第3話 記憶と女。
「すまなかった、念の為に偽装する必要が有ったんだ」
《いえ、ありがとうございました》
旦那様は、私を家に連れて帰ると、先ずは女性の使用人と女医に私の体を診させました。
それから使用人のお仕着せと、お部屋を与えて下さいました。
それからは特に不自由も無く、ココの方達にも良くして下さり。
私は母が生きていた頃と同じ位、平穏で、幸せな生活をさせて頂いておりました。
ですがある日、旦那様に結婚を申し込まれ。
私は拒絶し、逃げてしまいました。
そして私を追い掛けようとしたのか、旦那様は階段から落ち、記憶を失くされてしまいました。
すっぽりと、私の事も、妹の事も。
「改めて」
《いえ、私を自由にして下さってありがとうございます。私は使用人です、コレからが有るとするなら、相応の相手に嫁がせて頂こうかと》
「どうして、僕ではダメなんだろうか」
《ご立派な方にこそ、相応しいお相手が必要です。父にしてみれば花嫁修業だったそうですが、私にしてみれば使用人修業、この方が私には気楽なのです》
私の知る限り、母は妾の存在を知らなかった。
そして、母が亡くなる直前に来た妾を、虐げていた事も無かった。
なのに後妻は母が亡くなると、私を、物置小屋へ。
少しでも粗相をすれば激しく叱責する後妻を抑える父、敢えて用事を言い付けてくれる使用人、妹に有る事無い事吹き込む後妻に取り入ろうとする出入り業者。
私は、後妻の前では大人しく使用人として過ごす事にした。
「本音を言って欲しい、何かを強制する気は無い」
《ハッキリ言って、アレに惚れる様な方の妻になる気は全く御座いません》
「あぁ、だろうね」
《偽装の為だと仰いましたが、最初、旦那様からは怒りが滲み出てらっしゃいました。誤魔化される様な方をお望みなら、私では無い方を娶って下さいませ》
「いや、僕は君が」
《小間使いにも便利だらかでしょう、私はもう少し賢い方が良いです、例え金持ちでなくとも。童貞で賢い、アレに惹かれ無い男性を、どうかご紹介下さるか黙って使用人として暫く置いて下さるか
「いや、君を妻にする」
《抱けばどうとでもなると?汚らわしい、使用人の知り合いはすっかり鼻が解けてしまったんです、病を受け入れられず治療が遅れてしまった。私は、せめて身綺麗な方と添い遂げたいと思っておりますが、結婚が全てだとも思っていません》
「今も、思い出しても、彼女に惹かれる理由が全く分からないんだが」
《外見では?中身の愚かさに気付かれ、食指が動かなくなっただけなのでしょう》
「しっかりしているね」
《母に厳しく躾けられましたから》
自分が騙されて恋多き者と結婚してしまった為、私は物心付いた時から言い聞かされていた。
顔が良いのは病気を貰い易い、金が有る者は人を騙し易い、だからこそ賢く程々に持つ者を選びなさい。
「僕は、彼女とは」
《どうせ、彼女が病気を貰ってしまった時期にお付き合いなさっていたから、しなかっただけでしょう。移せばバレ、叱られてしまいますから》
大きく息を吸い込んだと言う事は、その通りなのだろう。
「それは」
《同情して頂く必要は一切御座いません。どうか可愛らしい貞淑な方を娶って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。少なくとも、ココの方達には非常に優秀で優しい方々ですので、路頭に迷われてはあまりにも可哀想過ぎます」
「そうしっかり」
《コレ位、コレに加え良家の習い事が出来る方をオススメ致します。今更、お花だお茶だと習う気は毛頭御座いません、それは踊りもです》
「それはもう、させない」
《だとしても結構です、ご遠慮させて頂きます》
「本当にアレの良さが、今でも分からないんだ」
《そうですか》
「もしかしたら君に近付く為」
《有り得ません、買い出しには手拭い頭巾で深く覆いをしていましたし、誰か尋ねてらっしゃっても同じ。それにアナタの事は全く記憶に御座いません》
「君が忘れているだけで、幼い頃に許嫁の口約束をしたかも知れない」
《それは》
「それが後付けだとしても、君が思い出せないなら、有ったかも知れない」
《だとしても、アレに惹かれる様な方は無理です》
「分かった。君に近付く為に付き合っていた、ただ、口約束を思い出したのは君に会ってからだ。彼女を送った先で、あの家に遊びに行った事を思い出した、それは父や側近も覚えている事。彼女には、絡まれた友人に頼まれ、恩を売る為に最初に少しだけ相手をしただけだ」
《もし、それが》
「友人には、敢えて惚れたと言ってある」
《アレの顔は、確かに可愛らしいです》
「今でも可愛らしいとは思うし、化粧をした君は張り合える位に綺麗だった。目覚めた時、アレは使用人にされての事だろう」
《それこそ、思った程では無いとご理解頂く為で、まさかご記憶を失ってらっしゃるとは》
