身も心も過去もすべて受け止めて

安部 満

第1話 いきなり、襲われる  2023年 十一月二日木曜日

泉 春樹は名古屋でタクシードライバーをしている。

今夜も、錦の外回りをなめるようにして流していた。

午前0時を過ぎると、錦かいわいで働いている水商売系の人々が出てくるのだ。

まぁ、その女性たちの大概は、錦を中心に半径二km範囲内に住んでいる。

料金にして千三百円前後だ。ともあれ、乗せてなんぼの世界 乗ってもらわない事には収まりがつかないのだ。

もしも、ネクタイ族のお客がいれば、当然、そっちにすり寄る。

これはタクシードライバーの宿命だ。歩合制の給料なればこその宿命なのだ。

桜通り大津の交差点に差し掛かる辺りで

レースのブラウスに青いロングスカートの女性が伝馬町の路地から出てきた。

チラッとこちらを見たが手を上げるわけでもない。

春樹はタクシーをその女性に寄せるとドアを開けてみた。やはりお客だった。

女性はニコッと会釈して「いいですか」と言って乗り込んでくる。きれいな方だ。

四十代後半だろうか、どう見ても、錦のママさん風だ。

なんだか少し顔がとんがって見える。気のせいだろうか、春樹は優しく接した。

「ご乗車ありがとうございます、お客様かどうか、わからなかったのですが

ドアを開けてよかったです。どちらまで行かれますか」

「春日井 勝川駅までお願いします」

「はい、ありがとうございます。では、シートベルトの着用をお願いします。

国道十九号でよろしいでしょうか」

「はい 私も 怖い運転手さんだったら嫌だったので、優しそうな運転手さんを

探していました。そしたら丁度、貴方が・・運転手さんに出会えてよかったです」

春樹は女性の声のトーンから、顔のとんがりがとれたような気がした。


「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。

では、メーターを入れさせていただきます」

すこし、間を開けてから、春樹は話を続けた。

「今日は月曜日だけあって、人はあまり出ていませんね。錦はどうでしたか」

どう見ても、錦の人だ。春樹はさりげなく問いかけてみた。

「そうね、今日は本当に最悪だったわ!初めてのお客だと思うけど、

お客さんと一緒に来た女の子があっちこっちいじられて嫌がっているのに、

肩を組んだまま放さないもんだから泣き出しちゃって・・・、

そしたら、そのお客、

「[この世界で生活するのならこれくらいで泣くんじゃない]

 と言って、もっとひどくなるもんだから、手が付けられなくて、

それを見ていた別のお客さんが止めに入ったんだけど、逆に殴られちゃってね、

大変、もう、警察呼んで、散々だったわ。女の子も、下で声かけられたらしく

ノコノコついてくるものだから、馬鹿な子、パトカーの音を聞いたら

慌てて逃げ出して行ったけど、未成年だったのかしら、

お金欲しさについて来るんだろうけど・・困ったもんだわ」


「あ、それで、パトカーが3台もサイレン鳴らして錦に入って行ったんですね、

もう、2時間くらい前ですよね、それは、大変でしたね。

殴られたお客さん、大丈夫でしたか」

「病院まで付き添うから小川の緊急病院へ行きましょうって言ったんだけど、

本人は大した事はないって云って帰って行かれたわ、

常連さんだから、明日にでも電話して聞いてみるけど」



「本当に最近、変なのが多くて、物騒な世の中になってきましたね。

SNSで知り合って人を殺してみたり、親が子供を殺したり、

子供が親を殺したり、クレーマーも多いし、本当に酒を飲みに来たのなら

もっと楽しい酒を飲めばいいのに、自分が中心に世界が回っているとでも

思ってるんですかね、あっちの方でしたか?」

「ううん、なんか、本人は医者だって言ってたけど、

どうだか、調書を取るからって、警察が連れて行ったけど、

テーブルのガラスもひびが入ってしまって、弁償してもらわないと、・・・

本当に困ったもんだわ、警察が入ると店もお客を入れるわけにいかないから、

早めに閉めて・・・今日は売り上げも何もあったもんじゃないわ、はぁ~疲れた」

「お疲れさまでした」

 春樹はちょっと間をおいてから、場を和ませようと話し出した。

「そうそう、嫌なお客といえば先日 錦から八事までお送りしたお客さんで

錦のママさんを送ってから自分は本郷へ帰ると言われ、ご乗車されたのですが、

ママさんは送ってもらえるならと一緒に乗ったものの、八事付近に近づいてくると男性客が、急に、部屋へあがらせろと迫っていたんです。

ママさんは、全くその気はなく、困っているようでした。

実は、私、このママさんは、以前にも乗せた事がありましたので、

マンションはわかっていたのですが、いつもより、少し手前で

「ここで車を止めて」

と言われましたので、私は車を止めるとすぐにドアを開きました。

すると、逃げるようにママさんは降りられ、男性の方も慌てて、

タブレットで精算をしようとするのですが、私は、少しずらして、

{あれ、まだ、タブレットに届いていませんか、おかしいな~}と言いながら、


ママさんが逃げて行く時間を稼いであげました。

なのでお客さんが下りた時にはもう、ママさんの姿は見えず、

私は、してやったりってチョット気持ちよかったです。

本当におかしなお客って、何処にでもいますね。

あの時、現金で四千円出して、釣銭はいらんと言って追いかければ捕まえれたかもしれないのに・・でも、そんな場面になったら、お客さん、お金足りないですよ、とか言って足止めしてやりますけどね」


