世界最後に餞を

鹿衣 縒

*

 青い空、さんざめく風。そして数多の壊れた部品の山。ここ数ヶ月移動した地点では見飽きるほど見た戦いの痕。この国の見た夢の終わり。普段とは違って背後から男を狙う影が飛びつつ上がりつつ高速で接近しているのだが、男は珍しいなと呑気に構えていた。もうあと百歩程だろう所まで迫ったソレは、気配を隠すつもりもないようだ。口角を上げた____つもりで振り向く。



 目を瞠った。



 そこにいたのは赤い少女で。


 そしてその少女は、男の探し人に瓜二つだった。それは、この荒野を生きる意味でもある。

 少女は素早く近付き、軽々と岩場を超える。山のように積み上がった部品のアーチを潜り、まるで最短経路が見えているかのように無駄のない動きで走る。左手に持つのはサブマシンガンだろうか。この距離ではまだ確認できなかった。右手で斜面を掴み滑る。赤く長い髪が鞭打つように地面を叩き、砂埃が舞う。少女が太陽を背に飛び上がって影がひろがる。



 パンッ!



 少女のサブマシンガンの打ち出した弾丸が男の横スレスレで通った。


「おい、いきなりソレはねぇんじゃねぇか?」


 その場で少女の到着を待っていた男は近付いて武器を奪おうと迫るも少女は転がって避け、上方から攻撃を仕掛けようと縦横無尽に飛んでいく。男は口角がさらに上げた。否、その実ほとんど変わっていないが。表情筋が仕事をしなくなって暫く経っていたのだ。少女はいま、移動しつつ連射をし、距離を取っている。反発の様子からして低反発をウリにしているP90などでは無い筈だし、そもそもP90だとしても片手でたやすく操れる銃器ではない。正確な照準が怪物じみているのだ。時間にしてたったの数分にも満たないが、男は避け続けるのは埒が明かないと判断していた。 

 右足を蹴り勢いをつけ少女に近付くと、足元を尻尾で薙ぎ払った。ブン、と風を着る音が響く。衝突を避けるため右へ飛んだ体勢が、ごくわずかに不安定になった隙にサブマシンガンを少女の左腕ごと掴む。武器を取り上げまいとする腕に捕まったまま少女は男の鳩尾を思いっきり蹴った。想像より重い一撃に声が漏れる。ぐっと堪えて少女ごと後ろにまわし、勢いよく関節技を決めた。あの体力といい銃器の扱いといい、行動を封じただけではすぐに奪回策を見つけ出されるだろう。どうにかして話をつけたい。そう少女のことを考えていても、当人に動く気配が無くて。


 少女は意識を失っていた。


体格差があるというのにかなりの戦いを見せたな、満足に手加減できなかった。体が鈍っていたかもしれない。少女が身に纏っていたボロ布の上からそっと体を確認すると血は流してはいないも打ち身になりそうな程度だった。意識を落としてからも、左手にサブマシンガンを強く握りこんだまま。あれほど戦えるならまだ動けるはずだが何故気絶したのか。そもそも何故オレを殺しにきたのか、人が特に居ないであろう地域なのにどうやって一人で生きて、超人のような銃器の扱いはどこで。初めの何でアイツに似ているんだ、ということについては容易に予想が立った。予想と呼ぶには程遠く、ほとんど正解であろうことに辟易する。



 あ。そういえばお前、


「利き腕は違うんだな」


 真昼の荒野にぽつりと、男の独り言だけが響いた。









「っっぐ、」

 少し呻いて少女が目を覚ました。日は西に四十五度ほど傾いている。なんだ、この匂いは。少女は周囲に漂う異臭に顔を顰め素早く身を起こすと、男が呑気に鍋を煮込んでいるところだった。


