第8章 初、袋とじ作品発行。

泣き顔。

 彼女とは政略結婚だった。

 数度の顔見せの後、結納を済ませ、暫くして祝言を挙げた。


 そして初夜に、気まずさから少しばかり意地の悪い事を言ってしまった。

 彼女は可愛らしくうねりながら、泣きながらも俺に抱かれた。


 堪らなく愛しく感じた、そして俺は何より、彼女の泣き顔に興奮した。


《ご当主様》

「旦那様とは言う気が無いんだな、それとも誰か他の者の妻になりたかったのか」


《いえ》


「それで、何の様だ」

《お食事のご用意が出来ましたが、どうなさいますか》


「ココで食べる」

《はい、直ぐにご用意させて頂きます》


 当主では無く、夫として見て欲しかった。

 けれど彼女は何1つ俺に強請る事も無く、妻として家の仕事を手伝い、少し嫌味を言うだけで泣き顔を見せた。


 強くて弱い妻が、堪らなく愛しい、そう思っていた。

 その思いを素直に言えば良かった。




「また、泣いているな、そう泣く程に他に思う男でも居るのか」


 この言葉に、私は思わず反論してしまった。

 何も言わないで抱かれていれば済んだのに、私は口答えをしてしまった。


《旦那様が、お上手だからです》


 半ば褒めたつもりでいた。

 嫌味を言われながらも、私の体は喜んでしまっていた、だからこそなのに。


「何処の男と比べているんだろうな、それとも俺を見下しているのか」

《いえ、私は旦那様を、素晴らしい方だと》


「当主として、だろう、そんな気持ちは不要だ」


 私の心は、この言葉で凍てついてしまった。


 私の祖父の一言で決められ、進んだ縁談。

 粗相が無い様に、不備の無い様にと過ごしてきたつもりだった。


 けれど、時間が有ればこうして旦那様は私の寝屋へと夜伽に来る。

 そして必ず、可愛いと仰りながらも、嫌味を言う。


 立派な方だ、と父から聞かされていた。

 尊敬すべき若い当主だ、とも。


 けれど彼は意地の悪い事ばかり、偶に褒めても、夜伽では酷く意地が悪くなる。

 彼が私との結婚を不満に思っていても致し方無い、そう堪えていた。


 けれど、もう限界だ。


《もうイヤ》




 愛しいからこそ意地の悪い事を言い、時に突き放し、時に甘い言葉を囁いた。

 最初はそうして泣き顔も見れていたけれど、少し前の夜伽では様子が変わり、彼女は段々疲れた顔をする様になった。


 そして果ては、倒れてしまった。

 それだけで無く、手を払い除けられ。


 私は失敗したのかも知れない。


 だからこそ、距離を置いた。

 夜伽を暫く控えていると、彼女の祖父の容体が悪化し、忙しくなると。


 彼女の様子が元に戻った様に見えた。


 そして俺は、祖父を亡くした彼女の肩に触れた。 

 けれど間髪置かず弾かれてしまい。


 思わず。


「そんなに嫌か」


《はい》


 それから彼女は何も言わず、部屋を出て行ってしまった。


 彼女は、どんな貝の殻よりも硬く心を閉ざしてしまったのだろう。

 俺は、失敗してしまった。


「愛してる、すまなかった、本当に君が、愛おしくて堪らなかっただけなんだ」




 私は、父から聞かされた通りの素晴らしい人だと、旦那様を当主として尊敬していた。

 けれど、だからこそ、意地の悪い物言いに耐えられなかった。


 私が思い詰め倒れてしまった後は、誰に言われたのか嫌味は言われなくなった、けれど。

 私はもう、意地の悪い方を夫として認める事が出来なくなってしまった。


 例え妾が出来る間の僅かな間だとしても、私はもう、男として尊敬は出来無い。

 幾ら私の泣き顔が好きだとしても、だからこそ。


 私の縁談を喜んだ祖父は、亡くなった。

 もう、良いだろう。


《離縁して下さい》


「嫌だ、別れる気は無い」


《なら、どうして》

「君の泣き顔が、本当に、堪らなく好きなんだ」


《だから淫乱だのと私に意地の悪い事を、ですか。そうやって幼稚で浅はかだらかこそ、ガッカリしたのです、立派な方だと思っていたのにその中身があまりに幼い。縁談を喜んでいた祖父は亡くなりました、どうか離縁して下さい》


