原稿 虚ろ舟。

 私はいつもの様に海へと向かい、焚き火に薪を追加し、海へと入りました。


 はい、その時には何も。

 海にはいつもの様に、いつもの舟が何隻か出ており、私は何の問題も無く海へと入りました。


 そして貝や蛸だと獲り終え、陸へと戻り、ふと振り向いて海を見ました。


 そこにいつもの舟は無く、見知らぬ何かが有っただけ。

 はい、木でも鉄でも無い、陶器で出来た舟でした。


 あぁ、その丼の様な柄で、上には魚の鱗の様なモノがびっしりと。

 はい、青い色の鯛の様な鱗でした。


 物のマレビトさんだと思い、私はどんなモノかと、感触を確かめました。

 ですが思った通り、陶器は陶器、鱗は鱗の肌触りでした。


 そう触ったせいか、鱗が何処かに消えると、中から綺麗なお嬢さんが出て来ました。


 はい、稲の様な髪色に青い目、透ける様な肌のお嬢さんでした。

 そして着ている物は、何も有りませでした。


 なので私は直ぐに、家へと連れ帰り。

 お水を飲ませ、綺麗なお湯で体を綺麗にして、それから茶粥を食べさせました。


 箱?


 いえ、持ってはいませんでした、はい。


 あぁ、茶粥を食べさせると眠ってしまったので、私は海に戻って貝や蛸の下拵えをして。

 火を消し、家へと戻りました。


 舟?

 舟は消えていました。


 はい、それからずっと、一緒に居ました。

 けれど、アナタ方が来る少し前に、消えました。




《小泉君、この患者をどう思うかね》


『一時の妄想、デショウ。辻褄が合いマセんし、情報も欠けてイマス、しかも虚ろ舟も無いんデスから』

《ふむ、辻褄が合わんのは、何処かね》


『先ズ、同郷の者ノ舟が消えた事デス、単に引き揚げたなら消エタとは言わないでしょう。それにモシ消えたナラ、怯え、他に知らせに行くデしょう』


《その通り、だが、情報の欠けている部分も含め。それだけ、だろうか》

『ゴ遺体の場所、それと年齢デスね』


《では、妄想とする根拠は何だね》

『何処か薄ぼんやりとシテいます、しかも一点ヲ見続けたママ、語ってイル。もしかすれバ何か事故が有り、漁師達ヲ、流れ着いタご遺体を弔った。大変な負担とナリます、妄想と混ざる事は良く報告サレています』


