第9章 男と女。

第1話 令息達と庶民達。

「どうもー、林檎でーす」


《あら、今日は新刊の日なのね》

『無視するか』


《ダメよ、私が出るから離して》

『浮気するなよ』


《しないわよ、ほら、それともこんな格好で出て良いの?》


『分かった』


《はいはい、いらっしゃい》

「お邪魔します、先生は描いてらっしゃる最中で?」


《そうなの》

「では玄関先で、コチラ新刊になります」


《ありがとう、もしお時間が有るなら上がって行って、暑かったでしょう》


 林檎君は、今日は新刊を配りつつ進歩状況の確認で回る日。

 彼が来ると嫉妬するから可愛いのよね、ウチの人。


「ご感想、頂けます?」

《勿論よ、それに少し早いけれど冷えたスイカも有るわよ》


「お邪魔しまーす」


 絵師と結婚して良かった所って、ココも、よね。

 誰よりも早く読めるし、本には出ない面白い事も聞ける。


 子供が居ると、どうしても人と関わりが少なくなってしまうのよね。


《はい、どうぞ》

「真っ赤なスイカ、頂きます」


《それで、林檎君、この本の裏話は?》


「そうですねぇ……」


 そして彼が話し出したのは、本当に裏話だったのよね。

 偶に全く誤魔化されてしまう事も有るのだけれど、ね。




「私に、婚約者のフリ、を」

『あぁ』


「しかも、あわよくば練習台になって欲しい、と」


『あぁ』

「嫌です、帰らせて頂きますね」


『良いのか、それでは家が』

「私はアナタ様をお慕いしておりました、憧れ、好いていた。そんなアナタにこの様な申し出をされ、心底ガッカリし、世を儚んでおります。ですので、家が無くなろうがもう構わない、どうでも良い。好きになさって下さい、では」