「おい」


 男は少女が目を覚ましていることなどとうに気付いているだろうに、起きたか、と白々しく呟いた。穏やかな碧眼を見て少女の赤い眉が寄る。


「随分と腕に自信があったようだな」


「お、存外皮肉を愛してんのか?」



 此奴は今までのところ無表情を通しているけど感情の起伏が無いわけじゃない、声の調子で分かる。少女の眉がさらに寄って顰め面になった。


「分かった分かった……いや良くねぇわ!こういう場面ではまず名乗りを上げたりするんじゃねぇの?」


 そのまま久々に人に会ったんだよなー、オレ人間じゃないけどーと続けてくるので少女はサブマシンガンの残り弾数を確認し始める。男もそれを見てそろそろ諦めることにしたのか、先に話してしまうことにしたのか。鍋をぐるぐる回す手を止めた。


「殺気がまるで無かった」


 はあ。それはそうだろう、殺すつもりはなかった。それでも襲おうと向かってきている何者かに対してのんびりとした歩調を変えない態度はさすがに有り得ないが。


「懐かしいというか、なにかに引っ張られるように行かなきゃいけない気がして、急いで走ったらお前がいたんだ。多分ホンモノの記憶に残っていたんだろう。とっ捕まえて聞き出すつもりだった」


 少女の突拍子もないホンモノという言葉は男の予想を裏付けたも同義だろう。少し目を細め、それからいつもの調子で続ける。 


「にしてももっとやりようあっただろ、サブマシンガンの扱いが上手くて驚いた」


「コレそんな名前なのか。そこらに落ちててまだ弾が残ってたから拾ったんだけど」


 男の目が見開かれ、ウッッッソだろおま、と騒がしくなったのでふたたび銃弾の確認作業に入ろうとする。


「あー、騒いで悪かった。だからそれの整備すんの一旦止めてくんねぇか?物騒だし」


 何度も呆れられているからか少しバツの悪そうに男の頭に手をやる。


「初めて戦った、と思う。体が勝手に動いたような感じがして、それに引っ張られるのに身を任せた。生け捕りにして聞き出そうとするようだった」


「……意志と関係なく起こるって言うのも面倒だな」


 もう突っ込まないという意思を滲ませてジルドが言う。意識が飛んだのも体を使い慣れていないせいだろうか。少女は燃費がまた悪くなったか?とぼやく。


「すげー、強かったよ。いろいろと見てきた中でも群を抜いて怪物じみてた」


「そうか」


「あと名乗り損ねてたがオレはジルドと言う」


それきり会話が途絶えそうな空気を察してかジルドは勢いよく滑り込ませた。


「ルシャだ。ホンモノから一部取って名乗っている」


ルシャが名乗り終わるとジルドは手を差し伸べて、その手をルシャは数秒見つめたあと掴んだ。これから相棒となるふたりの、結成瞬間だった。









 話していてわかったこと。

 ルシャがホンモノと呼んでいた存在はフェリシャールという人だった。その記憶をコピーし、体を模して作られたのがルシャというロボットだったこと。

 フェリシャールはジルドの探していた人そのものだと確信した。

 ルシャの記憶は鮮明ではないようだった。どこまで覚えているかと聞くと、ただ所々穴を食うように抜けていると話す。戦争に流用されていた時の後遺症かもしれんな、とからりと笑ったのがジルドには痛々しかった。フェリシャールの幼少期などは覚えていたりするし、数年間が抜け落ちるようになかったりする。とすると、ジルドの事も抜け落ちていた一部なのだろう。


 ジルドがルシャの為に作っていた保存食の煮込みスープはルシャがロボットなので食事が不要だと判明したためジルドが一人で食べた。


「オレも別に食事要らないんだよなぁ」


 といいつつちょっと美味しそうに食べるから、いいなぁ、と言いかけた口は噤んだ。台無しにする気がしたので。


「オレは孤児でさ、死にかけていたところをハーボン博士に拾われて、まぁそのあと改造されて人間じゃなくなっちまったんだけど。ハーボン博士がルシャを作った人間と同じ人だと思う」