《うむ、もし他に抜けが有るとするなら、それらは敢えて諸君への宿題としているに過ぎない。来週までに、論考を提出する様に、解散!》


 彼は、良いポンコツだ。

 虚栄心に満ち、学が無い事を隠す才が有り、周囲の視線を気にしない。


「お帰りなさい」

『ただいま、良い匂いだね』


「ふふ、今日はアナタの好きな山羊の煮込みと、芋焼きよ」

『あぁ、愛しているよ。ありがとう、僕の母国料理を美味しく作れる君は、本当に天才だ』


「私も好きなだけよ、さ、お風呂へ行って」

『あぁ、愛してるよ』


「私もよ」


 僕は、愛蘭アイルランドから来た異人、マレビトだ。

 先ず1つ、異人には2つの意味が有る、そしてマレビトにも。


 君達はどれだけ、愛蘭を知っているだろうか。

 詳しい者なら、如何にこの国と近しい存在か、分かるだろう。


 海に囲まれた国。


 そして愛蘭には妖精が、この国には妖怪や鬼が居る。

 更には独自の神話、信仰、民話が有る。


 共通点を挙げればキリが無いが。

 私は、この国が大好きだ。




『はぁ、美味しかったよ、ありがとう。ご馳走様でした』

「いえいえ、お粗末様でした」


『食後に、申し訳無いのだけれど』

「あら、今度は何処へ行きたいの?」


『海辺だよ、何とか、来週迄には戻って来れると思うんだけれど。一緒に、来てくれないだろうか』


「良いわよ、丁度、海が見たかったの」


 僕は妻と一緒になれて、本当に良かったと思う。

 彼女以上の存在は居ない、彼女こそ、至高で究極だ。


『ありがとう、愛してるよ』




 僕らは、検証させられた女性を連れ、彼女の地元へと戻った。

 機関は捕まえはすれど、重要で無ければ他人任せ。


 だが、だからこそ。


《あぁ、良かった、ちゃんと隠れていたのね》


 機関は虚ろ舟を探していた。

 だが、虚ろ舟には幾つか種類が有る。


 彼女が見つけたのは、確かに虚ろ舟だ。

 だが、中には。


「あら、ご挨拶してくれるのね。ありがとう、はじめまして、良い子ね」


 あの証言には、意図的に隠された情報が幾つか有った。


 1つは虚ろ舟の大きさ。

 そしてお嬢さんの大きさだ。


《ありがとうございます、本当に》

『僕も同族だからね、助けるのは寧ろ、僕らの為でも有るんだよ』




 ウチの子の羽根は、透けた瑠璃色で、蜻蛉羽根の子。

 そして私達を助けて下さった方の羽根は、揚羽蝶だった。


《あ、あの》

『あぁ、1つだけ、尋ねたい事が有るんだ』


《はい、何か》

『もし、この子を僕の様な大きさに出来るとしたら、君はどうする』


 この子は、大きくなりたいのかしら。

 大きくなって、この子は幸せになれるのかしら。


《この子が幸せになれるなら、この子が望むなら》


『さぁ、君はどうなりたい』


 あぁ、ウチの子が、繭に。


「大丈夫、他の繭と同じ様に、無理に繭を開けなければ大丈夫」

『さぁ、もうお帰り、僕らは暫く散歩をしてから帰るとするよ』


《はい、ありがとう、ございました》


 それから1周間後。

 押入れの繭はすっかり大きくなり、中から、そのまま大きくなったウチの子が。


『ごハん、たべ、タイ』

《先ずはお粥から、ね》


『ウん』


 私は、生まれながらに女しか愛せなかった。

 女にしか、情愛を持てない。


 この子を見付けた時、私はとても嬉しかった。

 眺めていても許される子、美しく、私を疎まない子。


《はい、ゆっくりね》




 俺は、夜の海辺に、ツマミを探しに来た。

 だが見付けたのは、真っ赤な木で出来た、ヘンテコな文字が彫られた何かだった。


 形は蓋付きの丼そっくりで、俺はピンときた。


 コレは、噂に聞く虚ろ舟だ。

 だから俺は開ける為、叩いたり何だとしていると、蓋が開いた。


 で、中から出て来たのは。

 金色の髪の毛に、エラく日焼けした肌の、男だった。


 俺はムカついて、男を殴って舟も壊してやろうとした。




《なぁ、悪かったよ、壊そうとして。だからなぁ、助けてくれよぉ》


 虚ろ舟は、見えるべき者にのみ見える。

 彼もまた、選ばれた存在だ。


『君の語り口を聞くに、救う意味が見い出せない。残念だよミスター、どうか安らかに彼女の養分に、では』


 ココには鬼や妖怪、怨霊や神が居る。

 そして西洋にも、精霊や妖精、悪魔が居る。


《ふむ、どうだったね小泉君》

『残念デスが、アレは悪魔デス。養分を得れバ、飛び去るソウです』


《あぁ、そうか》

『お疲れ様デス、美味しいお酒、美味しいゴハン、食べに行きまショウ』


《うむ、撤収!》


 虚ろ舟には、様々なモノが入っている。


 ただ、悪しきモノ、とココの神々が思わない何か。

 そして悪しきモノは、陸に辿り着く前に、この海の養分となる。


 先程のアレは、シルクロード沿いのジン、精霊だ。


 人と同様、その仲間内ですらも異質と看做されるモノが居る。

 ココは、そうしたモノの楽園、天国だ。


「お帰りなさい」

『ただいま、今日はお土産が有るよ。但し、君のモノにはならないけれどね』


「あら素敵な、コレは、何かしら?」

『ランプだよ、ココに明かりが付くんだ』


「まぁ素敵、ようこそランプさん」

『少ししたら君を古道具屋に持って行くよ、けれど僕らには食事と睡眠が必要なんだ、暫く我慢しておくれ』


 虚ろ舟に乗るモノが持つ箱は、時に対価であり、魂の容れ物が入っている。


 もし海女が、妖精の意を汲まず、望む姿に変えようとしたなら。

 妖精の糧となり、何も得られなかっただろう。


 そして、もし海辺の彼が欠片でも理性を持っていたなら。

 彼女は養分とはせず、次の相手の元へと向かっていただろう。


「ふふふ、あ、今日は素麺よ?」

『素麺も大好きだよ、それに君もね』


「あら、素麺と私、どちらが上になれるかしら」

『勿論、素麺だ』


「ふふふ、はいはい、お風呂に行って」

『あぁ、直ぐに戻るよ』




 この原稿は、確かに真実に非常に近いが、規制する程でも無い。

 寧ろ、コチラが望む通りの塩梅ですらある。


『拝読させて頂きましたが、問題は無さそうですね』


 雑誌社の男は、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「あ、すみません、はい」

『お返し致します、そして今回の件に関し、一切紙に残さない様に。では、失礼致します』


 この世で、あまりに本当の事は、真実は望まれてはいない。


 実際、真実を知らせた村は壊滅した。

 絶望し、発狂し、互いに殺し合い。


 終わった。


「アレ、海に居た舟はどうなったんでしょうか」

『お嬢さんが食べたのでしょう、彼女の為に』


「成程」


《小泉女史に、教えてやるか》

『事実は小説より、そう言って喜びそうですしね』

「オーゥ、私の事が書かれてマース。どうして話せないフリを、アレはするんでしょうか」


『愛嬌、だそうで』

《あぁ、難儀な女だ》

「凄い触ってくるから嫌いです」


《成程》

『後にしなさい、さ、もう少しだけ彼を觀察しますよ。巫女は、彼が面白い縁を持っている、と宣託をしたのですから』

「普通の男に限って、あぁ、同族です」


『そう、確かに面白そうね』


 あの原稿に書かれている通り、この世には悪魔も妖精も怨霊も居る。

 そうして知れば、時に目が合ってしまう。


 深淵を覗く者が、深淵に覗かれる様に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る