闇金と殺戮刑事

春海水亭

1.起業


 ◆


「そろそろ、闇バイトやめようと思ってんだよな」

 閉店を一時間後に控えた客もまばらな深夜二時の安居酒屋で闇バイトリーダーの暴利ぼうり貪利むさぼりは言った。


 闇バイト集団による強盗放火殺人及びダム破壊と脱税を終え、日付を越えてから始まった闇バイト打ち上げの参加者は八人、そのうちの半数はアルコールと激務の疲労が合わさって眠っていた。


 闇バイトは過酷な職業――職務中に容赦なく同僚は死に、そして逃亡生活中にも誰かしらが死ぬ。死人に口はない。全てを背負わされて闇正社員以外の誰かが死ぬ。今回の強盗放火殺人及びダム破壊と脱税バイトにおいては百人が参加したが、そのうちの六十人が捕らえられ、三十二人が死亡した。そして生き残った闇バイトには報奨として僅かな金と次の仕事までの僅かな休みが与えられる。人生と命を賭けるにはあまりにも安い報酬だ。


 八人がけの座敷の個室であるが、スペースに余裕はない。奥に座る人間がトイレに行くためには、手前の三人が個室から出て、道を作ってやらなければならないが、この分だと寝ている人間は踏みつけられることになるだろう。

 部屋は狭く、壁が薄いために喧騒で自分たちの声はかき消される。そのために大声を張り上げて、店内の喧騒の一部にならなければならない。

 料理は作り置きな上に不味い、もっとも出来立てでも不味いだろう。そして酒の味は薄い。ビールだろうがチューハイだろうが頼んでもいないのに水で割っているに違いない。

 そういう店にしか暴利は呑みに行けない。暴利はそういう店しか知らないからだ。

 結局、金が出来たとしてもこの店の一番良い酒を――やはり水で薄められているであろう酒を呑んでしまうだろう。


「りゃん、就職すんの?」

 同僚の死屍蛆ししうじが軽い口ぶりで尋ねる。

 明るい表情をした金髪の若い男だった。一度だって人生に悩んだことのないような顔をしている。


「俺等さぁ、闇バイトで人殺してばっかじゃん」

「まぁねぇ、強盗もするし、抗争にも駆り出されたし、爆弾仕掛けたり、暗殺に行ったりもしたし」

「それで闇正社員になれるならまだしも……これだよ」

 暴利は自嘲するように笑って、空のジョッキを持ち上げた。生ビールが波々と入っていたジョッキにはもう泡すらも残っていない。


「こんな店のクソ薄いビールなんざ、生ビールじゃねぇよ、死だよ、死ビール。こんなビールの死体をもう一杯注文するのにも悩んじまうぐらい、金がねぇ」

「奢ってあげよっか?」

「ちげーよ」

 暴利は隣で眠る闇フリーターのお冷を自分のジョッキに注ぎ、死体すら残っていないビールとぬるい水で世界一情けないカクテルを作って、一息に胃の中に流し込んだ。


「誰かを騙したり、誰かから奪ったり、しまいにゃ殺したり、そういうのが賢い生き方だと思ってたけどよぉ、俺等は金が無くて、休みもなくて、警察もヤクザも敵に回してる。東京に来る前にさんざ馬鹿にしてやった地元の工務店に就職したヤンキーの方が俺等よりもよっぽど賢くて豊かな生活を送ってんだ」