 うーん、と唸って考え込む。フェリシャールはたぶん、博士の名前を知らなかった。そしてルシャは彼の名前に興味がなかった。


「その蜥蜴みたいな金色の尻尾も、黄金みたいな髪や目もか?」


「あぁ。髪や目のことは分からないな。すぐに改造されたから」


「へぇ。かっこいいな」


 そういうとジルドは少し驚いたあと、フッと笑う。だろう? という不敵な笑顔があまりに自然で、悪態づく気にはならなかった。


「ホンモノとの関係は?」


「オレを研究所から逃がしてくれたんだ。オレはそのままならずっと教授の改造に付き合わされてた。曲がりなりにも命の恩人だしな。それでも良かった。でもフェリスと出会って、もっと外の世界を見たいと思ってしまったから。フェリスは必死で逃がしてくれた」


 籠の鳥には毒だったってことか。ルシャはそう結論付けた。知らなければ不幸になることもなかったのだ。そもそも研究所に行かなければ死んでしまう筈であった。そうするととんでもない仇だとも考えられるけど。ルシャはジルドの顔をチラリと見て、此奴が幸せそうならまぁいいか、と思う。


「なんでホンモノがそんなとこに迷い込んでんだ」


「お忍びで見つけたらしい。それで、合間を縫って何度か来ていた」


 じゃじゃ馬だな。記憶も大概そんな感じであったのでどこかしっくり来た。


「また、会えると約束したんだけどな」


「約束をしたのか?」


 約束。ルシャはすこし憧れていたそれに、鸚鵡返しになってしまう。


「あぁ」


 肯定してから少し考えて、いや、と否定する。


「約束と呼べるほどのものではなかったと思う。ただオレを逃がす際にバタバタして、落ち着かせるために言っただけかもしれない」


「……それでも、大切なものだと思う」


「ありがとう」


 フッと力を抜いたように、ジルドは笑った。


「そういえば、ルシャはどうやって生きてきたんだ?」


「曖昧だ。ホンモノの記憶は欠けが多いし、私の最近の記憶は無いんだ。生まれた頃の記憶だけうっすらあるけど分からない。……いや、燃えている記憶がある。それで記憶をなくしたのかもしれない。ジルドは?」


「オレは研究所を逃げ出してからは日雇いとかやった。戦争が起こっている地域は極力避けて旅をしていた。ほとんどそうだったけど。狩猟やら漁業やらしてな。オレの体、モノを食わなくても生きていけるらしいからなんとかやってた」


 ルシャは戦争って変なモンだな、と薄い感想を抱いた。もうすぐ日が完全に落ちるところだった。


 ジルドが眠りについたのを見て、襲われかけたのにどうしてこの生き物は警戒心が薄いのだと思いつつ隣に横たわる。ロボットには睡眠は必要ないけれど出来なくはないらしい。疲れていたからかすぐにルシャの瞼も落ちた。









 もしも地獄というものがこの世に体現するのなら、これはその中でどのくらい生ぬるいのだろう。


──────それは、絶望からでは無く諦念と無関心から生まれた思考だった。


  ホンモノの、フェリシャールの記憶には世界への希望も恐ろしい話への恐怖も自分と他人の幸不幸を比べた経験もあるようだが、ルシャは世界に対してさしたる希望もなかった。自分の生まれを憐れんだら何もかもおしまいだと思っている。


──────今まで自分を囚えていた設備が、業火に包まれ煌々と燃えている。


 …………うーん、意外と大したことないかもしれない、寧ろハッピーエンドなら私を研究所から連れ出すヒーローが来たりする? とすると、火災も盛り上げ役として一役買っているか。まぁ現実的にこのまま燃えるんだろうな。


 そうだ! 博士はこの場にいないけれど、もしいたら私たちを救おうとしただろうか。共に死のうと残ったり、なんて。また新しい研究所を作るとまっとうな判断をして避難するのが一番しっくりきた。