「君が、昔着ていた晴れ着に似てる物をと、頼んだのだけれど。違っただろうか」
《まぁ、確かに、少しは似ていますが。でも、ウチの使用人に聞けば、それこそ》
「まぁ、そうなるよね。ただ、今でも分からないのは本当なんだ、アレに惹かれる者の気が知れない」
《それは、ご記憶を失くされ》
「全て思い出してる。ただ、証明するには君に彼女の事を言う必要が出るだろう」
《別に、アレは少し可哀想な子なので》
「なら、聞いて貰おうか」
《はい》
本当に、彼女には惹かれる事も無かったし、許嫁の口約束も本当なんだけれど。
記憶を失くしたせいで、こんな事に。
「先ず、僕は病気を恐れてる」
《ですが稀代の色男だ、と》
「アレは当て擦りだよ、どんな扱いをしていたにせよ、娘を他の男にやるんだからね」
《ご友人を紹介下さいませ》
「分かった、体の関係を持たない程度の付き合いが有った事は認める」
《であれば、いえ、だからこその趣旨替えですか》
「んー、違うんだけれど、歴代の相手を知られると、そう思われても致し方無いとは思う」
《後ろ暗い事が無いのでしたら、胸を張って仰るべきでは、お相手の方にも失礼かと》
「後悔している、約束を忘れていた事も、黙って事を進めた事も。少しは君に説明していれば、ココまで頑なになる事は無い筈だったと思う」
《バカな女に懲りて、一見便利で賢そうな女を逃さない為、取り繕ってるとしか思えませんからね》
「そうだね」
《面倒ですし、他の方を。私が見繕って》
「いや、本当に君が良い、益々君が良い」
《才だけで》
「それも、なんだけれど、ね」
思わず溜息交じりになってしまった。
僕がぬくぬくと育ち、女性達と浮名を流している間、彼女はひたすら苦労し耐え続けていた。
僕が忘れず、僕が正式な許嫁となっていれば、彼女はそれなりの人生を僕と。
《そこまで不幸では無かったので、お気になさらず、下には下が居りますから》
「人としても不正解な答えを言ってくれたら、少しは諦めが付くかも知れない」
《品位を落としても確実に諦めて頂けないなら、無駄では》
「ほら正解だ」
《ぐっ》
「そう表情が豊かなのも良い、出さない時は出さないのも、僕が目を覚ました時に泣いてくれていたのも凄く良かった」
《アレは、安心出来る雇用主に何か有っては不安で》
「償う為にも結婚したい」
《結構です、適当な相手を》
「君以外とは結婚しない、もしこのままなら可哀想な使用人達が生まれるけれど、君が嫁いで来てくれないのが悪い」
《ならそれらを背負います、気紛れや責任感だけで結婚するつもりは御座いません》
「分かった、友人を紹介する」
《どうせ口裏合わせをして終わりでしょうからもう結構です》
「いや、記憶を失くした事は言って無い、言うつもりも無い」
《では、使用人として》
「いや妻として会わせる」
《外堀から埋めても困るのはアナタですよ》
「そう優しい所も良い」
《はぁ、じゃあもう抱けば良いんじゃないですか。昨今はお薬も有りますし、避妊具も》
「そう思い切りが良いのも好ましいんだけれど、そうした事はしっかり段階を踏みたい、段取りを外すのは勿体無い。ウチの家は君の家と違って、一夫一妻制、しかも仲が良いからね」
《なら、忘れてらっしゃった事も仕方の無い事、過去に縛られず先を考えて下さいませ》
「考えての事だよ、片付いたら君と結婚するつもりだった。けれど断られて、僕は相当衝撃を受けたらしい、君が覚えていない事も断られた事にも傷付いての事だろう」
《後付け臭いですね》
「そうなるよね」
《しおらしくされると、虐めているみたいで嫌なんですが》
「君の慈悲に縋ろうと思ってね、記憶が無くならなければ上手く事が進んで、少しは結婚について悩んでくれる筈だったんだからね」
《なら、あの部屋は何ですか》
「あぁ、アレは着物から想像したのと、偽装と、母の趣味だよ」
《多分、アレは選ばないかと》
「だよね、だから後で気に入って貰える物と変えるつもりだったんだ、その為に仮置きと言う事にしてあるからね」
《仮置き、ですか》
「妻は派手好きで趣味がコロコロ変わるから、一旦仮置きとしてくれないか、と」
《出来るんですね》
「まぁ、父の知り合いだからね」
《派手好きで、趣味がコロコロ》
「申し訳無さも有る、償いたい気持ちも有る、けれど結婚だけで償おうとは思って無い。君が望むなら、出来る範囲で償うつもりだった、必ず僕を受け入れてくれるとは限らないからね」
《すみません、申し込まれた際、思いっきり顔に出してしまいまして》
「アレは効いたね、記憶も飛ぶワケだよ」
《アレが関わって無ければ良いんですが》
「そうだね」
《妻の立場で無ければ、お会いしてみたいんですが》
「分かった、書類の不備でまだ妻では無い、と紹介するよ」
《では、それで》
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