「考えたこともなかったな、そういうの。俺、賢いことよりも豊かなことよりも、悪いことがいっちゃん好きだからさ……正直、一生このままでも幸せだと思うんだよね」

 子供が好物を前に浮かべるかのような脳天気な笑顔で死屍蛆が言った。

 世の中には理由を正当化することもせずに、笑いながら人を傷つけることの出来る悪のエリートとも言うべき存在がいる。

 死屍蛆もその類の人間で、一昔前ならば闇正社員の段階をとうに過ぎて、闇幹部として悪腕を振るっていただろう。

 だが、闇業界の不景気のためか、あるいは――闇バイト先の悪意のために、いつまでも闇バイトとしてその邪悪なる才能は搾取され続けている。


「はい、先生、質問です」

 逆死さかしが背筋を伸ばし、それこそ授業中に教師に質問するかのごとくに挙手した。

 態度だけ見れば、真面目な学生と言った風情であるが、暴利を嘲笑うかのような薄笑いを口元に浮かべている。

「暴利先生は闇バイトを辞めて、何をするんですか」

「人を殺すのはもう嫌だからさぁ、人を生かす仕事をやりたいんだよな」

「生かす仕事ってなに?りゃん?医者とか?」

「ギャハハ!はい先生!そういうのは無理だと思います!闇バイトから医学部への転職とか、それが出来たら最初からこんなことやってねーだろ!」

 死屍蛆の言葉に、取り繕っていた態度も消し飛ばして逆死は愉快そうに嗤った。


「闇金」

 そんな逆死の態度に感情を動かすこともなく、暴利は言った。

 声を張り上げたわけではないが、その落ち着いた低い声は個室内によく響いた。


「奪うのはもうヤメだ。これからは一日に十割の複利で困った人に与えていきたい」

「りゃん、すっごいなぁ!」

 死屍蛆は目を輝かせて混じり気のない純粋な賛美を送った。


「ケッ、こんな仕事してようがお利口さんは将来についてちゃんと考えてるってワケかよ」

 そして嫉妬が混じりつつも、逆死は暴利への羨望を隠せないでいた。

 今更辞めたところで、勉強が出来るわけでも資格を持っているわけでもない犯罪者だ。だったら――まだ、闇業界での僅かな可能性に賭けたほうがいい。いつかは闇正社員、あるいは闇バイトでも大金の得られるぐらいに割の良い仕事を任されて、このような生活から抜け出せる――ありえないと思いながら、そんな可能性に縋るしか無かった。結局自分たちは蜘蛛の巣に囚われた虫のようなもので、一生涯こうしていくしかないという諦念だけがあった。


 だが、暴利は違う。

 どっぷりと闇バイトに浸かった闇フリーターの群れの中にあって、しっかりと未来を切り開こうとする意志がある。


「……けど」

 むっつりと押し黙っていた陰気な若者、魍魎が口を開いた。

「金融をやるなら元本がいる……個人を相手に定額の貸付をするとしても、一人一人に貸し付ける金は安くても、利益を上げるにはやはり大量の人間に金を貸さなければならない……暴利、君にそんな貯金があるとは思えないし、元手となる金を貸してくれる金主のツテだってないだろう……?」

 そして魍魎は、最後に吐き捨てるように「叶わない夢を語るなよ、鬱陶しいんだよ」と言った。


「あるさ」

「なんだって!?」

 暴利は寝ている闇バイト飲み会参加者の四人を起こし、そして同じ地獄に堕ちた仲間たちに向けて優しい声で語りかけた。

「なぁ、死屍蛆、逆死、魍魎……そして闇バイトA、B、C、D……俺等が違法薬物ヤクの取引で得られる金額はいくらだ?俺等が人を騙して得られる金額はいくらだ?俺等が盗みに入って得られる金額はいくらだ?俺等が人殺して得られる金額はいくらだ?何十万も何百万も稼いで、それでそいつらは闇上司や闇派遣会社に持っていかれて俺達が貰うのは雀の涙程度の金額だ……それだって俺達という都合の良い駒を闇バイトに留めておきたいからくれるってだけだ。いつタダ働きになるかわかったもんじゃない、いつバイトの俺達が身代わりとして黒幕にされてもおかしくない。俺達一人一人が闇経営者意識を持って犯罪をしないといつまでも俺達は闇搾取され続ける……なあ、俺等八人さ、やり直そうぜ。もう闇バイトはやめだ。ちゃんとした自分の意志を持った金目当ての犯罪者として、誰かに従うんじゃなくて自分たちで考えて金のあるところを襲うんだ。大金を稼いだら……日の当たるところに出るのも良いし、ちゃんとしたところに闇就職するのも良い、あるいは闇起業してもいいかもしれないな……」

