tp18 三日目の正直者たち② ――Apologized encore,Fearfulness, Complete refusal――

 心臓ごと心を擦り潰されそうな、冷えた衝撃は永くは続かなかった。

 木の洞のようだった瞳に、見覚えのあるきらきらした光を瞬かせながら、お目覚め仕立てのお嬢様は、ポーリャ?と、俺の名前を呼んでみせた。


「お顔、怖いよ? どうしたの?」


 怖い? 違うだろ。

 お前の目のほうが、よっぽど――、舌の先まで出かかっていた言葉の代わりに、俺の口は、当たり障りのない誘いを平然と吐きやがった。


「――なんでもないよ。笙真君やペギーはもう起きてるから、ポーリャといっしょに、レベッカ様も起きよう?」


 言いながら、思考の中心を指の腹、手のひら、頭へ引き戻していく。


「どうだった?」


 ぱちりと目蓋を上げた俺に、ペギーが問いかけてきた。

 きっと俺、ううん、お嬢様からずっと目を離さずにいたのだろう。そんなタイミングでの問われ方だった。


「起きてくださったよ、ほら」

「おはよう、ペギー」

「おはようございます、レベッカ様。お加減はどうですか?」 

「もちろん元気だよ? 笙真君は? ポーリャが、ご飯を作ってくれてるのは笙真君って教えてくれたの!」


 待ち切れないといった口調。おかしいのは、俺だと言わんばかりの、穏やかな朝の中で、彼女の体が、お団子にした銅色あかがねの髪を揺らし、席を立った。


「笙真君、おはよう!」

「おはようございます。もう少しかかりますから、マーゴットと一緒に待っていて下さいね」

「リベもお手伝いしたいな」

「お手伝いですか?」

「うん、なんでもできるよ?」

「……そいつは心強い。それならお茶のお片付けをお願いします。そうしたらボクが食事を運びますから」

「わかった、リベにお任せして!」


 あまりに普通の、普通すぎるやりとり。

 俺は意を決して、レベッカ様の目を操り、笙真に心を『読んで』もらおうと試みた。


「笙真君?」


 不安と信頼。真逆の理屈からくる、はち切れんばかりの期待で高鳴った胸を、笙真は、どんなふうに「読んで」くれるだろう。


「なんでも……ないかな。ポーリャちゃん、どうかしたの?」

「どうって……。見えなかった?」

「別におかしいところは無さそうだけど? 気になることがあるなら、早めに知らせてね」


 知らせろって……。言えないから、こうしてるんですけど。

 思わず反感を覚えた俺は、結局は押し黙った。先生ししょーと同じ顔のあんたなら、きちんと読めるはずなのに。

 心の中に澱を抱え込んだ俺を置いてけぼりにしながら、朝食の支度が整っていく。


「いただきます! ――おいひい!」


 笙真からサーブされたばかりの白パンを、一欠片ぶん口にしたお嬢様が、ほっぺたを押さえて歓声を上げた。

 ペギーや笙真を交えた食卓。レベッカの育ちからすると、確実にありえない顔ぶれで囲むテーブルのはずなのに、彼女は楽しそうだった。


 やっぱり、俺の気にしすぎ、か。

 こんなに普通な子が、あんな目をするはずないもんな。

 昨日が大変すぎたから、きっと疲れてるだけかもな。きっとそう。そうに違いない。


 俺はそう判断し、努めて普通に振る舞うことを決めた。


「笙真君、ペギー。今日はどうする? 森へは行くんだよね?」


 レベッカの喉が、粉吹き芋を嚥下し終えるのを待って、発した俺の問いかけに、ペギーが一瞬の間を置いて、応じてきた。

 笙真は、珍しく曖昧な様子だった。心ここに非ずとも言える煮え切らなさで、頷いた。


 朝食を平らげ、レベッカといっしょになってショートブーツを履く俺の背中に、笙真の手が触れた。

 どうやら、「読み」を使っているみたいだ。

 彼に触れられて、くすぐったそうにレベッカが身をよじった。


 俺は、彼女の感情に飲まれないように必死になって堪えた。彼女の目覚めが、負担になっている。居候の身で、それを認めたくなくて、堪えることしかできなかった。

 