「すまなかった、俺は、ただ当主としてだけでは無く俺自身を」

《逆の立場をお考え下さい、アレで愛せるのでしたら、どなたと結婚なさっても上手くいくかと。それともそこまで幼稚で浅はかな妻が欲しいなら、やはり離縁すべきかと》


「違う、君が良いんだ」

《では私に似た従姉妹がおりますのでどうぞ、ソチラで頑張って下さいまし》


「何でもする、行かないでくれ、すまなかった」


 いつも大して表情を変えない旦那様が、立ち上がった私の着物の裾に縋り、こんなにも可愛らしい顔を。


 あぁ、旦那様は、こんな気持ちだったのですね。

 あんなにも憎らしかった筈が、こんなにも愛しく思える。

 

《私、旦那様は立派な方、品行方正な方だと思っていたんです。でも、夜伽が非常にお上手で、さぞ練習された方々が居られ》

「居ない、君だけなんだ本当に、君だけが欲しいんだ」


《ですけど、どうせ私が泣かねば役立たずになってしまうのでしょう、でしたら》

「君に触れるだけで、香りを嗅ぐだけで堪らなくなる、堪らなく泣かせてしまいたくなるんだ」


《では、この足をお貸ししますから、証明して見せて下さいまし》


 私は再び乱雑に座り、足袋を彼に投げ捨て、足を差し出した。


 すると彼は喜んで私の足に飛び付き、口付け、頬擦りをした。

 そして足を。


「コレで分かってくれるだろう、君が欲しい、君無しでは居られない」


《どうせ、性欲だけなのでしょう》

「最初から俺は君に惚れていた、惚れて欲しかった、男として」


《スッキリしてからも、そう仰れたなら考えます、どうぞこのまま足をお使い下さいませ》


 目を潤ませ許しを請う表情、泣きそうな顔は、確かにそそる。

 あまりに必死で、とてもいけない事をしている様で、愛おしく見えてしまう。


 アナタ様が流す露と、私が流した涙の数が同じになるまで、暫くは様子を見ていて差し上げます。

 私はとても、傷付いたのですから。




《いやー、この袋とじの案は絶妙だねぇ。封をしたままなら純愛、封を切れば、春画も真っ青なエロティシズムが文言と共に見開きに広がる。うん、実に良い案だ、まさに僕が求めていた表現方法だよ》


「コレ、どうなったんですか?」

《そりゃ勿論、仲睦まじく添い遂げたに決まっているだろうに、何が納得いかないんだい》


「情愛からと言えど、あんなに粗末に扱われていたのに」

《それこそが、この袋とじの中に。君、もしかして見ていないのかい?》


「はぃ」


《厭だ厭だ、コレだから潔癖な者は困るんだよ》

「違うんです、袋とじを切るのは、本そのままの状態を損なうんですよ?僕はそのままを保存したいんです」


《なら、もう1冊買い給えよ》

「あ、そっか」


《厭だ厭だ、コレだから出版社に務める者は、全く。なら署名入りは要らんのかね》

「先生、誰にでも気軽にお名前をお書きになるじゃないですか、そんな量産的なモノは何かイヤです」


《なら、君の名も入れよう、それに一言加えてやる》

「それなら喜んで2冊目を置きます」


《ただね、売ってくれるなよ、コレは君への友情の証。もし売る位なら、ウチに来なさい》

「じゃあ奢って下さい!浅草に良い店が有るんですよぉ」


《良いだろう、この素晴らしい本のお祝いだ、さぁ行こう》


 こうして袋とじ付きの本は、瞬く間に広がりました。

 青少年が立ち読みする様な本屋でも置ける、それにうっかり女性が買っても、最初から破れていた中古だと言い訳が出来る。


 うん、他者の情欲ってやっぱり気になりますものね。

 皆さん。


「あ、そう言えば、I社やB社のKさんって知ってます?編集に居たそうですけど」

《んー?知らないなぁ》


「あ、そうなんですね。実は面接の予定が入ってるんですよ、明日」

《ほう、君もそこまで。うんうん、大きくなったねぇ》


「こんな風に、掌に乗る頃からお世話になってますからね」

《いや、コレ位だ、君が一寸法師だった頃からだ》


「そうでしたねぇ、先生の打ち出の小槌でもう、こんなに大きくなってしまって」

《まだまだ、まだまだ君は大きくなって、あの社の隣に招き猫として座らされるんだよ》


「食費が大変そうだなぁ」

《そこはほら、霞でも食い給えよ》


「あ、養ってはくれないんですね?」

《自分の食い扶持は自分で稼ぎなさい》


「はーい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る