 滔々と語る暴利の言葉を遮って、魍魎は陰鬱な声で言った。

「待て……つまり、アレか?暴利、金の目処っていうのは……強盗ってことか?それも……僕たちまで巻き込んで!」

「ああ」

「面白そうじゃん!」

 魍魎が言葉を続けようとするよりも早く、死屍蛆が賛同した。

「ケッ……なんで俺は、そんな簡単なことを思いつかなかったのかね……」

 吐き捨てるようにそう言うと、逆死は端的に「俺も乗るぜ」と言った。


「「「「はい」」」」

「闇バイトABCDもやってくれるか」

「……待て」

「なんだよ」

「僕達は確かに何度も闇バイトで強盗を繰り返してきた……けど、それはあくまでも闇上司や闇現場監督の計画書があったからで……家を作ったりするのと同じだ……どれだけ仕事に慣れていたとしても……設計図がなければ家は作れない……どうやってターゲットを決める?そこの資産はどうやったらわかる?セキュリティーの把握のためにどれだけの時間がかかる?逃走方法は?暴利、君の考えはいい考え……なんかじゃない、いつか訪れる破滅を確実なものにするだけだ……ただの自殺だよ」

 魍魎の言葉を聞いて、暴利は笑った。

「ところが、俺達は知っている。そこにどれだけの金があって、どんなセキュリティーがあるかを。そこを襲ったって警察は来ない……ま、追手は来るかも知れないけど、警察と違って殺し尽くすことが出来る……」

「……まさか」

 答えに気づいた魍魎はたらりと一筋の汗を流し――その口の端が上がっていた。

 リスクが巨大すぎる。

 敵は容赦ない暴力のプロフェッショナルで――そして、殺すことよりも殺さずに苦しめるほうが上手だ。もしも失敗すれば今の状況が天国に思えるぐらいの苦痛を浴びせられるに違いない。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいと笑えてしまう。


「なあ、俺達の雇い主、ぶっ殺して金奪ってやろうぜ」

「……お前、七人で闇派遣会社とやるつもりか?」

「八人だよ、八人、お前も来いよ」

「馬鹿馬鹿しい、俺等はタダの闇バイトだ。プロじゃない。八人ぽっちで闇正社員やヤクザ、闇派遣社員や闇人事の奴らとやるつもりかよ」


「……八人ぽっちって言い方は良くねぇよぉ」

 そう言うと、暴利は箸立てに突っ込まれた新しい割り箸を一つ取り出した。


「お前、三本の矢って話知ってる?」

 その言葉と共に暴利は砂山にスコップを突き刺すが如くにあっさりと割り箸をテーブルに突き刺してみせた。

 木製のごく普通のテーブルである、安居酒屋であるが特別に脆いということはない。


「一本、一本は弱い矢だけどさ、八人で力を合わせれば……」

 暴利は次に割り箸を手の中で八本束ねると、思いっきりテーブルの中央に突き刺した――その瞬間、地面が揺れた。咄嗟の揺れに体勢を崩した死屍蛆が背後の壁に衝突する。

 薄い壁の向かい側から慌ただしそうな音と悲鳴が聞こえる。

 咄嗟の揺れに避難しようとしたのか。物を運んでいる最中に揺れが生じたために何かを落としてしまったのか。


「みんなで力を合わせて最強の友情パワーを発揮すれば、人を動かすことも出来るわけ」

 そう言って、暴利は笑う。

「いや、一人の力だよ、それ」

 そう言って、死屍蛆もまた笑った。

 その言葉につられて、魍魎も笑う。

 騒然とする店内で、闇バイト飲み会グループだけが穏やかに笑っていた。


「……やれるのか?僕たち八人なら?」

「いいね、この場に及んで七人とか言い出したら寂しくてぶっ殺してたよ」

 そう言って、暴利はテーブルに刺さりっぱなしになった割り箸を引き抜いた。

 奇怪なことに、テーブルには割り箸の後を中心にひび割れが入っていたが、それ以上に巨大であっただろう八本の割り箸によるダメージは一切見受けられない。


「いいか、やれるかどうかじゃねぇ、犯罪って殺るんだよ俺ら。だってよ考えてみろ、人生の最高のスタートを切れるぜ。ムカつく奴ぶっころして金奪ってやったら」


 大手の闇派遣会社が物理的倒産に追い込まれたのは、その翌日のことであった。


【つづく】

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