 当事者意識がないままずるずると思考が伸びていく。現実逃避なのは理解していて、私はいつも現実逃避ばかりしていることに思い至った。無関心でいれば傷つかない。それだけ。自分の思考自体、ほん当に自分の心で考えていることなのか、自我なんてあるのかというテーマはとうに考え飽きていた。



 所詮代替品なのだ、どちらでもいいだろう。熱さにより意識がさらにぼうとしてきて、近くで手を伸ばした体制で燃えしきる人間だったモノと博士の手により既になにか分からなくなっていたモノの残骸に目を向ける。


 この人間、自分が助かることを第一に考えれば生きられたはずなのに。解除しようとしたところで瓦礫に身を焼かれたのは運が悪かったとしか言いようがない。助けてくれそうだったのだけど、私なんかに手を貸そうとしたばかりに、としか思えなかった。瓦礫がほうぼうに落ちていくのがやけに遅く感じる。


 こうして思考が出来ることが気持ち悪くなってきてどうして意識まで作ってしまったのかと、これも何度も考えた思考に行き着く。生まれたくなかった、なにもかも面倒だ。博士が欲しかったのはフェリシャールなのだから中途半端な思考能力は要らなかっただろう。ただ人形を愛玩していればよかった。フェリシャールの最後の記憶には博士になにかのヘッドホンやコードを付けられたりデータを取られている様子がある。これがホンモノの最後の記憶というのはデータを取れたのがそこが最後だからに他ならない。彼女が逃げ遂せたのはその高貴な身分のおかげだった。


 戦争へ秒読みの緊張状態のなか最先端の技術を誇る博士に誰も口出せず、博士もその状況を利用してやりたい放題していたのに良くやれたものだ。


 しかも彼女は幾度も侵入しただけでなく被験者のジルドと仲良くなって彼を逃がしていたのに。


 ふと奥の方に何者かが内部に入ろうとしているのが見える。あ、さっき考えてたハッピーエンドモノなら彼らはヒーローなのかな。それがルシャを見つけた時どうするつもりか、と考えが回ったが途中でどうでもいい事だと思い直して目を閉じた。


 暗転。







 私を助けた彼らは、私が見た目に反し高性能なロボットだということを知っていたらしい。博士のことを知っていたのだろう。


 軍人の一人が貴族にこんな人いなかったか、と言い仲間がその貴族の嬢さんをモデルにしたのだと答えていた。彼らは国直属の軍隊で、ルシャはそこの戦闘員として戦うことを命じられた。


 撃って。

 撃って。

 撃って。

 殴って、潰して、割いて。

 そうして、殺した。何度も撃たれ、その何倍も撃った。


 ルシャ自身は死を知っていた。フェリシャールの記憶が元になっていたのだから当たり前だ。それなのに、何とも思っていなかった。その頃のルシャにはただただどうでもよかったのだ。


 いつしか、戦場を駆ける赤い悪魔と呼ばれていた、らしい。


 彼女を狙って砲撃がなされ、連射されるのを避け続けて、そのせいで仲間が斃れて、る者に向かって決死の特攻がなされた。


 そうして、ルシャはまた燃えた。









 ひどく夢見が悪かった。欠けていた記憶らしい。どうやって燃えている中から生還したかは定かではないけれど、自分の力で這い出したのだろうか。初めて戦ったというのは嘘だったじゃないか。大量に殺戮していただろうに、爆撃を受けた時にけろっと忘れたらしい。なんて薄情で最低で信用ならない。初戦代替品のロボット、なんて自分の生まれのせいにするまでも無い。己が最低なだけだった。先程ジルドを狙った自分の行動の慢心に気付く。体は戦闘に慣れていて、それに引きずられていて。万が一ジルドを殺していたかもしれないと思うと心の臓が冷える感覚がした。

