幽霊さんの住む温泉宿

柄針

第1部 ―“幽霊さんの住む温泉宿”の開店―

1人目 ―わたしと幽霊さんと変わったおじさん―

1-1.物語の始まり

 あれは、わたしが幽霊さん達と過ごした不思議なひと夏の体験でした――。


 “町外れの山奥に、幽霊が営む温泉宿がある”


 “わたし”はそんな噂を聞いてその宿に行きました。

 賑やかな町並みを抜けて大きく怪しい雰囲気のある山道へわたしは入っていきます。


 ――神霊山しんれいざん


 そう書かれて草木の生い茂る地面にブスっと突き刺さった木製の看板を横目に、わたしは覚悟を決めます。


『夜な夜な何者かの話し声や叫び声が聞こえる』

『この世に未練を残した少女が寂しさを埋める為に生きてる人を引きずり込む』


 わたしはその噂を確かめるべくその温泉宿に向かいました。夕日が木漏れ日になった照らされた怪しい山道。どこからかする動物さん達の鳴き声。熱い夏を伝える虫さん達の鳴き声。


 いつもならきっと一人で怖くなって引き返すのだけれど、今日はそんなことを気にせず足を進めます。だって、絶対にその宿に行くって決めたのですから。


 汗をたくさん流し、呼吸も荒くなってきて、もう来た町並みも見えなくなってきた頃――その宿は姿を現しました。


 山奥の開けた場所にひっそりと佇む温泉宿。

 木造建築で、昔の怖い映画とかで見るような横長で二階建ての古い学校みたいな宿。

 でも、壁に落書きはなくて窓とかも割られていない。

 廃墟にしてはとっても綺麗な感じ。


『本当にヤバい場所には落書きがない』


 そんなどこで聞いたのかも忘れてしまった噂を頭の中から振り払い、私は意を決して入口らしき扉へ向かいました。“引”と書かれた扉の取っ手を掴んで、ゆっくりと開けたその時でした。


――ぽちゃん……ぽちゃん……。


「水の……音?」


 既に潰れているはずの温泉で水の音なんてするものなのでしょうか。何か怪しい気配を感じながらも、わたしは宿の扉を開け、リュックから懐中電灯を取り出します。少し大きくて重たい赤い懐中電灯を取り出して暗い中を照らすと――。


「あれ? 思ってたよりも綺麗?」


 右手にある受付と思われる場所は綺麗に整頓されていて、地面にはゴミとか木の破片とかガラスとか……そういう廃墟らしいものは殆ど無くて、まるでまだ営業しているかのような状態でした。


 わたしはふと、受付の奥の方に光を当てました。そこにはカレンダーが掛けられていて、上の方には時計が掛けられていました。


 カレンダーの月は――2024年7月。

 時計の時間は――17時23分。


 秒針は今もなお動き続けているようでした。


「2024年の7月……今年の日付だ……」


――ぽちゃん……ぽちゃん……。


 まだ水滴が垂れるような音は宿の奥の方から聞こえてきます。ギィ、ギィと足音が重たく響く廊下を、私は慎重に進んでいきます。そして進めば進むほど、水滴が垂れるような音は大きくなり……別の音も聞こえ始めました。


――ふ~ふふん~……ふふふん~……。


「鼻歌?」


 心霊スポットに行くyoutuberさんの動画でも見たことがあります。廃墟になった旅館でありえない物音を聞いたり、女性の声が聞こえたり……。そんなこと本当にあるのかと思っていましたが、どうやら本当にあるようです。女の子の鼻歌――。


 ――これは、噂も本当かもしれない。


 わたしは目的通りの結果になるかもしれないと覚悟を決め、リュックの紐を左手でぎゅっと握りしめながら、ゆっくりと音が聞こえる方へと向かっていきます。


――ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃぽちゃ。


――ふ~ん。ふふ~ん。ふふふ~んふ~ん。


 なんだか……すごくご機嫌?


 こういうのはよく、うめき声とか何かの話し声とか、そういう気持ち悪いもののイメージでしたが……。もしかしたら、とっても強い幽霊さんなのかも?


 そうこう考えているうちに、音が聞こえているその場所にわたしは辿り着きました。“女”と書かれた赤い暖簾の向こうから女の子の鼻歌と水滴が滴る音が聞こえてきます。


 ごくり。


 わたしは固唾を呑み、赤い暖簾をくぐります。くぐり抜けた先は曲がり角を曲がって扉を開けると、そこは普通の温泉と同じように脱衣場でした。特に荒れてもなく、落書きもない。普通に使えそうな場所でした。


「あれ?」


 誰かが使った後……いいえ、誰かが使っていると思われるロッカーがそこにはありました。他のロッカーは鍵が刺さっているのに、そのロッカーには鍵が刺さっていませんでした。そして、ロッカーのそばにあるベンチには綺麗に折り畳まれた、宿で着るような着物が置いてありました。


 人の居る気配。落書きやゴミ一つ落ちていない宿。沢山の噂。


 その答えがきっと、この脱衣場の奥にある浴場にある。


 わたしは覚悟を決めて扉の取っ手を掴み、目を瞑ってバッと思いっ切り開きました。


――ぽちゃ。ぽちゃ。ぽちゃ。


 水滴の滴る音は浴場の中で変わらず響き渡っています。

 ですが、さっきまでご機嫌だった鼻歌は聞こえなくなっています。


 わたしはゆっくりと瞼を開きます。


 そこには――。




 …………。


 …………。


 ……裸でわたしと同じくらいの背丈の女の子が水浴びをしていました。


「……え」


 …………。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「まったく騒がしい。一体どうしたんだ……って、ひと!?」


「ちょっと! このロリコン! だから入って来るなって言ってるでしょ!」


 浴場にあった桶やイスが浮き始め、わたしの背後から来たおじさんに向かって飛び交い始めました。


「ちょっ危ない! 危ないって! 痛いって!」


「変態! ロリコン! さっさと出ていきなさい!」


 幽霊さんの叫び声に驚いて叫ぶわたしの声と、浴場の物に攻撃されるおじさんの声と物音。そんな騒がしい出会いが、わたし達の初めての出会いでした。

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