『待ってくれ!』

「嫌です、離して下さい」


『違うんだ、本当は君に婚約者に』

「あぁ、そう仰って愛妾を増やすつもりでしたら」


『違う、君だけを』

「愛妾が私だけとは謙虚ですこと」


『違う、俺も君を好いている、本当は君に婚約を申し込みたかったんだ』

「あぁ、身分違いですものね。ですが、だからこそ、周囲を固め正式にお申し込み頂ければ考えましたのに」


『すまなかった、そう出来ない事情が』

「ならお聞かせ下さい」


『君が、僕を慕ってくれているとは思わなかったんだ。既に婚約者が決まり掛けていて、今日中に、君の同意を経て父に会わせなくてはいけないんだ』


「何故ギリギリなんですか」


『根回しを、していて』

「まさか、家の事を」


『もう、既に君の家の借金は精算済みだ、そして養子先も既に用意してある』


「何て馬鹿な事を、父の絵は売れもしない」

『既に引き取り先も見付けて有る、寺院併設の孤児院で絵と字を教える役目だ、寺院の者に監視を条件にそれなりの寄付をする事になっている』


「どうしてそれを先に」

『出来るなら、条件では無く、情愛が欲しかったんだ』


「だとしても、ちょっと軽薄過ぎるかと」

『あぁ、すまなかった』


「あの、好かれる覚えが全く無いのですが」


『売れないと思っていても父親を励まし支えていた、周囲に愚痴も言わず稼ぎに行き、老人からの愛人契約を断わり。万引きした子供の代金も、払ってやっていただろう』


「まさか」

『すまなかった』


「もー、あぁ、じゃああの子は」

『ウチの使用人の子供だ、店にも最初から伝えてあった』


「そんな事、いえ、良い家の方ですものね」


『すまなかった』


「あの、偶には父に贈り物をしても良いですか、金平糖が好きで好きで」

『その程度は君の小遣いの範囲で好きにしてくれて構わない、ただ君にも少し働いて貰う事になる、その分だと思って欲しい』


「妾はちょっと、最低2年経っても出来無かった場合、1人だけ。それでも、本当に、全く私の分からない様にして下さい」

『妾は作らない』


「ダメです、ご長男で」

『甥が居る、姉の子で良い子なんだ、血筋は残る』


「では3年、お姉様に選んで貰った方を据えて下さらないなら、お受け出来かねます」


『強情だな』

「良く言われます」


『ウチに、来てくれるだろうか』


「はい」




 こうして両人は穏やかに、部屋を出て行った音だけが残った。


「とまぁ、作家先生とお伺いしたお座敷の右では、こんな感じのやり取りをしてたんですよ」

《それだけなら、まぁ、ありきたりと言えばありきたりよね》


「なんですけど、少しして入って来た左も、最初は似た感じだったんですよね」


 同じく若い女性と、男性の声が聞こえて来たんです。




《私に、婚約者のフリを?》

「あぁ」


《しかも、あわよくば練習台になって欲しい》


「あぁ」


《あの、本当に私で宜しいのでしょうか、何処かの誰かと》

「君が良いんだ」


《その、練習台、とは》


「女性との付き合い方を、共に、切磋琢磨出来たら、と」

《付き合い方》


「こうした事や、男女の事を、君に教えて欲しい」

《あ、そんな》


「大丈夫、既に人払いはしてある、誰もココには来ないよ」

《私、お作法を、その、あまり知らないので》


「構わない、可愛いよ」




 まぁ、未婚同士だろう、と言う事で。

 僕らは黙るのを止め、注文をお願いしようと大声を出したんですよ。


「女中の方ー!注文を良いですかー!って」

《ふふふ、ピタッと止まりそうね》


「えぇ、すっかり止まりましたよ、日頃は静かなお座敷ですから。でもその日は混んでて、一間ずつ空けられなかったんですよ」

《あぁ、成程》


「で、ちょっと怪しいんでお2人の家を探ってくれ、とお金を渡して後を付けさせたんです」

《あら、続きが気になる》


「そうしていると、僕が戸を閉めた事に気付いた2人は、少しして出て行ったんですけど」


 本当に忙しい日で、また右側に人が来たんですよね。

 で、僕らは再び息を潜めたんです。




『私に婚約者のフリ、を』

《あぁ》


『しかも、あわよくば練習台になって欲しい』


《出来れば、そうして欲しい》


『条件は』

《君の盗みを見逃す》


『私が盗んだ証拠は』


《既に幾つか押さえて有る、そして君が今持っている筈の物も、既にお触れを出して有る》


『はぁ、愛人契約だと仰って頂ければ』

《違う、出来るなら君には更正して貰いた》


『だったら、さっさとムショに入れたらどうです』


《君にも、何か理由が有る筈だ》


『そら良い物を食べて、良い着物を』

《それは一張羅だろう、食べ物も、粗末な物を食べているからそんなに爪が荒れるんだ》


『コレは、ちょっと肌が弱いだけで』

《どうして盗みをしているんだ、字も読める、計算も出来る。だと言うのに》


『父が、病気なんです、稼がないと薬代を賄えない』


《君の父上は、本当に》

『あぁ信じて下さらなくて結構ですよ、その条件を』


《いや、聞いてくれ、君の父親は本当に君と血が繋がっているのか》


『そりゃ、子供の頃の写真なんてのは無いですけど』

《アナタに似た女性の写真を、俺は見た事が有るんだ》


『それは、何処で』

《俺に本当の事を、全て話してくれないか》


『それで、愛人契約ですか、一体何を企んでるんですかね』


《君に、惚れたんだ》


『また、そうやって、悪徳警官はコレだから』

《呼び出したのすら口実だ、ただ君の役に立ちたいと言っても、疑心暗鬼の君には却って不審がらせる事になるだろう。君は俺の婚約者となり、真実を知る、俺を選ぶかどうかは君次第だ》


『だからって、練習台って』

《こうする口実を得る為だ、タダで、慈善事業をされたくは無いんだろう》


『そ、それなら妓楼に』

《君が良い、君だけが良いんだ》




 それからはまぁ、大人の時間になってしまったので。

 僕らは静かに廊下に出て、酒を運ぶ女中に察して貰って、再び静かに飲み始めたワケです。


 少しして、また左側も入って来ましたからね。


《成程、繫盛する所は繫盛するって本当ね》

「でも滅多に無いんですよ本当、本当に大事な商談が有る時には3部屋借りて、芸者や芸人を呼んで敢えて騒がしくさせるんですよ」


《あぁ、聞かれない為に。でも、なら、家や会社で話せば良いじゃない》

「家に呼べない、会社に呼べない相手を、ですよ。偶々、そのお座敷で一緒になっただけ、って言い訳も使えますから」


《あぁ、確かに》

「で、また、隣も似た様な会話を始めて。流石におかしい、となったワケですよ」


《そうね》


 またしても右側に人が、今回も若い女と男。

 ただ、どう聞いても、さっき聞いた声なんですよねぇ。




『私に、婚約者のフリを?』

「あぁ」


『しかも、あわよくば練習台になって欲しい?』


「あぁ」


『あの、何処かの誰かと』

「いや、君が良いんだ、君に頼みたい」


『私で練習台になりますでしょうか、何も、そうした事を知りませんので』

「僕も詳しくは知らないんだ、だからこそ、君に教えて欲しい。どうすれば女性が悦ぶか、を」


『そんな、こんな私で、お役に立てるのですか?』

「勿論、君はただ、僕に身を委ねてくれれば大丈夫」


『はぃ』




 コレはまた、何も知らないお嬢さんを連れ込んだな、と。

 なので僕達は酔ったフリをしよう、となり、先生が隣の襖をスパーンと開けたんです。


「先生!もうすみません、厠と間違えたみたいで、と謝って。そのまま会計しに降りて、今度は敢えて下でグダグダしたワケですよ、後を付けさせた報告も聞きたかったので」


《それで、どうなったのかしら》

「何と、今月の新刊に載ってるんですよぅ」


《はぁ、事実か虚構か、全く分からないわね》

「それがウチの売りですから、どうぞ、今月の新刊です」


 大変でした。

 単なる詐欺師か、とも思ったんですが。


 まぁ、読んでからのお楽しみ、と言う事で。

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