 隣を見やった。そっと金の髪を払い、手を近づけて、呼吸を確認する。大丈夫。生きている。そして、先程拾ったサブマシンガンを遠くに放る。もう戦いをしたくはない。それはフェリシャールの記憶からであったし、過去の過ちが恐ろしかったからでもあった。ジルドの持っていた布で鍋を包み、着ていたボロボロの服の土埃を払う。持ち物が少なくて、準備はそれだけでよかった。


「ジルド。私と旅をしないか?」


 起きたばかりのジルドを真っ直ぐに見つめる。


 理由なんてなかった。









 世界は広かった。想像以上にジルドは博識で、ルシャと会う前にどのくらいの期間旅をしていたんだろうと聞くと分からないくらい一人でいたしな、と言われてしまった。


 凍土の広がる冷たい地域で、夜空に青と緑と紫が溢れていた時なんかはびっくりしたし、広大すぎる橙の岩みたいな大地がかっこよかったし、森は壮大に美しかった。世界は厳しいけれど、それ故に美しいようで、気が遠くなる。


 時々、生き残りや、生き残りの子孫がいた。言語が通じなかったこともあるけれど、なんとか身振り手振りで会話をした。ジルドとルシャが初めから会話が通じたのはやはり、同じ国の出身だったからかと得心する。


 各地に残る戦いの跡、大きな爆弾でも使ったのかまっさらすぎる更地を見る度、ルシャは心臓を貫かれるような心地になった。人の営みを見てきて、あの美しい場所を、家族を、仲間を、相棒を破壊した戦いが憎くて、そして自分がどうしても許せなくなることが何度もあった。


 贖罪ばかりの旅だ。もう終わってしまったのだから、贖罪足りえないけれど。









「おぉ、ここもなんかの施設か。雨風くらいは凌げそうでいいな」


 ジルドがそう言って中に分けいる。旅を初めてからもう季節が幾度も巡っていた。

 ルシャはその時点で、なにか異質な雰囲気を感じ取っていた。ホンモノに近い感覚があった。


 中には、生活に必要そうな機械がいくつか。もう使えはしないだろう。


 研究かなにかしていたのか、何らの薬物の入った瓶。なにかの植物を育てていたような後があって、乱雑にバツ印の付いたメモも散乱している。植物に関係する研究でもしていたのだろうか。奥の机に布が無造作に置かれていて、ジルドはなにげなくその布を引いた。


 そこには箱が一つあった。中に丸く大きな種が置かれていた。felixという文字が箱に刻まれている。昔の公用語で幸せを表す言葉だというのにはすぐに思い至った。フェリシャールの名前の由来だから。


「フェリスだ」


 ジルドは声を震わせながら目を輝かせる。フェリスの遺したものだ、と唇を噛み締めて言う。それはルシャには、ひどく眩しく感じられた。


 あ。私と会った時、あれほど平然とした態度で取り乱さなかったのは違ったことに気付いていたからかな、と直感的に思う。


 それとも本人に似たものを前にするとうまく言葉にならなかったりするのだろうか。さらに施設を探していくと、二つの手紙が見つかった。


『ジルドへ

私の好奇心で随分と傲慢なことをしたと思う。貴族という身分で、箱庭のような生活をしていた私は、同じような、いやそれ以上に利用されるあなたを見過ごせなかった。約束を果たせなくてごめんね。もしこの手紙を読んだのなら、あの種を植えて欲しい。私にはもう植える力も無いみたい。あなたのこれからに沢山の幸せがありますように。

フェリシャール』


「また、会えたから、」


 ジルドは短いその手紙を抱えて、涙をこらえるように唇を噛み締めた。


 もう一つの手紙は、ジルド以外がこの種を見つけた時に用意されていた。一人の人間だけではなく、数人が共に生活していたような跡があって、きっと連れが居たのだろうと推測をつける。身分が高かったようであるし、助けられたのだろうか。