 一昨日は三人で、昨日は二人で歩いた、カラーコンクリート舗装の道を歩かされる。

 その道を、幾度も、本当に幾度も一人で通ったに違いない笙真に先導され、目指す森の入り口まではあと僅かだった。


 朝七時台の甲南湖かなごの森は、ラムネみたいな空気の中へ沈んでいた。

 お嬢様が転んだりしないように、気を付けて歩く。興味深そうに上下右左と首を巡らせた彼女に合わせ、頭上の葉桜や、足元のカタバミを視界に収めながら進む。


「笙真君、これ、開けてみて? もしかしたら何か、拾えるかもしんないから」 


 たんぽぽの綿毛の軸が挿し込まれているポシェットから、俺は小さなEAPスマホを取り出して、笙真に預けた。支援機能側の「あなまほ」は、パスコードではアクセスできなかったからだ。

 

 笙真の掌が、銀色の筐体に指を這わせた。

 「俺の世界の宮代笙真と同一」とEAPに判定された彼の魔力が、セキュリティを解除して、全ての機能が使用可能になる。


 スマホを返された俺は、少しだけアイコン探しに時間を割いたあと、小さな画面に表示されていた「あなまほ」のポップなアイコンをなぞり、アプリを起動させようとした。


 お嬢様の指がうごめいて、アイコンを弾き飛ばした。

 あっ、と声が漏れた。


「これは触らないで!」

 

 反射的に叫び、お嬢様から掌のコントロールを奪い返す。

 

「なによ、リベだって触りたいのに」


 膨れた頬に挟まれた、尖り気味の口先から声がほとばしり、胸の中の火打石が打たれたような感じがした。


 だめだよ、こんなところで変身しちゃあ!


 思ったときには、手遅れだった。

 赤狐に変身した前足。さっきまで、右手があった高さから、支えをなくしたEAPが重力に従って、地面に落っこちた。

 森の下草に落ちて弾んで、土に埋もれた石にぶつかり止まる。

 

 俺は、かっとなって叫んでた。


「なんてことするんだよ!」


 女の子の姿を取り戻させた掌で、涙目になったまま、俺に唯一許された元の世界のアイテムを掴む。胸に抱き寄せて、金切り声をあげた。


「これはホントに大事なものなんだ! これがなかったら、俺は――ッ!」

「――見せてみて」

「笙真君!?」


 がりっという、嫌な感触。

 俺のEAPを掌から取りあげようとした、笙真の手の甲を、思わず引っ掻いてしまった。

 どうして、と思いながら、笙真の痛みの声を聞いた。


「いてて……。大丈夫、どこも壊れてなさそうだよ」


 手の甲を口元に寄せながら、落ち着いた口調で彼は言った。

 ミミズ腫れになりかけている彼の右手から、スマホを受け取る。傷一つない筐体に、ほっとするより、赤い傷口に、申し訳なさでいっぱいになる。


「ご、ごめん……」

「別にいいよ。大したキズじゃないし。――リベ様、ポーリャちゃんに、ごめんなさいをしましょうか?」

「いやよ。リベは、悪くないもの」

 

 謝罪を要求されたのが、予想外だったらしい。

 口走りながら、助けを求めるようにレベッカが首を巡らせた。

 滲んだ光で満ちる視界に、金色と菫色が映る。


「お嬢様、私も笙真と同じことを言いますよ」

「ペギーまで、ひどい。笙真君も、どうしてそんなことを言うの? かじったのは、ポーリャなのに、リベは悪くないのに」


 指先に唇の震えが伝わってくる。

 彼女の右往左往させた視界に、酔っちゃいそうと思いながら、俺は心の中で肩を竦めた。


 ……小さな子そのものだな。

 こんな子相手に、怒鳴りつけるなんて、どうかしすぎだろ、俺。

 自分に、嫌気がした。


 うなじに笙真たちの視線を感じる。

 二人して黙りこくったまま、足元を睨みつけた「彼らのお嬢様」を、ペギーと笙真が見下ろしているみたいだ。

 俺が謝らなきゃ。思った瞬間、包帯を巻かれたペギーの白い手が、俺の、お嬢様の、両手をとった。


「お嬢様。昨日私に謝られたんだから、できるはずです」

「うん……」


 視界が揺れる。木漏れ日を見つめたレベッカお嬢様が、戸惑った吐息を何度か挟んだあと、ようやく口を開けた。


「……ごめんなさい……」


 零れた熱のある声。彼女を褒めるためか、頭に笙真の温かい手のひらが触れた。

 俺がそう感じた刹那、いやだというレベッカの感情が俺たち二人の心を真っ白く塗り潰した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る