助かります。近くても、

何処へでも行きますので呼んでやってください。お願いします」

修平がみんなに聞こえるように大きな声で言った。

五人の中の誰かが、手をたたきながら言った、

「じゃ、あかね専属のタクシーになるか」

「それ、いいですね。よろしくお願いします」 春樹が答えた

するとママが春樹に強い口調で言った。

「いいこと、あかね専属って事は、私はタダで帰れるって事よ。

い~い、わかったわね」

「こわあっ!」春樹はすくんで見せた。みんな大笑いだ。

それから、30分も居ただろうか、カラオケを2曲ほど歌うと修平が

「帰ろうか」と、春樹に耳打ちをした。

春樹はアルコールは飲んでいないから問題ないが、

修平は明日、朝9時から仕事だ、

会社へ行って、アルコール検査に引っかかると仕事ができなくなる。

今なら、朝にはアルコールが抜けるからと言って帰る事にした。

ママが下まで見送ってくれた。春樹に言った。

「こないだは、ごめんね、あんな事、本当に初めてだったの、

きっと、飲みすぎて狂っちゃったのね。悪かったわ、

どうか、あの事は水に流してね」と云うと

「修平さん、また、遊びに来てください。お待ちしています」と言って、去ってゆく二人を見送った。


 

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