「運転手さん、本当に優しいのね 」

「いや、私たちは錦と一体ですから・・陰ながら少しでもお力になれればと・・」

そんな話をしていると、勝川に近づいてきた。

勝川橋を渡ればそこから勝川区域になる。

「お客様 勝川はどのように・・・」

「その眼鏡市場を右に曲がって旧道に入って・・・、302号を超えて、

そう、その信号 右に曲がって・・この公園のわきに止めて頂戴」


 タクシーを止めるといきなり、女性は身を乗り出して、

ちょっと助手席に移るわ、と言って、自分で後ろのドアを開けると

助手席に移動してきた。

そして、春樹に顔を向けると、目が合うや否や、突然、春樹にキスをした。

あっという間の出来事だ。春樹はびっくりして体を引くと、

「何するんですか、なんなんですか・・・」

おびえる声で女性を見た。そのはざまの時間、春樹はすごく長く感じた。

 女性はニコッと笑顔をこぼすと、


「いや?」と言って顔をのぞかせる

春樹は動揺を隠せないまま、

「い・いやじゃないけど、びっくりしました。いきなり・ですから・・ 」

春樹は女性の笑顔に少し施(ほどこ)されたようだ。

女性は春樹に車のライトを消すよう、うながすと、

「はい」とささやいて目をつぶり、唇を寄せた。

春樹は本能だろうか、抱いてもいいんだと思う意識が働いた。

「本当にいいんですか・・・あ、ありがとうございます」

春樹の動揺が声に表れていた。

春樹が[ありがとうございます]なんて言うものだから、

女性は一瞬、大きな声で笑いこけた。

「本当にいい人ね。キス時にありがとうって言葉 おかしい・・」

女性は春樹に肩を寄せると小さく笑いながら囁いた。さり気なく春樹の

右手をとって自分の胸に誘導すると、そのまま強く押し当てたのだ。

春樹は誘導されるまま、胸にふれ、もみだした。おのずと左手も左胸にかさねる。

すると女性は着ていたレースのブラウスのボタンをはずして

前ホックのブラジャーもはずした。やがて、女性は

「そう、気持ちいい あぁ」と、小さく声を上げた。

あたりは暗く、公園の電灯は遠くでほのかに照っている。夜中の1時とも

なれば、人影もなく、多少淫らになってもわからないようだ。

春樹は前かがみになり、目の当たりにしたおっぱいにしゃぶりついた。

女性は左手を春樹の股にあてると

「あら、硬いボキボキよ ボッキボッキ ボキボキ ボッキボッキ」

小声で遊ぶように春樹の耳元でささやく。そうしている時、


ピピピピピ急に女性のスマホから大きな音が鳴り出した。

「タイムオーバー 十五分、一万円だけど、このメーター料金五千二百円で

サービスしておくわ。もし、よかったらお店に来て頂戴・名刺置いてくね」


と云うと、その女性はサッサとタクシーから降りて行った。

女性は名刺を渡す事で、自分は危ない人間ではない、素性も名刺でわかるように、ただ、何も問題はないと知らせたかっただけなのだ。


 それにしても、あっという間の出来事だった。春樹はあっけにとられた。

〔何だったんだ。えぇ、どういう事・・

 どうしたらいいんだ。す~ごく元気なんだけど・・

 もう、少しだったんだけど、本当にもう少しだったのに・・・]

 少し気が治まると今度は、

 [俺、まずい事したかな?正当防衛だろ・・

彼女からキスしてきたんだし、俺、悪くないよな?

 しかし、凄かった。とっさの事だった、抵抗する事もできなかった。

 きれいな人だったな、かわいかったな、色気むんむんだったな。

 あ、そっか、あの時、お金を出すからって言えばよかったのかな。

これからだったのに・・・でも、いつのまに、時間設定していたんだろう。

十五分 五千二百円と言う事は春日井駅で七千円だから二十五分

高蔵寺で一万円 多治見で一万五千円で四十五分

四十五分あればホテルに行くことになるか・・とするとホテル代が五千円だから、約2万円か・・・彼女が多治見ならよかったのに。残念〕



 わけのわからないことをつぶやきながら、これではとても仕事にならないと

思い、その日はそのまま仕事を切り上げたのだ。

通常は午前三時までの勤務だが、頭は彼女の事でいっぱいで事務所に戻った時は

まだ、2時前だった。


名刺にはスナック 茜(あかね)小さく中西あかねと書いてある。

 それにしても女性の肌に触れたのは何年ぶりだったろうか。

とても神秘的だった。中西あかね〔また、逢えたらいいな~〕そう、心に呟いた。


会社に戻ると、早出の運転手たちが納金をしていた。わいわいがやがや、

いつもどおりである。どんな客を乗せたとか、数字ができなかったとか、

何処何処へ行ったとか、・・勤務体系が違うので、あまり見かけない顔ばかりだ。

春樹はその中には加わらず、そ~と抜け出すように納金を済ませて家に帰った。

 今日の事、考えれば考えるほど問題が多い。まず、車内で淫らな事をした。

お客から迫ってきたとしても、お客が後で襲われたと言ってきたらどうなるのか、社内には室内カメラが備え付けられている。

しかし、自分がおっぱいにふれている所を見られるのは余りにも情けない、

屈辱的だ。何も言ってこなければ、まず、室内カメラを調べられる事はない。

名刺をもらった。中西あかね、これは店に飲みに来ないと

公表するという脅しなのか?まさかと思う。

そうそう、5200円のメーター料金は、自腹だ。自問自答している自分がいた。結論は〔だからなんだ〕〔また、出会いたい〕など、

考えるとその日は中々眠りにつけなかった。


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