 あたたかいその場所は居心地が良かった。


 種をなぜ育てなかったのだろうという疑問は直ぐに解決する。周囲の土は腐敗しきりで、研究に使っていた土は他所から持ってきたものであったのだ。植物の跡はこの交配のための跡だったのだろう。他所からの土は無くなってしまっていたのだ。


 ルシャの、少女のような見た目とは違い強靭な力でもって穴を掘り、より奥深くの土を掘る。


 この作業は三ヶ月間続き、大丈夫な土だと分かる為に持ってきていた雑草を植える。


 種が植えられるまでに整うのは二年ほどあとの事だった。


 これでは一般的な人間の彼らでは難しかっただろう。もしかしたらこの地域から移動すれば大丈夫な地質もあったかもしれないけれど、それほどの体力は彼らに無かったのかもしれない。


 いや、この地を動きたくなかったのかもしれないな。ちょうど、ジルドとルシャのように。


 ようやく出来た場所に、ジルドが種を植える。その木は箱に書いてあったそのまま、felixと呼んだ。



「ジルド」


 口に出して、何を言おうかと逡巡する。


 訪れた時、荒野が広がるばかりだったそこは今や、草木の生い茂る森と化していた。旅する途中で出会った生き残りの子孫たちが、ここに来て生活をしたりするのかもしれないと思うと自然と口が弧を描く。


「でかくなったな、お前も」


 そう言ってそっと触れた大樹は、あの日ジルドと見つけた種だ。この種を見つけてから二人は甲斐甲斐しく、それこそほとんど外に出ずに育てていた。



 人間より幾分か長いであろうジルドの寿命が来て、一人になってからも、ずっと。


 この特別な木の影響か分からないが、広がっていった植物たちの様子をジルドは優しげに見ていたなと思い出す。


 そろそろこの命が終わるという予感があった。


 ハーボン博士、意志を持たせただけでなく耐久性も長く作りすぎだ、と思う。きっと彼は常識も倫理観も正義感も何もかもを持っていた。それら全てが探究心、好奇心の、執着の前にして意味を持たなくなったのだろうか。


 無関心は理解から程遠いのだというのは、色々なものに興味を持ってからようやく理解したことだ。


 ルシャはよく無関心に陥って、それ故に過ちばかり犯してきた。


 歪で醜い生まれだと思うけれど、今は生まれてこれて良かったと思っている。だって産まれなかったら何も始まらなかった。


 百年にも及ぶ旅も、木を育てることも。


 戦争に利用され、戦った記憶、その罪さえも。ルシャは今やこの世界を、この世界に生きるものを愛していた。


 ジルドの墓の隣に横たわる。


『ここに黄金の色を持つ、

狩猟の得意な放浪の旅人、

フェリシャールの友人でルシャの相棒の

ジルドの遺体が眠る。

彼は人生の絶頂を生き

大樹の祝福を受けて亡くなった

(世界が終わりと、新たな始まりを迎えてから数十年が経った頃)』


 ルシャが墓に刻んだ詩だ。詩というには拙いかもしれないが。エピタフ、墓碑銘と呼ばれるものの存在は旅の途中で見つけた本の集まった場所で知った。たしか図書館だったか。相棒の死の餞になにか贈ってやりたくて刻んだのだった。


 自分のエピタフを先に書いてしまう詩人もいたと読んたが、自分の分は作らなかった。贈ってもらいたい人はもういないし、この世界がもう、ルシャにとっての餞だった。


「そろそろ、そっちに行くよ」


 そう言って目を閉じる。幸福の名を冠する大樹がそっと寄り添うように揺れた。ルシャの世界は今日終わるが、この世界はまだ終わらないのだろう。それでも、ルシャにとって終わる世界の餞に、この大樹を残せてよかったと思う。


 大地を、大樹を、彼女を、朝日が黄金に染めあげていく。それはちょうどジルドの持っていた色に似ていた。


 幸福なロボットは、それきりもう起きることは無かった。


Fin.

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